
私みたいなもんがさん付けすな。
自分がThreadsで有名人の名前を言うとき、さん付けすることがひじょーにひっかかる。
私は私生活で人を呼び捨てにすることがない。
いや、あるんだけど、夫、息子、7つ下の弟、30年来の地元の友達2人だけで、これはカウントには値しない。
だから実質ゼロだ。
ドーナツは真ん中に穴が空いてるからカロリーゼロっていうサンドウィッチマン伊達さんの理論と同じ。いや、同じじゃないな。よりによって家族と旧友をドーナツの真ん中にするのはまずい。
とにかく、それ以外の人を呼び捨てにすることがないから、私にとってさんとかちゃんとかくんを付けて呼ぶことは当たり前のことではあるのだけど、
まだまだ絶賛発展途上な私がさん付けすることは妙に鼻につかないだろうか?
私はあくまでもこっち側です。
そっち側の立場で言いたいのではありません、と。
どっちがこっちで、どっちがそっちかはよく分かんないけど、いつもいつもひっかかる。
有名人だろうが呼び捨てにすることは自分らしくない。でも、何者でもない私みたいなもんがさん付けするのは、妙に調子に乗っているというか、どこから目線だよと冷静に思ってしまう。
たとえば、この前Threadsで
「世界の果てにくるまおいてきた」みてる〜と
postしたその後に、
くるまさんって、お笑い以外本当に何もできなくて好き!って続けた。でもここは「くるま」と言った方が、より親近感というかリビング感があり、この正解はくるまでいいと思っている。
だけどそんなことより、
私は「さんを付けない女」だと思われたくなくて、
さんを付けた。
じゃあこの話を家で夫にするとして、私は
「くるまさん」って言うのか?
言わないな。
くるまって本当にお笑いしかできないとこがめっちゃいいよね~
って呼び捨てにする。
さんまやタモリって言うときだって、家でさんまさんとかタモリさんとは言わないし、キムタクだってキムタクさんとも木村拓哉さんとも言わない。
つまり私は、他人の目をめっちゃ気にしているのだ。そして、他人の目を気にすることも私のニュアンス♡と思ってしまっている。この辺りが私がずば抜けない理由なのか。
私が有名人をさん付けで呼ばなくなった時、
きっと自分があっち側に行った時なのかもしれない。
ところで、サンドウィッチマンの伊達さんは
たぶん家でも“伊達”とは呼び捨てしないことに
ひっかかる。
蒼井コッポラ