得るための犠牲。何かを得るとき、何を差し出しているんだろう
何かを得るためには、何かを犠牲にする。
よく聞く言葉です。
仕事で結果を出したい。
お金を増やしたい。
趣味も楽しみたい。
家族との時間も大事にしたい。
……全部ほしいですよね(笑)
でも、1日は24時間。
何かを選べば、その分、別の何かに使える時間は減ります。
じゃあ、それは本当に「犠牲」なんでしょうか。
最近、ちょっと違う気がしてきました。
失っているんじゃない。
自分で選んで、何かに差し出している。
今回は、そんなことを考えてみます。
成功するためには、何が必要なんだろう
成功するためには、何が必要なんでしょう。
努力。
感性。
情報をつかむアンテナ。
そして、行動。
たぶん、どれも必要です。
でも、
努力すれば、必ず報われる。
私は、そうは思っていません。
世の中、そんなに単純じゃない。
運もあります。
タイミングもあります。
たまたま出会った人。
たまたま目にした情報。
そんな偶然が、人生を変えることもある。
でも――
努力していなければ、そのチャンスに気づけないかもしれない。
気づいても、行動しなければつかめない。
結局、
何もしなければ、何も始まらない。
そして、その努力や行動にも、
時間だったり。
自由だったり。
何かを差し出しています。
そこで、こんな神話を思い出しました。
知恵の代金、高すぎません?
北欧神話に、オーディンという神がいます。
知恵を求め続けた最高神です。
そのオーディン。
さらに深い知恵を得るために、なんと――
自分の片目を差し出します。
え?

知恵の代金、高すぎません?
でも考えてみれば、これって神話だけの話でもない。
私たちも何かを得るとき、気づかないうちに何かを差し出しています。
お金を得るための時間。
出世するための自由。
仕事を頑張るための家族との時間。
そして、ときには健康まで。
もちろん、片目ほど分かりやすくありませんけどね。
では、私はこれまで何を差し出してきたんだろう。
少し、自分の人生を振り返ってみました。
私も、ずっと時間を差し出してきた
自分の人生を振り返ってみると、
ずっと何かに時間を差し出してきた気がします。
若い頃は、仕事。
子どもが生まれてからは、仕事と家族。
子育てが終わってからは、自分がやってみたいこと。
バイク。
釣り。
山登り。
YouTube。
そして、note。
その時、その時で、
自分が大事だと思うものに時間を使ってきました。
でも、不思議なんです。
子どもと過ごした時間なんて、
自分の自由な時間は減っていたはずなのに、
「失った」という感じがまったくしない。
むしろ、
あの時間から、もらったものの方が大きい。
そう考えると、
「犠牲」という言葉が、少し違って見えてきます。
noteにも、結構な時間を差し出している
今の私でいうと、noteもそうです。
楽しい。
でも、
結構、時間を使います(笑)
記事を書く。
直す。
また読む。
気になって、また直す。
……なかなか終わりません🤣
しかも、それだけじゃない。
いろいろな人の記事を読みに行く。
コメントを読む。
コメントを書く。
また別の記事を読む。
気づけば、
え? こんな時間?
なんてこともあります(笑)
毎日のように記事を投稿している人を見ると、本当にすごいなと思います。
記事を書くだけじゃない。
読む時間もある。
交流する時間もある。
その全部を含めて、
自分の24時間の一部をnoteに差し出している。
そう考えると、
「時間を使う」という言葉より、
「時間を差し出す」
の方が、今の自分にはしっくりきます。
誰にでも、1日は24時間
お金も違う。
環境も違う。
得意なことも、苦手なことも違う。
でも、
1日は誰にでも24時間。
ここだけは、今のところ平等です。
その24時間を、
仕事に差し出す人。
家族に差し出す人。
趣味に差し出す人。
勉強に差し出す人。
noteに差し出す人。
何が正しいという話ではありません。
人それぞれです。
大事なのは、
自分が何に時間を差し出しているのか。
そして、
これから何に差し出したいのか。
そこなのかもしれません。
犠牲ではなく、自分で差し出す
何かを得るためには、何かを犠牲にする。
最初は、そんな話から始めました。
でも、ここまで考えてみると、
やっぱり少し違う気がします。
犠牲というより、
自分で選んで、差し出している。
だったら私は、
「失った」と思うより、
「これに差し出した」
と思いたい。
できることなら、
何に差し出すのかは、自分で選びたい。
結局、大事なのは、
「何に時間を使ったか」より、
「自分は、何に時間を差し出したいのか」
なのかもしれません。

