
親愛なるドルジヤ──建設現場を生きる私の野帳
あらすじ
大学教員を目指し、ロシア文学を専攻していた大学院生・メイは、就職難をきっかけに伯父と母の営む建設会社へ入社する。待っていたのは、「けんせつ小町」などという言葉とは無縁の、作業服を「汚い」と見下される現場。そして超高齢化した建設業界のリアルだった。
初めは戸惑うメイだが、職人たちの言葉に耳を澄ませるうち、彼らの人生と時代の記憶に触れていく。昭和歌謡、学生運動、学歴格差、老い、労働、見えない家事、母たちの時代──
建設現場の裏側から、異なる時代を生きた親愛なる友人たち(ドルジヤ)への、温かく少し苦い眼差しを描く現代建設業小説。
※本作は実際の経験や見聞をもとに構成したフィクションです。作中に登場する人物・団体・会社・施設等は、実在のものとは関係ありません。
プロローグ
「汚いんだから表玄関通るんじゃないよ!」
その日の朝、リフォーム工事現場のマンションの入り口で声をかけられた。というよりむしろ怒鳴られた。
声の方向を見やると、そこには、何日も風呂に入っていなそうな高齢男性の姿。
一応大手管理会社の制服を着ている──管理人だ。
口の周りには涎と何かの跡がついていて、ずっとくちゃくちゃと音を鳴らしながら何かを噛んでいる。
シワだらけの制服にはあちこちにいろいろなサイズと色のシミ。
ズボンの裾からは赤い股引きのようなものがのぞいている。
素足にボロボロの便所サンダルからは、黄色くなった爪と白い角質がびっしりの足が見える。
思わず鳥肌が立つ。
でも、人を見た目で判断するなんて。
そんな私もたいがいひどい、とは思う。
かつて、私メイは、都心のキレイなキャンパスで長い長い大学院生活を過ごしていた。
学んでいたのは「役に立たない」学問の代表格──ロシア文学である。
専門は、ソビエト時代のユダヤ人と反体制派の作家。
確かに社会ではなんの役に立ちそうもない。
今はといえば、すっかり建設現場の人間だ。
「汚い」といわれるのは日常茶飯事。
冷房の効いたキレイなオフィスで汚れない仕事なんてまず望めない。
でも、その「キレイなオフィス」を作ったのは、こういう「汚い人」たちだ。
Дорогие мои друзья(ダラギーエ・モイ・ドルジヤ)
──親愛なる私の友人たち
これは、私と親愛なる私の友人たちの建設現場の記憶である。
第1章:いざ、建設業界へ
私がこの仕事を始めてもう10年になる。
正直いうと、入りたくて入った業界ではない。
元々3年で卒業しようとしていた大学院を、2年で卒業できることになってしまった。
私が優秀だったのではなく、たまたまその年から制度が変わったのだ。
慌てて就職活動をはじめたものの、こんな20代後半にもなって社会人経験のない、名ばかり高学歴を雇ってやろうというマトモな会社が、日本にそうあろうとも思えない。
とはいえ、ロシア文学の大学教員をめざすなんて、どう考えたって無謀な気がした。
この時、内定が出ていたのは都内の水産卸の会社のみ。
唯一、ロシア語力が活かせそうだと思ったのだ、その時は。
ネットで社名を検索すると、募集要項とは仕事内容も給料も違うという書き込みがたくさん見つかる。
「もう、イチかバチか水産卸に行くか」
そんな時、建設会社を営む伯父と会うことになった。
「就活、うまくいってないんだって?」
「内定ゼロってわけじゃないんですけど」
「今、『けんせつ小町』とか『ドボジョ』とかいって、女の子の建設業も増えてるみたいじゃない。……この際、うちで働いたら? 建設業は建設業で、悪くないと思うんだけど」
この建設会社を共同経営している母も畳み掛ける。
「そうよ。いずれ何か新しい事業始めてもいいじゃない。お給料も悪くないんだし」
確かに、女性でも、子供を私立の学校に行かせられるぐらいには稼げるのかもしれない。
「ほら、とりあえずお給料これくらいでどうなの? ねえ?」
伯父がつづける。
「いや、もうちょっとあげてよ」
思わずごくりと唾を飲み込む。
これまで「建設業だけは勘弁」と思っていたのに。
所詮は世の中カネである。
こうして私は、建設業界の一員になった。
ちなみにこの「伯父」とは、私の母の別れた夫の父親の別れた妻の親戚の息子である。
ほぼ他人だが、なんとなく伯父さんと呼んでいる。
「だいたい『けんせつ小町』ってなんなん。女性だけが、建設現場でも美人かどうかが問題なわけ?」
かつて女性総合職がとても少ない時代に、新卒で大手銀行に勤務していた母が困ったように答える。
「結局、男の人は職場の花が欲しいのよ」
母は、これまでずいぶん酷い目に遭ってきたのだと思う。
多分私なんかが想像もできないくらいに。
東北の祖父の葬式での母といえば────
酒盛りをする男たちの間を甲斐甲斐しく動き回る。
誰に何を言われても静かに微笑み返す。
この時私がやったことといえば、酔っ払った親戚に泣きながらブチギレたぐらいだ。
そんな私をみて母は、狼狽していた。
「どうしたの」
咄嗟に「怒られる」と思って身をかがめた。
そこで「『おい、酒持ってこい』って」と泣きじゃくる私。
「えっ? ええと…………そう。うん。そうなのね。そっか。
………………それじゃあ、まあ、これから苦労するね、きっと。
かわいそうに。ね」
しみじみ言って、私の背中をさすってくれた。
さすってもらいながら、なんとか言葉を続ける。
「だって、なんで。なんでそんなこと言えんの。頼むにしたって言い方あんでしょ。だいたいなんで、男だけは全員座ってんの。あそこに座ってんの男しかいないじゃん! さっきの発言だって、あれ完全にセクハラじゃん! ママはなんで笑顔で黙って聞いてるわけ!」
嗚咽混じりに母を責めてしまった。
「 …………うん。そっか。……そうだよね。 ………………ごめんねえ」
そういって背中をさすり続けてくれた。
正直、泣きたいのは母のはずだ。
結局、私もまあそんなだから、まともな就職口がなかったのだと思う。
これを学歴のせいにしてはいけない。
そういえば伯父も、あのとき以来「けんせつ小町」なんて話題にも出さない。
言われるのはこれくらい。
「すっかり口調が荒くなっちゃって。一応女の子なんだから」
ただ、伯父が知らないだけで、口が悪いのは元からである。
なんたって、私は女子校の出身なのだ。
娘のいない伯父は、もちろんそんなこと知らない。
第2章:歳をとるのも悪くない
「20代なんてツチノコ並み」──誰が言い出したのかは知らないけれど、言い得て妙である。
それぐらい、おそろしいほど建設業界には若い人がいない。
ボリュームゾーンは70代。
私だって、もう30代。
世間的に言えば、もう「若い」とはいえない。
街場の建設業界で「若手」といえば、50代だ。
建設業界に残る最後のボリュームゾーン。
そして、一番の働き盛り。
世間で50代といえば、役職定年になったり、そろそろキャリアの終わりが見えてくる頃らしい。
この前の日経には「50代は定年後への準備期間」なんて記事も出ていた。
そういえば就職活動中、募集要項に「定年60歳」などの文字を見て、「あと何年お金稼げるんだろう」と不安になったっけ。
現場に来てくれた職人さんが50代なら、正直ホッとする。
「よかった、若い人寄越してくれて」
それが建設業界における50代。
この前会った「若い衆」は、若い頃に流行りのインベーダーゲームにハマり、身を持ち崩して今に至るそうだ。
インベーダーゲームが流行ったのはいつの頃なのかはわからないけれど、その人はいまだに「若い衆」をしている。
ピンボールについてなら昔、村上春樹の本で読んだことがある。
小説の中のいくつかのシーンを頭の中で思い浮かべる。
インベーダーゲームにハマるっていうのも、あんな感じだったんだろうか。
そういえばこんなことも書いてあったっけ。
得るものはほとんどないけれど、失うものはいっぱいある。
それなら、身を持ち崩してしまうのも、ちょっとわかる気がする。
とはいえ、若くない「若い衆」たちを笑ってばかりもいられない。
70代以上の職人さんの見張りは大変である。
脚立の上の姿を見るたびに、こちらの方がヒヤヒヤ。
ちゃんと見えてる?と思うこともしばしば。
ただ厄介なのは、本人たちにその自覚がないこと。
人はある日突然、何かができなくなるわけではないからだ。
たとえ70代でも、気持ちの上ではまだまだ20代。
人によっては10代──
でも、夏の暑さは年々きつくなる。
職人さんは年々歳をとる。
それでも現場では、元気な高齢者に頼らざるを得ないのが現実だ。
このままいくと20年後には、70代の「若手」を中心に、90手前の「若い衆」で現場を回すことになるかもしれない。
20年後には、本物のツチノコも発見されているかもしれない。
徳川埋蔵金も見つかっているかもしれない。
宮沢湖の幽霊だってまた出没しているかもしれない。
それはそれで、ちょっと楽しみだ。
この仕事をしていると、昭和のオカルトや、昔テレビを騒がせた事件の話などにやたらと詳しくなる。
「いや、俺、当時さ、グループでみに行ったのよ。地元の心霊スポットにさ。そしたら…………」
「あの時、テレビはずっとその話でさあ」
「でもさ、幽霊もUFOもさ、いるって思ってたほうがなんかいいじゃない」
最初は笑っていたけれど、何年も現場にいるうちに、私もだんだん同じようなことを思うようになった。
サイトウさんも、そういう元気な70代。
朝から誰よりもよく動くし、誰よりもせっかちだ。
荷物を運ぶときには。
「いいからいいから。じゃあ、メイちゃんはそれだけ持っていって」
「それ」とは、ガラ袋だけだったりする。
たまに「俺もう歳だから」と言うけれど、そのあとすぐ大物の解体を始めたりする。
ガンガンガンッ。ガッシャーン。
ウヴィーン。ドドド。ドンッ。
「あっ」
「や、危ないから! ちょっと待って! 何なら私やるから!」
恥ずかしそうに笑っている。
エレベーターが待てないからと、昔の畳を階段で下ろそうとしたりする。
「いや、ちょっと待って! また膝痛くしちゃうから! やめよ!」
ガン。ガシャシャーン。ドーン。
「まいったなあ」
これまた恥ずかしそうにしている。
年配者は、階段の上りより下りに注意してあげなくてはいけないのだ。
周りの70代を見ていると、みんないくつになっても楽しそうで素晴らしい。
毎日こういう人たちをたくさん見ていると、私も歳を取るのがちょっと楽しみになる。
せっかちで、よく笑って、すぐ動いて、こちらが止めてもすぐには止まらない。
私も、若者に「楽しそう」と思ってもらえる、ああいう高齢者になりたい。
そして、同年代みたいなノリで、若者にイジってもらいたい。
老後はどうしようと心配していた大学院生の頃には、考えもしなかった将来像だ。
ただ、サイトウさんの背中を見ていると、そういう将来が、まあ悪くない気がしてくる。
第3章:初めての怪我
4月に入社してみたものの、現場のことや建設のこと、何から何まで全く何もわからない。
とりあえず事務作業を教え込もうとした母も、しばらくして音を上げ始めた。
広げたファイルを片手にいう。
「好きじゃないでしょ。こういう仕事。メイちゃんみてたらさ、こんなこともできない可哀想な人も世の中にはいるんだって思っちゃって。ふふふふふ」
「………………」
返す言葉がない、とはこのことだ。
事務作業が無理ならば、現場の仕事? ──いや、それはちょっと。
でも、これから建設業をやっていくには、ひとまず現場を知らなければいけないんじゃないだろうか。
向こうのデスクで爪を切っていた伯父に相談をすると、とても渋い顔でいう。
「やめといたほうがいいよ。キレイじゃないし。ほんとに、汚いんだから。人も荒いし、どうしようもない人たちばかりなんだから。男だって大変なんだから。俺は、反対」
そうかもしれないけれど。
もし私が男だったら、最初から現場監督として現場に突っ込まれていたんじゃないかとも思う。
「それでもやっぱり、やってみないと。今後、他の従業員に顔向けできないと思う」
「どうしてもっていうなら、大工だな。現場に一番長くいるから、他の仕事も見られるし。でもね、わざわざそんなことしなくったって。せっかく大学院まで出てさ。……なんでまた」
呆れたように言ってきた。
やると決めたからには、ヨシ。
ひとまず息を吐いて深呼吸。気合いを入れて電話をしてみよう。
この時点で、私が電話番号を知っている大工は3人。
頭の中で3人の顔を思い浮かべる────
「よし、サイトウさんにしよう」
それが、あのサイトウさんである。
この選択が、のちの私の人生のターニングポイントになるとは、夢にも思わなかった。
プルルルルル────
「え、メイちゃん? どうしたの」
電話口で聞き覚えのある声がする。
「あの。給料とか本当に何もいらないので、しばらく修行させてもらえませんか?」
「えっ? 修行?」
「はい! サイトウさんのところで、勉強させてください! 本当にお給料も何もいらないので!」
「勉強ったって、何知りたいの?」
「建築のこと、なんでも全部。教えてください」
「あっ、そー? うん。わかった。じゃ日程またあとで連絡する」
そこで電話が切れた。
思わず切れたばかりの受話器を眺める──私の修行先は、驚くほどすんなり決まってしまった。
この頃、70代のサイトウさんのところには、約10人の大工さんが所属していた。
数人を除き、ほぼ全員いわゆる「高齢者」である。
こうしてまずは週に2から3日、いろいろな大工さんの元で修行をさせてもらうことになった。
自分で決めたこととはいえ、初出勤が近づくと行きたくない気持ちが強くなってきた。
母が心配そうに顔を覗き込んでくる。
「ねえ、本当に行くの?修行に行くにしても、不動産屋さんとかじゃダメなの? 私、かわいそうになってきちゃって。電話してあげるから、ね?」
「うん、お願い」という返事を飲み込む。
それに、不動産屋さんなんて、もっと大変かもしれない。
とりあえず日がな一日、ネットで大工見習いの仕事内容と、何をすれば怒られないか、などと検索したりもした。
新人はとりあえず箒を持っていれば大丈夫。
元気に挨拶をしましょう。
缶コーヒーが飲めたらなお良し。
どのサイトにもそんなことばかり書いてある。
「本当かな」と思いつつも、少し安心した。
正直、缶コーヒーは得意じゃないけれど、飲もうと思えば飲めなくはない。
それくらいなら、なんとかなりそうだ。
そして初日がやってきた。
ネット情報を信じて、とにかく会う人すべてに、元気にあいさつ。
「おはようございます! メイです。よろしくお願いします!」
「おう、よく来たな!」
拍子抜けするくらい、みんな朗らかで優しい。
皆、「見習いを受け入れるなんて久しぶり」と喜んでくれた。
久しぶり、といっても、一番最近の人で私が生まれる前とのことだ。
いずれにせよ「元気に挨拶」──これ大事。
ちなみに、「箒を持っていれば大丈夫」という情報も本当だった。
手持ちぶたさになったら、ぼーっとしていないで、とりあえず箒を持ってそこらへんを掃いておくこと。
これが大工見習いのライフハックだと学ぶ。
休憩時、みんなで一緒に近くの自販機まで歩いて行く。
「ジュース? お茶?」と聞いてくれる。
周りを見渡すと、皆思い思いに好きな飲み物を選んでいる。
どうやら缶コーヒーじゃなくてもいいらしい。
「お茶がいいです」
冷たいペットボトルの緑茶を片手に、70歳前後の職人さんたちの端っこにすわって、みんなの話を聞く。
気を遣って、私も加われそうな話題を選んでくれているようだ。
ある人は────
「タレントのなんとかってのいるじゃない? あの人保育士の勉強してるんだってね。俺の若い頃じゃあ、男で保育士って考えられなかったけど、いいよねえ。建設業も女の人増えてるっていうし、いいよねえ」
うん、いいよねえ。
別の人は、政治家のいわゆる「セクハラ発言」についてたくさん教えてくれる。
「あれはダメだよねえ。なんでまだ政治家続けてるんだか。ダメだよねえ」
うん、ダメだよねえ。
毎日10時と3時の、1日2回。
みんなで自販機と現場の行ったり来たりを繰り返す。
私も日に日に、自販機のラインナップに詳しくなっていった。
今まで飲んだことのなかったクラフトコーラやぶどうジュースなんかの美味しさにも目覚めた。
予想に反して、とても心地が良い。
こうして私の修行期間は、思いのほかあたたかく、平和に過ぎていった。
ある日のことである。
唯一の若手、50代のハンザワさんにつくことになった。
そのハンザワさんが、仕事中に突然こんなことを言った。
「────────────────。」
接着剤にまつわる定番の下ネタ、なのかもしれない。
──まあ、色は白い。
そんな色といえば、そうなのかもしれない。
想像するとかなり気持ち悪いが、おそらくただのジョークである。
でもこの時、急な発言にびっくりして、どう答えたらいいのかわからなかった。
咄嗟に何もできず、真顔で硬直。
そんな私を見て、ハンザワさんも困惑しているようだった。
続けて「男だったらそういうよ」とボソッと付け加えた。
「 ………………。」
続・真顔で硬直。
私がもし男だったら、そういったのだろうか。
一緒に笑ったのだろうか。
それ以降、無言で作業を続けながら、どうすべきだったのか頭の中で考えていた。
この出来事からおよそ30分後、私は左手の親指を怪我した。
大した怪我ではないが、血が止まらない。
初めてのちょっと大きい怪我だ。
慌てて近くにあった緑の養生テープを親指にぐるぐる巻く。
前に誰かがそうしていたのを思い出したからだ。
それでもテープの隙間から血が溢れてきて止まらない。
しかも痛くなってきた。
ベニヤを張ったばかりの床にも血の輪が広がる。
…………これはもう、隠しきれない。
「あの。 ……すみません」
ハンザワさんは、小さく「あー」といって、とても悲しそうな顔をしていた。
とてもとても悲しそうな顔。
親指の痛みとともに、その顔にも心が傷んだ。
無言で張ったばかりのベニヤを交換する姿にも。
そして、私は何もできなかった。
ちなみに、それから何日か後。
事務所でコーヒーを淹れながら、母にさりげなく下ネタについてきいてみた。
「昔ね、みんなすごく下ネタばっかり言うところで働いてたことがあって」
てっきり心配して、何か言ってくるものだと思っていた。
けれど母は、マグカップを受け取りながら、何でもないことのようにそう言った。
「ほら、あの、家具工場で事務のパート始めた時。私だって子どももいるわけだから、さすがに、それで恥ずかしいとか、そういうことではなかったんだけど」
母は少し考えるようにして、コーヒーに口をつけた。
「ただね、下ネタ言ってくる人って、みんなすごく優しいのよね。仕事でもね、本当に。ほんとに優しくてね。多分、気を遣ってくれてたんだと思うんだけど」
そこで母は、少し笑った。
「今思えば、ちゃんとした気の遣い方が分からなかったのかもね。ほら。昔の男の人って不器用だから」
「不器用」──
優しければ何を言ってもいいわけではない。
それでも、優しさの届け方を知らない人がいることも、たぶん本当なのだ。
次の週の朝、現場へ向かうバス停への道すがら。
今日は私の方から積極的に話しかけて、みんなに気を使わせないようにしよう。
大丈夫。今日も私はがんばれる。大丈夫……
こんなことを言い聞かせていた朝に限って、うっかりヴァージニア・ウルフなんか読んでしまった。
なぜ女性は、こんなにも貧しいのか──
バスの後部座席に座りながら、涙が溢れて止まらない。
これじゃあ完全に、作業服を着た変な人じゃないか。
近くに座っていた中国語を話す二人組が心配そうにこちらを見ている。
「她没事吧?」
「好像在哭」
咄嗟にこういって、にっこり笑う。
「没关系。谢谢」
──大丈夫。ありがとう。
うまく発音できたかどうかはわからない。
でも二人はとびきりの笑顔を返してくれて、小さく手まで振ってくれた。
この程度しか話せないけれど。
簡単な中国語を仕込んでくれた父と、共に留学時代を乗り切った親友に感謝だ。
慌てて涙を拭いて、スマホのインカメラに顔を映す。
──とりあえず、大丈夫そう。
朝は元気に挨拶をしなければならないのだ。
第4章:愛ちゃんはお嫁に
どんな朝でも元気に挨拶をしていれば大丈夫。
高齢の職人さんたちが集まる現場では、そのうちに「私の知らない世界」についてのおもしろい話が始まる。
その日の休憩時間「世間では昭和ブームが来ているらしい」という話になった。
それに伴い、昭和歌謡もブームだとか。
昭和歌謡といっても、最近のブームは、中森明菜や山口百恵、松田聖子などなどらしい。
そもそも高齢の職人さんたちにとって、山口百恵や松田聖子などは「最近の人」である。
懐メロですらない。
まったくもってエモくない。
建設現場で話題になる昭和歌謡といったら、まず鈴木三重子とか、青江三奈とかその辺である。
青江三奈といえば、サイトウさんの推し。
鈴木三重子といえば、そう、『愛ちゃんはお嫁に』である。
もちろん私は、それまで聞いたこともなかったけれど。
この歌は多くを語らないが、実に示唆的な表現に溢れているらしい。
ただ「愛ちゃんは太郎の嫁になる」だけの歌。
70代の職人さんたちの解釈は概ねこうだ────
みんなの憧れ「愛子さん」。
近所に住んでいて、農村ではめずらしいちょっとお金持ちのお家の綺麗なお嬢さんだ。
「ほんとにねー、近所に一軒くらいあったんだから。綺麗なお嬢さんいてね」
誰かが言うと、別の職人さんがすぐに乗っかる。
「本家のお嬢さんね」
「お医者さんとこの子とか」
「お医者さんとこはねー。あの時代に、ベンツ乗ってんだから。田舎のベンツなんて、昔はお医者さんとこだけだったねー」
「うちんとこじゃ、お家にピアノあったよ。前通るとね、ピアノの音聞こえてきてね。こっちなんか、一日中外走り回ってんのにね。ドキドキしたよねー」
「綺麗ったって、顔がかわいいっていうんじゃないんだよ。日焼けしてないから。教室でも本なんか読んじゃってね」
……なるほど、これがお米じゃないほうの「小町」というやつか。
「で、そういう子はね、ちゃーんとした家に嫁に行くの」
「本家の長男とかな」
「そうそう。だから太郎さんだよ、太郎さん。『太郎の嫁』になんの」
「お医者さんの子なら、東京か、どこかの大きい都市だな」
「でも本家の奥様なんて、大変だったよー。メイちゃんもよかったねえ、そういう時代じゃなくて」
そこで、誰かがふと思い出したように私を見る。
「でもメイちゃんは、お父さんもお祖父さんも東京か?」
「うん。下町だけど」
「…………そりゃいいねえ」
皆、少し遠い目をした。
さて、この「愛子さん」は、地元の大農家の長男「太郎さん」と、親が決めた結婚をすることになる。
「俺なんか、中学だって出てないんだから」
「いくら仲良くたってねえ。今と違って。今の人はいいよねえ」
住む世界が違うから──
この先はもう、会うことも、見かけることもないかもしれない。
当日、遠くから綺麗な嫁入り行列を眺める。
どうかこの日も、そしてこれから先の人生も、「愛子さん」が幸せであってほしいと願いながら。
途中、お天気雨いわゆる「狐の嫁入り」にも遭遇する。
幸先が良くて、そして涙を隠してくれて、ちょっと安心する。
この後、涙を雨のせいと言い訳しながら、農作業に戻っていく────
その流れで、私も両親のことを話した。
「でも、母は東北出身だよ。北のほう」
「へえ。農家じゃないの?」
「よくわからないけど、専業ではなさそう。祖父は国鉄って言ってたかな」
「へえー、そりゃあすごいねえ」
皆、黙って頷く。
「進学でこっち来て、東京出身の父と知り合ったらしいけど」
「娘っ子が上京して進学? ……そんな世界が本当にあったん。一人っ子じゃあないんでしょ」
「うん。でも全員、東京で進学したみたい」
「……お母さん、『愛子さん』どころじゃなく恵まれてるじゃない」
「農家なんて、そういう問題じゃなく貧しかったんだから。俺は新潟だけども」
「それにいくらお金があったって、娘にまで金使う時代じゃなかったんだよ。勉強なんかさせて、どうすんのってさ」
どうすんの…………。
あとで調べてみると、この歌の大ヒットから、およそ70年が経っていた。
昭和は遠くになりにけり。
日本もずいぶん変わったものだと思う。
こんな時代背景の中を生きてきて、今に適応している職人さんたち。
これはもう、リスキリングとかそういうレベルじゃないような気もする。
ある日の昼食時間、ハンザワさんがお子さんの進路についての話を始めた。
私はコンビニの冷製パスタを巻きながら言った。
「ハンザワさんのお子さんなら、そりゃ頭良さそうっすね」
ハンザワさんは地元の工業高校出身だが、実はおそろしく頭がいいのだ。
「どうだかね」
そして小さく言った。
「奥さんに任せてるんでね。俺はなんも知らん」
「はぁ」
「とりあえず昔から『大学はなしだぞ。うちにそんな金ないからな』って言ってる」
「…………」
少なくとも自分がティーンエイジャーの頃、大学に行かない人生もあるということを、とりあえず私は知らなかった。
巻き終わったフォークを手にいう。
「行こうと思えば、いけるよ。今は」
「らしいな」
「うん。まあ、その気があればね。なんとでも」
「……ないんだよ。うちの子らには。まあ、成績も悪そうだし」
「…………」
なんと言えばいいか迷っていたところで、となりでコンビニのカツカレーを頬張っていたヤマシタさんがいう。
「メイちゃんはさ、子供の頃、お母さんに勉強しろって言われてたでしょ?」
慌ててパスタを飲み込み返事をする。
「そらもう。中学の時なんてほんと成績悪くて、ずいぶん怒られたよねー」
「そりゃ、怒りたくもなるでしょ。塾代稼ぐのに、私立の学校通わせるのに、親御さんどんだけがんばったと思ってんの」
「確かに」
「でも、それはさ。メイちゃんのお母さんっていうより、メイちゃんのお母さんの親御さんがさ、偉かったんだよ。しかも、お母さん東北でしょ。女に学はいらないっていうやつ、うじゃうじゃいた時代にさ。実際今もいるんだよ、メイちゃんは知らないと思うけど。」
「女に学はいらない……」
いつかどこかで。聞いたことは、ある。
「ハンザワちゃんもさ、こういうのは奥さんの教育方針だもんねえ。俺らは何も言えないんだから。金稼いでくるだけの俺らにはさ」
全員黙って食事を口に運ぶ。
そこでヤマシタさんがポツリという。
「でもメイちゃん見てるとさ。やっぱり女子の教育っていうのは、大事だなって思うよね。男はね、まあ。職人でもやってればね」
ハンザワさんも静かに2回頷く。
「うーん。でもさ。うちの親は、子ガチャに外れたって思ってそうなんだけど」
「こんなに金かけてこれかってか? ははー。そりゃしょうがない」
そう言ってみんなで笑う。
ちなみに、あの歌ほど哀愁はただよわないけれど、サイトウさんは、いわゆる「愛子さん」の結婚を見送ったことがある人の一人だ。
地元の幼馴染で、少し大きな農家の娘さんであった「愛子さん」は、それこそサイトウさんに何も告げず、少し離れた大きな農家の家に嫁いでしまった。
あとで親からの手紙で知ったときには「これでもう会うこともないな」と当時は本気で思っていたらしい。
でもサイトウさんは、ある時から時々、「愛子さん」の家に電話をして、果物などの注文をしたりしている。
最近はLINEのやり取りまでしていて、「愛子さん」から届いたというきれいな朝日や、近所の山の写真などを、嬉しそうに私に見せてくれる。
構図や色合いを見ると、素人目にも素晴らしいセンスの持ち主であることがわかる。
言葉遣いもとても洗練されている。
こんな艶やかな日本語、今時AIだって書けないのではないだろうか。
ちなみにその「愛子さん」。
現在、農作業だけでなく、農園のホームページも運営していて、オンラインでの注文も受け付けている。
「いいかげん、ネット注文してくれていいのよ」
「いや、久しぶりに声聞きたくて。へへへ」
「もう……」
「やり方わかんないから。今度教えてもらいに行くから」
この「愛子さん」、定期的に農園の様子や自分の撮った写真のブログを更新している。
私もたまに覗いて、更新されていることをサイトウさんに教えてあげる。
「スタッフ紹介」のページを見ると配偶者さんがすでに亡くなっていることがわかる。
「思ったより早くてね。10年ちょっと前だったかな」
いつかサイトウさんが神妙な面持ちで話していたっけ。
代表の「愛子さん」の隣には、お子さんの写真も載っていて、地元国立大学の農学部卒業と書いてある。
「昔から頭が良かったからね」
そう語るサイトウさんの横顔は、ちょっと誇らしげだ。
「あのさ、その……当時さ。『女に学はいらない』っていう人、いなかった?」
「うーん……どうだかなあ。そこまではなあ。さすがになあ。でもまあ、同級生で大学行った女の人なんていなかったしね。まあ。今だったら、行ってたんじゃないか?」
今だったら…………。
第5章:二郎さんは現場へ
「愛子さん」と「太郎さん」の裏ではもちろん、「二郎さん」も「和子さん」も「幸子さん」もいた。
『愛ちゃんはお嫁に』よりは新しい、あのフォークの金字塔『神田川』は1973年──この頃の建設業界は本当に元気だったらしい。
年配の職人さんが入職した頃、というのはちょうど東京オリンピックの頃だ。
東京オリンピックといっても、前々回、1964年のほうである。
私たちの世代は歴史の教科書でしか知らないけれど、「もはや戦後ではない」が1956年のこと。
1964年の東京オリンピックは、ただの「スポーツの祭典」というのではなく、戦後日本の復興と国際社会への復帰を象徴する一大イベント。
それはどうやら本当だったらしい。
今ではおよそ考えられない、とてつもない量の建設土木工事が日本全体で必要になった。
とにかく人手が必要だったので、地方のいわゆる農村部から次男坊以下の男性たち、時に「二郎さん」「三郎さん」「四郎さん」たち少年たちが、中学卒業後、建設土木作業員として駆り出されることになった。
高校卒業後の少年たちの中には、現場監督や現場代理人としてのキャリアを歩んで行ったものもあった。
この頃の少年たちは、給料ではなく「おこづかい」と寮を与えられ、親方の元で修行に勤しんだ。
それからおよそ10年経ち、職人としてもそれなりに稼げるようになってきた頃、それがいわゆる『神田川』の時代である。
私にとってこの歌は、小学校の合唱で歌った、という程度のものである。
ちなみに、「和子さん」や「幸子さん」の中には、やはり中学や高校を卒業後、都市部に働きに出ていたものたちもいた。
働きに出ることになった「二郎さん」たちを、地元から見送ったものたちもいた。
そして彼女たちの多くは、10年は待てずに結婚していった。
『22才の別れ』も『結婚するって本当ですか』も『木綿のハンカチーフ』も、女性側の立場になってみると、正直、美談でもなんでもない。
ただ、そういう時代、社会だったのだろうと思う。
母はこういう。
「そりゃ、メイちゃんにはわからないかもしれないけど。あの時まだ、22歳ぐらいで結婚できなかったら、何よって。18歳から働いてたら、もう4年も経ってるのよ。どうすんのよ!」
「え……『どうすんの』ってどういう?」
「…………どういう?!」
この数十年の間に、その意味すらわからない時代になってしまったのだ。
とはいえ、「二郎さん」たちだって、今から思えばたまったものではない。
高等教育を受けさせてもらえなかった、そもそも高等教育なんて望めない時代が、私たちが生まれる少し前の時代に確実に存在していた。
自分がどれだけ恵まれていたのか────時代の変化の恩恵? それとも。
先人たちの女子教育の重みと、途方もない社会の大きな変化を、私は建設現場で実感することになった。
ちなみに『神田川』では「三畳一間の小さな下宿」に住んでいる。
「三畳一間の小さな下宿」で「横丁の風呂屋」に行くので、当然風呂なし物件なのだろう。
サイトウさんに聞くと、「3畳に押し入れ付き、入り口は襖、トイレ共同」とのこと。
押し入れが1間(1.82m×0.91mの広さ)あるので、実際生活してみると、「それなりに広い」らしい。
サイトウさんがおかしそうに笑う。
「押し入れになんでも突っ込んでおけるからな。へへへへへ」
ちなみにサイトウさんは高卒就職組。
「この頃はもう窓付きの4畳半に住んでたんだぞ」とかなり誇らしげだ。
母がいう。
「そういえば兄さん、3畳窓なしの下宿探してたなあ」
「え……窓なし物件なんてあったの?」
「まあ。6畳2つに割ったんだろうなあ」
ちなみにこの『神田川』────
当時は主にラジオで聴いていたからか、歌詞をじっくり読んだことのある人は意外と少ないようだ。
私の周りの調査では、この歌の「貴方はもう忘れたかしら」の語り手が女性だと思ったのは、ほぼゼロ──要は私だけである。
他は皆「男性だと思う」と答えた。サイトウさんも、母も。
サイトウさんはこういう。
「女の人のほうが風呂長いもんだかんな。髪も長いし。ま、それに。風呂上がりの女の人を外で待たせるなんて、そりゃ男として無いだろ」
「えっ。男性は就職が決まって髪を切ったんじゃないの?!」
「あ、あー。……でもそんな男、碌でもないな。ダメだよ。女の人が寒がってたら、男は裸だって自分の上着かけてあげなきゃ」
「え、そんな人いる?」
「俺」
「キャハハハハ」
「ちょっとー! 人の思い出を汚さないでくれる?」
母は「神田川世代」の女なのだ。
第6章:就職が決まって髪を切る
『神田川』を巡るそんな不毛な議論をしていた次の週のこと。
「あれ? 今日、サイトウさんどうしたの?」と現場で誰かがいう。
「今週、お休み。なんか、実家のほう行ってくるって」
──ここでにわかに、現場が色めき立つ。
話を聞きつけ、少し離れた場所にいた業者さんも全員が手を止める。
「え、あの幼なじみに会いに?」
「たぶんね」私もニヤリという。
サイトウさんの「愛子さん」は現場でも有名なのだ。
「えー! そりゃ準備いるねえ。やけぼっくいに火ついちゃうかも」
「酒呑んじゃダメだよって伝えて。酒呑んだら、そこで試合終了だよ」
「青春だねえ。フー」
なんて声が次々にきこえてくる。
「ちょっと! みなさん!」
これも下ネタかもしれないと一応注意してみる。
この時「そりゃ、しっかりコンディション整えないと」といったのが、ヤマシタさんである。
「コンディションって。あはははは」
私も思わず笑ってしまった。
このヤマシタさん──実は誰もが知る超有名大学の出身である。
建設業界、職人の世界には、実はすごい高学歴、という人がたまにいる。
昔読んだ本に、誰でも入ってこられる業界というのは、結果として高学歴やすごい経歴の人が多く見つかる、というようなことが書いてあったのを思い出す。
ヤマシタさんは、かつて「就職が決まって髪を切る」ができず職人になった。
初めて聞いた時、私は「ツチノコ発見」のニュースを聞いたぐらい嬉しくなった。
「きゃー。あの『もう若くないさ』って言い訳するやつじゃない」
でも、「就職が決まって髪を切る」ができなかった人の人生というものは、私が想像していたのともちょっと違った。
現実はそんなにロマンチックなものでもヒロイックなものでも全くない。
そして、その後も人生は続くのだ。
ヤマシタさんは、いわゆる「リスト」に名前が残ってしまった。
ただ、それだけだ。
「リスト」。
噂では聞いたことがあったけれど。
当時、都内某所に学生運動で有名な喫茶店があったということを、いろいろな業者さんから聞いたことがある。
きまってひとつの店の話しか聞かないのは、当時、この近隣で開発プロジェクトがたくさんあったからなのかもしれない。
ある日の移動中の車の中。
たまたま近くを通った時に伯父がいった。
「昔、ちょうどここの近くでビル建設の工事しててさ。周辺が異様な雰囲気だったものだから。先輩にきいたら『あれがあれだよ、ほら』って。公安の人っていうのかな。一日中出入りをチェックしてね、全部メモ取ってんのよ」
「……え」
「危ないから近づいちゃいけないって言われてね。でも……同世代って言ったって、向こうは大学行けるような人たちでしょ? こっちは中学出てすぐ、口減しでこっち来させられてさ。少しして、働きながら夜間高校通い始めた頃だよ。そんな恵まれてて、何甘えたこと言ってんだって思ってたよね。ほんと、別の世界の話だったよね」
今は、街路樹が立ち並ぶ、綺麗に掃除された道路だ。
無精髭に髪を伸ばしている人なんて、まずいない。
映画のポスターだってない。
煙草をふかしながら、屯ろしている人もいない。
学生集会だって、もうないのかもしれない。
ちなみにヤマシタさんの同級生たちは、無事に髪を切り、のちに大企業の重役や偉い官僚になったりしたみたいだ。
ある日の休憩時間、気になっていたことを聞いてみる。
「でも、ほかの同級生みたいな人生、歩まなくて良かったの?」
「いやー、あんな人生、窮屈で大変そうじゃない?久しぶりに会っても、全然幸せそうじゃないんだもん。俺の人生、あいつらより絶対幸せ」
そういってにかっと笑う。
ちなみにヤマシタさんの配偶者さんも、同じ超有名大学の出身だ。
きちんと卒業して、大手銀行に就職したものの、妊娠に伴い退職。
その後は、自宅で通信教育の添削などをしていたらしい。
結局、二人の子宝にも恵まれ、立派に育て上げたヤマシタさん夫婦。
一人は某世界的大企業に就職、もう一人は国家公務員になった。
いつぞや見せてくれたスマホの写真。
黒い角帽にガウン。
「留学するから金くれって。俺もがんばったよねー。それなのに、ニュージーランドだよ」
「すごい! 羊じゃん! いいなあ」
「羊ねえ。なんていうかさ、まあ。もうちょっとなかったんかねえって思っちゃうよね。俺らの世代からするとさ」
「……え?」
「メイちゃんは、ロシアだっけ?」
「うん。エカテリンブルグ」
──エリツィン大統領の故郷だ。
「ロシアかあ。いいねえ。お父さん喜んだっしょ?」
「うーん……どうかなあ。どうせならロンドンとかパリとかのほうがオシャレで良かったんじゃない」
「まあ、オシャレって言ったらねえ。ロシアじゃ、今時はやんないか」
「うん。でも、祖父母は……ね。ちょっと話すの躊躇したよね」
「……まだその世代かあ」
「うん。Домой(ダモイ)とか……ね」
「 そっか…………」
そういって2人とも少し黙る。
そこで徐にGoogleマップを見ていたヤマシタさんがいう。
「えっ。エカテリンブルクって、ウラジミール・ヴィソツキーの博物館あんの? いやー、懐かしいなあ、ウラジミール・ヴィソツキー」
ウラジミール・ヴィソツキー。
思わずドキリとする。
この名前を、建設現場で聞くとは。
ヤマシタさんは、高学歴なだけではない。
いつも笑顔が絶えない癒し系。
でも、酔っ払ってよく怪我をする。
そして、無類のパチンコ好き。
「今日もパチンコ?」
「そりゃね。今日は源さんかな。ちょうどいい台あんのよ。……早く帰ると、奥さんに怒られるからさ」
「あはは」
「昔はよかったよねー。休みもなく夜遅くまで仕事たくさんできてさ。今じゃあ、そんなに仕事もないしね。そのまま家帰ってもさ、夜11時くらいなら、帰っても怒られなかったもん」
「あはははは」
私も思わず笑ったものの、心がちょっとキュッとなった。
最近でも、男性の部屋を作ると「書斎」と表記され、女性の部屋を作ると「家事室」と表記されることについて、問題になっていたことがあった。
昔から、女性は書斎がない世界を生きてきた。
リビングの一室やダイニングテーブルで、仕事をしなければならない。
子供二人の食事を終えて、寝る準備をさせ、子供部屋に引き上げさせ、寝かせる。
食器を片付け、子供が食べた後のテーブル周りを掃除する。
まだ夕食の香りが残るダイニングテーブルで赤ペンを滑らせる。
束の間の自分ひとりの、静かな時間。
紙とペンの音だけが静かに響く────
ヤマシタさんの配偶者さんも大変だったと思う。
きっと「大変」なんてことばで片付けてはいけないほどに。
当時付き合っていたヤマシタさんが「髪を切れない」ことになった。
就職後しばらくは、職人見習いとしてまだ食えないヤマシタさんを金銭面でも支えてもいたみたいだ。
当時、大卒女性行員はとても少ない時代。
今では想像も及ばない苦労もたくさんあったはずだ。
いくら仕事ができたって、「クリスマスケーキ」なんて言われたりもした。
実際ヤマシタさんの配偶者さんも、子供ができて、仕事を続けられなくなってしまった。
当時は当たり前であったように。
もちろん、ヤマシタさんだって。
時には週7休みなく、朝早くから夜遅くまで現場にいた。
それを何十年間も、毎日。
おそらくそのおかげで、家族を食べさせてきた。
子供の教育費も捻出してきた。
それもまた、事実。
そんなことを考えながら墨出しの確認をしていた時、ラジオから耳馴染みのある音楽が聞こえてきた。
チャーン、チャチャー……
「あ、『いちご白書をもう一度』!」
「なんだよ、前奏だけでわかるのかよ。さてはー。同世代だな?!」
「え、バレた?」
「いつも若そうな雰囲気出してるけども。なんだよー」
「あはははは」
────ヤマシタさんは、きっと本当に幸せなのだと思う。
あるいは、「人生の幸せ」とは、そういうものなのかもしれない。
第7章:建設業界の朝は早い
人の人生が幸せかどうかなんて、外からはわからない。
ただ、次の日も現場はある。
そして建設業の朝は、相変わらず早い。
基本的には8時には仕事開始だ。
現場が遠ければ5時起きなどもザラにある。
こんな時だけ「若い」といってしまうけど、若い時分は基本眠い。
朝の渋滞にハマったら、とりあえずブルーハーツを大音量でかけるしかない。
何なら歌う。大声で。
ブルーハーツにどれだけ救われてきただろう。
そう、私もなかなかの「ロクデナシ」だ。
たいてい時間ギリギリに着くと、もうみんな準備万端。
「あれ、メイちゃん? どうしたの、今日早いじゃない。昨日の夜から起きてたんか? あはは。」
「え、バレた? あはははは」
少し早めに着くと、車の中で寝ている職人さんたちを発見する。
「やめてよ、そんな早く着いてさ。何? 今日雪降るの? 勘弁してよ」
──本当に季節外れの雪が降り、皆から大ブーイングを食らったことがある。
いっちゃあ悪いが「私のせいじゃねえ」。
ちょうど良い時間に現場に着くのも、建設業の難しさのひとつなのかもしれない。
私だけかもしれないけれど。
朝が早いのにすごい、といえばハンザワさんの配偶者さんだ。
朝3時起きだろうと4時起きだろうと、週6日でも7日でも、お弁当作りを欠かさない。
「ハンザワさん、いつも手作りのお弁当ですごいね。」
「ぜんぶ冷凍食品だって」
チラリと覗くと、今日も、卵焼きやウインナー、青菜がピッタリと詰められ、ケチャップが入った小さい容器まで入っている。
「なんそれ。さては、冷凍食品売り場に足を踏み入れたことがないな?」
「ねえっす」
「冷凍食品だって、毎日お弁当なんて材料買いに行って詰めるだけでも大変なんだよ」
「そのほうが安いんだって。安いから弁当にしろって、奥様が。弁当がいいってわけじゃないんだよ」
そういうハンザワさんのお弁当はいつも、ナプキンやお弁当入れがとてもキレイでかわいい。
今日のお弁当入れは、真っ白な生地に青い小さな花柄が散りばめられた柄だ。
しかもお弁当箱は、食洗機では洗えなさそうなもの。
お味噌汁からは、わずかに湯気までのぼっている。
とても良い匂いがする。
昔、といっても、まだこれほどコンビニができる前──職人さんのお弁当は、奥さんが作るのが当たり前だった。
そういう「役割分担」といえたら楽だったけれど、実は、職人さんに専業主婦の奥さん、という組み合わせは意外と少ない。
私の周りで一番多い配偶者さんの職業は、看護師さんだ。
「最近はもう歳だから。健診センターに異動になってね。週に3日くらいかな」
なんて話も、最近はよくきく。
ハンザワさんの配偶者さんは、結婚以来ずっと専業主婦だという。
「専業主婦さんなんて、すごいねえ。ほんと大変そう」
私がそう言うと、ハンザワさんは少し首をかしげた。
「どうだかね。ずっと働かないでこれたんだから、よかったんじゃない」
「いやー。私には無理だわ。毎朝お弁当作って、洗濯して、家のことして、お子さんのこともでしょ。信じられない」
すると、そばにいた70代の職人さんが口を挟んだ。
「家のことでもしなかったら、他に何すんのよ。洗濯ったって、今どき川行くわけでもなし。洗濯は洗濯機がやるんだって」
「いやいや。洗濯機だって大変だよ。作業服いつも汚いし、山盛りだし」
石膏ボードで汚れすぎた日には、お風呂場のシャワーで軽く流してから洗濯に出していることを思い出す。
すると別の職人さんが、当たり前のように言った。
「汚いから洗濯機別なの。俺らは。外にあんのよ」
「え……洗濯機、別? それもまた……。洗濯回数、倍じゃない」
ハンザワさんも、ほかの何人かも頷いている。
「まあ、俺らには関係ないかんな。家族のはそっちで洗うんじゃない。知らんけど」
「最近も高いやつ買ったらしいけど、触るなって。俺の金なのにさあ」
「お……おう」
正直、その発想はなかった。
「大体さ、玄関入ってすぐ洗面所行って服脱がないと、家ん中入れてくんないんだから。汚いって」
「うちは外で着替えて、そのまま洗濯機に入れんのよ。で、風呂出たらビール飲みながら干すの。夜風が気持ちいいんだから、これが」
皆が口々に言う。
「そ……それもまた。すごいねえ」
そう返すしかなかった。
「だからねえ。そういう楽しみでも作んないと。やってらんないの」
……確かに。
そんなある日の昼12時。
現場で、昼食調達組と今日の昼ごはんについて相談していると、そこにハンザワさんの姿があった。
「あれ? 今日お弁当は?」
「ない」
「じゃ、一緒行こ」
その次の日も、その次の日も。
「最近お弁当ないの?」
「うん。もうなし。終わりにしましたって」
「ほう。終了。 ……そか」
「なんで」と聞きたい気持ちをぐっと抑える。
最近、ハンザワさんの配偶者さんは、ペット動画と韓国のアイドルにハマっているらしい。
「とりあえず男性いっぱいいる韓国の。何組かいるんだよ、たぶん」
「へー。いいねえ。推し活?」
「さあね」
「韓国行きたいって言ってない?」
「どうだかね。話ししないし」
「…………。『旅行にでもいってきたら』って言ってみたら?」
「行きたきゃ、行けばいいんじゃないの。別に行くなとか、俺そういうことは言わねえよ」
「まあねえ。私だって、韓国行くなら友達と行きたいわ」
「俺は行かねえ」
「一緒にじゃなくて。でもほら。『行ってきたら』って言ってもらいたいかもよ。もうお弁当の心配もないしさ」
私には子供はいないけれど、配偶者はいる。
都心のキレイなビルに、電車で通勤している。
全面がガラスの上層階で、夏は縦型ブラインドを閉めっぱなしの、窓が開かないオフィスらしい。
そしてどうやら、真夏でも上着が要るらしい。
お弁当なんて、一度もつくってあげたことがない。
作ってもらったこともないけれど。
朝ごはんなら、よく作ってくれる。
私は作ってあげたことないけれど。
配偶者は、私の作業服の洗濯もしてくれる。
どんなに汚して帰ってきても、とくに文句もいわず、同じ洗濯機で洗ってくれる。
出勤前、私がまだ寝ている時間に、自分の分と一緒に洗濯もしてくれているのだ。
帰りしな「さて、本日も運動部の中学生が帰宅しました」などと冗談をいわれるくらいだ。
本当のところは、ただの嫌味なのかもしれないけれど、とりあえず、玄関で服をきがえろというようなことを言われたことはない。
汗疹の心配はしてくれる。
うちの配偶者はいう。
「仕事というものは、点じゃなくて線でとらえないといけないんですよ」
「ほう」
「たとえば、『ゴミ出し』って仕事があったとして、それを点の仕事と捉えたら、ゴミ捨て場にもっていくだけ。線として捉えたら、ゴミ袋のストックがなくならないよう気を配り、買いに行き、集積日を覚えておき、集荷日には家中のゴミを集め、集積場にもっていき、家中のゴミ箱のゴミ袋を付け替える。そこまで含めて仕事なんですよ」
「なるほど」
私はこれを、会社の新人教育の教材にした。
──さも、自分の経験かのように。
実際に私は、「ゴミ出し」すらほぼやらない。
毎日のビールは自分で買うが、缶を捨ててくれているのは配偶者である。
「おかしいなあ。一本も飲んでないのになあ。どっからこんなに空き缶湧いてくるのかねえ」
作業服は気づけば洗濯機に入っていて、気づけば畳まれて、私の棚に入っている。
「おかしいなぁ。昨日洗濯したばかりなのに。なんでもうこんなに溜まってるんだ?」
うちでは、洗剤も柔軟剤もなくならない。
トイレットペーパーもティッシュペーパーも、なんならお醤油もお米も、決してなくならない。
以前、配偶者の家の法事のときのこと。
他の人たちと「最近お米が高い」という話になった。
「そうですよねー」なんて言っていた私に、配偶者から鋭いツッコミが入った。
「いやいや、あなたお米買わないじゃない。だいたい今いくらか知らないでしょ」
「え、新聞とかに載ってるし……」
その様子を見ていた女性は、気を遣ったのか、こんな質問をしてくれた。
「お買い物は全部ネットとか?」
この期に及んでなお、お買い物は私がしていると思ってくれているようだ。
「あ、本当に……お米買わないんです。いつも任せきりで。……すみません」
普通の女性はきっと、そんなわけにはいかないのだろう。
いや、「普通の女性」ってなんだ。
「すみません」ってなんだ。
そこで、あの時「思わずごくりと唾を飲み込んだ」時のことを考える。
仕事をしているからいいのか。
稼いでいるからいいのか。
もし私が男性であったなら、そんなこと思ったのだろうか。
次の日の現場の休憩時間に、ヤマシタさんにこの時のことについて話してみた。
「確かに。米高いよねー。でもわざわざ買いになんて行かなくていいんだよ。重いもんなんてさ。いつも散々仕事で運んでるじゃない。やったことない人には、わかんないんだよ」
「確かに。今日、GLボンド持ってきたんだよ。あれ1袋30キロあるじゃない」
「今時30キロの米は買わねえなあ……。それにねえ、いいのいいの、そんなの。そんなにいろいろ抱え込んでると、胃潰瘍になっちゃうよ。人間ある程度適当に生きてないと。それにねえ、やってもらえるうちが華よ」
「……なるほど」
「でもなんか最近さあ、野菜すごい安いよねえ。昨日なんかさあ、ニラ2束100円で売ってたんだよ」
「そうなの? 安っ!」
「そうそう。今の時期はさあ、野菜ねえ、買いに行くといいよ。酒のつまみになるしね。今日もね、帰り行くの」
「へー。今日パチンコは?」
「パチンコの前だよ、そりゃ。パチンコ屋のちょうど目の前にさあ、あんのよ。いい店」
「へえー」
「昨日はさあ、ニラ、おひたしにして食べたんだけどさあ。うまかったあ」
ヤマシタさんは本当に美味しそうな顔をしていう。
「え、おひたし作ったの?」
「毎日作るよ。もうね、かみさんご飯作ってくれないから」
「あ……そう?」
「そ。ある時から、自分の分は自分でって。昔さ、かみさんに、あまりに何もできなかった、罰」
「罰…………」
「でもいいよ。毎日、自分の食べたい物だけ食べられるしさ。好きなもん食べて、好きなもん呑んで。おひたしは、いいよー。体にいいしね」
そういってにかっと笑う。
次の現場へ向かう途中、ふとハンザワさんのことを考えた。
お弁当がなくなった日から、ハンザワさんはラーメンやコンビニのおにぎり、うどんなどを食べるようになった。
お店で食べても、割り箸は必ず箸袋に戻す。
ナプキンはきれいに折りたたむ。
現場で食べても、ビニール袋を丁寧にたたむ。
ごみはピチッと小さくまとめる。
ハンザワさんは、おそらく「できる」人である。
でも「できる」にも、いろいろあるのだ。
Я умею плавать. Я не могу плавать.
泳げるけど、泳げない…………
そんなことを考えていると、電話が鳴る。
サイトウさんからだ。
「もしもし、メイちゃん? もう現場着いたんだけど、キーボックス開かなくてさ。俺もとうとうボケちゃったかな?」
「番号あってる?」
高齢者のボケネタにはいちいち付き合わないに限る。
「え? あ? ああ。ごーめん。開け方間違ってたー。開いた開いた」
「良かったー。私ももう少しで着く」
「じゃ、待ってる」
エピローグ
今日も夕方の現場を出る。
夕方の現場、特に秋冬の夕方の現場にはオバケが出る。
最終退場者にならないように、早く出なくてはならない。
紺色の作業服には白い汚れがたくさんついている。
多分ボードのこなこなと汗だ。
今日も尋常でない量の汗をかいたので、一部は、塩の線かもしれない。
靴下も汚れている。靴下は厚手に限る。
手の甲には、いつのものかわからない小さな傷。
爪にはちょっとコーキングが詰まっている。
臭っていないかも心配になる。
ボードの粉と、汗が混じってバサバサになった髪。
早くお風呂に入りたい。
確かに、私たちは「汚い」かもしれない。
こんな姿を、管理人には見られたくない。
時計を見ると17時4分。
「良かった」
この時間ならもう、裏口でも顔を合わせずにすみそうだ。
こんな時ふと思う。
あの管理人さんも、もしかしたら「二郎さん」のひとりであったのかもしれない。
わずかに残る言葉の訛りからして、この辺の出身ではなさそうだ。
あんなふうに自分の身なりを構えなくなるまでに、長い年月をかけて、何かが少しずつ削れてしまったのかもしれない。
そういえば、いつぞや。
サイトウさんと管理人さんが何かで言い争いをしているのを目撃したことがあった。
「だいたいあんた何? なんの業種ね?」
「私は……土方です」
私も、思わずびっくりする。
「土方って! 今時そんなのいるわけないでしょーがっ!」
サイトウさんは、今やうちの正社員である。
「どうも。…………土方ですみません」
「……むん」
二人でしばらく黙っていた。
……えぇ? あ、それで終わり??
管理人さんは、朝飯も昼飯も、自分で用意しているようだった。
いつかの半額シールのついたおにぎりとお弁当。
それから、安そうなカップラーメン。
私が管理人室で見かけたのは、これだけだ。
ちょっとツンとしたにおいのする、あの管理人室で。また別の、怒鳴られていたときに。
もしかしたら、食事も洗濯も、もう何もかも面倒になってしまったのかもしれない。
削られ続けた70年の重み。
それでもせめて、たまにはニラのおひたしのおいしさを楽しんでいてほしいとも思う。
表玄関には立たない。
けれど、今日も誰かの暮らしの裏側で、誰かが基礎を作り、壁を作り、床を張り、給排水管を通し、電気の線を通している。
作業服が汚れていることもある。
私は今、その人たちの側にいる。
ところで、祖父の葬式の時の話には続きがある。
その日の夜遅く、宿泊先の外に出ると、ホタルが飛んでいた。
人生で初めてみる野生のホタル。とても静かだ。そして暗い。
親戚のおばさんが「わあ!おじいさん、きてくれたんだよ」と叫ぶ中、母がぽつりとこういった。
「うちの者がすみませんねえって、メイちゃんに謝ってるみたいだね」
「そんな…………」
なおまだ、後で怒られるんじゃないかと思っていたのに。
「今日、ありがとうねえ。…………怒ってくれて」
それからすぐ、蛍は消えた。
都会に蛍はいない。
でも、UFOならたくさんいる。
いつも現場を出て、夕焼け空にUFOと思われる光る何かを探す。
そうすることで、今日あった嫌なことや明日の面倒なことを、少しだけ遠くへ押しやる。
明日また元気に現場に入るための、ささやかな儀式みたいなものだ。
そして、この言葉を口ずさむ。
Не заботьтесь о завтрашнем дне.
──明日のことまで思い悩むな。
今日には、今日しかできないことをしなくてはいけないのだ。
──そうだ。
帰りにスーパーマーケットに寄って、野菜を買っていこう。
そのまま食べられる野菜があったらいい。
私は今日も、汚れたまま家に帰る。
そしてまた、洗いかごをいっぱいにする。
すでに電気のついたリビングのドアを開けながら、小さな決意をする。
ビールの空き缶くらいは、自分で潰してゴミ箱に入れよう。
早く帰った日ぐらい、自分で洗濯をしよう。
そして、現場でみんなに聞いたことばを、野帳に書き留めておこう。
みんな──親愛なる私のドルジヤ。
Мы вынесем всё, переждём.
──全てを耐えぬき、やり過ごすだろう。