中学校の卒業文集
『雨時々晴れ』
私の学校生活は、できたことよりもやりたかったことの方が多い。出席より遅刻が、遅刻より欠席が多かった。六月にわかったことだが、どうやら重度の起立性調節障害だったらしい。ここまで読めばわかると思うが、明るい話を書くつもりはないのでこれまでとこれからの話をする。
集団生活は昔から苦手だ。注意散漫で得意不得意の差が激しく努力してもバツ印。小四の頃から頭に浮かんでいたADHDの四文字。答え合わせは中三の梅雨時、医師にされた「ADHDって知ってる?」という問いかけで、私の答えは食い気味の「はい」だった。検査結果はいわゆるグレーゾーン。あの日、学校で泣いたのは今でも覚えてる。
体育祭。どうやら私は出たらしい。正直体調も悪く周りに煙たがれることは目に見えていたので行きたくなかった。あの日態度に出さなかった皆は本当に優しいと思う。体育祭後、私はある子に「なんで来たの?」と聞かれた。正直その質問は私がしたかった。私はなぜ体育祭に出たの?誰も答えを教えてはくれないけれど。でも普通に楽しかったので総合的に見れば良い思い出だ。一応弁解しておくと私はイベントごとの前後は特に学校へ行く努力はしていた。私の体は空気を呼んでくれなかったわけだが。
将来の夢、警察官になりたかった。過去形、体調のことも考え諦めた。今は車関係それか犯罪心理学者、小説なんかも書いてみたいなと思いつつも何も考えていない。大人になった私は何をして何を考えどう生きるのか、全てが未知で不透明。未来のことで一つ確かなことは、死んでない。
私は口を開きすぎたし、開かなすぎた。現代人の型にはどうもハマらないが、それが私だ。嫌な事ばかりだが、それが人生だ。恥の多い生涯を送ってきましたが、その恥を知っている人は家族以外皆縁を切ろうと思えば切れるので問題ない。もし私が偉大な人物になったら話は別だが、きっと偉大になった私が口止め料を払ってくれるだろう。人生自己責任というが、それはただ周りが他責思考なだけだと思ってる。思ってるだけで私が他責思考なだけなのかもしれない。卒業文集らしくないが、どうか許して欲しい。今の私は数年後の明るい未来を考えられないようだ。こんな話を書いているが、死にたいわけでも、何も考えていないわけでも、自分のことが嫌いなわけでもない。そしてこれは達観じゃなくてあきらめだと思う。好きな事は沢山あるので、趣味を満喫しつつゆっくり好きに生きることにする。私を責めるのは周りが勝手にしてくれるので役割分担をしながらね。きっと私は梅雨明けが遅いだけだから。
またね