
「自由にやって」「なんでもいいよ」が苦手な話
「自由にやっていいよ。」
この言葉にワクワクする人もいると思う。
「好きなように旅行を計画していいよ。」
「今日の夕飯は好きなものを作って。」
「図工は好きなものを描いて。」
きっと、「やりたいこと」がどんどん浮かぶ人もいるのだろう。
私には、真っ白な状態が一番難しい。
旅行のプランも、「あなたの好きなところへ」より、「予算はいくらで、この地域」というくらいの条件がある方が、「じゃあ〇〇へ行きたい」が思い浮かぶ。
食事に行くときもそうだ。
両親は「あなたの食べたいものでいいよ」と、自由をプレゼントしてくれる。
その気持ちはとても嬉しい。
でも私は、「場所」「時間帯」「さっぱりしたものがいいのか、こってりしたものが食べたいのか」くらい分かると、一気に候補を絞れる。
子どもの頃からそうだった。
図工で「好きなものを描いて」と言われても、真っ白な画用紙とにらめっこする時間が大半だった。
逆に、不思議なくらいアイディアが湧く瞬間がある。
「予算は○万円。」
「冷蔵庫には鶏肉とトマトがある。」
「昨日は和食だった。」
そんな条件があると、一気に頭が動き始める。
部署異動や転職をしても、一定期間は大人しい。
(性格が、ではなく、実務において。)
まずは仕事の流れやルールを理解する。
その後、「これ、こうしたらもっとやりやすいのでは?」「この工程はこちらと合わせて一つにできるかも」「これは要らないのでは?」という考えが少しずつ出てくる。
以前は「創造性」という言葉を、「ゼロから何かを生み出す力」だと思っていた。
でも、私にとっての創造性は少し違う。
今ある条件の中から、自分なりの最適解を見つけること。
そう考えると、音楽が好きな理由も少し分かる気がする。
テンポを守る。
コード進行がある。
リズムがある。
一定の制約がある。
その上で、好きなフィルを入れたり、ハイハットをライドシンバルに変えたり、自分らしいアレンジを加えられる。
自由が苦手なのではない。
制約の中で考えることが、私にとって一番自由なのだ。
最近気付いた。
私の考え方は、AIへのプロンプトに少し似ている。
条件を理解してからアイディアを出す。
「何でもいいよ。」より、
「予算はこれくらいで、こんな雰囲気で。」
その方が、私の創造性はよく働くらしい。
そう考えると、「自由が苦手」だったのではなく、
私は、自分の創造性が発揮される条件を知らなかっただけなのかもしれない。