
写真の中の笑い声(終)また、歩きだす|初恋と喪失を抱えて生きていく物語
ほのかが逝ったあと、二人で目指した神戸の夢には届かず、僕は別の人生を歩きはじめました。
それでも三十年が過ぎた今も、写真の中の彼女は、あの頃のまま笑っています。
広島に残る遊園地の記憶、Mr.Childrenの歌、そして書き残した物語の中で、失った初恋の笑い声を抱えながら、僕はまた歩きだします。

ほのかが逝ったあと、しばらく、僕は、抜け殻のようだった。
受験どころでは、なかった。机に向かっても、文字が、すべっていく。あれだけ、ほのかに「勉強しんさいよ」と発破をかけられたのに。その冬のセンター試験は、見事に、ガタガタだった。
二人で目指した神戸には、とても、届かなかった。
そして――その、すぐあとだ。阪神・淡路大震災が、起きた。
いつか二人で行こうと、夢に見た、あの神戸の街が。一夜にして、大きく、崩れた。
神戸は、少なくとも、あのときの僕には、もう、僕らが夢見ていた神戸とは、違う街に、見えた。
僕は、結局、山口の大学へ、進んだ。
きっと、ほのかは、向こうで、はぶてていたと思う。頬を、ぷうっと、ふくらませて。
「なによ、その点。あれだけ、勉強しんさいって、言うたのに」
そう思うと、申し訳ないような、それでいて、ちょっとだけ、笑ってしまうような、変な気持ちになる。
ごめんな、ほのか。後輩として神戸で待つどころか、僕は、神戸にすら、行けんかったよ。
それから、長い、長い時間が、流れた。
僕は、僕なりの人生を、生きてきた。家族ができて、子どもたちは、もう、大きくなった。
ほのかの眠る墓は、広島には、ない。彼女の家族の暮らす、土地にある。何度か、手を合わせに行った。でも、正直に言えば――暮らしに追われて、なかなか、行けていない。それが、ずっと、心のどこかに、ひっかかっている。
いつのまにか、僕は、ほのかの知らない歳に、なっていた。ほのかは、あの冬のまま。僕だけが、年を、取っていく。
そして、今日。
僕は、あの遊園地の、あった場所に、立っている。
もう、観覧車も、コースターも、ない。ただ、冬の海が、あの頃と、同じ色で、広がっている。
手の中には、あの一枚の写真。肩を組んで、くしゃくしゃに笑う、僕と、ほのか。
イヤホンからは、Mr.Childrenが、流れている。
ほのかが、ラジオで見つけてきて、片耳ずつ、二人で聴いた、あのバンド。三十年が過ぎても、彼らは、まだ、新しい歌を、うたいつづけている。
今日、流れているのは、いちばん新しいアルバム『産声』の、「空也上人」という曲だ。
不思議なものだ。
ほのかとの思い出には、どれにも、彼らの歌が、流れている。
あの別れにも。
会いたいのに、会えなかった夏にも。
棺の中で、眠るように、きれいだった、あの日にも。
まるで、すべての場面に、最初から、BGMが、ついていたみたいに。
そして、いま。この「空也上人」を聴きながら、僕は、ほのかのことを、思う。
願ったとおりに、いかなかったこと。ほのかを、失ったこと。
その痛みを、消せないまま、生きてきた時間が、いまの僕を、つくっている。
強くなれた、なんて、簡単には言えない。
ただ、あの痛みを抱えたままでも、人は、また、歩けるのだと。少しだけ、知った。
それでも――ほのかには、感謝しか、ない。短くても、たしかに生きて、僕を、まっすぐ、好きでいてくれた、あのほのかに。
ほのかは、初期の歌しか、知らない。それなのに、僕の頭の中では、そのあと三十年ぶんの歌までが、ぜんぶ、ほのかの思い出に、結びついている。
三十年あまり。僕とほのかは、ずっと、Mr.Childrenと、ともに、いた気がする。
この秋、十一月に。Mr.Childrenが、広島へ、来る。ツアーの、千秋楽。最終日だ。
三十年、僕は、彼らのライブに、通いつづけてきた。でも、その三十年、一度も――ほのかを、連れていくことが、できなかった。
だから、その日は。
彼女の街の、いちばん最後の夜に。心の中の、ほのかを、連れていこうと思う。
ほら、ほのか。これが、あの頃、片耳で聴いた、あのバンドの、いまの歌だよ。
僕は、五十に、なった。
あと、どれだけ、生きられるのか。それは、分からない。
でも――ほのかは、その半分にも、届かなかった。あの冬の、あの歳のまま、時を、止めてしまった。
墓参りにも、ろくに行けない僕に、できること。それは、たぶん、これしか、なかった。
ほのかを、色褪せた写真の中だけじゃなく。この、つたない物語の中に、書き残すこと。
せめて、この紙の上でだけは。ほのかを、永遠に、生かしておきたかった。
書き終えても、ほのかが、戻ってくるわけじゃ、ない。
それは、分かっている。
でも――三十年、僕の中にだけ、閉じ込めていた、あの笑い声を。
ほんの少しだけ、外の空気に、触れさせることは、できた気がする。
写真の中で、ほのかは、今日も、笑っている。あの、くしゃくしゃの、破顔で。
もう、現実のほのかは、笑わない。
でも、この写真の中で。そして、この物語の中で。ほのかは、いつまでも、あの大きな声で、笑っている。
その笑い声を、そっと、胸に、しまって。
イヤホンの向こうで、歌は、まだ、続いている。
僕は、また、歩きだす。
(了)
*
♪ 今回のBGM:空也上人(Mr.Children)、記憶の旅人(Mr.Children)
外伝公開
外伝『写真の外の笑い声』公開しました。
ほのか側から見たあの場面で、彼女は何を考えていたのか。
本編では描ききれなかった、もうひとつの笑い声の物語です。
よろしければ、あわせてお楽しみください。
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