人は何故、裸になるんだろう?ビーチウォーキングで思うこと
常夏の島旅「グランカナリア島」も、いよいよ最終回。
街を歩き、火山や里山を歩き、フィナーレは海辺を歩いてきました。
まんまるな島の一番南には、マスパロマスという広大な砂丘と黄金色の砂浜が広がっています。
実は私、いまだに鳥取砂丘に行ったことがなく、砂丘も砂漠も体験したことがありません。延々と続く砂浜は、オーストラリアのフレーザー島で体験済みですが、砂丘ではありません。いつかその景色を見てみたいなぁと長年思っていたので、念願が叶いました。
フレーザー島の記事は、こちらです。よかったら…
旅の最終日となるその日は、暑い日(日中は30度超え!)でしたが、カラッとした風をうけながら、気分よく砂丘に登ったりだのしながら歩き出しました。


とーっても気持ちが良いんですけどね、
延々と続くビーチの中には、いくつかの「ヌーディスト・ビーチ」があるんです。
全く知らなかったので、歩いている途中で「えっ?裸?」と絶句状態。
びっくりして姉に聞くと、
「そうなのよ、こっちは結構あるのよねー」と驚く様子もなく、淡々としています。確かにヨーロッパは世界でも屈指のナチュラリスト文化が根付いていると言われているので、普通なのかも知れませんが…

*
「人は何故、裸になるんだろう?」
ふと頭の中に疑問が湧いてきました。
そもそも私たちは生まれてくるとき、一糸纏わぬ全裸です。その後は布に包まれたり、ベビー服を着させられたりしながら成長し、そのうちに自分の好みで洋服を選んでいきます。
私自身、そんなにファッショナブルではありませんが、その日の気分にパシッと決まった洋服選びができた時はテンション上がりますし、たまーにある特別な日にいつもと違う洋服を身につけると、気持ちが引き締まります。
そう考えると、服装次第で、気持ちが整うんだなぁと。
しかしそれを脱ぐということは、、、、
心理的な欲求?身体的な解放感?
いやいや、考えれば考えるほど沼にハマり、難しすぎました。
しかし一つ思うのは、本来持っている自然な状態に回帰したいという本能的な欲求があるんだろうなと言うことです。
心当たりがある話があります。
私の友人は北海道のとある山の9合目・避難小屋の管理人をしています。お天気が悪い日、誰もいない山の上でたったひとり過ごすときは、一体どんな気持ちなんだろう?と聞いてみたことがあるんですよね。
すると、その友人はこう言っていました。
「大雨のときは全裸になって降り注ぐ雨に打たれるんですよね、その開放感がたまらない」と。
えーっ!と思いつつも、「へぇちょっと気持ちよさそう」と思っちゃいました。特に女性だと(これは差別じゃなく)、裸になるって恐怖感もあると思うのです。その恐怖感から解放される瞬間を味わってみたいような。。。
なんだか結論のない話になっちゃいましたが、色々と考えさせられたビーチウォーキングでした。

クッタクタ
*おまけ
その日は2025年大晦日!といえば、New Year's Eveのディナーです。花火も上がるらしく、ホテル近くのビーチ沿いにあるレストランを予約してありました。
時間を考え余裕を持って、帰りのバスへ。
途中まで高速道路に乗るのですが、乗り換えの町まであと数キロというところで、大渋滞に巻き込まれてしまいました。チョロチョロと動くだけでどうしようもない状態です。
運転手がアナウンスしてくれますが、スペイン語なので全くわかりません。あっちこっちの人に聞くと、どうやらこの先で事故か何かあって止まっているとのこと。
30分位経った頃でしょうか、そのうち一人二人とバスを降り始め、高速道路を歩き始めたんです。
ギョギョギョ〜〜〜
私たちもしばらくは我慢していましたが、全く動かない状況に「これは無理!」と判断してバスを下車して高速道路を歩いて、乗り換え地点の町まで歩くことに。

いやぁ〜
いくら歩くのが好きと言っても、高速道路まで歩きたくはありませんでしたよー、しかも大晦日というのに。。。
ディナー?
もちろん間に合うはずありません。
1時間以上歩いて、ようやく乗り換えの町にたどり着き、なんとか確保できた路地裏のバルっぽいお店で、白ワインを飲めましたとさ。
***
3回にわたりスペイン領・グランカナリア島についてお話ししましたが、いかがだったでしょうか?
ここまでお付き合いをありがとうございます!
予期せぬ旅は、血となり肉となり!
また書きますね。
