
aco No.5(アコナンバーファイブ) #12 ありんこ輸送隊
ありんこ輸送隊
夏休みや冬休みになると、家族そろって離島にある父の実家へ帰省した。大家族の大移動である。
まだ末っ子が生まれる前だったので、大人2人と子供7人、合わせて9人での帰省だった。
母は下の妹をおんぶし、上の妹を抱っこしたり、手を繋いだりして、いつも両手がふさがっていた。
荷造りが始まると、父専用の白いスーツケースには、父の服だけがきれいに畳まれて入る。私たちの服は、迷わずダンボール行きだ。衣類も食料品も、とにかく詰める。詰めて、詰めて、まだ詰める。ダンボールはあっという間に何箱にもなる。中身は、野菜や調味料、親戚に配るお菓子までさまざまだ。帰省先は離島である。近くの店には駄菓子などちょっとしたものだけが置かれていた。
何度も言うが、我が家に自家用車はない。
まずは最寄り駅まで荷物を運んだ。自転車の荷台にダンボール箱をくくりつけて運ぶ自転車輸送だ。荷物番を残して、上の兄たちが何度か自転車で往復した。
次に電車に乗る。ベルがけたたましく鳴る中、みんなで必死にホームと車中を行き来して荷物を運び入れた。決して積み残してはならない。
やっと全員、全箱が乗り込む。
父はゆっくり車内を見渡し、指差呼称を始める。
「1、2、3、4・・・。」
子供ではない。
荷物である。
全部そろっていることを確認すると、父はようやく座った。
最後まで子供の点呼はない。
私たちはとてもお行儀よくしていた。もちろん、ケンカなどもってのほかだ。いつも父の目が光っている。
私たち兄弟姉妹には「おおごとになることだけは絶対に避ける」という暗黙の了解があった。
はっきり言って、大人よりも静かな子供たちだった。
山場は乗船だ。電車の駅から港まで5分くらい歩くが、大荷物だから、そう簡単には進めない。
私たち家族は、他の通行人に道を譲りながら歩いた。
9人が荷物を抱え、一列になって港へ向かう。
……もちろん、抱えられている隊員もいた。
前の人について、ぞろぞろ、ぞろぞろ。
まるでありんこの行列だ。
カルガモ自転車隊ならぬ、「ありんこ輸送隊」の出動である。
時には、「まだあるぞ」と言って駅へ引き返す者もいた。
私も小さな荷物を持たされた。重くても「待って」と言える空気ではない。気持ちだけは、立派な隊員のつもりだった。
船に揺られる時間は、わずか10分ほど。だけど、その10分が始まるまでが毎回ひと苦労だった。
最後は、船からバスへの乗り換えだ。
バスに乗ってしまえば、ようやく気が抜ける。あとは目的地に着くのを待つだけだ。荷物はいくつか空きスペースに置かせてもらい、残りは上の兄たちが膝の上に抱えていた。私は幼かったので、その役目は免れた。だけど、くねくね道には勝てず、景色を楽しめたのは、初めの数分だけだった。
バス停ではいつも、おじいちゃんと、おばあちゃんが出迎えてくれた。
その笑顔を見た瞬間、長かった「ありんこ任務」が終わる。
私は少しふらつきながらバスを降りた。優しくほほえむ二人の姿が、何よりのご褒美だった。
これはスムーズにいったときのお話だ。
時には、乗るはずの船に乗り遅れることもあった。
父と長男の「待ってくださーい!!!」という叫び声が響き、その数分後には、ただ静かに遠ざかる船尾を見つめる私たち家族がいた。まだ4歳くらいだったはずなのに、そのとき見た船尾の白い航跡だけは、今でもはっきりと覚えている。
大人になった今でも、港で遠ざかる船を見るたびに、あの日を思い出し、少し物悲しい気持ちになる。
今では車で簡単に行けるようになった。
それでも私にとって帰省といえば、あのたくさんのダンボールと、家族みんなで力を合わせた「ありんこ輸送隊」の旅なのである。