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Photo bytaronpe

際どい話をしたものの、その限りではない。

    最近、noteでのフォローに関する記事を2つほど書いた。

    ◎フォローするときの、衝動的なある心情を書いたもの。

    ◎フォローを外すとき/外されたときの心の声をダダ洩れさせたもの。

    フォローを外すときの心情として、

    時間の経過で、自分の価値観も変化していき、
    「フォローしたけれど、気づいたらもうあまりこの方の記事を読めていないかも…」とふと気づいたとき、フォローをそのままにするか、どうするかで悩むことがある。

    と、書いたのだが、この記事を書いて数日経った今、
    いや、そればかりでもないな、と思い直している。

    時間的に、気持ち的に余裕がなくて、フォローしている方の記事を読めていなくても、
    「その方が元気でいるかどうかが、フォローしているからすぐ分かる」のは嬉しい。今日も、noteの街にいるんだなと思えるだけで。

    記事は記事、人は人だ。

    特にコメントなどでやり取りしたことのある相手なら、なおのこと愛着があり、記事に目を通せなかったとしても、また、読みに来ます、と思いながら画面を閉じることもある。

    ましてや、記事を最近更新していない方なら、いつnoteの街に帰ってくるかわからないので、ますますフォローを外すことなどできない。

    スキを押さなくても、コメントしなくても、
    「元気?」「最近どうしてる?」の念だけを送っていることがある。

    だけどやっぱり、スキやコメントが嬉しいって知ってしまったから、可能な限り、なんらかのアクションを示していこう。

    もちろん、読まずにスキは押したくないし、スキのお礼のスキをしたいわけでもなくて、本当に読みたい記事を、スキだと思ったときだけスキを押すつもり。

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    日常の痛みや人間の業を、文章に立ち昇らせる。 そんなエッセイや小説を書きたがっている43歳。 登校に苦戦する3人の子どもたちと、在宅ワークの合間のnote。(旧名:長橋知子) 電子書籍:https://x.gd/hRmNd

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