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Photo bytomekantyou1

酔っ払いの父からの電話で気づいたこと。

    チコリン

    昨夜、スマホに父から着信が来ていたことに気づき、かけなおした。

    父は北海道在住で、妻や子どもたちに愛想をつかされた独居老人である。
    齢75歳。

    「最近全然電話くれないなぁ、元気なのか~」
    だいぶ深酒をしているようで、呂律が回っていない。イラっとする。

    「まあまあ元気なんだけど、インフルの後遺症やら、花粉症の喘息やらで、自分1人生きるだけで精一杯なのさ、ごめんねぇ」

    父は、九州に住む母とも時々電話をしているらしいが、しょせん別居中の他人同士だ。兄は兄で、中部地方で好きなように生きている。
    見事なまでの一家離散家族である。
    そして、この世で、この父親に最も気をかける存在は、娘である私だけだろう。

    少し前は1,2週間に1度は生存確認の電話を入れていたのに、この1か月くらい、なぜだか連絡していなかった。

    寂しい思いをさせて悪かったなと思い、憎まれ口をたたきながらも話し相手になる。

    しかし、父が酔っぱらっているときは特に、考え方の偏りや、会話の噛み合わなさにイライラしてくるので、3分ほど話すだけでドッと疲れてくる。

    電話を切った後に、ふと思う。

    私は本当にこの父親を救いたい思いで、自分のビジネスを始めたいのだろう
    か…?

    「叶えたい社会と、その思いに気づいて。」という記事で、以前、父親への思いを以下のように綴った。

    私は父に、『自分自身を活かして』ほしかった。例えば適職に出会ったりとか。
    適職に出会って、思うような収入を得て、謙虚に自分の人生はなかなか良かった、と思えるような人生を送ってほしかった。一人で悪酔いして酒に飲まれたりしないで、母や、仲間と楽しくお酒を飲んでほしかった。

    そんな人生だったら、何かが違って、母とは結婚していなかったかもしれないけれど、それでもいい。私は生まれていなくてもいい。父に、母に、それぞれでも幸せでいてほしかった。幸せになってほしいと今でも、いつでも願っている。

    その思いに気づいたとき、泣けてきた。

    アセルチコリン|叶えたい社会と、その思いに気づいて。

    なんか、違うな、と思った。
    自分が生まれていなくてもいいだなんて。

    私は、私を救いたいんじゃないのか。

    幼少期の家庭不和に泣いていた自分を癒してあげたいんじゃないのか。

    それを「インナーチャイルド」とも呼ぶらしいが、

    幼少期の家庭環境にてトラウマとなった負の感情のことを指します。

    引用:心理オフィスK

    トラウマ、なんてたいそうなものではないと思っているし、むしろ、幼少期の悩みを、自分のミッションに昇華させているという自負もある。

    しかも、最近読み始めた書籍「嫌われる勇気」で、
    「トラウマなんてない」という考え方に触れ、そうだそうだ、過去の経験をどう捉えるかは自分次第だ、とも思っている。

    私は、父親のような自分の活かし方が分からないままの人を救いたいのではなく、
    過去の苦々しい経験などからも自分の使命を見出して前を見ようとしている自分のような人の味方でいたいのではないか。

    「救いたい人」は誰なのか。

    なんだか、自らむざむざと迷路に迷い込んだような気もするが、自分にとって必要な問いだと思うので、じっくり考えてみようと思う。

     
     
     
    日常の痛みや人間の業を、文章に立ち昇らせる。 そんなエッセイや小説を書きたがっている43歳。 登校に苦戦する3人の子どもたちと、在宅ワークの合間のnote。(旧名:長橋知子) 電子書籍:https://x.gd/hRmNd

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