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アクセル全開だった20代に、大ブレーキをかけた28歳の1年間

note更新をサボって早1年強。久々にnoteを書きます。タイトルの通り、28歳の1年間は自分と向き合うことから逃げ、楽な道を選び、思考をできる限り放棄して、のらくらで生活してた1年間でした。

大ブレーキと書いてますが、それなりにとても楽しんだ1年間で、友人とたくさん旅行にも行き、家族と久々にゆっくりする時間も取れ、とても充実してた1年間であったことは間違いなかったと思ってます。

ただただ、「私の人生」という枠で見ると、これだけフルスロットルで走ってきた分、ブレーキがかかって動いてなった期間だったのでnoteに残しておきたいと思って書き始めた記事です。

今回のnoteは、あっという間に過ぎ去ってしまった28歳の1年間を振り返っていきたいと思います。


帰国してからの日本と家がとにかく楽だった

2025年の6月末にノマドワーホリを終えて帰国したわけですが、あれだけ憧れてた海外生活も長く住むと色々な苦労や悩みが出てきて、最後の数ヶ月はメンタル的にも疲れていたんだと思います。

帰国した直後、関空にて✈️

いざ日本に帰国して、知ってる人がいる環境、母国語が伝わる安心感、無理に英語に頭が疲れない楽な日常、何もかも保証され、守られているという感覚。もちろん日本での生活でストレスが全くないです、ということを言いたいわけではありませんが、海外生活に比べたらよっぽど楽な毎日を送ることになりました。

そこにどっぷり浸かってしまったんですね。帰国したらすぐに東京に出ようかなと考えてた時期もありましたが、久々に帰ってきた地元、仕事柄場所を選ばない環境なので、この場所を今すぐ出ていかないといけない明確な理由がなかった(という言い訳)んですね。

気づけば1年以上居座ってしまったことに、社会人になってからダブルワーク、独立、留学、ワーホリと活動的に動いてた自分はどこに行ってしまったんだろうと、タイトルにもあるように大ブレーキを踏んだ1年間でした。

間違いなく28歳のハイライトだったヨーロッパ旅行🇬🇧🇦🇹🇨🇿

それでも仕事は走り続けたつもりだった

大変ありがたいことに、海外生活を送っている間もお客さんが離れることもなく、帰国してやっと対面でお会いできた方もたくさんいました。SNSの仕事はずっと継続していくつもりでしたが、新しいサービスを0から作ったり、前例のないことを組み立ていく難しさや、誰にも教えを乞うことができない個人事業主という環境を抜け出したいタイミングも山ほどありました。

また、25歳の時に思い切って独立した過去のあの無鉄砲さは、28歳になった私には1ミリも残ってなくて、「年齢の現実」と「社会から長らく離れてしまった異端児というレッテル」が邪魔をして、怖さと不安で会社員に戻る決断さえできなくなってしまいました。

と同時に、「人と違ったことをしてきた自分」に酔っていたのも事実で、今まで積み上げてきたものを手放す勇気も素直さも、28歳の私は持ち合わせてはいませんでした。

でも、"仕事を頑張っている風"の自分にプライドがあった私は、またまた新しい仕事に手を出しました。そこだけは深く考えずに行動できる自分の好奇心と行動力は褒めてあげたいなと思うと同時に、余計な出費と時間の使い方も下手だったなと思いますが、結果として挑戦して良かったなと思ってます。

この1年間で新しくチャレンジした仕事は下記2つです。

ワーホリ時代に出会った方の影響で始めた日本語教師

もともと興味があった仕事でした。ただ始め方がわからなかった。でもワーホリ中にの出会いをきっかけに、チャレンジできる環境が舞い込んできたので、思い切って飛び込んでみることにしました。

日本語教師デビューした日、多分25年の11月半ばくらい

収入としてはかなり辛いものでしたが、結果としてやって良かった仕事でした。今もごくわずかな生徒さんの数ではあるのですが、細々と日本語教師は続けています。

日本が好きだと言ってくれる海外の方との会話、もともと教えること自体が嫌いではなかったこと、日本を知ってもらえる嬉しさと、海外のことが知れる楽しさ、お金以外のリターンとしては、とてもたくさんのお返しをもらえた仕事でした。

そんな日本語教師を続けてきた私ですが、来週ついに日本で実際の生徒さんの家族と一緒に観光することに。とても楽しみです。

"経営者"に触れる仕事

前職がゴリゴリのベンチャー企業だった私は、デスクのすぐ横に社長がいる毎日が通常運転だったので、割と経営者と呼ばれる方の雰囲気や属性みたいなものは、なんとなく知ってるつもりでいました。

でも実際に経営者の方々を相手にする仕事は私の想像を数倍近く超えていったのと同時に、やっぱり私は社会の道を外れたがゆえに、社会や会社やビジネスの基本を何もわかってないまま28歳になってしまった、と強烈な焦りを感じたのを覚えています。

毎日反省と、わからない単語を調べては、mtgの議事録を見返して会話の内容の理解トレーニングに励む日々が続きました。

稼働時間は25歳の時の月300時間は超えはしませんでしたが、それと近いくらいには仕事づけの毎日だった期間もあったなと思います。

色々私には重荷だった仕事でしたが、今振り返るといろんな経営者の方と話せる機会なんてそう多くなく、ましてや私のようなイチ個人事業主でそういった経験をさせてもらえること自体が贅沢だったなと感じています。

自己内省からは逃げまくってました

28歳、もういよいよ30歳が見えてくる時期で、周囲からの期待や視線、会社やめてひとりで好き勝手働いて遊んでるヤツ、自由で良さそう、みたいなレッテルはきっとたくさん貼られてたんだろうなと思います。というか、第三者から見た私の現実ってそんな感じだろうなと。

朝活にチャレンジしてみるも2ヶ月で断念

考えないといけないことが多すぎで、自分の人生に責任持つことに臆病になって、いつかいつか考えなきゃ、と思いながら悶々と1日1日を繰り返していく毎日。

いつまで個人事業主でやっていくのか、
お金の稼ぎは大丈夫なのか、
どこに住むのか、
ライフプランをどう考えているのか。

どれも耳を塞ぎたくなるくらい、考えたくないことばかりでした。結局は仕事を忙しくして、自分が本当に考えないといけないことから逃げてただけだったんだと思います。忙しいって最も楽な言い訳なので。

20代の大きなテーマだった海外生活を終えて空っぽになった代償は思ってた以上に強敵でした。

気づけば29歳になってしまった

そんな、のらくらでぬるま湯に浸かってたような1年間を過ごしてたら、気づけば29歳になってました。

この年齢になると、本当に周りの友人や仕事仲間も含め、十人十色の人生がある中で、自分はどんな人生を送りたいのかが全く見えなくなってしまって、20代前半の時にぶち当たってた「自己内省」というラスボスが台頭してきたんですね。

でも、大変ありがたいことに、助けてくださったり、手を伸ばしてくださった大人たちと、この1年間で出会えたことで、仕事もずっと自分がやりたかった領域に片足を突っ込み始め、嫌いで嫌いで苦手だった自己内省も亀さんスピードですが、進められるようになりました。我ながら好き勝手生きてるなと思いますが、人だけには本当に恵まれてるなとつくづく感じます。

帰国してすぐの夏に友達といった台湾

28歳は占い的には良い1年だったらしいのですが(笑)、大ブレーキになってしまった期間でもあったので、29歳は独立を決めた前のように、活力を持って日々を過ごしていきたいと思えるまでにはなりました。

独立した時の目標は越えられたので

偉そうなこと書きますが、仕事面で30歳までに達成したかった目標は27歳で達成できてしまってました。そこからは第2目標を掲げて走ってきたのですが、環境に恵まれたこともあって、29歳になる直前に達成できました。これはこれで自分の糧にしたいなと思う一方で、次の目標に向かって行こうかなと。

次の目標は、仕事での評価や結果、収入面のお話ではなく、「自分が納得できる人生に近づくための30歳までの1年間」をあらためて考える期間にしたいきたい、と思っています。

2026年末に向けて

2026年末に向けて、やっていきたいことをちゃんと言語化しておきます

①2拠点生活始めます
実家のある京都と、仕事の機会や人と出会う環境を求めて関東の方に引っ越そうと思ってます。帰国してからずっと考えてた1年越しの実現です(遅い)

ただ都会に行く、だけではなく、ちゃんといろんな機会を自分で掴みにいきたいと思ってます。新しい環境で新しい人たちとの出会いや、その中で自分の人生に繋がるヒントを得たいなと思っています。

②SNS生産者になります
SNSの裏方の仕事をやり始めて早5年。ここにきて遂に自分の発信アカウントを作ってこなかった過去の自分をぶん殴りたい気持ちでいっぱいですが、SNS消費者から生産者側にシフトしていきます。

インフルエンサーになりたいのではなく、発信者になりたいなと思ってます。

そうでもしないと私はまた色々放棄して仕事だけやってる人間になって腐っていきそうな感覚もあったので(笑)

最後に

浮かない顔して撮ってたプロフ写真が懐かしい笑


1年ぶりのnote、何を書こうかなと思ってたのですが、思考停止期間だった28歳の期間は1本も書けず!笑

1年越しに色々思考が巡り始めたので、また環境をガラッと変えて、自分の人生を面白くしにいってやろうと思ってます。

今回のnoteも最後までお読みいただきありがとうございました。ではまた次のnoteで。

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