
エッセイ「おい、ドッスン!本気でマリオを倒したいならあんまり上がりすぎるなよ」
なんのために生きているか、そんな答えのない問いに頭が支配されそうになった時はドッスンのことを考えるようにしています。
バッタンではありません。ドッスンです。
生きていると頭の中にモヤモヤが溜まってくるタイプの人種って一定いると思うし、逆に自分では想像できないですが何も考えていないで生きていける人も一定いると思います。私はもちろん前者ですし、マリオはもちろん後者です。
そんな頭のモヤモヤを吐き捨てるために始めたのがエッセイですが、エッセイも書いていて面白くないと続かないし、かと言って辞めたいわけではありません。
そんな中でエッセイってやっぱり社会経験豊富な人の方が書けることがたくさんあって羨ましいなって思います。
エッセイに限らずラジオでいろんな話をできる人は、仕事だったりプライベートでもたくさんの経験をして充実している印象があります。
一般の人だと接客業の人とか、あとは女の人だとやっぱり夜職経験のある人はなんやかんやエピソードがとても強い。
やっぱり男なんていうのはそこらへんの側溝に落ちたお金を探している人から、メイクをバッチリに仕上げたホストから、大企業の社長も、全員結局はベルトコンベアに乗せて高圧洗浄機で洗い、ピーラーで一皮剥いてしまえば、8割性欲に支配された純粋無垢な野生動物に変わりないのです。
ジャガイモとして生まれた男にとって女の人っていうのは、ナイツもクワバタオハラもびっくりの高圧洗浄機の機能とピーラーの機能が二つ合わさったような最新高性能マシンなのである。
だから、夜職の人のエピソードはピンからキリまで男の幅を知っていることもあって面白い。
前に何かのサイトで見たことがあるけど、小説家を目指したいという人に対して、
「これまで大した人間関係も築いてきたことのない人間が、社会からあぶれ、そんな状態で手に職をつけようと小説家になろうとしても、結局は社会を知らないため何も書くことのできない、もしくは自己中心的なつまらない作品になる」とちくちく言葉を並べて建てられ、いまだにその時ついた3本線の傷が目の上で痛み続けています。
その精神的なショックから一時は小説家を諦めて海賊になることも考えましたが、
全く持ってその通りで、家の外に出ることもなければ、家で話す人も特にいない、そんな日常を送っていればエッセイや小説なんて書くことは何もないのです。
例えば、ただの妬みをなんでも書いていい日(エイプリルフール的な、6月は「なんでもただの冗談だよー」ということで何を言ってもいい『ジュライザライ』という日)があるのであれば、「元ホステスとか言って、政治家とか小説家になるやつズルすぎるだろ。」って誰かは書くと思います。僕は書きませんけど、多分それを書いた人は、あまりにも他力で人生生き過ぎだろって思ってるだけだと思います。
そんな妬みを描いたところで自分の人生が何か良くなるわけでもないのになんでそんなことを書くんだと、僕ならもちろん怒ってやりますよ。
という中で何も持たざる者が無限にエッセイを書く方法が実はあることに最近気がつきました。
それは架空の悩み相談に乗ることです。
なんかありそうな悩みを勝手に想像して、勝手に答えると多分それはエッセイになります。
なんなら解答もまともに思い浮かばなくて、
最悪エッセイを書き上げることができなかったとしても、無理やりエピソードを作り上げることで描いたエッセイ、
エセエッセイ、略してエセイとして書き上げることはきっとできるでしょう。
ということで今回はちゃんと存在する悩み、自分の悩みに回答していきたいと思います。マッチポンプエッセイです。
今回のお悩みは「やる気が湧きません。どうしたらいいですか?」
やる気もあればいいというものでもありません。
それは悩みなんていうのは避けて通れないものです。
何にも悩みを抱えていないように見える人にも、上を見ると頭上高くにドッスンが待ち構えていたりします。
それはたぶんドッスン側のミスです。踏み潰してやろうというやる気がありすぎたせいです。
ただ、人生のステージを上がっていくにつれて自分の高さが上がってくると突然ドッスンが目を覚まして降ってくる可能性だっていくらでもあるのです。
マリオだって何も考えていないようで実は頭の上に常にモヤモヤを抱えています。でも彼はそれを避けられるだけの脚力を鍛えました。
その攻撃に耐えるためにたくさんのキノコを食べました。
何かしら誰だって対策しているのです。
そうやっていつかの時のために備えておくことが一番大事なんだと思います。