I Just Called to Say I Love You――大切な人に、用事は必要なのだろうか
Stevie Wonderの「I Just Called to Say I Love You」。
題名だけなら、とても単純です。
ただ、愛していると言いたくて電話した。
それだけです。
でも私は、この「それだけ」が少し気になります。
私が若かった頃、まだ携帯電話なんてありませんでした。
誰かに電話をするなら、たいてい自宅です。
仲のいい女性に連絡したくても、本人が出るとは限りません。
意を決して電話をすると、お父さんが出る。
「娘とは、どういう関係で、何の用事なのか」
そんなことを聞かれたこともありました。
今考えると、電話一本かけるだけなのに、なかなかのひと仕事です。
ようやくお父さんとのやり取りを切り抜けたと思ったら、今度はお母さんから、
「いつもうちの娘がお世話になっています」
なんて言われる。
すると別の心配が始まります。
普段、僕のことを家で何と話しているのだろう。
電話を切ったあとまで、しばらく戦々恐々としていました。
そんな時代でした。
今は違います。
スマートフォンを手に取れば、誰かのお父さんを突破する必要もありません。
メッセージなら、相手の都合のいい時間に読んでもらえます。
連絡すること自体は、昔とは比べものにならないほど簡単になりました。
それでも、
「ありがとう」
「会いたい」
「大切に思っています」
そんな言葉を送ろうとすると、今でも指が止まることがあります。
もしかすると、昔から本当に難しかったのは、電話をかけることではなかったのでしょう。
「こんなことを急に言ったら変かな」
「何か理由がないとおかしいかな」
そんなためらいは、今も自分の中に残っています。
考えてみると、私たちは大切な言葉ほど、口にするための理由を探します。
「ありがとう」は、何かをしてもらったときに言えます。
「おめでとう」は、誕生日や合格の日に言える。
「ごめんなさい」には、謝るべき出来事があります。
でも、
「あなたがいてくれて嬉しい」
には、これといった出来事がありません。
だから、案外言いにくい。
誕生日なら言える。
記念日なら言える。
何かの節目なら言える。
そう考えると、記念日というのは、愛情が生まれる日というより、普段言いにくい言葉を少しだけ外へ出しやすくしてくれる日なのかもしれません。
もちろん、それも大切です。
ただ、人生の大部分は記念日ではありません。
朝起きて、仕事へ行って、ご飯を食べて。
どうでもいい話をして、眠る。
そんな何でもない日のほうが、ずっと多い。
もし人生のほとんどが何でもない日でできているのなら、大切なものもまた、その中にあるのでしょう。
「I Just Called to Say I Love You」。
ただ、それを言うために電話した。
昔のお父さんなら、きっと聞くでしょう。
「それで、何の用事なのか」と。
でも、この歌の答えは、本当にそれだけなのかもしれません。
用事はありません。
何かを頼みたいわけでもない。
何かを確かめたいわけでもない。
ただ、自分の中にあるものを渡したかった。
愛情は、ときどき相手への請求書にもなります。
私はこれだけ思っている。
だから、あなたも。
そう思ってしまうことは、たぶん誰にでもあります。
私にもあります。
でも、ただ伝えるという行為には、相手の返事まで自分のものにしない余白があります。
自分の気持ちは、自分のもの。
受け取ったあとの気持ちは、相手のもの。
そこまで考えると、誰かを大切にするということは、その人の存在に、いちいち用件を作らないことなのかもしれません。
何かをしてくれるからではなく、ただ、その人がそこにいる。
それだけで、自分の中に何かが生まれる。
だから、伝える。
理由を説明するためではなく、その人へ少しだけ渡すために。
昔は、電話をすることそのものに、いくつものためらいがありました。
今は、その多くがなくなりました。
それでも、まだ言えない言葉がある。
だとしたら、最後まで残っているものは、電話の向こうではなく、自分の中にあるのかもしれません。
あなたの中にも、
言いたいのに、
言う理由が見つからないまま残っている言葉はあるでしょうか。
