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『玫に還る』 第䞀話Ⅰ1.2

【章の䞀 玫草】

開いた傷口を芋お少女はかすかに顔をしかめた。    
男は呻き声も挏らさずに痛みに耐えおいる。    
少女は男の傷぀いた腕に手をあおお静かに祈った。    
やがお抉られた傷口の肉が盛り䞊がりそしお閉じおいく。    
少女が手を戻したずき、男の腕には傷跡すらなかった。    
男は信じられないように腕をさすり、そしお振った。    
「竜の牙は鋭いから気を぀けお」    
「ありがずう、リヌ」  

     

 その淡い玫色の蕟を最初に芋぀けたのはカンタヌだった。郚族の倧切な食料である小麊はカンタヌの腰の蟺りたで成長しおいる。豊䜜を予想させる濃い緑色に茝く畑の片隅に、ほんの少し頭を芗かせおいる蕟を発芋できたのは幞運だった。

「おヌい、玫草が蕟を぀けた。みんな急げ、玫草が開花するぞ」
 カンタヌは畑の畔から、䞉十ほどの家が固たっおいる方向に倧声を匵り䞊げた。
 鳥の囀りずのどかな小川のせせらぎに包たれおいた集萜は、突然蜂の巣を぀぀いたように隒然ずした。食事の最䞭なのだろう、パンを片手に飛び出す者、赀ん坊を抱えお走っおくる母芪、ありったけの鍬を䞡肩に背負っお裞足で駆けおくる男もいる。数分で集たった癟人ほどの郚族民は畑に入り、玫草を取り巻いおそれぞれに息を敎えた。

「カンタヌ、よく芋぀けたな。花が咲く前でよかった。偉いぞ」
 郚族長のリガヌドが蚀った。
 䞀週間ほど前に十䞉才になったカンタヌは耒められたのは嬉しいけれど、偉いぞず蚀われおただ子䟛扱いかずがっかりもした。カンタヌは同䞖代の子䟛に比べお成長が遅く、䜓力も劣っおいた。
「さあ、急いで掘り出そう。れンコ、火の準備をしおおけ」
 リガヌドの合図で男達が䞀斉に鍬を持っお玫草を取り囲んだ。知らぬ者が芋たら悲劇をもたらすずは露ほども思わない、か现い玫草の呚囲に鍬が䜕本も振り䞋ろされた。根こそぎ掘り出しおしたわないず残った根からたた芜を吹くのだ。郚族でいちばん火の扱いのうたいれンコは近くの燃える朚を集めに走った。カンタヌず幌銎染のシヌクも呜什されたら手䌝う構えでいたが、これは倧人の領分らしく声はかからなかった。

 この玫草は蕟を぀けるたでは䜕の害もない。だからその前に刈っおしたえばいい。ただ、今目の前にあるように蕟を぀けおからは、異垞な防衛本胜ず生呜力の塊になる。
 もし蕟を刈り取ろうずしお土の䞊に出おいる蕟や茎に少しでも刺激を䞎えたら、その瞬間に党䜓が硬盎し鎧をたずったように堅くなる。どんな斧でも歯が立たなくなっおしたう。だから今のうちにすべおを掘り出すしかないのだ。
そしおさらに成長が進んで花が開いたら、郚族にずっお倧倉な脅嚁ずなる。きちきちず耳障りな音を立おお、濃い玫色の花びらを開くのず同時に凄たじい成長が始たる。根別れ枝分かれを繰り返し、数日で倧人の背䞈を越える。倪い蔓状の枝を耇雑に絡たせ、ドヌムのような半球状の空間を぀くっおしたう。

「カンタヌ、お前が芋぀けたんだっお」
 同い幎なのにカンタヌより䞀回り身䜓が倧きくお、声も野倪いシヌクが蚀った。
「うん、前みたいなこずにならなければいいんだけど」

 玫草がカンタヌの郚族で開花したのは五幎前だった。ちょうど今日のような暖かい季節に発芋されたが、その時は開花が始たっおおり手遅れだった。収穫前の䞹粟を尜くした畑は、次々に成長し繁殖した玫草にすべお芆われおしたった。寄生怍物の玫草は長く䌞びた蔓で小麊に巻き付く。その尖った先端や蔓のいたるずころから生えおいる棘に突き刺された小麊の穂は、栄逊分を吞い取られお茶色く朜ち果おおしたう。
そうしお郚族の畑はすべお壊滅しおしたった。緑の畑が虫に食われるようにおぞたしい玫色に染められおいく様を芋た郚族民は悲嘆に暮れた。

「ただ倧䞈倫さ。蕟も小さいし。それにしおもあの時はひもじかったもんな」
 倧食いのシヌクが蚀うず五幎前が思い出されお腹が枛っおくる。わずかに食べられる朚の実やたたに手に入る小動物の肉以倖、ほずんどの食料を畑からの収穫に頌るカンタヌの郚族は危うく党滅しかけたのだ。

「リガヌド、おかしいぞ。開花前なのに根が堅くなっおいる」
 玫草の根に鍬を入れたモッズが倧声を䞊げた。
「なに、そんなばかな」
 リガヌドは駆け寄り、モッズから匕ったくるようにしお鍬を取るず自ら枟身の力で振るった。鈍い䞍吉な響きずずもに鍬は跳ね返された。
「芋ろよ、こんなずころたで根が来おいる」
「こっちもだ、どこたで䌞びおいるか芋圓も぀かんぞ」
 方々から男たちの緊迫した声が䞊がる。女たちは事態がずお぀もなく悪い方向に進むのを察知しお、厩れるように座り蟌む。

「どうする、リガヌド。根の先たでたどっお党郚掘りだすか」
 シヌクの父芪のハットおじさんがリガヌドに聞いた。い぀も優しい顔が険しくそしお汗に濡れおいる。
「いや、ここたで根が䌞びおいたら間に合わないだろう。それにこれを芋ろ」
 リガヌドの指先には鍬がうっすらず癜い筋を぀けた玫草の倪い根ず、そのたわりにびっしりず぀いた䞞い株があった。
「この株からどんどん芜を吹く。明日にはそこらじゅうに芜が出おくるはずだ。今幎の玫草はい぀もよりやっかいだ」

 ゞゞッずいう䜎い音にみなが振り返る。れンコが枯れ朚の束に付けた火を玫草に静かに近づけおいた。
「燃えるかな、カンタヌ」
 シヌクが぀ぶやく。もし玫草が完党に硬質化する前なら燃えるはずだ。嫌な臭いず䜕の圹にも立たないゎムのような固たりが残るが、もちろん成長されおしたうよりはるかにたしだ。玫草に重なった火が陜炎のごずくゆらめく。皆が固唟を飲んだ。
「だめだ、火が移らない」
 れンコがあきらめたようにぞたりこんだ。リガヌドに女が二人駆け寄る。
「切れないし、燃やすこずもできないなら、たた畑はおしたいなの リガヌド、ねえ、答えおよ」

「たずい、蕟が開くぞ」
 倧声にみなが振り向いた。子䟛の握り拳ほどの蕟がたさにほころびはじめおいる。花びらの切れ目から毒々しいおしべの赀がちらりず芗いおいる。女たちが悲鳎をあげ、畑は混乱ず焊燥の声で満ちた。
 腕を組んだリガヌドが振り向いお蚀った。
「誰か、長老を呌んで来い。急げ」

 カンタヌは反射的に走り出しおいた。郚族長の呜什は絶察だず教え蟌たれおいるこずもあるが、するこずもなく立ちすくんでいるのが堪らなく嫌だったのだ。
 カンタヌは郚族の奥にある長老の家に向かった。こんな切矜詰たった時にリガヌドは長老に䜕の甚だろう。カンタヌは五幎前のこずを思い出した。あの時も玫草が畑で開花しそうになった時、長老が儀匏のようなこずをやったらしい。カンタヌはその堎にいなかったのだが、郚族䞭の子䟛が集められたず聞く。

 長老は石造りの叀い家の前に出おいた。枯れ朚のようなその痩身は匷い颚には飛ばされそうに芋えるが、これでどうしお杖もいらないのだ。
「カンタヌ、わしをリガヌドが呌んでいるようじゃな」
「えっ、うん。あの、玫草が出たんだ」
「幎老いたがお前のあの倧声は聞こえたわ。それにそういう時期だず思っおおった」
 郚族の誰よりも長いロヌブをはおった長老がカンタヌを抌しのけるようにしお、先に立っお歩き始めた。
「あの、それで蕟がひず぀開きそうなんだ」
 カンタヌは慌おお埌を远いながら長老の背䞭に声をかけた。
「わかっおおる。郚族長がわしを呌ぶのは、぀たりそういうこずじゃ」

     

 畑には郚族のほが党員、二癟人䜙りが集たり、玫草を取り囲んでいた。
「さあ、子䟛たちよ。わしに力を貞しおくれ」
 玫草の傍らに立った長老は现い䞡腕をひろげお子䟛たちを芋回した。䞀人たた䞀人ず長老のもずに子䟛たちが歩み寄る。シヌクがカンタヌの腕を぀぀いお蚀った。
「俺たちは行かなくおいいんだよな」
 その声が聞こえたのか長老が二人に手招きした。
「でも長老、僕らは十䞉才になった。もう倧人だよ。きっず圹に立たないよ」
 カンタヌは思い切っお蚀っおみた。暪でシヌクが頷く。
「銬鹿者、早く来い」
 聞いたこずもない䞀喝に二人は飛び䞊がった。

「傷぀いた戊士の手圓おをする時のこずはわかっおおるな」
 長老が二十人以䞊の子䟛の顔を芋枡すようにしお聞いた
「䞉日前にも治しおあげたばかりです、長老」
 カンタヌの正面にいたマヌスが小銖を傟げるようにしお答える。カンタヌはその日のこずを思い出した。

 ◇ ◇ ◇

 朚剣の蚓緎が終わりシヌクず家に垰る途䞭だった。
「カンタヌ、今日も随分、痛め぀けられおたなあ」
 カンタヌは仲間たちに、さんざんに打ちのめされお意気消沈しおいた。
「お前はい぀も無茶なんだよ、カンタヌ」
「なんだよ、無茶っお」
「匷い連䞭にあんなに突っかかっおいったら、やられるのは圓たり前だ。䞊玚者に挑むのはもっず基瀎緎習をしおからにしろよ」
 カンタヌは打たれお熱を持っおいる腕をさすった。
「䞊玚者ずやらないず匷くなれないから」
「それにしたっお、打たれっぱなしじゃないか。実力がないのに、むきになるなよ。それ、お前の悪い癖だぞ」
 カンタヌは答えなかった。剣が䞊手くならなければ戊士ずしお認められない。郚族のお荷物になるだけだ。そしおカンタヌには䞀日でも早く戊士にならなければならない理由があった。
「それにお前は喧嘩腰なんだよ。緎習なんだからさ、あんなに激しくぶ぀かっおいったら、友だちをなくしちたうぞ」
「友だちならシヌクがいればいい」
「お、おう。たあそうだけどさ。それにしたっお――」
「シヌク、あれは」
 カンタヌは道の先を指差した。郚族の西のはずれにある家の前に人だかりができおいる。 
「マヌスの家じゃないか」
「どうしたんだろうな。行こうぜ」
 シヌクは駆け出しおいた。カンタヌも埌を远う。
「䜕かあったのかい」
 息を切らしたシヌクが、䞀番埌ろで爪先立ちをしおいる男に聞いた。
「ああ、石切り堎で足の䞊にでかい石を萜ずした奎がいおな」
 二人が倧人たちをかき分けお家の䞭に入るず、ベッドに暪たわる男を前に目を閉じたマヌスが芋えた。

「始めるわ」
「ああ、マヌス、早く頌む」
 唞るように蚀った男の巊足の甲が、目を背けたくなるような角床で曲がっおいる。足の䞊にかざしたマヌスの手が、小さな円を描くようにゆっくりず動き始めた。
「ひどい傷だな。難しいんじゃないか」
 シヌクが呟いた。自分には治せないず思った時、カンタヌは暪たわる男の぀た先がわずかに痙攣しおいるのに気付いた。そしおマヌスの手のひらの回転が速くなるのに合わせお、男の足はねじれを戻すように倧きく動いた。
「おおお」
 男が信じられないような顔をしお半身を起こそうずする。
「埅っお、ただ枈んでないわ」
 マヌスは俯いたたた、䞀床動きを止めた手のひらを今床は男の足の䞊の空間に向けお颚を送るように抌した。䞀回、二回、そしお䞉回目から正垞な右足の倍ほどに膚れおいた足が、しがむように腫れが匕いおいく。十回を数える頃には赀黒い染みたでが消え去っおいた。呚囲から溜め息がもれる。
「芋事だ、マヌス」
「いや、本圓に。俺がガキの頃はこんなに䞊手くできる子䟛はいなかったぞ」
 嘘のように治った足をさする男の脇で、集たった者たちが口々にマヌスを耒めおいた。

 ◇ ◇ ◇

「傷口に手をかざしお枩かくなるように祈ればいいのですよね」
 マヌスが長老に蚀った。
 祈るだけで䜕の薬も䜿わずに傷を治すこの力は郚族にずっお倧切だ。だからどんな掟垂れ小僧でも決しお粗末に扱われない。ただしこの力はなぜか倧人になるず消え倱せおしたう。そしお自分の傷を治すこずもできない。

 マヌスは特に䞊手で、骚の芋えそうな深い傷でも痕も残さず治しおしたう。この数幎ずいうもの、倧怪我をした男は最初にマヌスの家を蚪れる。
「そうじゃ、今日はその逆をすればよい。よいか、玫草に手を圓おお冷たい氷を思い浮かべるんじゃ。真冬の池を芆う氷に觊れたこずがあろう。あの手がちぎれるような冷たさじゃ。そうしおその手に觊れた玫草が枯れるこずを、粟いっぱい念じおくれい」

 子䟛たちは長老の指瀺に埓い、玫草の根に手を圓おお祈り始めた。ハットがリガヌドに小声で話しかけるのがカンタヌには聞こえた。
「前の時も長老が同じこずをしたが駄目だったぞ。無駄なこずじゃないのか」
「長老にも考えがあるはずだ。それに今日はこの前ずは違う」

 違うこずっおなんだろう。カンタヌが掘り出されかけた足元の根を觊った時、長老の声が飛んだ。
「カンタヌ、お前はこっちじゃ
 長老が指差したのは、玫草の今たさに開きかけた蕟だった。
「えっ、䜕で僕が」
 カンタヌは根を攟しお長老を芋぀めた。呚りの倧人から声が飛ぶ。
「長老、それはマヌスの方がいいんじゃないのか」
「カンタヌには無理だろう」
 カンタヌは俯いお足元の根にたた手を䌞ばす。倧人の仲間入りができないひ匱な子䟛。しかも䞍思議な力も持ち合わせおいない。それがカンタヌの評䟡だった。

「カンタヌ、長老の蚀うずおりにするんだ」
 リガヌドの鋭い声にカンタヌは立ち䞊がった。長老に腕を匕っ匵られお数枚くしゃりず重なった花びらにおずおずず觊る。長老はカンタヌの耳元で囁いた。
「五幎前に玫草が開花し、畑を壊滅させおしたったのはカンタヌ、お前がいなかったからだ」
 カンタヌは驚いお長老の皺ばかりの、しかし厳しい顔を芋た。
「それは、どういうこず
 長老はカンタヌの県を貫くように芋おから足を折り、玫草のすでに斧でも切れない堅い根元を䞡手で握った。

「祈れ、今は匷く匷く祈るんじゃ」
 カンタヌは埗心のいかぬたた、少し湿った花びらを䞡手で挟んだ。花匁から挏れおくる甘酞っぱい匂いがカンタヌの錻を刺激する。リガヌドの合図で倧人たちは子䟛を取り巻くように円を䜜った。
 円の䞭心は玫草の前に跪くカンタヌず長老。少し離れお根を持った残りの子䟛たちが䜜る茪。そしおその倖偎に倧人たち。䞉重の円が人間の倩敵ずもいえる玫草を包囲する栌奜になった。やがお叀くから郚族に䌝わる祈りの歌が畑に響き始めた。

 手がちぎれるような冷たさ。長老はそう蚀った。
 でもそんな急に蚀われたっお  。
 傷を治すあの䞍思議な力が匷い子䟛は、カンタヌの他にいくらでもいるのに、長老は䜕を考えおいるのだろう。

 倧人たちが歌う緩やかな抑揚の繰り返しが、カンタヌの疑問をい぀しか消し去っおいた。
 やがお祈りの歌も呚囲の音も聞こえなくなっおゆく。そしおカンタヌは奇劙な感芚に襲われた。党身の血がすうっず身䜓の䞭を䞋がっおゆく。螵たで降りたず感じたずきに、たるでその反動さながらに血ずは異なる䜕かが昇っおくる。身䜓がふわりず軜くなった。

 花びらを包む䞡手のひらが痺れる。手を切るほどの冷たい塊を握り締めた感芚は、い぀の間にか火の䞭の真っ赀な石を掎んだかのように熱く倉わっおいた。䞡手にあるすべおの神経が悲鳎を䞊げる。
 それはカンタヌにずっお初めおの味わう苊痛だったが、䞍思議に䞍安はなく、自分が正しいこずをしおいるのだずいう奇劙な確信を䌎っおいた。

「か、枯れおいる」
 背埌で誰かの呻き声がした時、カンタヌの手から熱ず䞀緒に䜕かが匕いおいった。身䜓に重さが戻り、足元がふら぀いた。
「もうよい、カンタヌ。よくやったぞ。埌でわしの家にきなさい」
 長老が掠れた声でたたカンタヌに囁いた。その声でカンタヌは目を開けた。最初は眩しいせいだず思ったが、開いた䞡手の䞭の蕟は茶色に倉わっおおり、そっず力を蟌めお握るずばらばらず现かい砎片になった。

 カンタヌは手のひらに残る玫草の残がいをたじたじず芋぀めた。これは自分の力なのか、長老や子䟛たち党員の力なのか。倧人たちの歓声に振り返るず、子䟛たちが倉色した玫草の根を手に、誇らしく照れたような顔をしおいる。自分の息子や嚘に駆け寄っお頬ずりする者もいた。

「おい、カンタヌ。俺たちやったんだ」
 シヌクが根を宙に攟り投げおカンタヌに抱き぀いた。茶色い根がシヌクの肩越しに倕日に照らされおきらきらず回転した。

続く


いいなず思ったら応揎しよう