
無職、料理をする
定職に就かずに過ごして、そろそろ一年が経つ。
年齢を重ね病気も抱え、まともな職歴も資格も特技もない、家族も居ない未婚の女性としては、相当に詰んだ状態だ。
だけど、わたしは今は人生で最良の時間だと感じ、この完璧が永遠になればいいのにと思っている。美しい花を飾ったリビングで本を読むこと、街の隠れ家カフェでコーヒーを飲む時間、五月の新緑のなかを散歩する気まぐれ。
もう、この社会には絶望したので、享楽的に刹那主義に生きて死にたいのだ。
ひとりで暮らしていると食生活は破綻しがちなものだ。
会社に勤めていたときは、都内の一等地価格にも関わらず毎日外でランチを食べ、夕食はほとんどデパ地下やコンビニで買って帰るか冷凍食品。朝は菓子パンとヨーグルト。体調は常にぼんやりと悪く、体重は年々増加の一途を辿る。
しかし、電話が鳴り仕事をどんどん頼まれるデスクでお弁当を食べることも、欲しいものや食べたいものを我慢することも真っ平だった(なにしろ刹那主義者なので)。
たまに料理をするのは気まぐれで、食べたいものを決めて作り、そのために材料を買いそろえるタイプだった。
そんな人間が、自炊をしようかな、とふと思ったのは、憧れている美しく丁寧な暮らしは、「食」に依存する部分が大きいのではと思ったのがひとつ。
体重がさすがに平均から逸脱し、好きな服を着られないようになってきたのと、体調が悪すぎるので、ダイエットしてみようと思ったのが、もうひとつ。
どうせ、家にずっと居て暇なのだから。
痩せる料理について調べ、「脂肪燃焼スープ」という概念に行き着く。トマトを使った野菜スープなので、つまりミネストローネだという理解。ストイックなひとはスープだけを一週間食べたりするようだが、最低レベルの状況なので、まず食生活を健康的に是正するきっかけとして、ミネストローネを作ってみた。
野菜を切り刻む作業は、心が落ち着いてよい。でも、たまねぎを切ると泣いてしまうのだけは辛い。
トマトホール缶の半分で鍋いっぱいのスープが出来てしまう。半分も食べきれなくて、分けて冷蔵庫へ。
この、いっぱい出来てしまう、という点が、ひとり暮らしの自炊において嫌いな部分だった。同じものを続けて食べるのが苦手で(かつ、働いていると急に外食の流れになることがある)、長期保存したものは食べるタイミングが掴めず気づくとダメにしている。
でも翌日、残りのスープを温めて食べたら、作らなくてもひと品ある、というのは楽だなと思った。スープという繰り返し食べてもそこまで飽きない存在なのは大きい。

わたしの自炊には「強くてニューゲーム」な部分がある。最初から装備は最強だ。
そもそも、この家のキッチンは広い。充分な作業スペースがあり、ガスコンロは三口だし、電子レンジもオーブンもあるし、ひととおりの調理器具も調味料もある。
なぜなら、ここは実家だからだ。
もとは一緒に暮らしていた母が、病で急逝して三年が経つ。母はキッチンにこだわりがあり、バランスの良い献立や旬の食材にも神経を使っていた。私の友人にも料理が得意と認識されていた。
料理が好きだったというより、完璧な親であろうとしていたのだと思う。人生のすべてに、そういう傾向があった。父親がわたしが生まれた直後に死んだので、そうなったのだと思う。
とにかく、家では完璧なご飯が出てくるから、手際が悪く知識も少ないわたしは料理をしようと思わなかった。
しかし、もう母はいない。
母が死んだあと、会社から帰って、ひとりで料理をして、ひとりで食べるのが、ずっと苦しくて嫌だった。
それでも母の死後、たまには料理をしていた。わたしが食べ物に関してよく言う「本物」という概念がある。「本物の角煮」「本物のポテトサラダ」「本物の豚汁」……これは、コンビニ等で入手できるが、味と刺激が濃くて冷凍の風味がするものではない料理を指している。
そうした「本物」を食べるためには作るのが手っ取り早いので、数時間かけて角煮を煮込んだりはしていた。技術がいらず手早くなくても出来る料理は、苦ではない。
味にはうるさいというか敏感なほうだと思う。なにしろ、完璧なご飯を食べていたので。
ミネストローネを作った翌日は、いま食べたい!と思った料理を作ろうと、ときどき買ってしまう料理本の中から、長谷川あかり『フライパンひとつで作るゆるごちそう 煮込み・蒸し・スープ』(幻冬舎)を取り出す。一年ほど前に買ったこの本のレシピは、たまにごちそうが作りたいが料理スキルが低い人間にも優しい。
今回は『パセリミートボールのクリーム煮』を作ることに決める。しかし、パセリを買ったことがない。こんな風に束で売っているんだ……と初めて知った。鶏ももひき肉と混ぜるために、パセリ五本分の葉を延々と刻む。仕事から帰った後に早々できることではないな、とは思う。できあがったクリーム煮は食べ応えがあり、スープの残りとも調和していた。

翌朝、なぜか六時前に起きてしまう。こんな時間から活動する気にならないなと思いつつ、ミネストローネのときに大量に買ったたまねぎの存在について考えて、いちど作ったことがある、「あめ色たまねぎのとろとろスープ」を作ることにする。有賀薫『スープ・レッスン』(プレジデント社)に掲載されているレシピで、コンソメを使わず食材の味を活かしていることが特徴。前回、二〇分以上たまねぎを炒め続け、暇人のためのスープだな、と思ったのでちょうどいい。また泣きながらたまねぎを刻み、延々と炒め続ける。
毎日ひとりで家にいて、インターネットだけを観ていて、ほぼ何もしていないと、頭の中が些末な情報でごちゃごちゃに渋滞する。絶対にSNSを観ないという点で、料理ほどデジタル・デトックスに向いている活動はないかもしれない。

昼にはトマトホール缶の残りで、ベーコンとたまねぎを使ってパスタソースを作る。パスタをよく食べるのだけれど、市販のパスタソースだと物足りなさが残る、と思っていた。自宅でソースを作ったのは初めてで、これがシンプルなのにめちゃくちゃ美味しい。
パスタソースって自分で作れるんだ、という、ものすごく基本的な気づき。
クリーム煮のときの生クリームが残っている。カルボナーラが大好きなのだけど、作れるんだ、という喜びに至る。さっそく翌日に製造し、それもめちゃくちゃ美味しい。
これなら、都内でランチをしていたときに好きだったパスタも再現できるのでは?と思い始める。特に執着があったのが、海老とズッキーニを使ったレモンのパスタ。それらの食材を扱ったことがなく、家では無理だから……と言いながらカフェでリピートしていた。
ネットで検索してみたけれど、そのもの、というレシピは出てこない。もうカンで試そう、つまりオリーブオイルですべてを炒めればなんとかなる様子、と結論。実際、なんとかなり、美味しいレモンパスタを食べることに成功する。

ズッキーニの残りの扱いについては、大抵の野菜が美味しくなるピクルスを作ることに。そのためにパプリカも買ってきていた。
ピクルスは、よしながふみ『きのう何食べた?』(講談社)の6巻に出てくるレシピ。母はこのマンガのレシピを何種類も試していて、夏のピクルスはリピート率が非常に高かった。彩りがよく栄養もあり、さっぱりしていて食べやすい。わたしもよしなが作品のファンなのだが、『きのう何食べた?』をもう五冊ほど読めていない。読もうとすると、作って貰った数々の料理を思い出して泣いてしまうので。
徐々に理解が深まってきたのだけれど、いつでも料理ができるのなら、食材の余りを新たなものと組み合わせていくことは容易であり、作るほどに必要なアイテム(調味料など)が揃っていくので効率も上がる。賞味期限があるので、今これを使わないといけない、という限定条件が設定され、メニューを決定するとき漠然としなくなる。
たぶん、世界中の何億人ものひとが知っていることなのだけど……実感は大切。
この自炊には今のところ「コスパ」の概念は一切導入していない。料理って楽しい、と感じることを第一にしていて、節約は次のステージ。
しかし、働いていると食材の余りはすぐ駄目になり、スーパーに寄る気力は無く、賞味期限は切れる。無職ってやっぱりある面では、最良で完璧かもしれない。働きたくないな。ただ、美味しいものを食べてこんな風に過ごしたいだけなのに、それがどうして難しいのだろう。
とりあえず、海老の残りで今夜なにを作るかを考えます。