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「全人類でよくないか」と思った理由。ペルソナという仮説

    ビジネスの世界には、人を理解するために“架空の人物をつくる”という風習がある。

    その人には名前があり、年齢があり、生活がある。

    ただし、実在はしていない。

    その話を聞いたとき、なんだか不気味だなと思った。

    第一章|世界を理解するための圧縮

    世界は、あまりにも複雑で、面倒くさい。
    だから私たちは「ラベル」を貼る。

    五大シャトーの格付けワイン、調剤薬局の棚、整然と並ぶECサイトの商品カテゴリ。

    ラベルがあるだけで、人は中身を一つひとつ確かめなくて済む。

    成分表を読み込まなくても、試飲をしなくても、「だいたいこういうものだろう」と判断できる。

    つまりラベルとは、世界を扱いやすくするための「圧縮」だ。

    情報を削り、判断を速くするための道具である。

    悪い仕組みではない。むしろこれがなければ、日常は選択の連続になり、私たちはあっという間にパンクしてしまうだろう。

    最近どこでも目にするようになった4文字のラベルがある。

    「MBTI」だ。

    「あの人、典型的なINFPっぽいよね」
    「私はESTJだから効率重視なんです」

    たった4文字で、人間の複雑さを一瞬で処理できるこの画期的なラベルは、本来は自己理解の軽いフレームだった。

    しかし、いつの間にか他者理解のショートカットとしても使われ始めている。

    この構造は、ワインの選び方とよく似ている。

    ワインのラベルには、前面と裏面がある。

    前面には、ボルドーだとか五大シャトーだとか、格付けや名前が大きく書かれている。
    それを見た瞬間、人は中身を知らないまま「良さそう」「高そう」と判断する。

    一方で裏面には、ぶどうの品種、産地、度数、輸入元といった細かい情報が並ぶ。
    前面より、ずっと具体的な内容だ。

    だから私たちは、「裏ラベルまで読めば分かる」と思ってしまう。

    でも、そのワインの味だけは、ラベルを見ただけでは最後まで分からない。

    人もきっと同じなのだ。

    第二章|ペルソナという「裏ラベル」

    ビジネスの世界では、この「裏ラベル」を作る作業に名前がついている。

    ペルソナ設計だ。

    かつて美容ライターとして働いていた頃、耳にタコができるほど言われた。

    「ターゲットを絞れ」
    「ペルソナの解像度を上げろ」

    ペルソナとは、年齢や職業、家族構成、趣味、生活リズム、価値観といった情報を一人の人物へ集約し、「この人に届くように」と考えるための設計図だ。

    このペルソナ設計を使い、ゼロから商品を作る人もいれば、私のように、その商品をどう伝えるかを考える人もいる。

    一人の人へ向けて設計すること自体は、合理的だと思う。

    誰にでも全部届けようとすると、何も届かなくなる。

    だから最初に“焦点”を決めるのは、仕事として正しい。

    けれど、その「正しさ」が通用しない壁にぶつかったことがある。

    新しい化粧品のPR記事を書いていたときのことだ。

    提案されたペルソナは、「都市部から少し離れた場所に住み、都会への憧れを少しだけ残した、アッパーミドル層の専業主婦」。

    この人物像をもとに、季節ごとの訴求を組み立てる。

    春は紫外線対策。
    夏はテカリ防止。
    秋はダメージケア。
    冬は保湿強化。

    書いているうちに、手が止まった。

    本当に主婦だからそうなるんだろうか。

    人間として生きている以上、季節が変われば誰でも肌は揺らぐし、乾燥もする。それは「主婦だから」「会社員だから」という属性の話ではなく、ただの身体の仕組みだ。

    紫外線は全人類に平等に降り注いでいるというのに。それでも私たちは、「主婦向け」という引き出しを作りたがる。

    「この主婦」に向けての記事は書ける。
    でも書けば書くほど、その人物は少しずつ“設定”に寄っていく。

    気づけば、ペルソナの中にいた「主婦」は、説明のための輪郭だけになっていた。

    そのとき、ふと思った。
    私はどこかで、勘違いしていたのかもしれない。

    ペルソナって、そんなに細かく作る意味があるんだろうか。

    どう考えても、全人類でよくないか。


    社会人二年目の春、私は本気でそう思っていた。

    第三章|「箱」の中身は空っぽだった

    ここで、実務でペルソナがうまく機能せず、空回りした話を供養させてほしい。

    当時はその理由が分からなかった。でも今振り返ると、私は二種類の「箱」をせっせと作っていたのだ。

    ⸝

    失敗①大きな箱(主婦というラベル)

    かつて、とあるオーガニックコスメの販促を任された時のこと。私は「主婦」というラベルだけで世界を丸め込んだ。

    ターゲットは「30代・主婦」。

    会議では「主婦なら家事で手が荒れるから、ハンドクリームを売ろう」と決まった。誰も異論はなかった。その場では、あまりにも自然な話に聞こえたからだ。

    でも今ならわかる。その前提自体が、すでに大きく間違っていた。

    主婦だからといって、全員が激しい水仕事をするわけではない。食洗機を使う人もいれば、そもそも肌が強くて荒れない人だっている。

    手が荒れるかどうかは「主婦か否か」という属性ではなく、ただの個人の体質や生活環境の話だ。

    それなのに私たちは、「主婦だから手が荒れる」という安易な因果関係を疑いもしなかった。

    結果は、当然のように想定と違った。

    実際に買ってくれたのは、深夜まで働く手が荒れた男性だった。

    「仕事でボロボロの指先に、これだけは塗ってから寝る」

    そんな声が届いた。

    会議で想定していた「主婦」という人物像は、箱の中にはほとんどいなかった。

    ラベルは方向を決めるには便利だ。でも、人が動く「切実な理由」までは説明してくれない。

    失敗② 小さな箱(完璧なペルソナ)

    大きな箱がダメなら、もっと細かく解像度を上げよう。そう思って、完璧なペルソナを作った。

    「32歳、独身、都内在住、ヨガが趣味。オリーブオイルは朝のサラダに回しかけ、そのボトルをSNSに載せるような女性」。

    美容ライターとして、「何が憧れを誘うか」を徹底的に設計した。会議室では「これなら刺さる」と称賛され、誰も疑わないまま企画は通った。

    でも、リリース後の数字は驚くほど静かだった。

    企画書の中ではあれほど生きていたはずの彼女は、現実のどこにも現れなかった。

    今になって思う。あれは「刺さるはずだ」という期待を、会議室の中で共有していただけだったのかもしれない。

    いわば、現実の人間ではなく、“納得のために作られた人物”だった。

    彼女だって、仕事で理不尽に怒られた夜は、ヨガなど忘れて深夜のコンビニで揚げ物を買って帰るかもしれない。丁寧な暮らしなんてどうでもよくなるときが、確かにある。

    その「揺れ」がどこにも入っていなかった。

    気づけば、リアルだったのは会議室の設定だけで、そこに人間はいなかった。

    ⸝

    大きすぎる箱も、小さすぎる箱も、同じように人間を取りこぼしていた。

    私たちは、誰かに届けるためにペルソナを作っていたつもりだった。

    でも本当は、「誰が買うかなんて分からない」という仕事の怖さから逃げるために、安心できる箱を作っていただけなのかもしれない。

    「この設定なら、こう動くはずだ」

    そう決めてしまえば、現実に裏切られることはない“気がする”からだ。

    私たちはその箱に向かって、懸命にマーケティングをしていた。

    そこには、誰もいなかったのに。

    第四章|人は属性ではなく、状態で動く

    人を年齢や職業だけでは、うまく説明できない。そう思っているのに、その先の言葉が見つからない。

    そんな頃、昔の出来事を思い出した。

    人生で二回だけ。
    しかも別々の人から、まったく同じことを言われた。

    「卓球、上手そうだよね」

    卓球は、体育の授業で少しやったくらいだ。もちろん部活にも入っていない。

    それなのに私は、その言葉が妙にうれしかった。

    「私、卓球うまいのかもしれない…!」

    気づけばネットでラケットを探していた。
    もちろん買っていない。

    数日後には、その熱もきれいになくなっていた。

    今思えば、おかしな話だ。
    卓球ができるようになったわけではない。もちろん、プロフィールが書き換わったわけでもない。

    それでも、その数分間だけは、昨日までの私とは少し違う人間になっていた。

    そのとき、ずっと抱えていた違和感が、ようやく分かり始めた。

    人は、属性ではなく、その時々の「状態」で動いているのかもしれない。

    たとえば、自社の商品が“そのまんまワイルドチキン”だったとする。
    袋を開ければ、そのまま食べられるスモークチキンだ。

    マーケティングの定石では、「忙しい会社員」や「健康志向の人」といったペルソナを先に考える。

    でも、本当にそうだろうか。

    普段はきちんと自炊する丁寧な暮らしの人でも、死ぬほど疲れて、何もかも投げ出したい夜はある。

    そんなときに“そのまんまワイルドチキン”を買うことがある。

    私もこの前、健康診断で肝臓の数値がよくないと言われた帰り道、SNSで「りんご酢で数値が下がった」という投稿を見て、気づけばそのまま買いに走っていた。

    前日まで、りんご酢なんて気にもしていなかったはずなのに。

    同じ人なのに、選ぶものが変わる。
    それは、プロフィールが書き換わったからではない。

    その日の気分、体調、直面した出来事、あるいは誰かの何気ない一言。

    その瞬間の「状態」が、昨日までの自分とは違う選択をさせているのだ。

    私はようやく、問いを言い換えられるようになった。

    「誰が買うか」ではない。

    今、その商品に手を伸ばしている人は、どんな状態なんだろう。

    社会人二年目から抱えていた違和感の正体は、たぶんここにあった。

    第五章|ペルソナは完成品ではなく、仮説

    美容ライターとして仕事をしていた頃も、企画書より、お客様の一言のほうが教えてくれることは多かった。

    「今日は、自分へのご褒美に」
    「なんとなく、目に入ったから」
    「もう、疲れて何も考えたくなかったから」

    そこには、教科書には載らない、人間らしい答えばかりがあった。

    私たちは、つい何かを定義したくなる。
    名前をつけ、属性を与え、ラベルを貼ることで、わかったような気になりたい。

    でも本当は、「わからない」という状態こそが、一番の発見の入口なのかもしれない。

    だから私は、ペルソナを「完成品」にしたいとは思わない。

    ペルソナは、現実を見にいくための「仮説」にすぎない。

    完成した図面通りに人が動くことを期待するのではなく、目の前の人が、図面からどれだけはみ出しているかを探す。

    思っていた人が買ったのか。
    思ってもいなかった人が買ったのか。
    なぜ、その人は選んだのか。
    なぜ、買わなかったのか。

    そのズレこそが、私たちを現実の人間へと連れて行ってくれる。

    「今日は疲れていたから」
    そんな言葉を聞くたびに、最初に立てたペルソナという地図は少しずつ書き換えられていく。

    そうして何度も書き換えながら、それでも「次はどんな理由で、この人は動くんだろう」と考え続ける。

    その繰り返しのほうが、ずっと人間らしくて、面白い気がする。

    完璧なペルソナよりも、何度も書き直したメモ書きだらけの地図のほうが、本物の人間に近づいているはずだから。

    第六章|ラベルは入口だ。人間はその先にいる。

    社会人二年目の私は、「全人類でよくないか」と自分に問いかけた。

    今なら、こう答える。

    全人類では広すぎる。一人では狭すぎる。
    そして、「状態」で区切っても、まだ余白がある。

    私たちはいつだって、世界を早く処理するためにラベルを貼ってしまう。

    「あの人はINFPだから」「この商品は主婦向けだから」と、たった数文字の記号や属性で、人間の複雑さを分かった気になってしまうのだ。

    それはまるで、ワインの前面に貼られた「五大シャトー」のラベルだけを見て、その味のすべてを知ったと錯覚するようなものかもしれない。あるいは、裏面の細かいスペックを読み込んで、完璧なペルソナを描けたと思い込むようなものだ。

    でも、現実の人間はそのどちらの箱にも収まらない。

    ヨガが趣味の女性がコンビニの揚げ物を欲する夜もあれば、マーケティングの視界の外で、夜勤明けの男性がオーガニックコスメを手に取る瞬間もある。

    4文字のMBTIや、用意された属性の引き出しからは、そんな人間の愛おしい矛盾や切実な理由は、どうしてもこぼれ落ちてしまうのだ。

    だからこそ、私たちはラベルではない、その先にいる人に向き合う。

    前面のラベルでアタリをつけ、裏面の情報で仮説を立てたら、最後は実際にその「味」を確かめにいくしかない。

    完璧な答えを求めず、何度裏切られても、また次の仮説を立てる。

    その繰り返しのなかで、現実は少しずつ見えてくる。

    私たちは、誰かの選択の理由に耳を澄ませ、その奥にある「揺らぎ」を拾い続けていくしかないのだ。

    ⸝

    なお、このnoteだけは例外にしたい。
    ペルソナは、全人類。
    趣味だからね。

     
     
    *このアカウントは「生活という名のコント」に出演することになった全人類、および私を全力で応援しています。 ▼英語のエッセイはコチラ https://medium.com/@a_drop_an

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