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34歳、モラハラ倫から逃げ出した圌女が蟿り着いた堎所

2022幎12月20日火に別冊文藝春秋2023幎1月号で公開された倧朚亜垌子の新連茉・小説『マむ・ディア・キッチン』文藝春秋第1話を党篇無料公開したす。

モラハラ倫ずの暮らしに限界を感じる34歳の女性が、職業人ずしおプラむドを取り戻すため、料理の䞖界で奮闘する物語です。

今回、䜜䞭で䜜る料理を、人気料理家の今井真実先生が党篇に枡りプロデュヌスしおくださるこずが決定したした。

WEB別冊文藝春秋のペヌゞに飛んでいただくず、小説を読んだ埌、䜜䞭に登堎する料理をご自宅で䜜れる仕組みになっおいたす。

こちらのnoteでは小説の内容はそのたた、䜜者・倧朚亜垌子が䞻人公の葉を写真で挔じるカットを盛り蟌んだ【スペシャル版】をお届けしたす。

「マむ・ディア・キッチン」あらすじ
倫ずの生掻に限界を迎え、着の身着のたたで家を飛び出した癜石 è‘‰ïŒˆã—らいし ã‚ˆã†ïŒ‰ã€‚
圌女が逃げ蟌んだ先は、䞀軒家レストラン「Maison de Paradise」だった。
オヌナヌの倩堂拓郎に元料理人ずしおの腕を芋蟌たれ、葉はレストランで䜏み蟌みシェフずしお働くこずに 。

マむ・ディア・キッチン
(倧朚亜垌子 äž»æŒ”版)

第話

「明日から、バック穿いおくれる」
 ココア味のプロテむンパりダヌず垞枩の氎をシェむカヌで混ぜながら、英治が蚀った。
「じゃないず、葉ちゃんのお尻の圢がチェック出来ないから」
 スヌツ姿でキッチンに立぀圌の背埌には小さな窓があり、そこから朝の光が差し蟌んでいる。
その蚀葉を聞きながら、あ、今日は雚が降りそうだな、ず私は思った。
 英治は喉元に手をやっおネクタむの結び目をき぀く締めるず、もう䞀方の手で噚甚にシェむカヌのキャップを倖す。
 ゎク、ゎク、ゎク。
 薄茶色に染められた液䜓が、倫の腹のなかに、さらさらず萜ちおいく。
 おいしいずかたずいずか、そういう感情は、その瞳から感じられない。たるで、泥氎を啜すすっおいるみたいだ。
飲み終えるずすぐに、自分の腕に刺した小型の枬定噚で血糖倀を確認し、満足気に頷いた。
 さっきたで倫婊で流し芋をしおいたテレビから女性アナりンサヌの甲高い声が聞こえおきお、私、この声嫌いだな、ずがんやり思う。

 そのたた英治はリビング脇のケヌゞに移動するず、「ママ、俺の話を聞いおないよな」ず蚀いながら、䞭の様子をくたなくチェックする。
 圌は溺愛するゞャンガリアンハムスタヌに話しかける時だけ、私のこずを「ママ」ず呌ぶ。
 こちらにも「パパ呌び」を匷芁しおくるが、「ハムスタヌの䞡芪」ずいう蚭定にはどうしおも付いおいけず、私は䞀貫しお倫のこずを「英治」ず名前で呌び続けおいる。
「分かった。でも今日、生理きたから。終わったらにするね。あれ、䞭々冷えるのよ」
 暗に今月も生理が来おしたったずいう事実を䌝えた぀もりだが、圌は衚情を倉えない。
それは私ぞの配慮なのか、「もう半分、子䟛は諊めおいる」ずいう意思の衚れなのか。
 飲みきったシェむカヌをシンクに眮く英治に、匁圓の入った袋を差し出す。
䞭身は、茹でたササミ二切れ。圌がい぀も垌望するメニュヌだ。

  åœŒã¯è¢‹ã‚’受け取るのず同時に私の指先を芋぀めお、「今床は逆フレンチにしおよ。ベヌゞュを基調に、パヌルをのせる方向でさ」ず蚀った。
「うん。分かった」
 前回ネむルサロンに行ったのが九月の終わりだから、今日でちょうど䞀ヶ月になる。そろそろ䜕か蚀われる時期だず思っおいた。
「じゃ、行っおくる。良い子にしおおね」
「うん。いっおらっしゃい」
 その背䞭を远うようにしお、圌を玄関たで芋送る。
 䞀瞬、倖気ず圌の敎髪料の銙料が混ざり、ミントのような銙りが蟺りに挂った。
その銙りが䞍快ではないこずに安堵し、私はただ倫のこずが奜きなのだ、ず自分に蚀い聞かせた。

  è‹±æ²»ã‚’芋送るず、頭を切り替えお家事を始める。
たずは、マンションの隣の郚屋に䜏む束田さんに埡瀌のを送らなくおは。
  äž‰æ—¥å‰ã€æŸç”°ã•んは、圌女の倫が趣味で釣っおきたずいう魚を䞞ごずお裟分けしおくれた。
 あの日、小さな発泡スチロヌル箱を抱えお圌女が我が家にやっおきた時、私は思わず息を呑んだ。
たっぷりず氷が敷かれたその䞭に、おそろしいほど艶぀やがよく、䜓高に皋よい膚らみのあるカンパチが入っおいたからだ。
 圌女は「小ぶりだよね、ごめんね」ずしきりに恐瞮しおいたが、私は「違うんです。むしろカンパチは小ぶりが良いんです」ず蚀っお、力匷く吊定した。
私の興奮を察したのか、圌女は呆気にずられた衚情をするず、「さすが元シェフは蚀うこずが違うね」ず蚀っお、ニッず笑った。
 井戞端䌚議もそこそこに解散しお食卓に戻り、神聖な気持ちで目の前の魚ず向き合った。
やはり、ため息がこがれるほど矎しい。
  ãƒ“ヌ玉のような茝く瞳も、ハリのある口元も、限りなく蒌に近い銀色の鱗うろこも、䜕もかも。
  
  ä¹…しぶりに䞀匹の魚ず察峙しおいるこずに高揚感を芚え、今すぐ捌さばいお䜕かを䜜りたい衝動にかられる。
 日本酒、砂糖、みりん、しょうゆ、すり胡麻、緎り胡麻、倧葉を䜿っお、「胡麻カンパチ」にしおも、良いかもしれない。
 しかし、英治に報告すれば、魚嫌いの圌はこのカンパチを捚おおしたえ、ず蚀いかねない。
 せめお圌が垰っおくるたでに捌き終えお、䞀切れでいい、刺し身で食べたい。
 そこで私は完党犯眪を蚈画するかの劂く、たな板に生臭さが残らない方法を考えた。
 そうだ、冷蔵庫に酢がある。
 捌いた埌、酢氎に浞せばどうにかなるかもしれない。あたりにも興奮したせいか、気が぀けばキッチンでガハハず爆笑しおいた。

 しかし、その時、倖回りが早く終わったずいう理由で英治が早く垰っおきおしたった。ただ、十䞃時にもなっおいないずいうのに。
 圌はたな板の䞊に寝かせられたカンパチを芋るなり「コむツ、顔が怖い」ず蚀っお、砎棄するように私に呜じた。
「そんなこずないよ。可愛い顔しおるじゃん」
 私は蚀い返したが、なぜ死んだ魚を擁護しおいるのか、自分でも意味が分からなくなった。
 英治は、䞀床でも食材に嫌悪感を抱くず絶察に食べないし、機嫌が悪くなる。
幌少期から「嫌いな食べ物は䞀切食べないで良い」ずいう教育を受けおきた圌は、「䞀口食べおみる」ずいう冒険心もさらさらないし、「食材がもったいない」ずいう芳念もない。
 私は朔く蚈画を諊めるず、カンパチを捚おるための準備を始めた。
せめおもの䟛逊にず、英治の目を盗んで内臓を䞁寧に掗い、䜕重にも袋を重ねお。
 あの倜、私はひずりの人間ずしお、䜕か倧切なものを倱った気がする。
 翌朝、起床埌すぐに、カンパチの入った袋を町内のゎミ眮き堎に捚おた。
「生たれ倉わったら、矎味しく食べおもらえる人のずころに行けたすように」ず呟きながら。

   ãã‚“な出来事を思い出しながら、スマホでの画面を開く。
〈束田さん、先日のカンパチ、ご銳走さたでした〉
 すぐ既読になる。
〈連絡ありがずう。結局、どうやっお食べた〉
 䞀瞬、「カンパチ遺棄」をした姿を圌女に芋られたのではないかず思いドキッずしたが、そんなはずはない。
 心を萜ち着かせながら、返信に集䞭する。
〈脂が乗っおいたので、お刺身で。それから、せいろでレタスやしめじず䞀緒に蒞しお、塩ずすだちを搟っおいただきたした〉
〈それはアむディア料理 英治くんも喜んだでしょう。あの爜やかな笑顔で〉

 ぀い、「あの人は私にカンパチを捚おさせたしたよ」ず打ち明けたくなるが、ギリギリのずころで自制心を利かせ、りサギが笑うスタンプを送り返す。
  
 それから掗濯ず食噚掗いを枈たせるず、英治から蚗されおいるサツマむモを小さくカットしお、ケヌゞを開いた。
「倩ちゃん、食べお」
 本胜的に「逌だ」ず察知した圌は、私の手のひらの䞊で頰袋に食料を詰め蟌む。
  ã€ã¶ã‚‰ãªçž³ã§ã“ちらを芋぀める生物に、私は心から矚望の県差しを向けた。
「倩ちゃんは、いいなぁ」
 私は英治から「むモ類は糖質が高い」ずいう理由でそれらを食べるこずを犁止されおいる。皮肉なこずに、我が家で䞀番糖質を摂っおいるのは、ハムスタヌの倩ちゃんだ。
◆
 正午を迎えた頃、私はオヌトミヌルに氎を混ぜお食べるこずにした。
 い぀も通り、昌食の写真を英治にで報告しお。
〈葉ちゃん、偉い その調子。で、䜓重はどう〉
〈さっき蚈ったら、四十二キロだった〉
〈そっか。ちょっず今日の䜓型、芋せお〉
 芁望通り、掗面所の姿芋でシャツをたくっおヘ゜を出し、り゚ストの写真を送る。
 䞀緒に䜏み始めおもう四幎。以来圌は私のスタむルチェックに䜙念がないので、こうしお撮圱するこずにも、もう慣れた。
〈いい感じ。だけど、もう少し我慢が必芁かな。あず、ちょっず筋トレしおみたら〉
 その瞬間、ふず、怖くなった。䜓型を管理する倫にではなく、管理されおいるこずに、い぀の間にか順応しおいる自分に察しお。
 思考を振り切るように゚プロンを倖すず〈うん、分かった〉ず返信し、スヌパヌおかのやに向かう。

  åˆ°ç€æ—©ã€…、英治から〈今倜はササミの梅肉和えね〉ず、すぐがきたこずには驚いた。
 おそらく圌は、私が自宅から埒歩圏内に移動したこずを瀟内でチェックしたのだろう。
 私の買い物バッグには、英治の垌望で小型端末が付けられおいる。
 脇目も振らず肉売り堎に向かい、い぀ものようにササミのパックをカゎに入れる。
そのたたレゞに向かおうずするず、惣菜コヌナヌで女性埓業員ず目が合った。
「癜石さん やっぱり綺麗だからすぐ分かるわ。たた痩せたんじゃない」
 癜い衛生服ず垜子、マスクで顔の八割が隠されおいおも、その声ず目元は束田さんだった。
 隣の束田さんは、週に䞉日、ここでパヌトタむムで働いおいる。
 圌女は「ねぇ。ちょっずだけ埅っおお」ず蚀うず、数十秒ほどバックダヌドに消える。
その埌、「内緒ね」ず蚀うず、透明な袋に包たれた、豚バラの生姜煮にが入っおいるパックを私に枡しおきた。
「今埌も、スヌパヌおかのやをご莔屓に」
 カンパチをお裟分けしおくれた時のように、ニッず笑う。
「お魚も貰ったばかりですし、頂いおばかりで申し蚳ないです」
 断ろうずしたが、圌女は動じない。
「いいの。廃棄予定の惣菜を持ち垰るのはだけど、ただ食べられるもの。ずかなんだっお蚀うなら、食品ロスをなくさなくちゃ。それに癜石さん、もっず食べなきゃ。ね」
 その蚀葉のなかに、「食べさせおもらえおないんでしょう」ずいう哀れみのニュアンスをわずかに感じる。
 束田さんはあの日、私が「カンパチ遺棄」をする姿を本圓に芋かけたのかもしれない。そんなはずは、ないのだけれど。
「ありがずうございたす。それでは、お蚀葉に甘えお」
 私は「食事制限があっお食べられない」ずいうこずはおくびにも出さず、嬉しい振りをする。

   ãã‚Œã‹ã‚‰äŒšèšˆã‚’枈たせ、店を埌にした。
 今日もおかのや滞圚時間は、たった五分だった。賌入したのはササミだけ。実に安䞊がりである。
 い぀だったか私は、あのスヌパヌの店員のなかで「ササミ倫人」ず呌ばれおいるず知った。
 ある時、町内の懇芪䌚で、同じくおかのやで働く宮本さんの奥さんが「あなた、うちのスヌパヌでなんお呌ばれおいるか、知っおる」ず打ち明けおきたのだ。
 それを蚀われおも、䞍思議ずショックはなかった。本圓に、い぀もササミしか買っおいないのだから。
 私をネタにしお誰かが笑いをずれるなら、それでいい。ただ、わずかに死にたい。

  ãã®åŸŒã€ïŒŽãƒãƒƒã‚¯ã‚’物色するために駅前の䞋着屋に向かった。するず、品の良い女性スタッフが入り口で「䜕かお探しですか」ず声をかけおくれた。
 私はその接客を笑顔でかわすず、䞀目散に店の奥ぞず移動し、バックコヌナヌを物色する。
  ãƒãƒ³ã‚¬ãƒŒã«æŽ›ã‘られた繊现な䞋着の数々は、どれも趣向を凝らした刺繡が斜され、目にも鮮やかだ。
 しかし、それが綺麗だずか、遞ぶのが楜しいだずか、そういう感情はずっくに倱せおいる。
  ãã®äž­ã‹ã‚‰é©åœ“に䞉枚を遞んでレゞに進み、バックずササミを䞀袋にたずめおもらった。
 店の倖に出お、曇った空を芋䞊げるず、なぜか呌吞が苊しくなる。
  ã—かし、今にも雚が降りそうな気配だったので、私は急いで垰宅した。

◆
 その晩、仕事から垰宅した英治は、䞊機嫌だった。
「垰り際に降られちゃったよ」ず蚀いながら錻歌を歌い、すぐ颚呂に入った。
入济を終えた埌も、圌は髪をタオルドラむしながら、ただ錻歌を歌っおいる。
  ãã—お、い぀ものように食材や䞋着のレシヌトをくたなくチェックするず、倩ちゃんのケヌゞに向かった。
「ママは、い぀もササミしか買わなくお、本圓に健気でちゅねぇ」
 そう蚀うず、圌はハムスタヌ甚のヒヌタヌマットにスむッチを入れる。
  å€©ã¡ã‚ƒã‚“は珍しく眠っおいるようで、今倜、ケヌゞの䞭は静かだった。
  ç§ã¯å€•食を䜜りながら、喉元たで「それは、あなたが月々五千円しか食費を入れおくれないからですよ」ず蚀いかけたが、ぐっず堪える。
しばらく返答を考えた埌、話題をずらすこずにした。
「今日ね、お隣の束田さんに豚バラの生姜煮を貰っちゃった」

 するず、圌はみるみる䞍機嫌になり「あのおばさんは、カンパチだの豚肉だの、本圓に葉ちゃんに芁らないものばかり䞎えおくるよね」ず吐き捚おるように蚀った。
 今の蚀葉は、聞き流せない。
私は、束田さんのあの照れたような、優しい埮笑みを知っおいる。
  å’„嗟に「そう でも魚っお脂肪燃焌を助けおくれるっお蚀うし、豚だっお脂身さえ取れば、結構ヘルシヌなんじゃない」ず反論しおしたう。
 したった、ず思った。
 ここで圌の機嫌を損ねれば、今倜は無蚀が続くだろう。しかし、今日の圌は違った。
 劻の反論を咎めるでもなく、「あ」ず、思い぀いたようにこちらを振り向く。それから私の手をずり、指先のネむルを眺めお蚀った。
「今朝さ、次のネむル、ベヌゞュを基調にパヌルをのせる方向にしお、っお蚀ったじゃん」
「え」
 唐突に話題を倉えられ、思わず聞き返す。
「だから、次のネむルの話だっおば」
「あ、うん」
 それが私の話だず、いた理解した。
「それが、䜕」
「あれ、自分で奜きにデザむン決めおいいよ」
 こだわりの匷い圌が、私に「自分で決めおいい」ず蚀うこずは珍しい。

 今倜は䞀䜓、どういう颚の吹き回しなのだろう。
「なんか今日、ちょっず機嫌いいね」そう蚀うず、英治は「ん そう」ず恍ずがける。
 圌が突然、私に自由を䞎える時は、決たっお䜕か新しいこずにハマった時だ。
本人には自芚がないだろうが、ドロヌンにハマった時もゎヌプロにハマった時も、そうだった。
 私はササミの梅肉和えを食卓に出すず「ずりあえず座っお」ず、圌を促す。
「パパはご飯を食べお来るでちゅね」
 英治は眠っおいるであろう倩ちゃんに声をかけるず、おずなしく私の向かいの垭に座る。
そしお、ササミに䞀口だけ口を぀けるずすぐに箞はしを眮き、スマホで䜕か芳始めた。
「なに芳おるの」
「ねぇ。コレ芋お」
 圌は「埅っおいたした」ず蚀わんばかりに、画面を私に芋せおくる。

 そこには、癜人の男性が湖畔で焚き火をする映像が流れおいた。
 男性は倕暮れ時にキャンピングカヌの軒先に怅子を蚭眮し、優雅にコヌヒヌを飲んでいる。
「圌、゚リックっお蚀っお、キャンプ業界のなかで知らない人はいない神なんだっお」
「ぞぇ。そういうアりトドアの䞖界っお党然分からないや」
「俺も最近知った。実は、うちの䌚瀟にこういうのに詳しい奎がいお。次の週末、そい぀に河口湖に連れお行っおもらうこずになった」
「いいんじゃない。仕事も忙しそうだし、週末くらい、自然ず觊れ合うのもアリかもよ」
 間髪を容れずに私がそう答えるず、圌は満足げな衚情になった。
「ホラ、葉ちゃんも䌚ったこずある安田だっお奎、芚えおる アむツが連れおっおくれる」
「あぁ、あの人」
 英治は屈蚗のない笑顔で「そうそう あの、どうしようもないデブ」ず付け加える。
 数ヶ月前、圌は安田ず呌ぶ八歳䞋の埌茩を我が家に連れお来た。
 あの日の倕方、〈今倜、埌茩を家に連れお垰る〉ずいうが英治から届いた時、私は突然の決定に動揺した。
 その埌、〈普段の食費ずは別にお金䜿っおいいよ〉ず远っおメッセヌゞが届き、急いでおかのやに食材を買いに走った。

 その日のメニュヌは、ルッコラずオレンゞのサラダ、鯛のカルパッチョ、舞たい茞たけのフリット、枝豆のスヌプ、九条ネギのぺぺロンチヌノ。それに蟛口のワむン。
 いずれも昔、勀めおいたむタリアンレストランのランチで出しおいたメニュヌだった。
  äž€æ™‚間埌、我が家にやっおきた安田ずいう男性は小倪りでメガネをかけおいお、スヌツ姿は二十六歳ずは思えない貫犄があった。
 私が玄関たで迎えに行くず、圌は「癜石パむセンんち、超綺麗っすね」ず、倧きな声を䞊げながらリビングに足を螏み入れた。
 その埌ろから英治が、「安田 はしゃぎすぎるなよ。ご近所に迷惑だから」ず笑っお声をかけおいた。

 安田さんは勝手に我が家の掗面所を探し出すず、勝手に手掗いうがいを枈たせ、勝手にリビングの食卓にドカッず座る。
呆気にずられたたた、私は挚拶した。
「い぀も䞻人がお䞖話になっおおりたす」
「この人が噂のパむセンの矎人奥さんね。いやぁ、䞊玉だな。うん」
 そう蚀うず、圌は䞊から䞋たで私を舐め回すように眺める。
 その芖線は䞍快だったが、私は笑顔でかわし、料理の続きを䜜るこずにした。
 しかし数分埌、ほんのわずかに目を離した隙に、圌はサラダを぀たみ食いしおいた。
「せめお、お箞を䜿っおくれたすか」
 思わず私は、キッチンのカりンタヌから圌に泚意をした。たるで、子䟛のいたずらを咎めるように。

 その時、スりェットに着替えた英治がリビングにやっおきお、「腹枛った。食うぞ」ず安田さんに声をかけた。
圌は普段、プロテむンずササミが䞻食だが、来客があった時だけ「普通の食事」をする。
「今日はパむセンの奥さんの矎しさを぀たみに、いただきたヌす」
「お前、人の嫁を぀たみ扱いするなよ」
 苊笑しながらも、英治はたんざらでもない様子だった。
「ごめんね、葉ちゃん。コむツ図々しいけど、良い奎なの」ず蚀っおこちらに笑いかける。
ペペロンチヌノを啜りながら、安田さんは蚀う。
「癜石センパむ、ズルいんすよ。同じ郚眲の女の子達に『良い匂いする』ずか、平気で蚀うの。そんなこず蚀うから、圌女達も意識しちゃっお。い぀か絶察、この人䞍倫したすよ」
 私にダキモチを劬かせようずしおいるのだず、瞬時に分かった。
返答に困りながらも「今の時代、芋た目を耒めるずセクハラだっお思われそうですけど、匂いくらいなら耒められお嬉しい女性瀟員さんもいるんじゃないですか」ず返す。
 本圓にそう思っおいたから、そう答えた。
 しかし、぀たるずころ、それは安田さんの求める答えではなかったらしい。
 䞍満げな衚情をするず、「そんな䜙裕ぶったこず蚀っおるず、旊那、取られたすよ」ず吐き捚お、男同士の䌚話に戻っおいった——あの安田さんが英治をキャンプに連れ出しおくれるなんお、少し意倖だった。

 しかし、実際に翌週から、英治は安田さんに連れられお党囜の山や湖に行くこずが増えた。
 我が家には少しず぀キャンプ甚品が増え、い぀の間にか英治はスノヌピヌク瀟補の「シュラフオフトン」なるものを賌入しおいた。
それは掛け垃団ず敷垃団が䞀䜓化した寝袋で、ダりン玠材を䞭に泚入しおいるため、高原でも暖かいのだずいう。
 ある時から英治は、リビングの䞀角にその「シュラフオフトン」を敷いお眠るようになった。
 圌いわく「寝心地に慣れたい」ずのこずで、宀内にいながら真面目に寝袋にくるたるその姿は、やや滑皜だった。
 英治の新しい趣味は、ひず぀意倖な効果をもたらした。
 圌がリビングで眠るようになったこずで、私は寝宀を䞀人で䜿えるようになったのだ。
 するず、以前に比べお安眠出来るようになり、翌朝ゆったりメむクをする時間も増えた。
 そしお、もうひず぀良いこずがあった。
 毎週土曜日の朝、英治が車でキャンプに出発するのを芋送った埌、私はキッチンで魚を捌けるようになったのだ。もちろん、倫には内緒で。
 最初は、どこかで監芖されおいるような気持ちになった。しかし、私はもう自分の料理欲求が抑えられなかった。

  åœ“然、家蚈のお金は䞀切䜿わない。今たで「ポむ掻」をしお貯めおきた、電子マネヌで賌入する。
 私は倫が䞍圚の家で、ただひたすら魚を䞋ろし続けた。
䞋ろした埌は、煮付けにしたり刺し身にしたりしお、癜米ず共に密やかに貪むさがり食う。
背埳感にはかられたが、その時間だけが唯䞀、人生においお幞犏な瞬間だった。

  ã“うしお私達倫婊が別々の週末を過ごすようになっお䞉ヶ月が経ったある日、英治が「次の土曜は、葉ちゃんず家キャンプがしたいな」ず蚀い出した。
 䌑日に別々に過ごす時間が増えたこずで、圌なりにコミュニケヌションが足りないず感じおいるようだった。
「その日はチヌトデむにしお、俺、矎味いもん、いっぱい食おうっず」
「え チヌトデむ っお蚀った」
 思わず驚くず、英治は「俺だっおキャンプ先で色んなメシ䜜っお、だいぶ料理䞊手になったんだよ」ず笑う。
「そう。じゃあ、その日の料理は、英治に任せようかな」
 冗談半分に蚀うず、圌は「任せお。葉ちゃんに迷惑はかけないよ」ず蚀った。
 その時、心の底から歓喜した。
  ã“れでようやく「普通の倫婊生掻」が送れるかもしれない——そんな予感が芜生えた。
ただ、ひず぀懞念点もあった。
 それは、私に課せられおいる食事制限だ。
 家キャンプの開催が決たった週も倉わらず、英治は毎日の䜓型報告を求めた。
しかし、倫に無断で癜米ず魚を食べおいたこずが灜いしたのか、私のり゚ストは数週間前から倉化がない。

  ãã‚Œã§ã‚‚、昌食時にはい぀も通り、で自撮り写真を圌に送り続けた。
䜓型を指摘されるたびに私は、「幎霢的に代謝が萜ちおるのかも。筋トレする」ず蚀っお、誀魔化し続けた。
 埌ろめたさはある。しかし、私はどうしおも〝あの時間〟を守りたかった。
 そしお、家キャンプ圓日、事件は起きた。
◆
 その朝、起きるず、英治が珍しく私より先に起きおいた。
「おはよう。今日は早いね」
 私が声をかけるず、圌は間髪を容れず「葉ちゃんがお寝坊さんなんだよ」ず蚀った。
その声は努めお優しいトヌンを心がけおいるようだが、どこか苛立っおいる。
「そう だっお、ただ朝八時じゃない」
「『もう八時』だよ。早くお化粧しお。安田が来る前に」
 キッチンに立぀英治のすぐそばに、䞭身が詰たったスヌパヌの袋が二぀眮かれおいる。
  åœŒã¯æœäž€ç•ªã«ãŠã‹ã®ã‚„に行き、今日のために食材を買っおきたようだった。
「すぐ支床するね。今日、安田さんも来るの」
 おっきり倫婊だけで家キャンプをするのだず思っおいた私は、面食らう。
 しかし、圌は圓然のように「そうだよ。せめおアむツの前では、綺麗な葉ちゃんでいおよ」ず蚀った。
 私は化粧をしなければ、綺麗ではないず蚀うのか。
  ãã®èš€è‘‰ã«ã‚ãšã‹ã«å‚·ã€ããªãŒã‚‰ã€ã²ãšãŸãšèº«æ”¯åºŠã‚’始める。

  æŽ—面所で歯を磚きながら、あぁ、今日たで長かったな、ず感慚深く思った。
 考えおみれば、結婚前は英治ず、よく排萜た小料理屋でデヌトをした。
 圌は矎味しそうに「普通の料理」を楜しみ、私が食べすぎたり飲みすぎたりしおも、愛おしそうに芋守っおくれた。
 私が職堎で先茩シェフから嫌味を蚀われた日は慰めおくれたし、客から理䞍尜な文句を蚀われた日にはサむれリダで暎飲暎食に付き合っおくれた。
 そんな英治が、愛おしかった。だから、圌を奜きになった。
 しかし、結婚前に䞀床、暪浜にある圌の実家に遊びに行った時、違和感を芚える出来事があった。

 あの日、英治の䞡芪は枩かく私を出迎えおくれたが、皆で倕食を囲んでいるずき、母芪が甚意したラザニアやカポナヌタに、圌は䞀口も手を付けなかったのだ。
 それどころか圌にだけ別の皿が甚意され、そこに茹でたササミが二切れ眮かれた。
「せっかくのご銳走なのに、英治は食べないの」
 玔粋に疑問に思っお尋ねるず、圌ず䞡芪は申し合わせたように顔を芋合わせる。そしお、母芪が蚀った。
「英ちゃんね、本圓はシンプルな食事が奜きなのよ。だから我が家は、昔からこんな感じ」
 その埌、父芪が「だから君は結婚埌、料理が楜だよ。安心しなさい」ず蚀っお、ニッコリず笑った。
 圓の本人は䜕を考えおいるのかず思い、英治を芋る。
するず圌は、「今たで黙っおおごめん。鶏肉以倖も、食べられるこずは食べられるんだ。でも俺、食事っお日垞のパフォヌマンスを䞊げる手段にすぎないず思っおる。だから、本圓は極力シンプルがいい」ず蚀い切った。
 私はその時、初めお恋人の本性を芋お、かけるべき蚀葉を倱った。
 䞀方で、料理を愛する者ずしお、圌の味芚を倉えたいず本気で思った。

 しかし、結婚埌、いざ同居を始めおみおも䞀向に珟実は倉わらず、私は絶望した。
 その圌が、今日、「チヌトデむ」を実斜するずいう。
 キャンプずいう趣味が、䞀人の男の長幎の食習慣を倉えおしたうこずもあるのだ。
 私は玠早くメむクを仕䞊げるず、髪を巻く。
 服装はグレヌのパヌカヌにシャツ、䞋はフェむクデニムのパンツにした。
 支床を終えるず、私は料理ずテント䜜りを英治に䞀任し、郚屋にラむトを食ったり、ノィンテヌゞ颚のラグマットを敷いたりしお、雰囲気を䜜り䞊げおいった。
 の宀内で、倫婊で汗を流しながら「それっぜい挔出」をしおいくプロセスは、想像以䞊に楜しかった。
 英治はテントを匵るずいった肉䜓劎働が意倖ず䞊手で、私は芋盎した。い぀もは郚屋の電球䞀個、替えおくれないずいうのに。
 圌も圌で、準備が楜しいようで笑顔が絶えなかった。
 私達倫婊は久しぶりに䌚話を匟たせながら、安田さんを迎える準備に励んだ。

 十䞀時を過ぎた頃、むンタヌホンが鳎った。
 モニタヌを確認するず、癜いオヌバヌオヌルに氎玉のシャツ、蝶ネクタむをした安田さんが立っおいる。
 以前のスヌツ姿からは想像出来ないポップな服装で、思わず私は吹き出しおしたった。
「ちょっず奥さん、今、吹き出したでしょ 名誉毀損で蚎えたすよ」
 圌はわざずモニタヌ画面いっぱいに顔を映しお、私を笑わせおくる。
 この人が以前、我が家に来た時はその剜軜さを受け入れるこずが出来なかった。しかし、今日は頌もしくさえ感じる。
 私は玄関で安田さんを出迎えるず「癜石家ぞようこそ」ず、わざず砕けた蚀い方をした。
 圌は少し怪蚝そうな衚情をしながらも、ずかずかずリビングに足を螏み入れる。
  ãã‚Œã‹ã‚‰è‹±æ²»ãŒçµ„み立おた立掟なテントを芋お、「おぉ」ず歓声を䞊げた。

  è‹±æ²»ã€ç§ã€å®‰ç”°ã•ん。キャンプファッションに身を包んだ䞉人は、バルコニヌで也杯をする流れになった。
 英治が冷蔵庫から冷やしおおいたビヌルを二぀取り出し、うち䞀぀を安田さんに枡す。
 もう䞀぀は私のために取り出しおくれたのだず思い手を差し出すず、圌はごく自然にその手をはたいた。
「え」
 思わず戞惑った衚情をしおしたう。
「葉ちゃんは、もちろんダメだよ」
 英治が穏やかに蚀った。状況が理解出来ず、出した手を匕っ蟌めるこずすら出来ない私に、圌は続ける。
「だっお、ベストな䜓型に到達出来なかったじゃん」
 圌は、圓然のようにそのビヌルを自分の手元に眮く。
 そしお、再び冷蔵庫に向かうず、ペットボトルのお茶を取り出しお私に枡した。「はい。あなたはこっち」ず蚀いながら。

 安田さんはプルタブに指を匕っ掛けお、「早く飲みたいッス」ずりズりズしおいる。
 ここで拒吊すれば、この楜しい空気が台無しになっおしたう。
 瞬時にそう刀断し、ひずたず私は枡されたペットボトルを手元に眮く。
 英治は満足げに頷くず、ビヌルのプルタブを開けるポヌズをした。
「それでは、家キャンプに也杯」
 圌の音頭に合わせお、私達は口の䞭をそれぞれ最した。その埌、蚭営したテントを芋るため、䞀行は宀内に戻る。
 私はビヌルが飲めなかった衝撃から立ち盎れずにいたが、衚面䞊は笑顔を貫いた。
「このキャノピヌっお必芁ありたす」ずか、「ベンチレヌタヌはどこにあるんスか」ずか、安田さんは私の知らない甚語を亀えお英治ず盛り䞊がっおいる。
 私の心臓はドクドクず䞍穏な脈を打っおいたが、ただ、どこかで期埅しおいた。
  ã“れから䞉人で楜しいランチタむムが始たるのだから、ず。

  ä»Šæ—¥ã®ãƒ¡ãƒ‹ãƒ¥ãƒŒã¯ãƒžãƒƒã‚·ãƒ¥ãƒ«ãƒŒãƒ ã®ã‚¢ãƒ’ヌゞョ、チヌズフォンデュ、䞲焌きにしたむカず゚ビ、メスティンで煮蟌む牛䞌ずいうラむンナップのはずだ。
 私は男達から離れおキッチンに向かい、英治が仕蟌んだ数々の料理を眺める。
 しかし、あずは火にかけるだけの状態でスタンバむされたチヌズフォンデュの鍋も、メスティンに入った牛䞌も、今では党おが圩りを倱い、なぜかグレヌに芋える。
  ãã®æ™‚、私は初めおポケットに入れおいたスマホで「倫 モラハラ」ず怜玢した。
 すぐに「が぀らいあなたぞ」ずいう文蚀が目に飛び蟌んできお、いや、でも英治の䞀連の行為は、それではないよね、だっお、私がいけないのだからず自分に蚀い聞かせる。
 そしお、䞀瞷の望みをかけお、倧きな声で二人に蚀った。
「お腹空きたせんか そろそろ䞉人でお昌にしたしょう」
 その声をきっかけに、男達がキッチンにやっおくる。

「葉ちゃん、ありがずう。あずは俺がやるから倧䞈倫だよ。おい 安田 この食いしん坊。お前は食うんだから手䌝え」
 英治は優しげに埮笑むず、私が持っおいた䞲焌きの皿を受け取っお食卓に運ぶ。
——お前は食うんだから
 安田さんは、「俺、食べるの専門なんで手䌝いずか無理ッス」ず呑気に蚀い返しおいる。あえお生意気な返答をするずころも、英治は気に入っおいるのだろう。
 䞀抹の䞍安を抱きながら、それでも次々ず食材を食卓に運ぶ。
 牛䞌の入ったメスティンをガスコンロで枩め、いよいよ昌食を始めるずいうタむミングで、䞉人は揃っお食卓の垭に぀く。
 私の隣に安田さんが座り、その向かいに英治が座った。
 醬油やチヌズの銙りが食卓でハヌモニヌを奏で、安田さんは挫画のキャラクタヌのようにペダレを啜り、「うたそぉ。もう限界」ず呟く。
 私も、同じ気持ちだった。もう空腹が、限界だった。

  ã—かし、焊じらすように英治は、「俺もやれば出来るだろ」ず、嬉しそうに蚀う。
「本圓に凄い。もう私が毎日料理を䜜らなくおも、党然平気じゃん」
「葉ちゃんのおかげだよ。自分は食べられないのに、ここたで助けおくれおホントに感謝」
「え」
 その時、ようやく恐れおいた事態が起きおいるず確信した。
「じゃあ、安田。食べよう。葉ちゃんはオヌトミヌルで良いよね」
 圌は倧真面目にそう蚀うず、私が普段䜿っおいる小皿を食噚棚から取り出す。
 そしお、そのたた「私のために」オヌトミヌルを小皿に泚いでくれた。

  å®‰ç”°ã•んは状況を理解しようずしない。〝癜石パむセンの奥さん〟が自発的に食事制限をしおいるず思っおいるようだ。
「奥さん、ほんた意識高いな」
 錻で笑うず、すでに䜕本目か分からない猶ビヌルに口を぀けお倧きなゲップをする。酷く䞍快だった。
 二人は、私のこずなど芋向きもせず盛倧に宎を始めた。
 安田さんはチヌズの鍋にパンを浞しお食べ、英治はメスティンの蓋を取り完成した牛䞌の写メを撮っおいる。
「英治、あのね」
 私はその瞬間、静かに圌に声をかけた。
「ん 早く葉ちゃんもオヌトミヌル食べちゃいなよ。お腹空いちゃうよ」
 メスティンの底に぀いたオコゲを豪快に混ぜ蟌みながら、英治は優しく私のほうを向く。

「  違うの。私が今  食べたいのは  」
「え」
 蚀葉尻を聞き取れなかったようで、圌は牛䞌を頰匵りながら再び聞き返す。
「だから、違うの。私が食べたいのはオヌトミヌルじゃなくお  」
「ごめん。味を楜しみたいから、ちょっず黙っおお」
  äž€èŠ‹ã™ã‚‹ãšã€å¹žçŠãªé£Ÿå“ã®é¢šæ™¯ã ã£ãŸã€‚
 各々が食べたいものを食べ、昌間からビヌルを飲んで。しかし、もう限界だった。
「英治、ねぇ。英治っおば」
「だから、葉ちゃん、ちょっず黙っお  」
 圌がそう蚀いかけた瞬間、私はオヌトミヌルの箱を片手で勢い良くひっくり返した。
 そのたたチヌズが溶けた鍋のなかに䞭身をザヌザヌず入れ、安田さんのビヌルを奪い取り、ガスコンロの䞊に垂れ流す。

   ã‚žãƒ¥ãƒ¯ã‚žãƒ¥ãƒ¯ãƒƒã€‚シュヌヌヌッ。
 五埳のただ䜙熱で熱い郚分が盛倧に音を立お、ハチミツが焊げたような匂いがした。
 みるみるうちに男達の顔色が倉わり、目が点になる。
 英治が立ち䞊がっお「ちょっずお前、䜕やっお  」ず動きを止めに入ったが、私は軜やかにその手を振り切る。
 そしお、今床はリビングのテントに芖線を移し、その骚組みを脚で䞀撃した。
  æ¡ˆå€–、華奢なわりに耐久性があっお、最初の蹎りは党く効かなかった。
 さすがは英治。十䞇円以䞊出しお買っただけのこずはある。

でも、私は
 十䞇円なんお倧金、結婚しおから芋たこずがない。
䞎えられた食費は
 月、五千円ぜっきり。
私のお小遣いは
 そんなものない。欲しいものがあれば随時、圌に盞談が必芁だった。
最近、自分のために買ったものは
 考えおみおも、党く思い出せない。
どうやっお芋た目の矎しさを保った
 圌は、ネむルや矎容院にはお金をかけお良いず蚀った。
それは、私のため
 いえ、自分のため。
なぜ、そんなこずするの
「自分には綺麗な劻がいる」ずいうこずを、呚囲にアピヌルしたかったからでしょう。
食事は 掗濯は 毎日の家事は協力的だった
 いえ。英治は䜕ひず぀、協力的ではありたせん。アむロンひず぀、出来やしたせん。

頭のなかで「もうひずりの自分」が、今たでの結婚生掻に぀いお問いかけおくる。
 私は混乱しおいた。
 もう、ずっくに我慢出来るキャパシティを超えおいた。
 気が぀けば私は、これたで自分が発したこずのないような唞り声を䞊げおいた。たるで、野生のオオカミのように。
 そのたたテントが跡圢もなく朜ちるたで、蹎り䞊げお、蹎り䞊げお、蹎り䞊げた。
 さらに、着おいたパヌカヌを脱いで空䞭で振り回し、郚屋䞭の食り付けを砎壊した。
 ラむトの光が最初の衝撃で消え、その埌「䜕かが人間界で起こった」ず察知した倩ちゃんが、ケヌゞの䞭でガラガラず音を立おながら走り始めた。
 混沌、カオス。
 食卓では、英治ず安田さんが、ぜかんず口を開きながら、その行為を芋おいる。
  ã—かし、それら党お、知ったこずではない。もうりンザリだ。
 私は履いおいた靎䞋を脱いで圌らに投げ぀けるず、「いい加枛にしろ」ず蚀った。
◆

   æˆ‘を忘れお、玄関を飛び出した。英治や安田さんは、远っおこなかった。
 隣の束田さんの家に駆け蟌んで泣き぀くこずも出来た。
  ã—かし、私はもう、この堎所から解攟されたかった。そしお、明確に自分がしたいこずも決たっおいた。
私は今、牛䞌が食べたい。お腹いっぱいに。
 裞足のたた゚レベヌタヌに乗り蟌む。
 䞀階に䞋りるず、゚ントランスで「癜石さん」ず悲鳎に近い声が聞こえた気がした。
  å€šåˆ†ã€ãã®å£°ã¯ã€æŸç”°ã•んだったず思う。しかし、私は振り返らなかった。今はただ、牛䞌のこずしか考えたくなかった。
 無心で牛䞌チェヌン「村田屋」に向かう。
  ç›®ã®å‰ã®ä¿¡å·ã‚’枡り、向かいの道に蟿り着くず、黄色い看板が目に飛び蟌む。

 自動ドアを開けるず、「っしゃいやせ」ず嚁勢よく男性店員が蚀い攟った。
  ç§ã¯ã‚«ã‚Šãƒ³ã‚¿ãƒŒåž­ã«åº§ã‚‹ãšã€ã€Œç‰›äžŒã€‚倧盛で」ず蚀った。あたりにも脳がカロリヌを欲し、その声はわずかに裏返った。
「ご泚文は以䞊でよろしいですか」
 その質問を投げかけられた時、ようやく「自分が財垃も持たず家を飛び出した」ずいう状況を理解した。
  ã—かし、週末の魚捌きのために貯めおいた電子マネヌが、いくらか残っおいるはずだ。
  åž°ã‚Šã®äŒšèšˆãŸã§ã«æ®‹é‡‘を確認すれば、どうにかなるだろう。
「はい  いえ、远加のトッピングで限界たでチヌズをのせお䞋さい」
 蚀葉を振り絞るず、店員は「かしこたりたした」ず蚀っお、私の前にコップに入った氎を提䟛する。
  å‡ºã•れた氎を飲み干した頃、チヌズがたっぷりのった牛䞌が運ばれおきた。

「あ  あぁ  あぁぁ」
 近代文明を初めお芋た猿のように、声にならない声が出おしたう。嬉しくお、涙が出る。
 たずは目で味わう。それから、トッピングに玅生姜ず青ネギをかけた。
 そしお、䞇感の思いで口に含もうずした瞬間、店の自動ドアが開いた。
「葉 葉 ここにいたのか」
 聞き慣れた、英治の声だった。他の客から䞀斉に芖線を济び、しかたなく私は「䜕か甚」ず圌に尋ねる。
「お前  。自分が䜕をしたのか、分かっおる」
「䜕っお  。䜕」
「こんなこずしお、タダで枈むず思っおんの」
 この期に及んで英治は、私が思い通りに動かないこずに苛立っおいる。
  æ€’りを通り越しお、哀れみに近い感情を圌に抱いた。

「英治。お願いだからこの店から、出おっお」
「お前さぁ  頭でもどうかした」
「私が食事を楜しむ暩利を邪魔するこずは、もう誰にも出来ないよ」
「いいから、䞀床、家に戻れ。それで、安田に土䞋座しお謝れよ」
 圌は泣きそうな衚情を浮かべおいる。
  äž€ç•ªèº«è¿‘な劻ずいう存圚が倉貌を遂げるこずを、圌は予想しおいなかったのだろう。
「謝るっお、䜕を 私、安田さんに随分ず䞋に芋られおいるみたいだけど」
「俺に謝るのは埌でいい。けどホラ、お前、さっき安田のビヌル奪ったろ」
「どうしお私が、そんなこずしたず思う その理由を考えたこず、ある」
「あぁ  。本圓に勘匁しおくれ。俺、明日から䌚瀟で笑いものだよ」
 英治は眉間にシワを寄せお、頭を抱えおいる。䜕幎もずっず苊しかったのは私のほうだ。
「そうやっお自分を倧切にするように、なぜ私を倧切にしおくれなかったの」

 心からの疑問を、圌にぶ぀けた。
「なぜ、あなたはい぀も自分のこずばかり考えおるの」
 みるみる英治の顔が赀く染たっおいく。圌なりにプラむドを傷぀けられたのだろうか。
「私は今たでもこれからも、あなたの所有物ではないよ。意思を持った人間だよ」
 気が぀けば私は、泣きながら叫んでいた。
  åº—内では、客も店員もずっくに「ただ事ではない」ずいう事態を察しおいる。
  ã—かし、ここは東京だ。「ハヌドな痎話喧嘩」ずしお刀断されたのか、私達に声をかけおくる人間は誰ひずりいない。
  çš†ã€é»™ã€…ず自分の牛䞌を食べおいる。
 英治はしばらくのあいだ蚀葉を倱くし、私の垭の近くで立ち尜くしおいた。
 圌が今、䜕を考えおいるのか、分からない。四幎間も停りの倫婊を挔じおいたのだから。

 次の瞬間、圌はキッずこちらを睚み぀けるず、私の髪ず腕を匷く匕っ匵った。
「お前、ずにかく䞀床、家に戻れよ。オラ」
 その匷匕さに恐怖を感じながら、私は「嫌だ 嫌だ」ず子䟛のように泣き叫ぶ。
  ã—かし、匷い力には抗えず、そのたた入り口付近たで匕きずり出された。
 奜奇の芖線が䞀斉に私達に降り泚いだ瞬間、柄んだ男性の声が聞こえた。
「ストップ。萜ち着きたしょう」
 あたりにも唐突で、たるで倩の声みたいだった。
 声の䞻は、「いいですか どんな事情があるにせよ暎力は良くない。ちなみに僕の職業は譊察官です」ず蚀うず、サッず私の腕から英治の手を匕き剝がす。
  ãŸã‚‹ã§ã€Œã“の意味が分かるよね」ず蚀わんばかりに、英治に無蚀の圧をかけた。
 男性は黒シャツの䞊からでも分かるほど立掟な胞筋が぀いおおり、たしかに普段から鍛え䞊げおいるこずは明癜だった。

 䞀方で、切り揃えられた髭やオヌルバックの髪型、それに片耳だけのシルバヌピアスは、譊察官にしおはいささか掗緎されすぎおいる気もする。
 この混沌ずしたシチュ゚ヌションの䞭で、なぜ圌の颚貌に芋入っおしたうのだろうか。
 英治はバツの悪そうな顔で呚囲を芋回すず、舌打ちをしお出おいった。
「  助けおくださり、ありがずうございたす」
 ふず我に返っお瀌を蚀うず、男性は「気にしないで。さぁ、垭に戻っお思う存分食べお䞋さい」ず笑顔で蚀った。
◆
 男性に䞡肩を支えられながら、私はカりンタヌ垭に戻った。
 涙で塗っおいたマスカラが萜ちおしたい、前がよく芋えない。
「あれ  」
 着垭するず、チヌズ入り牛䞌が消えおいる。
  ã©ã†ã‚„ら英治ず口論をしおいるあいだに、䞋げられおしたったようだ。
 若い店員に向けお、おそるおそる尋ねる。
「あの  私の牛䞌は」
 するず圌は、「スミマセン。店内でトラブルを起こすお客さんは、垰っおもらうように本郚から蚀われおるんスよ」ず蚀った。
 あくたで申し蚳なさそうな衚情だが、「退店しおほしい」ずいう匷い意思が感じられる。
 おそらくバむトだろうが、面倒なこずには巻き蟌たれたくないのだろう。

 実際、私達倫婊が口論をしおいるあいだ、ただならぬ雰囲気を感じずっお店を出おいく客もいた。
 店偎の損倱を考えれば、たしかに申し蚳ない。
「ずりあえず、お䌚蚈しお頂いお良いッスか」
 店員は制服の垜子をポリポリず搔きながら、急いで䌚蚈を始めようずする。
「  わかりたした」
 決死の思いで牛䞌に蟿り぀いたずいうのに、私は結局、䞀口も食べるこずが出来なかった。
 我ながら、その事実があたりにも滑皜で、思わず泣きながら笑っおしたう。
「ねぇ。ちょっずそれは、あんたりじゃない」
 その時、助けおくれた男性が䞀歩前に出お反論しおくれた。
「僕も事情はよく分からないけど、この方、盞圓お腹が空いおるよ そういう人を芋攟すの しかも、食べおいないのに『金は払え』ず それは、さすがに気の毒ですよ」
 圌は匷く蚎えかける。しかし、助けおくれただけで私はもう充分だった。
「店内で暎れお、すみたせんでした。お䌚蚈をお願いしたす」
 党おを諊めるず、私はズボンのポケットからスマホを取り出す。
「牛䞌倧盛りチヌズトッピングで、六癟四十円です」
「スムヌズは䜿えたすか」
 はい、ず蚀われお安心した。スマホにいくらか残高があるはずだ。

しかし、次の瞬間、私は絶望した。
 残高が「残り四十円」を瀺しおいたからだ。

 したった。これでは党額払えない。ずはいえ、今さら英治に払っおもらうわけにもいかない。
 さお、どうしようかず思考が停止しおいるず、男性が私のスマホ画面をさっず芗いた。
 それから党おを察し、ズボンのポケットから財垃を取り出しお千円札を店員に枡す。
「ずりあえず、これで払っおおきたすね」
 圌はそう蚀うず、私の支払いを枈たせおくれた。泚文しおいたテむクアりト商品も出来䞊がったようで、自分の䌚蚈も続けおいる。
 私は、䞀連の流れを、無蚀で芋おいた。
 英治ずの口論で粟根尜き果お、すぐに蚀葉が出おこなかったからだ。
  ã—かし、やはり芋知らぬ男性にお金たで出しおもらう蚳にはいかない。

「あの  。お金、どうしよう。本圓にすみたせん。すぐ返したす」
 深く頭を䞋げる。するず男性は、ニッコリず埮笑んで蚀った。
「いいんですよ。僕、今日、道で千円札を拟ったの。だから、このお金は僕のじゃないし」
「え」
「たあ、噓だけど。本圓にそんなこずしたら、僕は遺倱物暪領の眪で䞀幎以䞋の懲圹、たたは眰金ですよ  。あはは」
 圌はどこたでが真実か分からないこずを蚀うず、「ゞョヌクです」ず笑った。
「えっず、本圓に譊察の方なんですね」
「うヌん。どうでしょう  」
 圌はズボンのポケットから今床は名刺入れを取り出すず、その䞭から䞀枚を私に枡す。
  ãã“には金色の文字で、「Maison de Paradise・オヌナヌ倩堂拓郎」ず曞かれおいた。
「倩堂  さん」
「りチは、近所で飲食店やっおるんです。困ったこずがあれば、い぀でもどうぞ」
 倩堂さんは埮笑むず「さお、もう本圓に行かなきゃ」ず呟いお、店の倖に出おいく。
「  あの、䌚蚈埅ちの方が䞊んでいたすので」
 店員の声で珟実に匕き戻された。
 あ、すみたせん、ず小声で蚀うず、私もひずたず店倖に出たが、途方に暮れる。
 倩堂さんの名刺を芋ながら、䞀刻も早く牛䞌代を返したいず思った。
  ã—かし、それには「あの家」から財垃を持ち出さなければ。

   èŠšæ‚Ÿã‚’æ±ºã‚ã‚‹ãšã€ãƒžãƒ³ã‚·ãƒ§ãƒ³ã®ã‚šãƒ³ãƒˆãƒ©ãƒ³ã‚¹ã‚’é€šéŽã—ã€äž‰éšŽã«å‘ã‹ã†ã€‚
 ゚レベヌタヌホヌルから二぀目の扉に、「癜石英治・葉」ず曞かれた朚補の衚札が食られおいる。
 この衚札は、結婚埌たもなく、英治の䞡芪が唐突に送っおきたものだ。
 手圫りの酷く怪しいデザむンは築浅のマンションに党くの䞍䌌合いで、送られおきた圓初、私はひどく狌狜した。
 しかも、圌の母芪からは「この衚札を食った私の友人の嚘倫婊は、すぐ子宝に恵たれたした。颚氎の力は偉倧です。必ず食るように」ず䞀筆、添えられおいた。 
猛烈に気が滅入ったが、英治に盞談するず「母さんの奜きにさせおやれ」ず蚀っお、取り合っおくれなかった——そんなこずを思い出しながら、ドアノブを回す。
 扉に鍵がかかっおいたので、むンタヌホンを鳎らす。

䞀、二、䞉  。
  æ•°ç§’ほど数えおみるが、英治が出おくる気配はない。そういえば安田さんは、垰ったのだろうか。
「英治。ねぇ、聞こえる」
 扉越しに、倧きな声で呌んでみるず、䞭から人が出おくる音がした。
「英  」
 玄関から出おきたのは、安田さんだった。
「先ほどは、取り乱しおすみたせんでした」
 深く詫びるが、圌は苊笑し、「いやぁ。奥さんがヒステリックな人だっお知りたせんでした。僕は良いんですけど。他人だから」ず、軜蔑の県差しで私を芋぀めた。
「ちゃんず、センパむに謝ったほうがいいッス」
 圌はスニヌカヌを履くず、ゆっくりずその堎から立ち去る。
 状況的に蚀えば、圌は私の激昂による被害者かもしれない。
  ã—かし、「そこに至る事情」があったずいうこずも、知っおほしい。

 しばらく立ち尜くしおいるず、リビングに通じる廊䞋のドアが開いた。
 その䞭から英治が珟れ、テントの残骞であるポヌルや垃地を抱えながら蚀った。
「葉ちゃんが、こんなにも軜率な人だずは思わなかった」
 その衚情は、安田さん同様、軜蔑に満ちおいる。
「母さんず父さんにも報告しおおいたから。反省するたで、もう家に垰っお来ないでね」
「英治。あのね、私、お財垃を  」
 英治は残骞を続々ず床に投げ捚おおバリケヌドを䜜り、私をリビングに通そうずしない。
 鬌のような圢盞で通行を阻止する圌の姿を芋ながら、ふず冷静になる。
 そしお、䞀蚀「お願い。離婚しお䞋さい」ず呟いた。

 䞀瞬、わずかに圌の手が止たった。しかし、たたすぐにバリケヌド䜜りが再開される。
 よく芋るず圌は、錻氎を垂らしながら泣いおいた。
 この期に及んで、䜕故おめおめず泣けるのだろう。泣きたいのは、私のほうだ。
「俺がいなきゃ、䜕も出来ないくせに」
 吐き捚おるようにそう蚀うず、英治は宀内に消えおいく。
 私はその蚀葉を聞きながら、玄関の扉を閉めお深呌吞した。

  そしお、再び゚レベヌタヌに乗り蟌むず、「䞀階」ボタンを抌した。
 玠足のため、床に萜ちおいる小石が足の裏に圓たっお痛い。しかし、同時に、気持ちが鎮たっおいくのを感じる。
 私はもう、ずっず前から、ここから逃げ出したかったのだ。
 行くあおは䜕凊にもないが、埗䜓の知れない高揚感が挲みなぎっおいた。
◆

 財垃がないため、遠くには行けない。
しかし私は、背䞭に矜根が生えたかの劂く、身䜓が軜かった。
そもそも財垃があろうが、なかろうが、よく考えればあたり関係がない。
 我が家の家蚈は英治によっお管理されおおり、倧した額は持たせおもらえなかったからだ。
 圌は、「母さんず父さんにも報告しおおいた」ず蚀っおいた。
 あの䞡芪のこずだから、今晩のうちにはあの家に到着し、息子を慰めるのだろう。
 そしお、私は圌らから責められるに違いない。
 がんやり「倧倉なこずになった」ずいう実感が湧く。

 それず同時に、「今日から自由の身だ」ず思うず、あたりに解攟感がありすぎお、倧海原に攟流された魚のような気持ちになる。
 たずは今晩、雚颚をしのげる堎所を探さないず。
 近くの公園で時間を朰すこずも考えたが、珟実的ではない。
 結婚埌、英治によっお関わる友達を〝遞別〟されおいた私は、頌れる人も殆どいない。
 シェフ時代の同僚ずも関係を絶ち、犏岡で暮らす高霢の芪にいきなり連絡するわけにもいかない。
 ぀くづく私は、「倫以倖のネットワヌク」を、ここ数幎、手攟しおいたのだず痛感する。こうなるず遞択肢は、ひず぀しかなかった。
倩堂さんに、䌚いに行こう。
 圌は村田屋で助けおくれた時、「困ったこずがあれば、い぀でもどうぞ」ず蚀っおいた。
 瀟亀蟞什を真に受けるのもどうかず思うが、今の私には、迷っおいる暇はない。
 名刺の裏を芋るず、店ぞの地図が曞かれおいる。

 ここから数駅ほど離れたあたり知らない街だが、ギリギリ、埒歩で向かえない距離ではない。
 私は玠足であるこずも忘れお歩き出すず、䞍安を打ち消すようにしお䞀歩ず぀進む。
 道䞭、ただ小さかった頃に母芪が歌っおくれた子守唄を思い出し、倧きな声で歌った。

眠れ、眠れ。かわいい子
  ゆりかごに揺られお
  月圱に照らされお
  眠れ、眠れ。愛しい我が子
  よく眠る子は寝おいるあいだ
  倩囜に戻り神様ず戯れおいる
  眠れ、眠れ。たくたしい子
  目芚めたら倩囜の出来事を
  きっず母に教えおください


 䞉十幎以䞊前に聞いた歌を今さら思い出しお瞋すがる自分が、あたりにも惚みじめで泣けおくる。
 しかし、心の拠り所がない今、次から次ぞず䞍安の波が抌し寄せ、歌わなければ自分を保おなくなりそうだった。
 小さな頃は、ただ「生きるこず」に察しお責任がなかった。芪の庇護のもずで暮らしおいたから。
 しかし、い぀の間にか私は倧人になり、自分の人生を自分で維持しおいかなければならない状況になった。
 それでも結婚前は自分で収入を埗お、アパヌトを契玄し、生掻費を払うこずにプラむドがあった。
 しかし、結婚埌は倫の庇護のもず、自掻を諊めた。
 いや、正盎に蚀えば、英治ずの耇雑な結婚生掻のなかで、自ら攟棄したのだ。
 それでも幟床かアルバむトをしたいず思い、圌にも盞談したが、「俺がそれなりの絊料を貰っおるのに、ただ足りないの」ず华䞋された。
 経枈的問題ではなく、自らの矜持を貫くために働きたいのだず蚎えおも、「呚りの人に嫁を働かせおいるず思われたくないから」ずいう理由で、圌は銖を瞊に振らなかった。

 あのマンションで日々、ひずりで倫の垰りを埅぀生掻のなか、私は人ずしお育むべき感情を倱った。
 そしお今日ようやく、自らの意思で、その道から倖れるこずが出来たのだ。
 歩いおも歩いおも目的地には皋遠く、途䞭からアスファルトの硬さやガラスの砎片で、足の裏が傷だらけになった。
 途䞭、犬の散歩をしおいた女性が気の毒そうな衚情で「靎、ないんですか」ず話しかけおきおくれたが、私は逃げるようにかわしおしたった。

  ã„く぀かの坂を䞊り、䞋り、暪断歩道を枡り、川沿いを通り、薄汚れた路地裏を通った頃、ようやく目的地に到着した。
 癜い塗装の䞀軒家の倖壁に「Maison de Paradiseメゟンドパラダむス」ず曞かれた看板が立おかけられおいる。
 暖簟をくぐるず、朚補のカりンタヌ垭が目の前に広がった。
 数にしお、十垭ほどだろうか。
 壁には倚くのワむンボトルや日本酒の空き瓶が食られ、倕食時にはただ早い時間だが八割ほどの垭が既に埋たっおいる。
「ご予玄のお客様ですか」
 カりンタヌの内偎から、゚プロン姿の男性に声をかけられた。

 りェヌブがかかった髪は、襟足は短いが前髪は目元が隠れるほど長く、衚情が芋えない。
「今日、ちょっずオヌダヌがパンク気味なんすよ。オヌナヌの野郎が遅刻しやがっお」
 圌はあっけらかんず蚀う。䌚話の糞口を探るが、どうしたら良いか、分からない。
 奥の厚房に䜕かを炒めおいる倧柄の男性がいる。倩堂さんだ。
「私、倩堂さんに甚事があっお」
 正盎に目的を打ち明けるず、圌は「うちのオヌナヌず、どういう関係なんすか」ず䞍機嫌なニュアンスで蚀った。
「え どういう関係っお  」
 そのたた圌は私の蚀葉尻たで埅たず、倧きな声で倩堂さんに声をかける。
「ねぇ オヌナヌに甚事があるっお」
 しかし、倩堂さんは振り返る暇もないほど忙しいようで、「甚件を聞いお あず、営業はお断り」ず背を向けたたた突っぱねる。
「こんな時間に営業マンが来るかよ もう十䞃時過ぎだぞ。お前の圌女じゃないの」
 この男性は倩堂さんよりはるかに歳䞋だろうが、躊躇ためらうこずなく蚀い攟぀。
 驚きを通り越しお、萎瞮した。
 そしお、その蚀葉から、圌らには雇甚䞻ず埓業員ずいう間柄以䞊に䜕らかの関係性があるず分かった。

 父ず息子だろうか いや、それにしおは、息子のほうが匷すぎる。
 倩堂さんは炒めおいたパスタを皿の䞊にのせるず、こちらを振り返った。
 その眉間には皺が寄り、屈匷な芋た目も盞たっお怖い。
 しかし、私の姿を確認するず、聖母マリア像のような慈悲深い衚情になった。
「あら お腹空いたでしょう。そこ、座っお。おい那接、圌女に氎を出しおあげお」
 圌は、客の座っおいない䞀番奥のカりンタヌ垭を指差しお蚀った。

 ã€Œã‚、いえ、私は食事をしに来たわけでは  。あ、でも、たしかにお腹は空いおいたす  。いや、でも、そうではなくお、牛䞌代を」
 䌝えたい蚀葉がありすぎお敎理出来ず、䞀挙に䞊べる。
 しかし、次から次ぞず泚文が入る厚房で、倩堂さんはすでに私から芖線を倖しおいた。
 そのあいだも那接ず呌ばれる男性はパスタを運んだり、テヌブル垭の客から頌たれたグラスワむンを準備したりず、飛び回るように店内を移動しおいる。
 ここは、蚀われた通りにしたほうが良いかもしれない。おずなしく蚀われた垭に座るず、コップに入った氎が乱暎に眮かれる。
カンッ。
 䞭に入った氎が倧きく揺れお、䞭身が少しこがれた。おそるおそる私は、改めお呚囲を芋回す。
 たず、倖芳からは想像出来ないほど倩井が高かった。

 入り口の手前に二人がけのテヌブルが二垭あり、厚房に隣接したカりンタヌず合わせるず、収容人数は玄十人。
 さほど広くないが、倩井の高さやコンクリヌト打ちっぱなしの壁が開攟的で、あたり狭さは感じない。
 入っおきた時は気づかなかったが、店の䞭倮にクリスタルガラスで䜜られた小ぶりのシャンデリアが吊るされおおり、枩かみのある光を攟っおいた。
 カりンタヌに座るのは党員女性で、皆、めいめいに友人ずワむンを飲んだり、䞀人で぀たみを楜しんだりしおいる。
 䟡栌垯を把握するため、おそるおそるメニュヌを眺める。

・鶏レバヌのパテ 円
・青パパむダのサラダベトナム颚 円
・里芋ず゚ビのフリット 円
・ロヌズマリヌの利いたポヌク゜テヌ 円
・「シェフの盎感を信じお」パスタ 円
・ナンプラヌたこ飯タむ颚 円

 そのほかのメニュヌも、想像しおいたより、ずっず安い。
 同時に、この店がむタリアンをベヌスずしながらも、「ベトナム颚」や「タむ颚」など、゚スニックメニュヌも倚く取り入れおいるこずが分かった。

 私の隣に座る二人組の女性は友人同士のようで、笑いも亀えながら䜕やら仕事に぀いお楜しそうに䌚話をしおいる。
 ゚ネルギヌに溢れた圌女達の声音は、私に「経枈力も粟神力も持たない自分」ずいう劣等感を感じさせるに充分だった。
 矚たしい。茝いおいる。きっず圌女達は、玠晎らしいキャリアを歩んでいる。
 私もあの人達みたいに、自分のお金で矎味しい食事を楜しみたい人生だった。
 しばらくするず、うち䞀人が「じゃあ、私はそろそろ」ず蚀っお、垭を立぀。
 するず、もうひずりの女性も、ごく自然にそれを受け入れ「たたね」ず笑顔で手を振った。
 䌚蚈は最初から別に付けられおいるようで、女性は自分の䌝祚を手にするず、颯爜ず支払いを枈たせお去っおいく。
 どうやら友人ずいうより、垞連同士のようだ。

 その埌、䌚蚈䜜業を終えた那接さんが私のもずにやっおきお、「っおいうか、あなた、裞足⁉」ず驚きの声を䞊げた。
「あ、はい。これには事情がありたしお」
 足元が冷えきっおいたこずさえ忘れお、私はこの店の料理ず客の芳察に没頭しおいた。
 圌は奥のスタッフルヌムに消えるずすぐ戻っおきお、「ずりあえず、コレ履いお」ず、ストラップ付きの赀いハむヒヌルを私に枡しおくる。
「えっず、これはどなたのものでしょう  」
「前に、りチの店で泥酔しお、履いおいた靎を俺にブン投げお垰ったお客さんがいお。その人のです」
「それっお、勝手にお借りしお良いんでしょうか」
「良いんじゃないの あなただっお靎がない以䞊、莅沢を蚀っおいられないでしょう」
「いえ。私は別に良いんですけど  」
 しばらく考えあぐねおいたが、思い切っおその靎を履く。
 サむズはなんずか合った。
 シャツにフェむクデニムのパンツ、そしおハむヒヌルず、なんずもアンバランスな服装になる。

 倩堂さんは動き回りながらも、私達のやり取りをちらちらず厚房から芋おいる。
「で、オヌナヌずは、い぀から『そういう関係』になったんですか」
 那接さんは臆するこずなく、話を続ける。
「  は」
「蚀っずくけど、オヌナヌ、倖面だけは良いからね。あの優しさを信じちゃダメですよ」
「  あの、䜕を仰っおいるのか、よく分からないのですが」
「寝おいる時むビキも超うるせヌし、あれだけデカいのに小さな虫ずか怖がるけど、それでも倧䞈倫」
 圌は、倩堂さんず私の関係を疑っおいるようだ。党く想定倖の疑惑に蚀葉を倱う。
 同時に、やはりこの人は倩堂さんの息子なのだろうず理解し、心を萜ち着かせながら蚀った。
「私ず倩堂さんはなんでもありたせん。ずいうか今日、䌚ったばかりです。先ほど困っおいるずころを、助けおいただきたした」
 その瞬間、圌の瞳が倧きく芋開かれた。それから「あヌヌヌ っおこずは、あなたが牛䞌の女」ず蚀っお、私を指差す。

牛䞌の女。

 たしかに、そのように圢容されれば、その通りである。しかし、なぜ、それを知っおいるのだろう。続けお圌は蚀う。
「いや  。ごめんなさい。俺も䜕があったかは詳しくは知りたせんよ。でも、あなたのせいで、こっちは迷惑しおるんです」
「もしかしお倩堂さん、私を庇ったせいで、仕蟌みに間に合わなかったずか」
 私は元シェフずしお、想定しうる緊急事態を掚枬しおみる。
 するず、那接さんは、「む゚ヌス」ず蚀わんばかりの衚情をした。
「そう。それで、今倜はこの有り様。オヌナヌが牛䞌トラブルに巻き蟌たれたせいで」
 私は責任を感じ、再び店内を芋枡す。
 既に䞀床目のピヌクは越えたようだが、それでも続々ずメむン料理の泚文が盞次いでいる。
 手前のカりンタヌ垭からは「倩堂さん、お肉ただ」ずひずりの女性客が䞍満げな声を挏らしおいた。

 その蚀葉を聞いた那接さんは盎ちに私のもずを離れ、圌女の垭に向かう。 
 それからニッコリず埮笑んで、䜕か耳打ちをしおいた。
 圌女の顔はみるみる笑顔になる。䞀䜓、䜕を耳打ちしたのだろう。
 その時、前髪で隠れおいた目元が垣間芋え、圌が随分ず端敎な顔立ちであるず分かった。
 その女性客にしおも「那接くん、那接くん」ず、圌をたるでアむドルのように祭り䞊げるこずで、この状況を楜しんでいるようだ。
 いい店なのだから、色恋営業のような真䌌はせず、味で勝負すれば良いのに。
 私はただ、この店の料理を䞀皿も食べおいないが、そんなこずを思う。
 しかし、よく芳察しおいるず、どうやらそれが早蚈だずいうこずが分かった。
 その接客は、客ずの芪密さのなかにも、あくたでも深入りしすぎず盞手を気持ち良くさせる䜕かがあった。
 おそらく圌は、プロずしお党お「分かった䞊で」やっおいる。
 軜薄なリアクションは朝飯前のサヌビスで、培底的に考え抜き、その結果、自分自身を挔出しおいるだけなのだろう。

 そのあいだも倉わらず厚房では鬌のような圢盞で倩堂さんが料理を䜜り、牛フィレ肉やポヌク゜テヌを仕䞊げおいる。
 皋よい緊匵感が充満し、その空間を守るために倩堂さんは料理ず向き合い、那接さんは接客に集䞭しおいた。
この二人、実はバランスのずれたコンビネヌションなのかもしれない。
 もしかしたら、出過ぎた真䌌かも知れない。しかし、私はその瞬間、芚悟を決めた。
 慣れないハむヒヌルで立ち䞊がるず、「予備の゚プロンありたすか」ず那接さんに尋ねる。
 それから、厚房で狂ったようにフラむパンを振るう倩堂さんに向かっお、声をかけた。
「実は私、元シェフなんです。お手䌝いしたら、少しはお圹に立぀でしょうか」

◆

「猫の手も借りたいくらいだから助かりたす。でも、その靎では無理」ず蚀われ、私は那接さんず靎を亀換するこずになった。
 ほがぎったりサむズの黒いスニヌカヌは厚房で動きやすくなるので私は助かったが、はたしお圌はハむヒヌルで接客など出来るのだろうか。
 しかし、その心配は無甚だった。
 那接さんは若者らしいゆるりずしたワむドパンツの裟をたくるず、ハむヒヌルであるこずを客に芋せながら、優雅に歩き回る。たるで、花魁道䞭のように。

 そのたた店のをJanet Jacksonの『』に倉え、料理を運びながら䌞びやかに腰を反らせお、華やかなガヌルズヒップホップダンスを螊り始めた。
 長い手足を生かし、狭い通路をたるでランりェむのように利甚しお螊りたくるその姿は、実に倧胆で芋事だ。
 たさか圌が、こんな特技の持ち䞻だったずは。
 客がパフォヌマンスに倢䞭になっおいるあいだに、私は倩堂さんず玠早く打ち合わせを行い、互いの持ち堎を確認しお調理を始める。
 途䞭で食材の䞀郚が切れおしたい、メニュヌにないものを䜜る必芁があった。

  ãƒ­ãƒŒã‚ºãƒžãƒªãƒŒã®åˆ©ã„たポヌク゜テヌを頌んでいた客には、豚の替わりに鶏を䜿い、ワむンず生クリヌムで煮蟌んだものを提案する。
 さらに牛フィレ肉も途䞭で切れたので、豚ヒレのブロック肉をたるたるひずかたたり䜿い、ヒレカツを䜜らせおもらうこずになった。
 さすがに客は怒るかず思いきや、「この店で和食が食べられるなんおね」ず笑っお蚱しおくれた。
 限られた時間のなかで、絶察に今倜をやり過ごさなくおは——
 幞い、このレストランの厚房は、独身時代に勀めおいた店の䜜りずよく䌌おいた。

   ã²ãšã€ã²ãšã€ãƒ¬ã‚·ãƒ”を脳内から呌び起こし、客垭やガスコンロ、厚房内にある冷蔵庫を駆け回りながら料理を䜜り䞊げおいく。
「厚房にあるものは、党お自由に䜿っお」
 倩堂さんは自らも必死で料理に向き合いながら、私の奮闘を芋守っおくれた。

◆

  æœ€åŸŒã®å®¢ã‚’芋送るず、倩堂さんから「お疲れさた。無事、閉店です」ず声をかけられた。
 時蚈の針は、二十䞉時を指しおいる。
 無我倢䞭で過ごした数時間。
 いたさらながらに、䞀䜓䜕が起きおいたのかず戞惑う気持ちが湧いおくる。
 しかし、肉䜓は限界を迎えおいたようで、猛烈な疲劎感がずっしりず身䜓党䜓にのしかかる。
 クロヌズ䜜業の途䞭、那接さんが「垰りの時間、遅くなっお平気 もちろん、俺が送っおいくけど」ず確認しおくれたが、どのように返答しようかず迷う。
 するず、私の事情を䜕も知らないはずの倩堂さんが、レゞを締めながら「あ、この人は倧䞈倫」ず、淡々ず気持ちを代匁しおくれた。
今日䞀日だけで離婚宣蚀をしお、倫ず䜏む家から飛び出しお、私の人生は党䜓的に少しも倧䞈倫ではなかった。
 しかし、圌から「倧䞈倫」ず蚀われるず、なぜか倧䞈倫な気がしおくるから恐ろしい。

 ある皋床の片付けを終えたずころで、倩堂さんは蚀った。
「遅くなっちゃったけど、さっず倕飯にしたしょう」
 カりンタヌを拭いおいた那接さんも「さすがに今日は腹枛ったな」ず溜息を぀く。
 私も掗い物の手を止めるず、改めお二人に「ご迷惑をおかけしたした」ず詫びた。
 それから、もうひず぀、蚀いたくお蚀えなかった蚀葉を圌らに䌝えた。
「厚かたしいお願いだず分かっおいたすが、私に䜕か食べ物を䞎えおくれたせんか」
 那接さんが、驚いた衚情でこちらを芋る。
 突然珟れた〝ヘルプの女〟が、食べ物たで乞うずは思っおいなかったのだろう。
 しかし、もう限界だった。今にも空腹で倒れそうだった。

 倩堂さんは悟ったように頷くず、しっかりず私の目を芋ながら蚀った。
「圓たり前です。今倜の『頑匵ったで賞』は、あなたなんですから。奜きなだけ食べお䞋さい。僕は今から、急いで準備したす」
 危うく、涙がこがれ萜ちそうになる。
 生きおいく䞊で最重芁な欲求を、ごく自然に受け入れおくれたこずがありがたかった。
「っおいうか  。倚分だけど、今倜あなた、垰るずころがないのよね」
 倩堂ずいう男は、霊胜力者なのだろうか。どこたで芋抜いおいるのだろう。
 苊笑しながら「  はい」ず私が声を振り絞るず、圌もたた同じように苊笑した。
「ずりあえず、お腹を満たしたしょう。党おはそれから考えたしょう」

   åœŒã¯ã€ã‚¹ã‚¿ãƒƒãƒ•ルヌムから「村田屋」のロゎが曞かれた袋を持っおくる。
 その䞭には、「倧盛」ず付箋の貌られたプラスチックの䞌ぶりが二぀入っおいた。
「さっき、あなたず䌚った時に買っおおいた牛䞌です。さっずアレンゞしお食べたしょう」
 そう蚀っお倩堂さんは厚房に向かうず、棚からグラタン皿を䞉枚取り出しお調理台の䞊に眮く。
 それからスプヌンで牛䞌を均等に䞉぀に分けお、それぞれの皿の䞊に平たくのせた。
「今日あなたが村田屋で食べ損ねたチヌズ牛䞌にするのはどうですか」
「倧歓迎です」そう答える぀もりが、空腹のあたりギュルリずお腹が鳎っおしたう。
「あはは。そのお腹の音が、良いお返事っおこずですね」

 笑いながらそう蚀うず、圌は冷蔵庫から小さな袋を取り出す。
 そのなかにはピザ甚チヌズ、クリヌムチヌズ、ブリヌチヌズ、ゎルゎンゟヌラ、ミモレットチヌズが入っおいた。
「牛䞌にチヌズを沢山散らしお、僕なりに『ドリア颚』にアレンゞしおいきたすね」
 その蚀葉の通り、圌はたな板の䞊で䞀口倧にカットしたチヌズを皿の䞊に散らすず、今床は瓶詰めにされたピクルスずトマト゜ヌスを冷蔵庫から取り出す。
 ピクルスを薄切りにしお散らし、隙間を埋めるようにトマト゜ヌスをずころどころのせる。
 䞀連の䜜業には、党く無駄がなかった。
「さぁ、たもなく『アナタのための特別なチヌズ牛䞌』が完成したす」
 にっこりず埮笑むず、圌はオヌブンに皿をのせお぀たみを回す。

 五分埌、熱々のグラタン皿の䞭身を芋た瞬間、思わず吐息がこがれた。
チヌズの黄色、ピクルスの緑、トマトの赀が牛䞌の䞊で光茝き、実に色鮮やかだったからである。
 垂販の牛䞌にチヌズずトマト゜ヌス、ピクルスを加えるだけで、こんなにも莅沢な食べ物が完成するなんお。
 倩堂さんが䜜っおくれた料理を、私は䞀心䞍乱に貪る。
 䞡隣の垭に座る倩堂さんず那接さんもたた、無蚀で味わっおいた。
 しかし、その沈黙は決しお苊痛ではなかった。䞉人が揃っお「矎味しい」ずいう感情を共有しおいる。
 なぜ今倜、出䌚ったばかりの男達ずこうしお食事を共にしおいるのだろうか。
 それでも今は、あらゆる疑問を超越し、ずにかく腹を満たすこずしか考えられない。
 ただひず぀、分かっおいるこずがあった。
 それは、ひずたず、今倜の私は孀独ではない、ずいうこずだった。

 私は涙をこがし、笑い、食べ物を口に詰め蟌み、それから盛倧にむせた。
「泣くか、笑うか、食べるか、むせるか、どれかにしなさいよ。ゆっくり嚙んで食べな」
 嗚咜しながら咳き蟌む私に、那接さんが諭すように蚀っお背䞭をさすっおくれる。
 その埌、倩堂さんがコップに氎を泚ぎ、目の前に眮いおくれた。
 私が氎を䞀気に飲み干すず、「よっ 良い飲みっぷり 名前も知らないけど、あんた良いオンナだよ」ず、茶化すように那接さんが蚀う。
 そうか、ただ、圌らに自分の名前すら䌝えおいないのか。
 䞀呌吞眮くず、私は䞡隣に座る圌らを芋぀めながら、改めお蚀った。
「本日、牛䞌が原因で倫ず離婚するこずになりたした。癜石葉ず申したす」
 自分の珟状を䞀文で䌝えるには、あたりにもパワヌワヌドが䞊びすぎた。
 しかし、ほかにどのようにしお自己玹介すれば良いのだろう。
 䞀瞬、店内がシンず静たり返る。
 それから次の瞬間、倩堂さんず那接さんは互いに目を芋合わせるず、䞀斉にスプヌンを眮いた。

 二人は䞡手を広げ、たるで打ち合わせおいたかのごずく、倧きな倧きな拍手を始める。
 私は拍手喝采を济びながら、これたでの倫ずの関係や家キャンプでの出来事、村田屋での事件、その埌、無䞀文の状態で家を飛び出したこずを䌝えた。
「よく逃げ出しおきたな。本圓にお疲れさん」
 䞀連の流れを聞くず、那接さんは決しお揶揄するわけではなく蚀った。
 その蚀葉で、私はこの四幎間、ずっず喉に刺さっおいた小骚がずれたような気がした。
 続けお倩堂さんが、「僕があの時、村田屋で離婚のきっかけを䜜っちゃったかなぁ」ず苊笑する。
「そうではないんです。もうずっくに、倫ずの結婚生掻は砎綻しおいたんです」
 私が慌おお吊定するず圌はわずかに埮笑み、心配そうな衚情で蚀った。
「それで、これから生掻のほうはどうする぀もりなの」
 虚を衝かれ、蚀葉を倱う。それは、今埌の最重芁課題だった。
 蚀葉に詰たっおいるず、那接さんが倩堂さんにひず぀の提案をしおくれた。

「ずりあえず、今晩はりチに泊たっおもらう」
 圌は少し考えおから「それはもちろん良いんだけど」ず、神劙な衚情を続ける。
「癜石さん。今倜、あなたが䞀番連絡を取りたくない盞手だずは思うんだけどね」
 その埌、わずかに蚀い淀む。
 最終審刀を埅぀ように、私は次の蚀葉を埅った。
「別れる予定の旊那さんに、䞀報を入れおおいおくれないかな」
「え」
 英治の顔が脳裏に浮かび、戊慄が走る。
 たしかに、出来れば、もう二床ず連絡を取りたくない盞手ナンバヌワンだ。
 しかし、䟝然ずしお厳しい衚情のたた、倩堂さんは蚀う。
「なぜなら、君達はただ、同じ籍に入っおいるから」
 倩囜から地獄に突き萜ずされたような気分になる。
「圌が逆䞊しお、䞀方的に劻が家を出お倫婊関係が砎綻したず蚎えおきたり、埌から慰謝料を請求しおきたり、䜕か文句を蚀われたりしないために、䞀応ね」
 那接さんはその蚀葉を聞くず「たしかに」ず同意し、「さすが、敏腕離婚匁護士」ず付け加えた。
「え、倩堂さんっお、譊察官じゃないんですか」
 私は、村田屋での䞀件を思い出す。倩堂さんは「あの時は、ちょっず緊急事態だったから噓を぀きたした」ず私に詫びた。
 どう考えおも倩堂さんの蚀っおいるこずは正しい。そうだ、ここで逃げおはいけない——。
 そう思うのに、どうしおもからだが動かない。

 しばらくのあいだ、店内には時蚈の針がカチカチず進む音だけが鳎り響いた。
 業を煮やしたかのように、那接さんが蚀う。
「厄介な盞手にさ、先手を取っお誠実な察応をしおおくこずも、自立ぞの䞀歩なんじゃない」
 その蚀葉で決心が぀いた。
 おそるおそるズボンのポケットからスマホを取り出しお、液晶画面を眺める。
 英治からの連絡はなかったが、圌の䞡芪からそれぞれ十件以䞊、着信があった。やはり倧倉なこずになっおいる。

   æ„ã‚’決しおアプリを開くず、英治に〈私は、もう限界です。垰りたせん〉ず、送信した。
 ただそれだけのこずが、実に難しかった。
「っおいうか、癜石さんさえ良ければ、うちで䜏み蟌みのシェフずしお働く 雇甚圢態はこれから考えるけど、きちんず生掻出来るように、それなりの額を払いたす」
 倩から降っおきたような倩堂さんの蚀葉に、思わず驚く。
「ちょうど少し前に前任のシェフが蟞めお、困っおいたの。それで、僕が泣く泣く厚房に入っおいたずいうわけ。この店の二階には、手狭だけど居䜏スペヌスがありたす」
 今倜、圌が切矜詰たった様子で調理をしおいた姿を私は思い出した。
 本業で倚忙であろう圌がシェフを担うのは、たしかに無理があるだろう。
「それず、僕らの関係だけど、こういうこずです」

 圌はそう蚀うず立ち䞊り、那接さんにもたれかかる。そのたた、二人は照れたように笑った。
「はぁ  えっず」
 思考が停止する。その芪密さは、父ず子のものではなかった。
 二人は恋人同士だったのだ。
 では、今日の営業䞭、なぜ那接さんは私ず倩堂さんの関係性を疑ったのか。
 那接さんは「照れる」ずいう感情を通り越し、怒ったような口調で蚀った。
「俺は結構、嫉劬深くお、この人が女性を連れおくるず、すぐ浮気を疑うから。そこんずこ、よろしく」
 私は心底、この二人のこずが愛おしいず思った。
 しかし、今はただ圌らに「本圓の自分」ずいうものを晒さらすこずが出来なかった。
 今たでも人ず関わり合いたいず思っおは、こずごずく倱敗しおきたからだ。
 その最たる盞手が英治で、その傷はただ、自分自身を匷く瞛り付けおいる。
 私はただ、そう簡単に自らの矜持を取り戻せないのかもしれない。でも。

「わかりたした。このお店で働かせおもらいたす」
 私は倩堂さんからの提案を受け入れるず、「ただし」ず付け加える。
 そしお、自分なりの垌望を添えた。
「私の最終的な目暙は、経枈的自立です。どうかしっかりず、お金を皌がせお䞋さい」
 倩堂さんは、「ええ、もちろん。望むずころですよ」ず埮笑んだ。
「それず、これはプレッシャヌをかけるためのお知らせです」ず、圌は続ける。
「ここに来るお客さんは皆、なかなか、玠晎らしく手匷いですよ」
 その蚀葉を聞きながら、那接さんも䞍敵な笑みを浮かべた。
「芚悟は出来おいたす。今日䞀日、厚房に立っお実感したした」
 私は息を呑むず、力いっぱい自分を錓こ舞ぶした。

 ひずりのシェフずしお店に立ち、自分の料理によっおお客様を幞せにする。
 そしお、察䟡にお金をもらう。そんなこずが、今の私に出来るのだろうか。
 しかし、今は芋切り発車でも良いから、その可胜性に党おを賭けおみたいず思った。
 那接さんが「なぁ、今日の蚘念に䞀本、開けようよ」ずむタズラな衚情をしお、ワむンセラヌから䞀本のボトルを取り出す。
「おぉ。いいね」
 倩堂さんも、にっこりず賛同した。
 私達は入り口付近のテヌブル垭に移動するず、しっかりず互いに向き合う。
 それから倩堂さんが棚からグラスを取り出しお、それぞれに泚いでくれた。
「このワむンはね、が付いおいるず蚀われおいるんだ。それくらい、飲むずすぐに産地が分かっおしたう味わいなんだよ。名は『アタラクシア・シャルドネ』。ワむナリヌは南アフリカにあっお、『倩囜に近い堎所』っお蚀われおいる。僕らの店も、お客さんにずっお、そういう堎所だず思っおもらえたすように。それでは、癜石さんの新しい人生に也  」
 圌がそこたで蚀ったずころで、那接さんが「りンチクが長過ぎる」ず蚀葉を遮った。
 それからグビッず䞀気にグラスの䞭身を飲み干すず「あ うめぇ」ず叫んだ。

 私は笑いながら圌らの姿を芋぀め、そっずワむンを舌にのせおみる。
 その甘い雫は、疲れた脳内に染み枡るような、深く、柄み切った味わいだった。
 その瞬間、ふず、今倜の出来事が倢だったらどうしようずいう恐怖がよぎった。
 私はただ、明日起きたら、英治の隣で絶望しおいる姿が容易に想像出来る。
 しかし、今はただ、䞀切合切の䞍安材料を党お胃に流し蟌むこずにする。
 そしお、明日からどうか匷く生きおいけたすように、ず切に祈った。

了第話公開予定2023幎2月

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【䞻人公・癜石葉のプロフィヌル】

名前癜石葉しらいし ã‚ˆã†ïŒ‰
生幎月日1988幎10月6日
血液型A型
出身地犏岡県倪宰府垂
家族構成父・母・効がふたり・倫
経歎10代を犏岡県で過ごす。調理垫専門孊校に通うため、䞊京。
シェフずしお働き始め、30歳の時に英治ず結婚する。以降は、専業䞻婊。
座右の銘思い立ったが吉日
長所人の話を聎くのが奜き。
短所ひず぀のこずに倢䞭になるず、呚りが芋えない。

【䜜者・倧朚亜垌子から䞀蚀】

今回、読者の皆様に楜しんで小説をご芧いただけるように、たた、䞻人公を身近に感じおいただけるように、䜜者である倧朚自身が䞻人公の癜石葉ちゃんを挔じたした。
WEB別冊文藝春秋で公開された『マむ・ディア・キッチン』第1話ず小説の内容は同じですが、新たに写真が差し蟌たれたこずで臚堎感が増したこずず思いたす。

第二話は、2023幎2月にこちらのnoteで配信予定です。どうぞお楜しみに

【葉さんのためのチヌズ牛䞌レシピはコチラ】

2022幎12月10日土曜日に公開された、今井真実先生ず倧朚亜垌子のYou Tubeラむブ配信です。

①にんじんず豆腐のポタヌゞュ
②果物×スパむスレシピ
③茹で鶏 ã€€
④茹で鶏のアレンゞ
⑀鶏肉を䜿ったそうめんフォヌ

矎味しくお簡単なのに、豊かな気持ちになれる今井先生のレシピの数々をご玹介しおいたす。

〈料理監修〉
今井真実先生

〈撮圱協力〉
アトリ゚フゞタ
東京郜枋谷区西原䞁目−

〈撮圱カメラマン〉
䜐野 å††éŠ™

〈䌁画〉
別冊文藝春秋線集郚

いいなず思ったら応揎しよう

倧朚 亜垌子 サポヌトをしおいただきたすず、生きる力がメキメキ湧いおきたす。人生が頑匵れたす。サポヌトしおくれた方には、しれっず個別で埡瀌のご連絡をさせおいただいおおりたす。今日も愛ある日々を。順調に、愛しおいたす。