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エビフライが美味しすぎるから死にたい。

    わたしは、人の死をたくさん見てきた。

    「お疲れさま」と言われる死も。

    「どうして」と言われる死も。

    「ありがとう」と言われる死も。

    「なんでこんなことに」と言われる死も。

    たくさん、見せてもらってきた。

    そしてわたしは、死にたい人にもたくさん出逢って生きてきた。

    「死にたい」と絞り出すあなたの声が、耳の奥にこびりついて離れない。

    「死にたい」を前に、わたしは無力だ。

    なんにも出来ない。

    「死なないでほしい」と伝えるのは簡単だと思う。

    あなたが死んでしまったら悲しいし、きっと罪悪感に苛まれるし、たぶんちょっぴり後味が悪い。

    人の死はそういうものだと、わたしは学習してきた。

    それでも「死なないでほしい」と、わたしの唇は簡単には言葉を紡ぐことが出来ない。

    だって、わたしが、わたし自身が、死にたいと思って生きてきたから。

    ーーー

    「もういいかな」

    最初にそう思ったのは、ずいぶん昔のこと。

    まだランドセルを背負っていた、あの頃。

    わたしは既に、生きることを諦めたくなっていた。

    何故かと問われても、明確な答えは持ち合わせていない。

    なにかあった訳では、ないのである。

    生きていることは、そんなに特別で輝いたものではないと、そう思っていたから。

    わたしはだれかの「死にたい」より自分の「死にたい」に先に出逢っていたのだと、大人になってから気がついた。

    だからこそ「死なないでほしい」とは言えなかった。

    その言葉が”死にたいわたし”に響かないことを、わたし自身が一番よくわかっていた。

    人間とはずいぶん勝手な生き物で、立場が変われば簡単に掌をひっくり返す。

    わたしは「死なないで」と言われて死を思い止まれないのに、死にたい人に「死なないで」と伝えたくなってしまうのだ。

    それはきっと、たくさんの”死んでしまった人”を見てきたからだと思う。

    死んでしまった人を囲む、遺された人と共に。

    死にたいまんまで、死にたい人と死んでしまった人を見つめて生きてきた。

    それしか、出来なかった。

    わたしは今日も、死にたいまんまで生きている。

    ーーー

    わたしは食べ物で一番エビが好きだ。

    この前友達と食べたエビフライも美味しかった。

    だけどわたしは、まだ死にたい。

    エビフライが美味しいこの世界で、わたしは今日も死にたいまんまで生きている。

    ーーー

    Photographer : NAYO

     
     
    94年兵庫県宝塚市生まれ | 湯灌師と訪問診療アシスタントをしていました |ときどき裸で作品の一部になっています | 紙の作品集はこちらから→ https://a5uk4.theshop.jp | 人の死と美しさについて考えることがすきです

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