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ハッカーハンター・シリーズ/Act.3/AIクライム 第八章 追い詰められた正義


第八章 追い詰められた正義


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 五週目の火曜日、朝八時。桐生はKISSオフィスのミーティングルームに全員を集めた。
 テーブルの上にホワイトボードのマーカーが三色並んでいる。赤、青、黒。桐生はこの三色を使い分ける。赤は事実。青は作戦。黒は仮説。今日は青の出番が多くなるはずだった。
「今週の動きを説明する。二つのことを同時に進める」

 桐生は青いマーカーでホワイトボードに「矢島部長」と「バックアップ」の二つの語を書いた。
「一つ目。矢島情報システム部長に、調査結果を提示して協力を求める。矢島さんは社長派だ。AI導入を社内で調整した側の人間で、AI推進課の直接の上司でもある。矢島さんに事態の深刻さを理解してもらい、次の段階に進むための足場を作る」
「矢島さんに全部話すんですか」
 中村が訊いた。
「全部ではない。漏洩の原因がAIにあること、AIに仕様外の機能が実装されていること、破壊の準備が進んでいること。この三点を伝える。容疑者がAI推進課の二人だという推定は説明しない。矢島さんが自分で判断する材料を残すようにする」
「矢島さんなら、材料を見れば自分で気づきますね」
 田中が言った。田中は二週間、矢島の近くで仕事をしていた。矢島の観察力と判断力を直接見てきた。技術者の目を持つ管理職だ。情報を与えれば、結論は自分で出す。
「そうだ。矢島さんに気づいてもらう。こちらから犯人の名前を言うのではなく、矢島さん自身が事実を見て判断する。そうすることで、矢島さんは当事者になる。外部から指摘されたのではなく、自分の部下の問題を自分で認識した。その立場であれば、矢島さんは自ずと協力へと傾く」
 これは、桐生のやり方だった。人に結論を押しつけるのではなく、結論に辿り着くための材料を渡す。相手が自分で辿り着いた結論は、押しつけられた結論よりも強い。相手を動かすには、相手自身の判断で動いてもらう必要がある。

「二つ目。バックアップの作成」
 桐生はマーカーで「バックアップ」の語句を丸で囲んだ。
「破壊の準備が進んでいる。山田さんの解析では、破壊偵察処理の頻度がこの二週間で上がっている。堀内さんを通じて『調査が進んでいる』という情報が二人に伝わった今、梶原課長が破壊の実行に踏み切る可能性がある。実行されれば、東海精機の全サーバーのデータが暗号化される。バックアップも暗号化されれば復旧は不可能になる」
 誰も口を開かなかった。中村は視線を山田へ向け、田中はペンを握り直した。佐藤はホワイトボードを見ている。
 桐生が続けた。「だから、先にバックアップを取る。東海精機のサーバーから、すべてのデータを外部媒体にコピーする。ログファイルも別途保全する。このバックアップがあれば、たとえ破壊が実行されても復旧できる」「全サーバーのバックアップって、相当な量ですね」と山田が言った。アロハシャツは黒いパンツにインしたままだった。AIの解析を始めて以来、裾を出していない。
「田中さんに計算してもらった」と桐生は言った。
 田中が答えた。「東海精機の全サーバーのデータ総量は約十二テラバイトです。圧縮すれば半分程度に収まりますが、コピーに数時間かかります。一晩では終わらないかもしれません」
「一晩で終わらなければ、二晩使う」と桐生は続けた。
「田中さんがサーバールームでバックアップを作成し、中村さんが外部媒体を社外の安全な場所に運ぶ。二人で役割分担する」
「田中さんの常駐契約は先週で終わってますよね。どうやってサーバールームに入るんですか」と佐藤が訊いた。佐藤はいつもそうだ。作戦の大枠ではなく、実行の細部に目を向ける。穴があれば佐藤が見つける。
「そこで矢島さんの協力が必要になる。矢島さんに事態を説明し、田中さんがサーバールームに入れるよう手配してもらう。追加の保守作業という名目で、再入構の口実を作る」
 桐生は佐藤を見た。
「佐藤さん、再入構の書類を準備してくれ。保守契約の延長という形で。矢島さんの承認があれば通る」
「わかりました。午前中に用意します」
「田中さん、バックアップの手順を詰めてくれ。どのサーバーから先にコピーするか。優先順位は、経理データ、人事データ、経営会議資料、製造データの順だ。万が一、途中でバックアップが中断された場合でも、最低限のデータが確保できるようにする」
「了解です。外部媒体は何を使いますか」
「SSDの外付けドライブを四台用意してある。それぞれ四テラバイト。昨日、山田さんが秋葉原で買ってきた」
「秋葉原じゃなくて浜崎の家電店だけどな」
 山田が訂正した。
「山田さん、四台も持って帰ったんですか?」と田中が訊いた。
「リュックがパンパンだった。店員に何に使うのか聞かれた」
「何て答えたんですか?」
「アニメの録画だって言った」
「四台で?」
「大作シリーズだって言ったら納得してた」
 田中が吹き出した。中村も笑った。佐藤は呆れた顔をしていたが、口元は緩んでいた。桐生だけが笑わずに、ホワイトボードに作業の時系列を書き加えていた。
「午前中に矢島さんに連絡をする。午後、矢島さんに会う予定だ。水曜日の深夜からバックアップ開始する。遅くとも土曜日までに完了させる。それまでに破壊が実行されないことを祈る」
「祈るって、桐生さんらしくないですね」佐藤は横から言った。
「これは確率の話だ。堀内さんが二人に情報を流してから一週間以内に梶原課長が動く確率は高くない。梶原課長は衝動的な人間ではない。渡辺さんの話からも、梶原さんの行動は計画的だ。追い詰められたとしても、すぐに引き金を引くのではなく、次の手を考える。その猶予が、今週いっぱいはあると見ている」
「見ている、ですか?」
「予測はできない。だからバックアップを急ぐ」

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A305

 
 
プライム上場企業で43年。現場・システム・経営企画・総務・広報・販促を経験、一貫してシステム構築に関与。IBM・NECで講演・セミナー講師も。今はITミステリー・警察小説を執筆。代表作「ハッカー・ハンター」「渋谷警察署嘱託捜査班 」。AI創作・ITセキュリティ記事発信。広島在住。

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