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ハッカーハンター・シリーズ/Act.3/AIクライム 第十章 経営の神様


第十章 経営の神様


─── 1 ───

 事件から三日後の木曜日。桐生は東海精機を訪れた。
 矢島部長に調査結果の最終報告をするためだった。正式なレポートは後日提出するが、口頭での報告を求められていた。四階の小会議室。月曜日に梶原と安藤に聴取をしたのと同じ部屋だった。蛍光灯の光が白い壁に反射して、部屋全体が明るすぎるくらいだった。
 矢島は窓際の椅子に座っていた。銀縁の眼鏡の奥の目は疲れていた。この一週間、矢島は復旧作業の指揮と社長への報告、各部署との調整、外部からの問い合わせ対応を一人で背負ってきた。五十歳の管理職の肩に、上場企業の危機管理の全重量がかかっていた。しかし矢島は崩れなかった。椅子に座る姿勢は真っ直ぐで、桐生を見る目は澄んでいた。

 桐生は、調査で判明した事実を一つずつ報告した。AIには三つの不正な機能が組み込まれていた。
 一つ目。情報を収集し外部へ送信する機能。
 二つ目。人事評価に介入する機能。
 三つ目。そして、システム破壊に向けた準備と実行の機能。
 それらがどのように使われたのか。三か月間にわたる犯行の流れ、漏洩情報が選ばれた基準、破壊の計画、バックアップによる復旧までの過程を、時系列で整理して説明した。
 矢島は黙って聞いていた。ペンがノートの上を走っている。技術者が技術者の報告を聞く時の姿勢だった。質問はなかった。月曜日の面談の時点で、矢島はすでに全容を理解していた。今日の報告は確認作業であり、桐生と矢島の間での認識の擦り合わせに過ぎなかった。

 やがて、報告が終わった。矢島はノートを閉じた。
「レポートは来週中にお届けします。技術的な分析結果を含む詳細な報告書になります」
「お願いします。社長にも共有します」
 桐生はうなずいた。報告は終わった。そして、少し間を置いた。だが、桐生が今日ここに来たのは、報告だけが目的ではなかった。
「矢島さん、少しお時間をいただけますか。技術の話ではなくて」
 矢島は桐生を見た。桐生の声のトーンが変わったことに気づいたのだろう。ノートを脇に置き、椅子の背にもたれた。
「どうぞ」
 矢島は、ノートを脇に置きながら短く答えた。

─── 2 ───

 桐生は言葉を選んでいた。
 事件を追う中で、桐生の中で一つの考えが輪郭を帯びていった。それは証拠から導かれた技術的な結論ではない。人間という存在についての結論だった。矢島には、それを伝えておきたかった。これから東海精機の未来を決める場に立つ人間だからだ。そのとき、この事件で得た一つの視点が、判断を支えることになるかもしれない。
「梶原課長の気持ちはわかります」
 桐生はそう切り出した。矢島の目がわずかに動いた。
「会社を変えたかった。正しい方向に進めたかった。EV化の波が来ている。業界が変わろうとしている。その中で東海精機が生き残るためには、AIを活用し、DXを推進し、古い体質を変えなければならない。梶原さんはそのために来た。その目的は、間違っていなかったかもしれない」

 桐生はそこで一度、言葉を切った。窓外からは、工場の稼働音がかすかに忍び込んでくるだけだった。製造ラインは復旧し、通常稼働に戻っている。社員たちは今日も部品を作っている。
「でも、目的がどれほど正しくても、手段を正当化することはできません」
 桐生の声がわずかに低くなった。穏やかな口調のまま、迷いはなかった。
「梶原課長は、故意に機密情報を漏洩させた。取引先や銀行の信用を傷つけた。二千人の社員の生活を危険にさらした。人事評価を操作して、社員の人生に不当に介入した。そして最後に、会社のシステムを破壊した。会社を良くしたいという目的でこれらの行為を帳消しにすることはできません」

 矢島は無言で耳を傾けていた。卓上で固く組まれた両手は、指の関節が白く浮き上がっている。
「目的と手段は別の問題です。どんなに立派な志を掲げようが、法を犯した時点でそれはただの犯罪になります」桐生は発言を続けた。
「梶原課長は、目的ではなく手段を間違えた。その一点が、この事件を生んだのだと思います。彼には技術があった。AIに関する知識も、会社を変えたいという思いも、本物だった。社長の理念に共鳴し、より良い未来を作ろうとしていたことも疑いません。ただ、正しいと思う目的のために、正しくない方法を選んでしまった。そこで、梶原さんが信じていた正義は、もう誰かを守るものではなくなったのだと思います」
 矢島は桐生の瞳をじっと見つめ返した。そこには反発も、安易な肯定もない。ただ、投げかけられた言葉の重みを、真っ直ぐに受け止めようとする眼差しがあった。

─── 3 ───

 
 
 

A305

 
 
プライム上場企業で43年。現場・システム・経営企画・総務・広報・販促を経験、一貫してシステム構築に関与。IBM・NECで講演・セミナー講師も。今はITミステリー・警察小説を執筆。代表作「ハッカー・ハンター」「渋谷警察署嘱託捜査班 」。AI創作・ITセキュリティ記事発信。広島在住。

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