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偽月の檸檬🍋第12話 灯台の偽証(最終話)

    月灯り祭の夜、月ヶ浦は光に包まれていた。

    港には屋台が並び、紙ランタンが風に揺れている。

    犬の絵。
    船の絵。
    変な顔のレモン。
    白い灯台。
    赤い靴。

    子どもたちが描いたランタンには、どれも少しずつ違う月が浮かんでいた。

    魚屋のおばちゃんは、いつも通り大きすぎるおにぎりを握っていた。

    「祭りの日に腹すかせて泣く子を出したら、月に顔向けできへんやろ!」

    その声が、港の端まで響いていた。

    でも澪には、その温かさが遠かった。

    月灯り堂は焼けた。

    青いカップは割れた。

    レモンパイの甘い匂いは、焦げた煙に変わった。

    その焼け跡の前を通るたび、澪の胸には黒い穴が開く。

    けれど、今夜は立ち止まれなかった。

    灯台へ行かなければならない。

    18年前、すべてが始まった場所へ。

    白い灯台は、岬の先に立っていた。

    夜の海を見下ろし、ゆっくりと光を回している。

    その光は、澪が子どものころから変わらなかった。

    変わらないものなど、本当は何もなかったのに。

    澪は坂道を上っていた。

    手には、葵の写真。
    胸元には、葵の研究ノートの写し。
    怜司の手には、海斗が守ったメモリーカード。

    アンは赤いバンダナを揺らしながら、澪の横を歩いていた。

    いつものように前を走らない。

    今夜は、澪の足に歩幅を合わせている。

    「澪」

    アンが言った。

    「何」

    「怖いな」

    澪はうなずいた。

    「怖い」

    「逃げたいな」

    「うん」

    「でも行くんやな」

    「行く」

    アンは鼻をひくひく動かした。

    「ほな、アンも行く。犬はな、怖い時ほど飼い主の横におるもんや」

    澪はアンを見た。

    「ありがとう」

    「礼は焼き芋でええで。感動の場面でも支払い方法は大事や」

    澪は少しだけ息を吐いた。

    笑いではない。

    でも、足が前へ出た。

    怜司は澪の少し前を歩いている。

    肩の包帯も、脇腹の包帯も、血がにじんでいた。

    沙江との対面のあと、彼はほとんど話していない。

    母が葵を落とした。

    母が18年前に偽証した。

    母の嘘が、黒瀬家を壊した。

    怜司は、その全部を背負って、今も前を歩いている。

    澪は言った。

    「怜司」

    怜司が振り返る。

    「ここから先、私の前に立たないで」

    怜司は少しだけ眉を動かした。

    「危険だ」

    「知ってる」

    「神崎は何をするかわからない」

    「それでも」

    澪は怜司を見る。

    「私は、もう誰かに守られて何も知らないままでいたくない」

    怜司は黙った。

    澪は続ける。

    「あなたが私の前に立つたび、私は助かった。でも同時に、あなたの背中しか見えなくなる」

    怜司の目が揺れた。

    「横にいて」

    澪は言った。

    「前じゃなくて。後ろでもなくて。横にいて」

    怜司はしばらく澪を見ていた。

    それから、小さくうなずいた。

    「わかった」

    アンが前足を止めて言った。

    「やっと隊形がまともになったな。これまで全員、感情の交通整理が下手すぎたで」

    灯台の下には、人影があった。

    最初に見えたのは、海斗だった。

    腹に包帯を巻き、救急車から抜け出してきたような顔色をしている。

    実際、その通りなのだろう。

    肩を押さえ、灯台の石段に腰をかけていた。

    澪は駆け寄る。

    「海斗、病院は」

    海斗は苦しそうに笑った。

    「怒られるのは後でまとめて受ける」

    「まとめるな」

    「澪ちゃんに怒られる分も、医者に怒られる分も、九条さんに殴られる分もあるから、効率よく」

    怜司が低く言った。

    「殴る体力はない」

    海斗は少し安心した顔をした。

    「助かりました」

    アンが海斗の足元を嗅ぐ。

    「血の臭い、だいぶ濃い。けど、裏切りの臭いはもう薄いな」

    海斗にはワンと聞こえただけだった。

    海斗はアンを見て言った。

    「アン、データ運搬ありがとうな」

    アンは胸を張った。

    「ようやく人間界が犬の偉業を認識し始めたな」

    灯台の反対側から、ナギが現れた。

    両手に包帯。
    頬に火傷の跡。
    髪は短く焦げている。

    その手には、焼け残った小さなノートがあった。

    月灯り堂のレシピノート。

    表紙の端は黒くなり、ページの半分は焼けていた。

    ナギは澪の前に立つと、深く頭を下げた。

    「澪」

    澪は何も言わなかった。

    ナギは震える手でノートを差し出した。

    「これ、焼け残った分だけやけど。葵が昔、書き込んでたページがあった」

    澪はノートを受け取らなかった。

    すぐには。

    ナギの手が震える。

    「私、燃やそうとした。葵の声も、あんたが知るべきことも、全部。守るつもりやった。でも、違った」

    ナギの声はかすれていた。

    「私は、澪を守るふりして、自分が怖いものを閉じ込めてただけや」

    澪は、ようやくノートを受け取った。

    焼けた紙の匂いがした。

    その中に、レモンの匂いが少しだけ残っていた。

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    「叔母さん」

    ナギの目に涙が浮かぶ。

    澪は静かに言った。

    「許せるかは、まだわからない」

    ナギはうなずいた。

    「うん」

    「でも、そのノートは持っていく」

    「うん」

    「姉ちゃんの声も聞く」

    「うん」

    「もう、私のために燃やさないで」

    ナギは泣きながら言った。

    「燃やさへん。もう、隠さへん」

    少し離れた場所に、沙江もいた。

    怜司の母。

    薄いコートを着て、両手を前で握っている。

    月明かりの下で、その手は小さく震えていた。

    葵を止めようとして、葵を落とした手。

    18年前、偽証で黒瀬家を壊した手。

    怜司は母を見た。

    沙江も怜司を見る。

    しかし、近づかなかった。

    母と息子の間には、まだ深い溝があった。

    それでも沙江は逃げずにそこにいた。

    自分の罪と一緒に。

    灯台の扉が開いた。

    神崎圭吾が立っていた。

    黒いスーツ。
    整った髪。
    白い手袋。
    いつもの静かな微笑み。

    灯台という荒い場所にいても、彼だけが汚れないつもりでいる。

    その背後には、神崎家の私兵が2人。

    1人は小型端末を持っている。

    澪はすぐにわかった。

    葵の証言映像の原本。

    神崎が消そうとしている最後の声。

    圭吾は澪を見た。

    「来たんだね」

    澪は答えた。

    「姉の声を返してもらいに来ました」

    圭吾は首を傾けた。

    「声だけでいいのかな」

    「名前も」

    澪は言った。

    「葵の名前も、本物のリオの名前も、あなたが沈めた人たちの名前も返してもらう」

    圭吾は静かに笑った。

    「名前は、人を幸せにしないよ」

    怜司が低く言う。

    「奪う人間が言う言葉じゃない」

    圭吾の視線が怜司へ移る。

    「九条くん。いや、黒瀬ユウリくんと呼ぶべきかな」

    怜司の顔がわずかに強張る。

    圭吾は続けた。

    「君は、自分が何をしたか知りたいだろう。18年前、灯台で血まみれだった理由を」

    澪の胸が鳴った。

    怜司も動かない。

    圭吾は階段を上へ示した。

    「上で話そう。灯台の上が一番ふさわしい」

    澪は灯台を見上げた。

    白い塔。

    18年前の夜、すべてが狂った場所。

    逃げる理由はなかった。

    澪は一歩踏み出した。

    怜司も横に並ぶ。

    アンがその間に割り込もうとして、階段の狭さに顔をしかめた。

    「灯台、犬幅への配慮が足りへんな」

    海斗が後ろで笑いそうになり、傷に響いて顔をしかめた。

    「笑わすな、アン」

    「勝手に笑ったんやろ」

    一行は、灯台の中へ入った。

    螺旋階段を上る。

    石の壁。
    古い鉄の手すり。
    潮風。
    足音。

    上へ進むほど、祭りの音が遠くなっていく。

    太鼓。
    子どもたちの声。
    屋台の笑い声。

    遠くなる。

    代わりに、18年前の記憶が近づいてくる。

    澪は手すりを握った。

    小さな自分。
    赤い靴の葵。
    レモン飴。
    灯台の光。
    血まみれのユウリ。

    怜司が横で息を荒くしている。

    傷のせいだけではない。

    この場所が、彼の中の閉じた扉を叩いている。

    灯台の上へ出ると、風が強かった。

    月ヶ浦の海が黒く広がっている。

    港のランタンが、小さな星みたいに揺れている。

    下では月灯り祭が続いている。

    この上だけが、別の時間に切り離されていた。

    圭吾は灯台の外周に立った。

    私兵の男が端末を三脚に固定する。

    画面には、葵の映像ファイルが表示されていた。

    原本。

    海斗が盗んだコピーよりも、長い映像。

    圭吾は言った。

    「葵は、最後まで余計なものを残す女だった」

    澪は拳を握る。

    「あなたが消したかったものですか」

    「彼女は強すぎた」

    「何度もそれを言うんですね」

    「事実だからね」

    澪は圭吾を見た。

    「強い人を閉じ込めたのは、あなたが弱いからです」

    圭吾の微笑みが少しだけ消えた。

    怜司が澪の横に立つ。

    圭吾は端末に手を伸ばした。

    「この映像を消せば、残るのは曖昧な証言と焼けた資料と、傷だらけの容疑者たちだけだ」

    海斗が背後で言った。

    「コピーはある」

    圭吾は振り返らずに答える。

    「編集されたコピーだと言えばいい」

    沙江が一歩前に出た。

    「私が証言します」

    圭吾はやっと彼女を見る。

    「沙江さん。あなたの証言は、18年前と同じで不安定だ」

    沙江の体が震える。

    けれど、逃げなかった。

    「18年前、私は偽証しました。あなたたち神崎家に脅され、黒瀬家を壊しました。ルナ・タワーの屋上では、葵さんを止めようとして、落としました」

    圭吾は静かに言った。

    「自分を守るために、また都合のいい証言をするのかな」

    沙江は涙を浮かべた。

    「そう言われても、今度は話します」

    ナギも前へ出た。

    「私も話す。葵が生きてるかもしれへんと知ってて、澪に隠した。月灯り堂の資料を燃やそうとした。澪を守るつもりで、真実を殺そうとした」

    圭吾はため息をつく。

    「みんな、急に正直者になったものだね」

    アンが低くうなった。

    「正直になるのに18年かかった人らや。嫌味言う権利は神崎にはないで」

    澪には聞こえた。

    そして、その言葉で少しだけ背筋が伸びた。

    怜司が端末へ近づこうとする。

    私兵が止める。

    その瞬間、海斗が動いた。

    傷ついた腹を押さえながらも、私兵の足元へ体当たりする。

    「今!」

    アンが走った。

    赤いバンダナを翻し、もう1人の私兵の足に飛びつく。

    「灯台の革靴にも行くで!」

    澪は端末へ手を伸ばす。

    圭吾が彼女の腕をつかんだ。

    「澪」

    その声は、優しかった。

    白鴎館で何度も聞いた声。

    支援者の声。
    保護者の声。
    所有者の声。

    澪はその手を振り払った。

    「触らないで」

    圭吾の表情が、初めてはっきり歪んだ。

    「君には、何もわかっていない」

    「わかっていないことを、もう恥じません」

    澪は言った。

    「だから知るんです」

    怜司が端末を操作し、映像を再生した。

    画面にノイズが走る。

    風の音。

    そして、葵の顔が映った。

    澪の息が止まる。

    黒いドレスではない。

    映像の葵は、白鴎館の地下の部屋にいた。

    白い壁。
    白い花。
    止まった時計。

    葵はカメラに向かって座っていた。

    顔はやつれている。

    でも、目は澄んでいた。

    「澪」

    その一言で、澪の膝が崩れそうになった。

    怜司が横で支える。

    今度は、前に立たず、横で支えた。

    葵は続けた。

    「これを見ているなら、私はもう、あなたの前でちゃんと話せなかったんだと思う」

    澪は画面を見つめる。

    「ごめんね。ずっと黙っていて。リオの名前で生きていたこと。本物のリオが私を逃がしてくれたこと。神崎家の罪を追っていたこと。全部、あなたに言えなかった」

    映像の中の葵は、少し笑った。

    その笑い方は、澪が知っている姉のものだった。

    「澪は、きっと怒ると思う。泣くと思う。自分を責めると思う。だから先に言っておきます。あなたのせいじゃない」

    澪の涙が落ちた。

    「私はリオの名前を背負って生きると決めました。怖かった。逃げたかった。でも、リオが私を逃がしてくれたから、私はただの被害者では終われなかった」

    本物のリオの写真が、澪の胸の中で熱を持った気がした。

    葵は続ける。

    「神崎の罪は、香りの中に隠しました。澪なら、いつか気づくと思った。月ヶ浦のレモンの苦みを、あなたは本当は忘れられない子だから」

    アンが小さく言った。

    「葵ちゃん、澪のことよう見てるな」

    澪は涙を拭かなかった。

    葵の映像は続く。

    「それから、ユウリくんのこと」

    怜司の体がこわばった。

    澪も息を止めた。

    「澪。あなたがユウリくんを好きになったら、きっと自分を責めると思う。姉ちゃんを裏切ったって思うと思う」

    澪は泣きながら首を振った。

    その通りだった。

    海で写真を見た時から、ずっとそう思っていた。

    葵とユウリの写真。

    姉が好きだったかもしれない男。

    姉を殺したかもしれない男。

    その男に惹かれる自分。

    最低だと思った。

    葵は画面の中で、優しく首を振った。

    「でも、私が守りたかったのは、あなたが誰かを好きになっても、自分を嫌いにならなくていい未来です」

    澪は声を殺して泣いた。

    怜司の手が、澪の手を探した。

    澪は、その手を握った。

    葵は続ける。

    「ユウリくんは、あの夜、私を刺していません」

    怜司の呼吸が止まった。

    映像が切り替わる。

    18年前の灯台。

    古い映像だった。

    画質は荒い。

    月灯り祭の夜。

    灯台の下で、幼い澪がうつろな顔をして立っている。

    大人の男が、澪に小瓶を差し出している。

    「これを飲めば、怖いことは忘れる」

    その声は、神崎家の関係者らしき男の声だった。

    幼い澪は手を伸ばしかける。

    その時、少年が飛び込んできた。

    黒瀬ユウリ。

    少年の怜司。

    「澪に触るな!」

    ユウリは男の手から瓶を奪った。

    男が怒鳴る。

    もみ合いになる。

    瓶が割れた。

    破片が、ユウリの手を深く切った。

    血があふれる。

    ユウリはそれでも瓶の残りを握りしめ、澪の前に立った。

    血まみれの手で。

    その後ろに、葵が走ってくる。

    本物のリオもいた。

    赤い靴。
    白いワンピース。
    灯台の光。

    映像はそこで乱れた。

    だが、十分だった。

    18年前、灯台で血まみれだったユウリは、葵を刺した少年ではなかった。

    澪を薬から守るために、自分の手を切った少年だった。

    澪の初恋は、最初から澪を守っていた。

    怜司は画面を見つめたまま、崩れるように膝をついた。

    「俺」

    声が出ない。

    「俺は、葵さんを」

    澪も膝をつき、怜司の前に座った。

    「刺してなかった」

    怜司の目から涙が落ちた。

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    18年間、自分を疑い続けた男の涙だった。

    父を失い、名前を捨て、母の嘘に守られ、真実から遠ざけられた男の涙だった。

    澪はその涙を見て、自分の中の何かがほどけていくのを感じた。

    怜司は葵を殺していなかった。

    姉を奪った男ではなかった。

    でも、全部がきれいになるわけではない。

    2人は互いを疑った。

    嘘をついた。

    傷つけた。

    それでも、ここにいる。

    澪は言った。

    「私は、あなたを疑ってた」

    怜司が顔を上げる。

    澪は逃げずに言う。

    「姉ちゃんを殺したのは、あなたやと思ってた。あなたが血まみれだった夜を、ずっと犯人の記憶にしてた」

    怜司はかすれた声で言った。

    「俺も君を疑ってた」

    澪の手が震える。

    怜司は続ける。

    「葵さんを落としたのは、君かもしれないと思ってた。映像を見て、ナイフを見て、記憶の穴を見て。それでも、君を檻に入れたくなかった」

    澪は涙の中で笑った。

    「最低やな、私たち」

    怜司も、少しだけ笑った。

    痛そうな笑いだった。

    「最低でも、君を守りたかった」

    澪は首を振った。

    「私も、最低でも、あなたをひとりで壊したくなかった」

    2人は向き合った。

    灯台の光が回り、2人の顔を白く照らした。

    次の瞬間、闇が戻る。

    でも、もう完全な闇ではなかった。

    圭吾が端末へ手を伸ばす。

    「感動的だね」

    その声で、空気が変わった。

    「だが、映像が残れば、月ヶ浦は終わる。神崎だけではない。役場も、警察も、企業も、君のLUNEも巻き込まれる」

    澪は立ち上がった。

    「終わらせます」

    圭吾の目が細くなる。

    「君の会社も崩れる」

    「崩れた上に、立ち直ります」

    「できると?」

    「嘘の上に立っていた時よりは、できます」

    圭吾は怜司を見る。

    「九条くん。君の母も裁かれる」

    怜司は沙江を見た。

    沙江は涙を流している。

    それでも、怜司を見返した。

    怜司は言った。

    「裁かれるべきだ」

    沙江は小さくうなずいた。

    「はい」

    圭吾はナギを見る。

    「ナギさんも、月灯り堂を燃やした」

    ナギは火傷した手を握りしめる。

    「認めます」

    海斗が苦しそうに立ち上がる。

    「俺も、捜査情報を流した。芝居とはいえ、澪ちゃんを神崎に渡した」

    アンが眉のように目元を動かした。

    「犬的には、全員だいぶ問題あるで」

    澪はアンを見た。

    「私も」

    澪は言った。

    「私は、怜司を守るために嘘の証言をした。自分の会社の資料を隠そうともした。怖くて、何度も自分を犯人にしようとした」

    怜司が続ける。

    「俺は証拠を消した。澪を警察から奪った。刑事として越えてはいけない線を越えた」

    圭吾の顔から、余裕が消えていく。

    彼が握っていたのは、全員の弱みだった。

    だが、その全員が、自分の嘘を認め始めた。

    弱みは、隠している時に一番強い。

    明かされた嘘は、痛みにはなる。

    けれど、鎖ではなくなる。

    圭吾は端末をつかみ、灯台の手すりへ向かった。

    「なら、全員で沈めばいい」

    怜司が動く。

    しかし傷が深く、足元が崩れる。

    澪が先に走った。

    圭吾は端末を海へ投げ捨てようとする。

    その手に、アンが飛びついた。

    「犬を忘れるな!」

    アンは圭吾の袖に噛みついた。

    圭吾の手が止まる。

    海斗が残った力で体当たりする。

    端末が宙に浮く。

    澪は手を伸ばした。

    届かない。

    その瞬間、ナギが火傷した手を伸ばし、端末をつかんだ。

    痛みに顔をゆがめながらも、離さない。

    「今度は燃やさへん」

    ナギはそう言った。

    沙江が圭吾の前に立った。

    「もう、あなたの言葉では動きません」

    圭吾は沙江をにらむ。

    「沙江さん。あなたにその資格があると?」

    沙江は震えながら答えた。

    「資格はありません。だから、証言します」

    怜司が立ち上がった。

    ふらつきながらも、澪の横に並ぶ。

    「終わりだ、神崎」

    圭吾は周囲を見た。

    私兵は海斗とアンに足を取られ、動けない。

    沙江は証言を決めた。

    ナギは端末を守った。

    澪と怜司は、もう黙らない。

    灯台の下から、警察のサイレンが近づいてくる。

    海斗が事前に送っていた位置情報が、ようやく届いたのだろう。

    圭吾は笑った。

    乾いた笑いだった。

    「君たちは、真実が勝つと思っているのか」

    澪は答えた。

    「勝つかどうかはわかりません」

    怜司が続ける。

    「でも、嘘のまま終わらせない」

    圭吾は初めて、何も言えなかった。

    警察が灯台へ踏み込んできた。

    神崎圭吾は、その場で身柄を確保された。

    彼は最後まで暴れなかった。

    ただ、澪を見た。

    「君は、葵に似てきた」

    澪は答えた。

    「私は澪です」

    圭吾の目が、わずかに揺れた。

    それが最後だった。

    圭吾は連行された。

    灯台の上に、夜風が戻った。

    祭りの太鼓が遠くから聞こえる。

    灯台の光が、またゆっくり回る。

    映像の中の葵は、まだ最後の言葉を残していた。

    怜司が再生を続ける。

    葵はカメラの向こうで、少し疲れた顔で笑った。

    「澪。私は、あなたに嘘のない人生を残したかった。でも、うまくできなかった。ごめんね」

    澪は首を振る。

    「謝らないで」

    「ユウリくん。あなたは自分を責める子でした。あの夜も、澪を守ったのに、自分が何かを壊したと思い込んだ」

    怜司は画面を見たまま、唇を噛んだ。

    「2人とも、私のせいで苦しむかもしれない。でも、もし互いを好きになったなら、その気持ちを罰にしないでください」

    葵は少しだけ息を吸った。

    「誰かを好きになることは、死んだ人への裏切りではありません。生き残った人が、もう一度朝を迎えるための力です」

    澪の涙が、また落ちた。

    「澪。ユウリくんを好きになっても、自分を嫌いにならないで」

    映像の葵は、最後に言った。

    「私が残したかったのは、月より明るい真実じゃありません。暗い道でも、あなたが自分を見失わずに歩けるくらいの灯りです」

    映像が終わった。

    灯台の上に、波の音が戻る。

    澪は怜司を見た。

    「私、あなたを好きになったことを、ずっと姉ちゃんに謝らなきゃいけないと思ってた」

    怜司は言った。

    「俺は君を好きになったことで、やっとあの夜から出られた」

    澪は涙を拭いた。

    「もう、嘘で守らない」

    怜司はうなずく。

    「今度は、本当のことで傷つこう」

    アンが2人の足元で言った。

    「痛そうやけど、まあ、嘘で窒息するよりはええな」

    澪は初めて、ちゃんと笑った。

    泣きながら。

    怜司も少しだけ笑った。

    その夜、神崎圭吾は逮捕された。

    沙江は自首し、18年前の偽証と葵の転落についてすべて話した。

    ナギも、葵の生存を隠していたこと、資料を焼こうとしたこと、海斗を刺したことを認めた。

    海斗は病院へ戻され、警察官と医師の両方から怒られた。

    怜司は証拠隠滅と澪の連れ去りについて、自分から事情を話した。

    澪もまた、自分がついた偽証を認めた。

    嘘の代金は、誰にとっても軽くなかった。

    けれど、誰ももう、支払いから逃げなかった。

    月灯り祭の夜が明けるころ、灯台の上には朝の色が差し始めていた。

    澪は、白い灯台の壁に手を触れた。

    18年前から続いた夜が、ようやく終わろうとしていた。

    アンがあくびをした。

    「澪、朝や」

    澪は海を見た。

    黒かった水面が、少しずつ青くなっていく。

    「うん」

    怜司が隣に立つ。

    画像

    もう前ではない。

    後ろでもない。

    横に。

    澪はそのことを、静かに受け止めた。

    エピローグ 朝を分け合う

    数年後、月ヶ浦の月灯り祭は復活していた。

    港には、また屋台が並んでいる。

    子どもたちはランタンに絵を描き、魚屋のおばちゃんは相変わらず大きすぎるおにぎりを握っている。

    「今年は控えめサイズやで!」

    そう言いながら、両手いっぱいの米を丸めているので、誰も信じていなかった。

    白い灯台は、きれいに修繕されていた。

    その下に、新しい月灯り堂がある。

    青い屋根。
    白い壁。
    窓辺のレモンの鉢植え。

    古い店とは少し違う。

    でも、入口の鈴だけは焼け跡から見つかったものを磨いて使っていた。

    チリン。

    扉が開くたび、あの音が鳴る。

    店の奥には、葵の研究ノートと、ナギの焼け残ったレシピノートが並んでいる。

    その横に、本物の神崎リオの写真も置かれている。

    葵と手をつないでいた、気の強そうな目の少女。

    澪は毎朝、その写真に水を替えた白い花を置く。

    花は、毎週ではない。

    枯れたら替える。

    生きているものとして。

    飾りではなく。

    澪は月灯り堂の厨房に立っていた。

    エプロンをつけ、髪を後ろでまとめている。

    オーブンから、レモンパイの香りが広がる。

    新しいメニューの名前は、葵の月灯りパイ。

    甘い。

    けれど、少し苦い。

    レモンの皮の味が、最後にちゃんと残る。

    アンは店の入口近くで、赤いバンダナをつけて座っていた。

    年を取って、少し白い毛が増えた。

    でも目はまだ強い。

    「澪、焼けたで」

    「見ればわかる」

    「犬の確認は品質保証や」

    澪は笑った。

    パイを取り出し、粗熱を取る。

    その時、入口の鈴が鳴った。

    チリン。

    怜司が入ってきた。

    黒いコートではない。

    少し色あせたジャケットに、古いカメラを肩から下げている。

    刑事には戻っていない。

    今は、月ヶ浦と東京を行き来しながら、失われた町の記録や、人の肖像を撮っている。

    右手には、薄い傷跡が残っている。

    18年前、澪を薬から守った時の傷。

    澪はそれを見るたび、胸の奥が痛くなる。

    でも、その痛みはもう、嘘ではなかった。

    怜司はカウンターに座った。

    「焼けた?」

    澪は皿にパイを置く。

    「熱いよ」

    「わかってる」

    怜司はそう言って、すぐにひと口食べた。

    次の瞬間、顔が止まった。

    澪は腕を組む。

    「刑事やめても、そこは直らないんだ」

    怜司は水を飲みながら言った。

    「これは職業の問題じゃない。性格の事件だ」

    アンが床でため息をつく。

    「再犯率、高すぎや」

    澪は笑った。

    今度は、罪悪感なしに。

    店の窓から、白い灯台が見えた。

    朝の光が、海の上を渡ってくる。

    月灯り堂の窓に、その光が届く。

    澪は焼きたてのレモンパイを半分に切った。

    片方を怜司の皿へ置く。

    もう片方を、自分の皿へ置く。

    怜司が言った。

    「半分でいいのか」

    澪は答えた。

    「朝だから」

    「理由になってるか」

    「なってる」

    アンがすぐに言う。

    「アンの分は?」

    澪は小さく切った焼き芋を、アンの皿へ置いた。

    「犬にレモンパイはなし」

    アンは焼き芋を見て、満足そうにしっぽを振った。

    「まあ、これで手を打ったるわ」

    澪はカウンター越しに、怜司を見た。

    怜司も澪を見る。

    2人の間には、消えない過去がある。

    嘘も。
    罪も。
    失った人の名前も。

    でも今は、それを甘い香りで隠さない。

    苦みごと、同じ朝に置いている。

    月灯り堂の窓に、白い灯台の光が届いた。

    澪は焼きたてのレモンパイを半分に切り、怜司の皿へ置いた。

    今度は、嘘ではなく朝を分け合うために。

     
     
     
    マニアを卓越して、柴犬変態を目指しています Shiba Inu novel / talking dog / Animal Fiction

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