
赤いシャツ【創作大賞2026エッセイ部門応募作品】
プロローグ 「こんなチームは応援しない!」
「もう、こんなチームは応援しない!」
言った瞬間、終わったと思いました。
教師としても。顧問としても。
そして、この子たちとの関係も。
正直に言えば、怒りもありました。
「やってられるか」
そんな気持ちも確かにありました。
でも、それだけではありませんでした。
ここまで関わってきたものを、自分の手で壊した。
その確信の方が、ずっと大きかった。
静まり返る廊下。突き刺さる視線。
それでも私は、
その場を離れることができませんでした。
なぜなら私は、ずっと誰かを見つけたいと思って教師になったからです。
けれどその日、自分が見つける側ではなく、追い詰める側になっていることに気づいてしまいました。
これは、叱ることと見捨てないことの境界で、何度も踏み外しかけた一年の記録です。
第一章 「本当は勝ちたかったです」
引退試合が終わった時のことです。
前の代のキャプテンが、ぐしゃぐしゃの顔で私の前に立ちました。
「先生、本当は勝ちたかったです」
私は何も言えませんでした。
未経験だから仕方ない。
急に顧問になったのだから仕方ない。
専門的な指導なんてできなくて当然だ。
そんな言葉が頭の中に浮かびました。
けれど、そのどれも口にはできませんでした。
彼女は言い訳を求めていたのではありません。
ただ、本当に勝ちたかったのです。
私がテニス部の顧問になったのは、
その三か月前でした。
テニスは未経験でした。専門的な指導はできない。
だから生徒と楽しくやろう。
居心地の良い部活にしよう。
できたことを褒めよう。
自信をつけさせよう。
私は、それが良い顧問だと思っていました。
今振り返れば、それは優しさだったのかもしれません。
けれど同時に、
自分ができないことから
目を背けるための優しさでもありました。
勝たせる責任より、
嫌われない安心を選んでいたのです。
彼女の涙は、そのことを突きつけました。
私は初めて、
自分の「優しさ」が
誰のためのものだったのかを考えたのです。
そして決めました。
優しい顧問でいることをやめよう、と。
第二章 「テニス教えてあげるよ!」
新チームのキャプテンは、
いつも赤いウェアを着ていました。
コートに立つと真っ先に目に入る色。
練習が終わると職員室へやって来て、
「先生、もう学校には慣れた?」
「テニス教えてあげるよ!」
「若い女の先生で嬉しい」
そんなことばかり言う子でした。
ある日は、職員室の入口から
手を振るだけで帰っていきます。
またある日は、
「先生、一緒に写真撮ろうよ」
と言って、
私の返事も待たずにスマートフォンを構えていました。
テニスとも教育とも関係のない時間でした。
ただ歳の近い先生と仲良くなりたい。
それだけの、真っ直ぐな好意。
その屈託のない笑顔は、
孤独な指導の日々を支える
報酬のように感じられました。
だからこそ、私は自分に言い聞かせました。
この子の好意に甘えてはいけない。
優しい顧問に戻ってはいけない。
前のキャプテンの涙を、忘れてはいけない。
新チームで、ごまかさず向き合おう。
そう決めた私の指導は、
前の代の時とは明らかに違うものになっていきました。
第三章 恵みの雨
夏合宿が始まりました。
どこから手をつければいいのか。
キャプテンとの距離も埋まらないまま、
きっかけを探していました。
合宿初日の午後、突然雨が降り出しました。
恵みの雨だと思いました。
私は急遽、屋内でのミーティングに切り替えました。これまでの練習風景を撮影した映像を流すと、
暗い部屋に沈黙が落ちました。
しばらくして、一人が口を開きました。
「これが、私たちですか?」
「そうだよ。今のあなたたちだよ」
声は出ない。
ボールを必死に追わない。
試合では絶対に打たないようなボールを、
何となく返し続ける。
「どんなチームに見える?」
「弱そう」
別の部員が言いました。
「試合に繋がる練習をしてない」
私が指摘したわけではありません。
自分たちの姿を見て、自分たちで気づいたのです。
翌朝、六時三十分の集合時刻ちょうどに、
キャプテンと部長が現れました。
全員の中で最後の到着でした。
私は二人に言いました。
「人は役職についていくわけじゃない。
あなただからついていきたいと思われる
キャプテンと部長になりなさい」
その日の練習後、
廊下にラケットが乱雑に置かれていました。
私は、また二人を呼びました。
「どう思う?」
二人はしばらく黙っていました。
やがて、
「大事にしている人の置き方じゃないです」
と答えました。
ラケットを買ってくれた保護者のこと。
競技を続けられること。
当たり前になっているもののこと。
そんな話をしました。
二人はずっとラケットを見つめていました。
後になって思えば、
私が伝えた言葉より、自分たちで気づいたことの方が
大きかったのだと思います。
後日、合宿中の記録を見せてもらいました。
そこには、私に叱られた回数が数えられていました。
十六回。
その数字を見た時、
私は少し複雑な気持ちになりました。
けれど彼女たちは、その回数よりも、
自分たちの視野の狭さに気づき始めていたことを書いていました。
毎晩のミーティングでは、
自分自身とチームを振り返らせました。
何を感じたのか。
何が足りなかったのか。
明日どうするのか。
言葉にするたび、少しずつ変化が生まれていきました。
誰かが声を出すと、別の誰かが応える。
アウトボールを追わない部員に、仲間が声をかける。
待ち時間に足を止めている部員へ、
「試合中なら、もう一本返ってくるよ」と言う。
私が言う前に、
仲間同士で伝え合うようになっていました。
やがて彼女たちは、
自分たちでルールを決め始めました。
「アウトボールを追わない」
「試合だと思って全メニューに取り組む」
「待ち時間も足を止めない」
私の指示ではありません。
自分たちが納得して決めたことでした。
だから、誰も強制されずに守りました。
変わったのは、コートの中だけではありません。
対戦校の選手や顧問の先生方への挨拶が変わりました。
「応援されるチームになろう」
そんな言葉を、自分たちで言い合うようになりました。
合宿最終日の朝。
玄関を通ると、全員の靴が揃っていました。
第四章 一睡もできなかった夜
彼女たちの変化は、夏明けの公式戦にも表れました。
初戦敗退が常連だったチームが、
三回戦まで進むようになったのです。
そこへ文化祭が来ました。
初めてのキャプテンという重責に、
クラスの出し物の係が重なっていました。
彼女が人知れず限界を迎えていたことに、
私は気づきませんでした。
文化祭は無事に終わり、
次の公式戦に向けて放課後練習をしていた、
ある日のことです。
走り込みの最中、彼女だけが突然歩き始めました。
疲労や体力不足ではありません。
明らかに私への反抗でした。
彼女をコートの外へ呼びました。
「言いたいことがあるなら、言葉で言いなさい」
「いや、特にないです」
「じゃあ何で歩き出したの?」
「いや、別に大丈夫です」
「言葉にしなかったら何も分からない。
大丈夫じゃなくて、ちゃんと言葉にして伝えなさい」
口を真一文字に結び、目を真っ赤にしたまま、
彼女はようやく言いました。
「テニスなのに、走り込むの意味なくないですか?」
私は面食らいました。
すると、彼女は畳みかけるように続けました。
「先生がやってたバスケじゃなくて、テニスですよ」
「意味ない、そう思ったから歩きました」
私が、
テニス未経験だと知った上でぶつけてきた言葉。
敵意を隠そうともしませんでした。
「勝つチームにしたいって言ってたじゃない」
彼女は、私を睨みました。
「応援されるチームになるって自分たちで決めて、
あなたもキャプテンとして誰よりも努力して、
全体を引っ張ってきたじゃない」
顔をこわばらせたまま、彼女は言いました。
「もう別にどうでもいいです。部活辞めるんで」
寝耳に水でした。
私とぶつかり合い、雰囲気が悪いとはいえ、
誰よりも勝つために努力してきた彼女が、
辞める決断をしている。
しかも、
その決断の前に私のところへ相談に来なかった。
「優しい顧問」を辞め、現実を突きつけ続けた結果、
私は彼女を一人追い込んでいました。
「疲れました。キャプテンも初めてだし、
文化祭も係だったし、もう疲れたんです」
彼女は唇を噛み締めていました。
鋭い視線で私を睨んでいるように見えました。
でも、その目を見た瞬間、気づきました。
彼女は私を睨んでいたのではありません。
涙がこぼれ落ちないように、
必死にこらえていたのです。
その時になって初めて気づきました。
私は、彼女の態度ばかりを見ていた。
反抗していること。
睨んでくること。
言い返してくること。
でも、
その奥にある苦しさを見ようとしていませんでした。見ているつもりで、見ていなかったのです。
私こそ、この子に何も伝えていませんでした。
夏の合宿からチームが変わったのは、
あなたがキャプテンとして仲間に働きかけ、
努力してきた結果だということ。
「勝てるチームにしたい」という目標に、
私も本気で伴走していたこと。
彼女は黙って聞いていました。
気づけば二時間が経っていました。
「今日私たちは初めて心のうちを伝え合った。
辞めるかどうかは、もう少し考えなさい」
「考えること、別にないですけどね」
そう言い残して、彼女はコートへ戻っていきました。
その夜、私は一睡もできませんでした。
布団の中で天井を見つめていました。
あんなになるまで、気づかなかった。
いっぱいいっぱいだった彼女に、
現実ばかり突きつけた。
生徒を見つけるために教師になったはずなのに、
私は真逆のことをしていました。
しかも、順調だと思い込んでいたのです。
かつて私は、
誰にも見つけてもらえなかった高校生でした。
授業を抜け出しては、
部室の冷たい床に横になっていました。
窓から差し込む光だけが、時間を教えてくれました。
誰かが探しに来ることを、少しだけ期待していた。
でも、誰も来ませんでした。
今思えば、先生たちも忙しかったのでしょう。
クラスメイトも、
自分のことで精一杯だったのでしょう。
それでも当時の私は、
「自分がいなくても、誰も気づかないんだ」
と思っていました。
あの頃の私は、透明でした。
だから教師になりました。
同じような孤独を抱える、誰かを見つけたかった。
あの部室の床の冷たさに人知れず苦しむ子どもたちへ
「ここにいること、気づいているよ」
と伝えたかった。
それなのに今、
私はその誰かを追い詰めた張本人になっている。
そして、もっと汚い感情が、
暗闇の底から浮かび上がってきました。
「あんなにやったのに」
指導者として、最も卑しい感情でした。
夏の合宿から積み上げてきたものは、
実はただの自己満足だったのではないか。
あの十六回は、
私自身の正しさを証明したかっただけではないか。
夜明けが近づいても答えは出ませんでした。
あの部室の床の冷たさばかり、思い出していました。
キャプテンに続いて全員が辞めてしまったら。
保護者からクレームが来たら。
素人のくせに、知ったかぶりの指導だと言われたら。
見つけるために教師になったはずなのに、
自分が一番嫌いな教師になっている。
コートへ行きたくありませんでした。
でも、行かなければならない。
毎日行かなければ、これまでの指導が嘘になる。
大人として、あの子たちの前に立てなくなる。
その一点だけが、私をコートへ向かわせていました。
「こんにちはー!」
コートへ入ると、キャプテンが誰よりも大きな声で挨拶を促していました。
全員揃っていることを確認し、
私は静かに胸を撫で下ろしたのです。
キャプテンとは目も合いません。直接話もしません。それでも、その挨拶だけで彼女の覚悟は伝わりました。
翌日も、その翌日もコートへ行きました。
どれほど嫌われても。どれほど心が削られても。
そこに在り続けること。
たとえぶつかったとしても、
錨のように、彼女たちのそばに居続けること。
それだけは、最後まで手放したくありませんでした。
第五章 「絶対に好きになりません」
すぐに変わるほど子どもは甘くありません。
ある日、
練習後に提出するはずの日誌を、
部員が持ってくるのを忘れ、二時間待ち続けました。
後日、練習試合の日。
私は彼女たちを一時間早く集合させました。
特に何もさせず、そのまま待たせました。
そして聞きました。
「この一時間を無駄だと思った人は、手を挙げなさい」
全員の手が上がりました。
「それが、二時間待たされた私の気持ちだよ」
誰かに待たされる痛みは、言葉では届きません。
経験して初めて、自分の行動が、誰かをないがしろにしていたことに気づくことがあります。
正直、保護者の方からクレームが来るのではないかと不安でした。しかし、そうはなりませんでした。
私はそこで初めて、自分だけで子どもを育てているわけではないのだと思いました。
それからも衝突は続きました。
睨まれる日もありました。
ある部員からは、
「先生のことは絶対に好きになりません」
と宣言されました。
正直、心が折れそうになる日もありました。
それでも、毎日コートへ向かったのです。
この人だから、
ついていこうと思われる大人になりたい。
技術指導のできない私にできることは、
そこに居続けることだけでした。
そんな中、決定的な衝突が起きました。
大事な会議で、
私は当日になって部活動をオフにしました。
前任校では認められていた判断でしたが、
この学校では違いました。
他の部活動は通常通り行われていました。
私の判断で、うちの部だけが休みになったのです。
キャプテンは強く反発しました。
その気持ちは理解できます。
しかし翌日、
今度は彼女自身が
「ダンス部の公演を見に行きたいので、
部活を休みにしてほしい」
と言いました。
さすがに頭に来ました。
教育や指導、そんな立派なものではありません。
ただの怒りです。
「もう、こんなチームは応援しない!」
言った瞬間、
自分でも取り返しのつかない言葉だと思いました。
「今日もオフにすればいい。どうぞ」
そう言い残して職員室へ戻りました。
もう知らない。勝手にしろ。
大人げないと思いながらも、
心のどこかでそう思っていました。
それでも翌日、私はコートへ行きました。
その次の日も。
声はかけませんでした。講評を求められても、
「お疲れ様でした」とだけ言いました。
応援しないと言った以上、
以前と同じようには関われません。
でも、見捨てることだけはしたくない。
だから、ただ黙ってベンチに座り、練習を見ました。
叱られ、突き放された彼女たちは、
自分たちで考えるしかありません。
少しずつ、自分たちで動くようになりました。
練習の質が変わりました。声が変わりました。
私はいる。けれど、いるだけ。
冬を感じさせる風が吹いていました。
地面からの冷気が、足先の感覚を奪っていきます。
それでも私は黙ってベンチに座り続けました。
それが教師の仕事だと思いました。
少なくとも、私がなりたかった大人の姿でした。
第六章 7777
迎えた公式戦。対戦相手は格上のシード校でした。
顧問になって初めて知ったのですが、
テニスは試合中に監督が指示を出したり、
応援をしたりすることができません。
応援は拍手だけです。
バスケットボールでは監督も選手も声を出し続けるのが当たり前だった私には、とても新鮮でした。
しかし、この日の相手校の応援は決して心地よいものではありませんでした。
必要以上の拍手。こちらへの物言い。アウェーの空気。
私とキャプテンの間にも、
まだ衝突の名残が残っているので、
目を合わせることもありません。
それでも試合前、私は彼女に声をかけました。
「こんな空気に、負けんなよ」
彼女は短く答えました。
「わかってます」
そしてコートへ向かいました。
その背中を見送りながら、
私は、ただ信じることしかできませんでした。
結果は、悲願の県大会出場。
長年届かなかった壁を、彼女たちは初めて越えました。
本当は駆け寄って、一緒に喜びたかった。
でも、そんな関係ではありませんでした。
私は、
「すごいじゃんか」とだけ伝えました。
すると彼女は、
「マジで疲れた。死にそう」と答えました。
綺麗な感謝の言葉なんてありません。
感動的なやり取りもありませんでした。
ただ、
地獄のような日々を一緒にくぐり抜けた者同士の、
不器用な連帯感だけがありました。
その時、私は思ったのです。
私たちは、
ようやく顧問と生徒ではなくなったのかもしれない。
勝利を目指してぶつかり合い、傷つけ合い、
それでも同じ方向を向いていた
人間同士になれたのかもしれない、と。
私は普段なら絶対に言わないことを言いました。
「飲み物買ってあげるよ。さすがに」
生徒の頑張りをジュースやアイスに換えることは、
その努力の過程に失礼だと思っていました。
それが私のポリシーです。
でも、この日だけは違いました。
満身創痍の彼女を、どうしても労いたかったのです。
だからこそ、
私の考えを知っている彼女は目を丸くしました。
「いいの?」
「いいよ」
二人で自動販売機へ向かいました。
彼女が選んだ飲み物のボタンを押します。
すると突然、ルーレットが回り始めました。
そして、
7777。
数字が揃いました。
「こんなところで運を使っちゃった!ごめん!」
思わず叫ぶと、
彼女は一年ぶりに腹を抱えて笑いました。
「先生、必死すぎ。ウケる」
その笑い声を聞いた瞬間、
張り詰めていたものがほどけていくのを感じました。
怒りも。
葛藤も。
悔しさも。
全部なくなったわけではありません。
でも、それらを抱えたまま
同じ場所に立てるようになっていました。
私たちは完璧な師弟ではありませんでした。
互いに傷つけ合い、泥を投げ合った、
欠陥だらけの人間同士でした。
だからこそ、この笑顔が嬉しかったのだと思います。
第七章 赤いシャツ
しかし、
無情にもコロナが彼女たちの引退試合を奪いました。
中止の連絡を受けた時、
私はしばらく動けませんでした。
怒りたかった。
でも、相手はウイルスで怒りを向ける先がありません。
翌朝、彼女たちに中止を伝えました。
泣き崩れるかもしれない。そう思っていました。
教師として何を言うべきか、
前日の夜から考えていました。
けれど、
彼女たちは私の予想とは全く違う反応をしました。
「先生、うちらより泣いてんじゃん!」
袖で拭っても拭っても、涙が止まりませんでした。
みんなが笑い、そしてキャプテンが言いました。
「私たちで引退試合をしましょう」
私は返事ができませんでした。
彼女たちは、
自分たちで失ったものを嘆くのではなく、
自分たちで作ることを選んだのです。
お世話になった先生方や保護者の方々を招き、
自分たちで引退試合を企画しました。
運営も進行も、自分たちで考えました。
私の出番は、ありません。
ただ、その様子を見守っていました。
試合の最後。
後輩から先輩へ、一言を贈る時間がありました。
その時、一人の後輩が少し照れながら言いました。
「キャプテンみたいになりたくて、
部活のTシャツは赤を買いました」
赤は、キャプテンの色でした。
職員室にやって来て、
「先生、一緒に写真撮ろうよ」と笑っていた頃から、
ずっと着ていた色です。
あの一年で、彼女と何度もぶつかりました。
怒りました。
泣きました。
投げ出しかけました。
それでも、最後まで手放さなかった色です。
私は、隣で言いました。
「あなたみたいになりたいんだって。よかったね」
彼女は何も言いませんでした。
ただ少しだけ困ったような顔をして、
それから、照れくさそうに笑いました。
私は、その表情を見ながら思ったのです。
もう、このチームは大丈夫だと。
誰かに言われたから動くのではない。
誰かに叱られたから変わるのでもない。
自分たちで考え、自分たちで進んでいく。
私が見ていたかったのは、その姿でした。
エピローグ 月に一度のご飯
卒業から数年が経ちました。
今でも月に一度、彼女とご飯へ行きます。
子どもと関わる仕事に就いた彼女の話を聞く度に、
思うことがあります。
子どもへのまなざし。
話を聞く時の表情。
叱る時の間の取り方。
驚くほど、私に似ています。
もちろん、本人は嫌がります。
「絶対違うから」と笑いながら否定します。
それでも私は思います。
あの一年は、確かに彼女の中に残っているのだと。
そして同時に、私の中にも残っています。
私は今でも、教師として正しかったのか分かりません。
もっと違う伝え方があったかもしれない。
傷つけずに済んだ場面もあったかもしれない。
あの夜を思い出すたびに、そう考えるのです。
それでも一つだけ、確信していることがあります。
子どもは、思っている以上に大人を見ています。
言葉よりも。理屈よりも。
生き方そのものを見ています。
だから私は今日も迷います。
叱るか、待つか。
手を差し伸べるか。見守るか。
答えは、今も分かりません。
ただ、あの日のキャプテンのように、
誰にも見えないところで
踏ん張っている子がいるかもしれない。
かつての私のように、見つけてもらうことを
諦めかけている子がいるかもしれない。
だから私は、今日も子どもたちを見つめます。
透明だと感じている子たちを、全員見つけるために。
※本作品に登場する人物・学校・出来事はプライバシー保護のため一部を変更しています。実在の個人・学校・出来事とは一致しません。