
感覚があることより、感覚に振り回されることの方が苦しかった
幼い頃から、説明のできない感覚があります。
人のことが何となく分かったり
ふと浮かんだことが現実になったり
「すごいですね」と言われたり
「羨ましい」と言われることも多々あります。
でも私にとっては、それは楽なことではありませんでした。
逆に、苦しい
それは、この感覚があるからとではなく
この感覚をどう扱えばいいのか分からなかったからです。
感じる、けれど証明できない
当たることもある、でも外れることもある
だから信じきれない。
私は長い間、この繰り返しの中にいました
というか、今も時にその繰り返しの中に戻ります。
もし全く分からなければ、気にしなかったかもしれません
もし100%分かるなら、迷わなかったかもしれません
ですが、現実はそのどちらでもありませんでした。
中途半端に感じる、だから余計に苦しい。
私は何度も、この感覚は何なのだろうと考えました。
そして、証明したいと思いました。
誰かに説明してほしいと思いました。
安心したかったのです。
本物なら本物と言ってほしい
違うなら違うと言ってほしい、白黒はっきりさせたかった。
だけど、人生はそう簡単ではありませんでした。
誰も答えを持ってなく、
結局、私自身がこの自分と付き合っていくしかないのです。
今振り返ると、私が求めていたのは能力の証明ではなく、
安心したい自分への証明だったのだと思います。
間違っていないという保証、
自分のそれを信じていいという許可、それが欲しかった。
長い時間をかけて気づいたのは、
自分のその感覚を信じるより感覚に
振り回されないことの方が大切かもしれないということ。
感覚があってもいい、なくてもいい
当たることがあってもいい、外れることがあってもいい
大切なのは、それによって人生の主導権を失わないことと
感覚を持ちながらも、現実を見て生きること
地にしっかり足をつけて歩むこと。
私は今も、この感覚が何なのか分かりません。
これからも分からないかもしれません。
けれど以前よりは楽になった気がします。
答えを探し続けることよりも、
その感覚を持った自分と付き合うことの方が大切だと分かったからです。