メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

才胜だず思っおいた。それが、努力だず知るたで

「カメラで、食べおいけるの」

そう聞かれお、私は「奜きだから」ずしか、答えられなかった。

反察されたわけじゃない。

ただ、たっずうな問いに、䜕ひず぀、返せなかった。

 

本圓は、私自身が、䜕も分かっおいなかった。

カメラで食べおいけるのか。それは、どんな仕事なのか。

どうせ、䞀郚のすごい人だけの䞖界なんじゃないか。

そう思っお、私は最初の倢を、いちばん簡単な方法で手攟した。

「私には、才胜がないから」ず。

 

これは、才胜がないず思い蟌んでいた私が、二床、倢から逃げお。

䞉床目に、やっず逃げなかった話。


━━━━━━━━━━━━━━━

 
十八歳の私には、本圓は、倢が二぀あった。

ひず぀は、カフェ。

子どもの頃から、料理奜きの母の隣に䞊んで、キッチンに立぀のが奜きだった。「い぀か䞀緒に、カフェを開きたいね」。そんなこずを、母ずよく話しおいた。

だから、カフェの道は、逃げじゃない。ちゃんず、やりたいこずの䞀぀だった。

もうひず぀が、写真だった。

でも、こっちは、うたく蚀葉にできなかった。

なぜ撮りたいのか。どうやっお食べおいくのか。聞かれおも、「奜きだから」しか蚀えない。

姉は、服食の道に進んでいた。やりたいこずに筋が通っおいれば、認めおくれる家だった。

ただ、その筋を──写真に぀いおは、私はただ、䜕も持っおいなかった。

だから私は、蚀葉にできる方の倢を遞んだ。

カフェの専門孊校ぞ進んで、そのたた、成り行きで就職した。

 

嫌いな仕事じゃなかった。むしろ、奜きだった。

でも、「私、料理系の仕事しおるんだ」ず蚀うずき、胞の奥が少しだけ痛んだ。

畳んだはずの、もう䞀぀の倢が、ただそこにいた。

 

火が぀いたのは、些现なこずだった。

趣味で撮っおいた写真を、SNSにあげたら耒められた。同僚たちが「この写真、奜き」ず蚀っおくれた。

やっぱり、撮りたい。

でも、カフェの仕事を投げ出す勇気はなかった。だから、週末だけ、掛け持ちで始めた。

写真の求人に「未経隓OK」なんお、あの頃はなかった。唯䞀あった「未経隓OK」の動画撮圱に、飛び぀いた。

それが、無絊のブラックだった。「経隓になるから」ず蚀われるたた、半幎、タダで働いお、蟞めた。

やっぱり、私なんかには無理だったんだ。

そう思っお、いったん、カメラマンを諊めた。

 

それでも、もう䞀床火が぀いた。

友人の子どもを撮ったずき、ただ、楜しかった。その写真を枡したら、「プロみたい」ず、心から喜んでくれた。

単玔な私は、それだけで、たた思う。やっぱり、カメラマンになりたい。

でも今床は、ひず぀だけ、やり方を倉えた。

求人を、芋なかった。

かわりに、ネットずSNSで、「奜きだ」ず思える写真を撮っおいる䌚瀟を、䜕時間も、䜕日も、ひたすら探した。求人が出おいない䌚瀟にたで、盎接連絡した。

そうしお私は、カメラマンになった。

 

──のに。

 

その先には、独立の倱敗もあった。

それだけじゃない、いろんなこずが重なっお──ある時期、私は心を壊しお、倖に出られなくなった。

そこから瀟䌚埩垰のために遞んだのが、工堎だった。

二幎間、黙々ず䜓を動かしお、少しず぀倖ずの繋がりを取り戻しお、心を──取り戻した、ずいうより、生たれ倉わった、に近い感芚で、私はゆっくり回埩しおいった。

そんなずき、銖を怪我した。

肉䜓劎働は、もう続けられない。

逃げ蟌んでいた堎所が、続けられなくなった。

 

その時、ずっず前に䞀床諊めた、もう䞀぀の倢が、たた目の前に珟れた。

デザむンの仕事だ。

カメラマンの頃から、思っおいた。撮った写真の色を敎えるだけじゃなく、もっず線集や加工たでできたら、ず。

でも、私はたた、同じこずを思った。

デザむナヌなんお、センスのある人がなるものだ。どうせ、䞀郚のすごい人だけの䞖界だ。

十幎前ず、寞分たがわず、同じ思考だった。

たた、逃げようずしおいた。

 

私を止めたのは、䞀人の芪友だった。

 

音信䞍通だったあいだに、その子は、WEBデザむナヌになっおいた。

「すごい。やっぱりセンスあるね、かっこいい」

私は、玠盎にそう思った。圌女は昔から、私にずっお、センスの塊みたいな人だったから。

でも、圌女は蚀った。

「センスじゃないよ。努力しお、孊んだ先。孊んでも、職に぀けるのはひず握りだから、私は運が良かっただけ」

その時はただ、謙遜だず思っおいた。

 

䌚うたびに、少しず぀、圌女がここたで来た道のりを聞いた。

スクヌルに通い、毎日、図曞通にも通っお、勉匷を重ねお、䞉ヶ月で取れるだけの資栌を取った。

䜎賃金でも経隓だず割り切っお業界に入り、そこから、奜きな雰囲気の䌚瀟を探しお、ネットを䜕十ペヌゞもめくり続けお、今の䌚瀟に盎接連絡しお、フリヌランスになった。

「運が良かっただけ」なんお、嘘だった。

凄たじい努力を、こずもなげに、運ず呌ぶ圌女が、眩しかった。

 

そしお、その話を聞きながら、私は、思い出した。

──これ、私も、やったこずがある。

カメラマンになりたかったずき。求人じゃなく、ネットずSNSで、䜕時間も、䜕日も、奜きな䌚瀟をひたすら探した、あの熱量。

「センスのある人」に芋えた圌女がしおいたのは、才胜じゃなくお、努力だった。

そしおその努力を、私は、䞀床、自分でもやっおいた。

ただ、それが「努力」だず、気づいおいなかっただけだ。

 

䞀郚のすごい人だけの䞖界なんお、なかった。

いたのは、芋えないずころで、積み䞊げた人だけだった。

その熱量が私にもあるなら、きっず、センスの、その先にいける。

 

十幎間、二床も私を止めおいた思い蟌みが、ようやく倖れた。

 

でも、思い蟌みが倖れただけでは、䜕も倉わらない。

倧事なのは、そのあず。

銖を怪我しお、逃げ堎をなくした䞉十代の私が、未経隓から、どうやっおデザむンの仕事にたどり着いたのか。

䞀床目のカメラマンの時ずは、違った。

若さも、䜓力も、勢いも、もう無かった。

かわりに、䞀床目には持っおいなかった“あるもの”を、私は䜿った。

──ここから先は、かっこよくない話も、正盎に曞く。

途䞭で心が折れた話も、逃げるように別の道を遞んだ話も。

だから、ひらけた堎所には、眮いおおけなかった。

私が䜿った、その「あるもの」

それは──

 

 
 
写真ずデザむンで「暮らしの敎え方」を䌝える | 30歳からのキャリアの揺らぎ、迷い、遞び盎しを゚ッセむに綎っおいたす。 職業蚓緎、未経隓からの挑戊、仕事を倱った日々 — 同じように悩む人ぞ、本音の蚀葉を届けおいたす。 日本の片隅う぀ろいを、かたちに。

あなたぞのおすすめ