
忘れてもいいよ。
先日久しぶりに
施設に入院している祖母に
ゆっくり会いにいった。
祖母は以前にも増して私の事もわからないようだったけれど
私達があげたカエルのぬいぐるみを
いつものように大切そうに抱いていた。
「おばあちゃん」と声をかけて目が合った瞬間に
可愛いなぁ〜と思った。
寂しく感じさせてしまわないかな?とか
私と会ってお家に帰りたくなっちゃったら?とか
少し心配していたことが
自分の感情でかき消されたのがわかった。
可愛いなぁ。愛おしいなぁ。
そんな感情が溢れてきた。
「元気だった??」
「なかなかゆっくりこれなくてごめんね」
そう声をかけたら
「まぁぁぁぁ。」とすごく嬉しそうにしたので
私がわかってるのかな?と一瞬思ったけれど
「れいかだよ。久しぶりだね。」
といっても首をかしげていて
でも
私の事をわかっているのか
私の事を覚えているかは
本当にどっちでもよかった。
ただただ愛おしくて
言葉としても聞き取れない言葉を
うん。うん。と聞いていた。
顔をくしゃくしゃにして
「あなたはもぉ〜本当に可愛らしかねぇ」と笑って「もぅ勿体なかごつ、綺麗かねぇぇ」と拝んで(笑)「よしよし、したくなるごたる」と微笑むので
「じゃあ、よしよししてもらおうっ」
と頭を下げた。
そうしたら弱々しい力で
頭をよしよしと、何度もしてくれて
気づけば私の目からは涙がいっぱい溢れていた。
しばらく聞き取れない言葉が続いたあとで
「もぅ、どこもここも痛くて。
どーしよーもなく生きとるのは
ほんなこつ、きつか事ですなぁ」
と、祖母は言った。
「きつかぁ。」そう、何度も教えてくれて
「きついねぇ。」と言いながら身体をさすった。
それから
「なーんも、思い出せん」と頭を抱え
表情を曇らせた祖母をみて
「思い出さなくて、大丈夫だよ。」
そう声をかけた。
うちの家系は曾祖母も祖父も
痴呆になって老いていく人が多かった。
みんな私をとても可愛がってくれたけれど
時間が経つと忘れていった。
私は肉親に限らず
おじいちゃんおばあちゃんが昔から好きで
曾祖母のお友達のおばあちゃんにも
可愛がられていて
小学生の頃も歩いて病院によく付き添っていたし
色々話を聞きたがる子供だった。
人生経験が豊富なおばあちゃんたちの豆知識は
博識で面白かったけれど
みんな老いていくと物忘れがでてきて
色々なことを忘れていった。
それでもふと思い出す記憶は
どうやら辛い記憶が多いようだった。
中でも戦時中を体験している人たちは
その事を繰り返し話す事が多かった。
次に多かったのは
嫁と姑の苦労の話じゃないかなぁと思う。
それがまた一波越えると
みんな穏やかな顔になっていった。
見たことのない
子供のような顔になっていくのをみて
苦しくなくなったんだ、と思ったのを覚えている。
忘れられない鮮明な記憶
忘れてはいけない強烈な感覚
それを繰り返し味わうのって
きっと本人が一番辛いのに違いない。
いつも「帰りたい。」と言っていたおばあちゃんが
ある日「ごめんね、明日になったら帰れるよ」
と、微笑んだ。
次もまた「ごめんね、明日になったら帰るから」
と、微笑んだ。
また明日になったらリセットされると思うと
私の心は明らかに軽くなった。
だっておばあちゃんはいつも
「あしたは帰る。」って思う事ができるんだ。
忘れられるのは悲しいし
やっぱり寂しい。
重ねてきた時間さえ
なくなったように感じてしまうからだと思う。
忘れてしまうなんて、と
大切にされてないように錯覚してしまうのだろう。
でも私だっていつかは老いていく。
覚えていてよ、忘れないでよ。
そんなふうに大切な人に責めれるのは
一番私なら苦しい。
だから言ってあげたい。
「私が覚えてるから。
おばあちゃんは、忘れてもいいよ。」
辛いことは忘れていいよ。
今までいっぱい頑張ってきたもんね。
今一緒に楽しい話をしよう。
そしてリセットして
また新しい1日を重ねたらいい。
そう思っていたのだけれど
「なんか思い出せそうなのに思い出せん。」
と頭を抱える姿をみて
忘れたくないのか。と思った。
忘れてしまったって
嘆くのは
思い出せないって
苦しいのは
忘れたくない記憶だからだ。
『大切にしたい』って
心の深い所で思ってくれているんだな。
そう思ったらまた
ポロポロ涙が溢れてきた。