
ばあちゃんは今日も畑にいる
「ばあちゃんどこー」
泣きながら畑の真ん中に立つ私。
当時3、4歳の私は、家を出て100mほど離れた畑にばあちゃんを探しに行った。
ばあちゃんは、実家で一緒に暮らしていた母方の祖母のことだ。
ばあちゃんはそっちの畑ではなく、家の目の前の畑で草むしりをしていた。
近所のおばちゃんが泣きわめいている私を見つけて家まで送ってきてくれた。
この話は自分では覚えていないが、親戚の集まりになると、お酒で上機嫌になった両親が繰り返し私に教えてくれる。
祖父母は田んぼと畑をやっていて、お米も野菜も、祖父母が作ったものを食べていた。
大抵の野菜は作っていたから、母と一緒にスーパーに行っても、野菜コーナーは素通りして鮮魚コーナーへ向かうのが定番だった。
私がイチゴを食べたいと言ったら、ばあちゃんはすぐさまイチゴの苗を植え、翌年には畑にイチゴが生っていた。
「今年は好きなだけ食べられるよ」とばあちゃんは笑っていた。
祖父母は初孫の私を、思う存分甘やかしてくれた。
田植えの時期、母は食パンに自家製イチゴジャムを塗り、アルミホイルで包んで、私に持たせた。
それを田植え中の祖父母のもとに持っていき、田んぼを前に3人で食べた。
幼い頃の記憶はあまりないのだが、そのエピソードはよく覚えている。
今もイチゴジャムパンが好きなのは、あの味を忘れられないからだろう。
お昼過ぎになると、ばあちゃんは長靴のまま台所に入ってくる。
土のついた手でエプロンをはたきながら、「今日はナスが採れすぎちゃったよ」と笑いながら、カゴいっぱいの野菜を置く。
それを使って、母は夕飯の準備をする。
ばあちゃんが持ってきた野菜が大量で、「こんなにたくさん、どうやって使えばいいのよ」と母が嘆いている姿もよく見た。
毎日採れたての野菜を食べていたなんて、とんでもなく贅沢な暮らしだった。
おやつにも野菜が出てくることが多かった。
夏休みのおやつは塩茹でしたとうもろこし。
幼い私が食べたとうもろこしの芯には皮が残っていたが、ばあちゃんが食べた分はツルッと綺麗だった。
とうもろこしを綺麗に食べられるのが大人の証なのだと、小学生の私は思っていた。
秋には里芋が山のように食卓に置かれた。
茹でただけの里芋の皮を剥いて、醤油をちょこっとつけて食べる。
当たり前のように食べていたが、こんなおやつを食べている少女は数えるほどだろう。
その里芋はそのまま、祖父と父の晩酌のおつまみになっていた。
祖父が亡くなってから、田んぼは両親が引き継いでやることになったが、畑はばあちゃんのものになった。
両親は畑には手を出したことがない。
ばあちゃんは、どこかに売るわけでもなく、趣味で畑を続けている。
「自分で育てた野菜を、自分で食べるのが楽しみなんだ」と。
「めずらしい種があったから買ってみた」と言って、私が聞いたこともない葉物野菜を育ててみたり、「庭に伸びていたツルからカボチャができたんだよ」とその成長を楽しんだりしている。
一度、『辛くない唐辛子』と売られていた種を蒔いて育ててみたものの、実際は普通に辛い唐辛子だったことがあった。
「辛いじゃん!」と顔をしかめる両親を見て、ばあちゃんはその唐辛子を一口食べてだんまりしていたらしい。
そして昔も今も、家族だけでは到底食べきれない、とんでもない量の野菜を作る。
「もし上手く育たなかったり、足りなくなったりしたら嫌だ」という考えがあるらしい。
戦後を生き抜いてきたばあちゃんだから、食べ物が家族に行き渡らないというのが気がかりなのだろう。
結婚して二人暮らしになった私たち夫婦のもとにも、ばあちゃんの野菜がお裾分けされることになった。
月に1、2回、段ボールいっぱいの野菜が届く。
一般的な野菜の名前しか知らない私と夫は、見た目だけではその野菜が何か判断できないものも多い。
たまに、ばあちゃん自身も何の種を蒔いたのか忘れてしまうことがあって、誰もその葉っぱの正体が分からないことさえある。
この段ボールいっぱいの野菜の贈り物を、私たちは『野菜爆弾』と呼んでいる。
できる限りそのまま調理して食べるが、量が多くてとてもじゃないけど2人では傷む前に食べ切れない。
野菜の名前を検索して、なるべく長く保存できる方法を調べる。
この『爆弾処理』は結構な時間と手間を要すが、それがまた私たちの楽しみだったりする。
私はもともと野菜が好きだったが、採れたての野菜が食べられるありがたさと、ばあちゃんが作る野菜のおいしさに気づき、ますます好きになった。
届いた野菜をどう食べようかと考えるうちに、レパートリーも増えたし、料理の腕も上達した。
ばあちゃんが育てた野菜には、たくさんお世話になってきた。
野菜が私たちのもとに届き、食べるたびに、「ばあちゃんありがとう」「美味しいね」と言ってきた。
それなのに、ばあちゃん本人には「ありがとう」をちゃんと伝えられずにいた。
私は中学生の頃、絵に描いたような反抗期を過ごした。
ドアを乱暴に閉めたり、物を投げたり、学校で抑えていた気持ちを家に帰って爆発させていた。
心配してくれるばあちゃんにも、「うるさい」「どっかいって」などと八つ当たりしていた。
それから高校生、大学生となり、反抗期が終わっても、何だか小っ恥ずかしくてばあちゃんに冷たい態度をとってしまっていた。
社会人になり一人暮らしを始めてからは、実家にもあまり帰らず、ばあちゃんと顔を合わせる頻度も減ってしまった。
幼い頃、畑に探しに行くくらい大好きだったのに。
昨年秋、私たち夫婦は、親族のみを招待して結婚式を挙げた。
招待状を送った時は「ばあちゃんは腰が曲がってるから行かないよ」と言っていたそうだが、しっかり美容院に行き、新しい洋服を準備して、新幹線に乗って来てくれた。
結婚式当日、私は緊張していた。
夫の親族からどんな嫁だと思われるか気にしていたし、遠方から来てもらって申し訳なかったかなとも思っていた。
私の入場前から、ばあちゃんは大号泣していたようだ。
ハンカチで顔を抑えている姿がカメラマンさんにも撮られている。
父と並んでバージンロードを歩き、顔を上げた時、そんなばあちゃんに気付いて頬が緩んだ。
結婚式をやってよかったと安堵した。
家族写真を撮影するタイミングで、私の隣に座ったばあちゃんがぎゅっと私の手を握ってきた。
素手で土をいじるから、長年にわたってついた土汚れが落ち切らなくなってしまったばあちゃんの手。
その手は力強く、あたたかかった。
今までの私を許して、「もういいよ」と言ってくれたような気がした。
それからは、今までよりも少し素直にばあちゃんと話せるようになった。
携帯電話も持っていないばあちゃんとは、実家に帰って話すくらいしかコミュニケーションをとる機会がない。
最近は、月に1回は帰省してばあちゃんの顔を見るようにしている。
先日実家に帰省すると、最近新調したという可愛い柄の作業着を身に纏い、ばあちゃんは畑にいた。
こうしてばあちゃんはファッションを楽しんでいるのだろうか。
いつもと変わらず、地面に座りこみ、丸い背中をさらに丸めて、草むしりをしているばあちゃん。
無駄な葉っぱひとつ生えていない、綺麗な畑。
「この葉っぱはニンジンだよ」「ネギ坊主から種が取れるんだよ」と話すばあちゃんは楽しそうだった。
「持っていけるだけ持ってって」と、ばあちゃんがカゴいっぱいに採れたての野菜を用意してくれた。
私たち電車で帰るんだよ、と思いながら、それでも持てるだけ袋に詰め込む。
「実がなったから食べてみて」とまだ少し緑が残る出来始めのトマトが3粒カゴに入っていた。
「さすがにまだ早すぎるでしょ」とツッコミを入れると、「そうだよね」と言いながらその3粒を回収していった。
ばあちゃんの曲がった腰が、さらに曲がって見えた。
「いつもありがとう、美味しいよ」
私がそう言うと「うん」と頷いて、ばあちゃんはまた畑の方へ歩いていった。
ばあちゃんは80歳を超えて、週に1回病院通いをしている。
近所のお茶飲み友達も年々減り、車の免許も返納して、1人で出かける先がなくなった。
「もう何にもできなくなっちゃったな〜」とカマで土をいじるばあちゃんは、いじける幼い子どものようだった。
そんなばあちゃんに、私は何ができるだろう。
いつかばあちゃんの野菜が食べられなくなる日は絶対に来てしまう。
それまでに、ばあちゃんの野菜は食べられるだけ食べよう。
できる限り、いろんなところにばあちゃんを連れて行ってあげよう。
そして、その日が来る前に一度でも、ばあちゃんと一緒に畑仕事をする。
これは、絶対に叶えたいと思う。
そうは言いつつも、ばあちゃんは、夏でも冬でも、晴れの日でも雨の日でも、毎日畑にいる。
両親が身体を壊すからやめなさいと止めても、ちょっとでも畑に出ないと気が済まないらしい。
畑が「今日は草むしり休んでいいよ」と言ってくれたら言うこと聞くのだろうか。
毎日の畑仕事のおかげで腰は曲がっているが、私よりもたくさんごはんを食べるばあちゃん。
毎晩、自分で作った野菜の漬物を食卓に広げ、冷蔵庫からお気に入りの缶ビールを出してきて、のそのそと椅子に座り、「これが美味しいんだ」とグビッと一息つく。
今のところ、ばあちゃんが倒れる気配はない。
きっと、ばあちゃんは明日も畑にいる。