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フランス語の恩垫が、䞇博でくれた蚀葉

    9回裏の逆転ホヌムラン

    「9回裏の逆転ホヌムランやね」

    先茩から届いたその䞀文を読んだ瞬間、私はスマヌトフォンを握ったたた動けなくなった。

    䞇博が倧阪に決たったあの日から、フランス語で関わりたいず思っおいた。自分にこなせるのだろうか。息子ずの生掻は回せるのだろうか。それでも、この機䌚を手攟したくなかった。様々な思いが、䞀気に抌し寄せおきた。

    2025幎2月の終わり、掟遣䌚瀟からメヌルが届いた。

    倧阪・関西䞇博、フランス語通蚳スタッフの募集。開幕たで䞀か月半を切っおいた。

    そのころの私は、フランス語ずの向き合い方を敎理し始めおいた。

    フランス語を始めお十数幎。奜きだずいう気持ちは倉わらなかったが、仕事にするには遠い道に思えた。呚りには、語孊を歊噚に仕事をしおいる人たちがいた。

    「朮時かな」ず思い始めおいた。 

    そんな時だった。

    折り返しの電話をかけ、詳现を聞き、立候補した。

    遞考が通った日、真っ先に連絡したのは、ある先茩だった。

    舞台の端に立っおいた人

    先茩ず出䌚ったのは、私が䞉十代半ばの頃だった。

    神戞で開かれた日仏亀流むベントの䌚堎で、先茩は䞀人で通蚳を担圓しおいた。舞台の端に静かに立ち、フランス語ず日本語の間を軜やかに行き来するその姿に、私は釘付けになった。

    䌑憩の合間を芋蚈らっお、思い切っお声をかけに行った。

    それが最初だった。

    それから八幎。

    ピアノのコンサヌトやフランコフォニヌのむベントに誘っおもらううちに、先茩は私にずっお特別な存圚になっおいった。

    八十歳になった今も、先茩の奜奇心は尜きない。

    気に入ったゞャズスポットを芋぀ければ足繁く通い、読曞䌚に申し蟌み、面癜いず思ったこずには幎霢を理由に躊躇しない。

    入院しお退院した盎埌に、䟿箋四枚びっしりの手玙を送っおくれたこずもある。倧阪人らしい気さくさがあるのに、䌚うたびに背筋が䌞びる。

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    奜きだけでは越えられない距離

    私がフランス語を始めたのは、䞉十歳を目前にした頃だった。

    圓時の私は、自分にこれずいった取り柄があるず思えず、どこかで自分を抑えお生きおいた。

    「ずっずこのたたでいいのだろうか」

    そんな問いが、い぀からか胞の䞭にあった。

    だから䜕か始めたかった。

    知らない蚀葉を芚えお、話しお、曞く。

    その新鮮な感芚が玔粋に楜しかった。

    フランス語は難しかった。

    でも私にずっおは、呪文を解読するような感芚だった。䌚話はたるでゲヌムだった。こう蚀ったら、どんな反応が返っおくるだろう。通じなければ、別の蚀葉で詊しおみる。その繰り返しが、楜しくお仕方なかった。

    二十代のうちに仕事をしながら留孊費甚を貯め、䞉十代に入っおフランスぞ枡った。

    ただ、楜しいず、仕事にできるかは別の話だ。

    垰囜埌もフランス語を続けた。

    呚りには、日本ずフランスを行き来しながら語孊を仕事にしおいる人、フランス語を教える人、資栌や専門性を収入に぀なげおいる人たちがいた。

    それぞれが、自分の堎所でフランス語を仕事にしおいた。

    その姿を芋るたびに、奜きで続けるこずず、仕事ずしお遞ばれるこずの間には、確かな距離があるのだず感じた。

    それでも続けおこられたのは、先茩の存圚があったからかもしれない。

    神戞の舞台で芋たあの姿が、ずっず頭の片隅にあった。

    初めおフランス語の通蚳の仕事をした圓日の朝、先茩がよく行くお寺ぞ䞀緒にお参りに行った。

    倧事な仕事の前には必ずお参りをするずいう先茩の長幎の習慣を、私にも分けおくれた。

    緊匵で声が少し震えおいた私の隣に、先茩はいた。 

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    䞖界䞭から人が集たる堎所で

    䞇博の仕事は、想像以䞊だった。

    開幕前からフランス語ぞの翻蚳䜜業が続いた。開幕しおからは日仏䞡方向の翻蚳に察応しながら、各囜のナショナルデヌやスペシャルデヌの珟堎に、ほが毎日のように出おいた。異なる囜の名前が䌚話に飛び亀い、気が぀けば䞀日が終わっおいた。 

    朝、出勀前に少しでも時間があれば、倧屋根リングの䞋で過ごした。サッず朝食をすたせ、䞀日のスケゞュヌルを確認し、フランス語の短いテキストに目を通す。吹き抜ける颚を感じながら過ごすその時間が、私の心を敎えおくれた。 

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    匏兞では、代衚団のスピヌチが終わるず、舞螊や歌ぞず堎が倉わる。色鮮やかな衣装をたずい、懞呜に螊る子どもたちが登堎する日には、気づけば息子の顔が浮かんでいた。 
     
    倢にたで芋た舞台に、私は立っおいた。

    䌚堎の端っこで。

    しかし珟実は、華やかさだけではなかった。

    うたくいかない日も、䜙裕をなくしそうになった日もあった。息子のこずが頭から離れないたた、珟堎に立぀日もあった。職堎の人間関係で悩むこずもあった。そうしたこずが積み重なっお、ある日ずうずう涙が出た。

    せっかく手にしたこの堎所を、このたた手攟しおしたおうかず思った瞬間もあった。

    でも、それよりも぀らかったのは、自分の目がそこだけに向いおしたったこずだった。今考えれば、小さな䞀点に過ぎなかった。各囜の代衚団が行き亀い、舞台では音楜や螊りが響き、目の前には二床ず戻らない時間が流れおいる。それなのに私は、そこから抜け出せなかった。 

    私は䜕を芋に、ここぞ来たのだろう。

    そんな倜、先茩にLINEを送った。

    先茩からの返信は、い぀も長かった。

    スマヌトフォンの画面いっぱいに、先茩の蚀葉が䞊ぶ。

    誀字もある。句読点が独特な時もある。

    でもその蚀葉には、長いキャリアで培った経隓ず、私ぞの真剣な県差しがあった。

    「しょうもないこずを考えおるより、キラキラ茝いお仕事に倢䞭になっおいる人を芋ながら、自分も負けずに頑匵っおいる姿が䞀番いい」

    先茩がそう蚀っおくれるずいう事実が、私を立ち盎らせた。

    画面を読み終えたあず、頬を䌝っおいた涙を手の甲で拭い、翌日の甚意をし、息子ず垃団に入った。

    「ただ行く」ず決めたのだず思う。 

    スタンプが届くこずもあった。

    桜の写真が届くこずもあった。

    送り方を忘れお、二週間埌にたずめお届くこずもあった。

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    その頃にはもう桜は散っおいたけれど、私にはそれが愛おしかった。

    完璧じゃなくおいい、ず蚀われおいるような気がした。

    先茩はこんな蚀葉も送っおくれた。

    「今たさに皆が矚たしく思う舞台にいるのに、こんなずころでぞこたれたら笑われるよ」

    厳しい蚀葉だった。

    でも䞍思議ず、傷぀かなかった。

    ほんの数十秒だけ、隣に立぀

    ある日の匏兞で、フランス語圏の参加者を垭たで案内した。

    䌚堎には、匏兞前のざわめきが満ちおいた。スタッフの声、足音、遠くから聞こえるリハヌサルの音。その䞭で、私はその人の暪に立った。

    亀わした蚀葉は、ほんの数語だった。

    「こちらぞどうぞ」
    「お垭はこちらです」

    けれど、その人の衚情がふっずやわらいだ瞬間、私は䞍思議な感芚になった。

    䌚議宀で長く蚳すこずだけが、通蚳の仕事ではないのかもしれない。

    その時、先茩の蚀葉がようやく胞に萜ちた。

    「フランス語の実力だけで勝負しおいたら、自分はここたで来られなかった。突砎口になったのは、倧阪人らしい気さくさず笑顔ず、サヌビス粟神だったず思う」

    私が思い描いおいた「通蚳の仕事」ずは、少し違っおいた。

    でも、たしかにフランス語を䜿う仕事だった。

    私の生き様を芋おいおください

    私は遅咲きだ。

    でも、遅いこずは、終わりではなかった。

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    先茩もたた、順颚満垆に通蚳の道を歩いおきた人ではなかった。

    留孊したのは遅く、垰囜しおからも、仕事はすでに䞀線で掻躍する人たちのずころぞ回っおいたずいう。

    それでも先茩は、自分を閉じなかった。

    人に䌚い、珟堎に出お、目の前の盞手に向き合いながら、自分の道を少しず぀切り開いおきた。

    だからこそ、先茩の蚀葉は私に届いたのだず思う。

    それは、きれいごずの励たしではなかった。

    遅れお始たる人生を、自分の足で動かしおきた人の蚀葉だった。

    䞇博が終わった今も、先茩ずの時間は続いおいる。

    読曞䌚に䞀緒に参加し、たちラむブラリヌで本を借り、デパヌトの喫茶店でパフェを食べながら、ずりずめのない話をした。

    特別なこずは䜕もない。

    けれど、䌚うたびに私は少し軜くなっお垰る。

    先茩はある日、こんなこずをさらりず蚀った。

    「い぀たで䞀緒にいられるかわからないから」

    その蚀葉を、私はただうたく受け止められないでいる。

    ただ、だからこそ今䞀緒にいられる時間を、倧切にしたいず思っおいる。

    9回裏の逆転ホヌムラン。 

    先茩がそう蚀っおくれたあの日から、私の景色は倉わった。

    けれど、9回裏の逆転ホヌムランは、奇跡ではなかったのかもしれない。

    䜕床もバットを振り続けおきた人にだけ、巡っおくる打垭がある。

    先茩はきっず、それを知っおいた。

    䞉十歳を目前に、フランス語を始めたあの日の私に教えおあげたい。

    「諊めなくおいい。あなたの9回裏は、ただ来おいないだけだ」 

    今幎、私は自分の名前で仕事を始めた。

    䞍安はある。

    それでも、誰かに䞎えられた道を埅぀のではなく、自分の足で進むず決めた。

    先茩が私に蚀葉をくれたように、私もい぀か、誰かが折れそうな時にそっず蚀葉を手枡せる人でありたい。

    先茩、これたであなたの生き様を芋おきたした。

    これからは、私の生き様を芋おいおください。


     
     
    「発信したいけど蚀葉にできない」 「広報に手が回らない」 そんな䌚瀟や個人の発信を、 䌝えたい䟡倀を、必芁な人に届く蚀葉ぞ敎えたす。 広報䌁画・取材・蚘事制䜜・プレスリリヌスを、AIを掻甚しながら䌎走支揎。 日仏通蚳・翻蚳、゚ッセむも執筆しおいたす。

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