夢をみながら生きていく
3年前の今頃だった。
私は藁にも縋る思いで病院に駆け込み、
入院させてくれと頼みこんだ。
ただただ必死だった、この辛さから抜け出したいと。
自分を変える出会いがあるとは知らずに。
「先生」に出会うなんて知らずに。
あのときの私は文字通りボロボロで心が死んでいた。
主治医の先生は、呆れるほどよく私を診に来ていた。
けれどそんな先生だから、
私の心に少しずつ包帯を巻いていき、
心の傷を治していってくれたのだった。
私がうまく言語化できずとも、辛さを理解して、
優しい言葉をたくさんかけてくれた。まるで薬のように。
いつも不安な私に「大丈夫」だと何度も言ってくれた。
一緒に治療や問題に向き合い、良い方向へ進めるように導かれて、私の症状はだんだんと良くなっていった。
人生で初めて安寧を覚えて、精神科入院しているというのに幸せを感じるほどだった。
その後1年ほどして、先生はいなくなってしまった。
私は不安のどん底に突き落とされて、
ただ日々をやり過ごすことで精一杯だった。
それほどに「先生の存在が大きなものになっていた」
と、いなくなって気づいた私は愚かだったなと思う。
いつも願っていた、再会を。
「また会いたい」「また診てほしい」「治療がしたい」
そんなことを考えては、雲をつかむような話に思えて虚しく、悲しくてどうしようもなかった。
なぜそれにこだわっていたかって。
先生は私の欲しかった優しさを全部くれたからだ。
私は、ただの主治医として以上の
信頼や尊敬や親愛…
そんな大きな感情を持ってしまっていた。
簡単に言えば、「好き」だったのだと思う。
けれど不在の時間が長くなるにつれ、
だんだんと諦めを感じていた。
それでも心のどこかで信じていたかった。
自分のできることをしながら、強く願えばきっと叶うはずだと。
そして時が流れ、初めて出会ってから3年後の今。
私は先生と再会している。
今はまた主治医として、私と向き合ってくれている。
こうして書いていても夢のような現実に、不思議な気持ちになる。もう無理だろうと諦めていたのに。
再会した日、緊張で震える私を
診察室の入り口まで来て、暖かく笑顔で出迎えてくれた先生をずっと忘れないだろう。
それからはいつも
「よく来てくれましたね」と言ってくれる。
相変わらず、優しく穏やかで
私の痛みを包み込んでくれるように思える。
ただ、空白の時間で、少しだけ溝みたいなものが生まれてしまってもどかしい。
でもそれは、私が今の自分を伝えていくことでしか
埋まらないのだろう。
過去と変わったこともある。
治療のために、今度は
「自分のことをもっと伝えていきたい」と思うのだ。
今は症状が恥ずかしくても、できる限り話すようにしている。きっとまだまだ足りないけれど。
何か通じあえた瞬間はとても嬉しいし、少しうまく行かないと落ち込んでしまう。
先生は、そんな私に気づいているのだろうか。
「伝わっているかな」「負担じゃないかな」
そんなことばかりを気にしているけれど、
なんて贅沢で幸せな悩みなんだろう。
「夢は強く願えば現実になる」
これは、とある作品に出てくる台詞だ。
私はこの言葉を信じながら生きてきた。
そして気づけば、夢はひとつ叶っていた。
先生ともっと良い関係性を築きたい。
病気を良くして人生を楽しみたい。
その姿を先生にみせたい。
それが私の今の夢だ。
一度は途絶えてしまった夢。
今私はこれからどうなるのかが分からなくて怖い。
それでも、
先生がいて一緒にいてくれたら、
私が強く心を持って進んでいけたら、
叶うと信じたいのだ。
だから、今日も夢をみながらこの現実を生きていく。