
苦手なのは3人組ではなかった
3人って難しい。ずっとそう思っていた。
幼少期、3人組で仲間外れにされたことがある。「プレゼント探してくるからね。」と2人で置いてきぼりにされたことがある。寂しさと1人ぼっちになった恥ずかしさがマーブル模様を描いていた。3人が苦手なのはこの時の気持ちを覚えているからだろうか。
「よかったら一緒にどう?」と声をかけてもらって、子連れでおうちにお邪魔をした時のこと。「気軽に来て欲しいから手土産はいらないよ」と言われ、何を持っていくかを考えた時間をもう一度繰り返す。さすがに手ぶらで行くのは……いやでもいらないって言ってくれてるし……。「どうする?」と相談をしてみたら、「いつも手ぶらだよ。」と返ってきた。声をかけてくれた人はこのおうちの常連だった。ご飯を食べたこともあれば、お風呂を使ったこともあるそうだ。「いつもので!」「この椅子借りるねー。」慣れた様子で動きまわる彼女と、「おむつはここで替えて大丈夫?」と勝手がわからない私。3人でいるというより、いつもの2人と私がいるという距離感。居心地が悪いわけではないのに。
ふと思い出した人たちがいる。彼女たちとは大学時代、海を越えた国で出会った。3人はバックグラウンドも滞在期間も異なったが仲良くなり、帰国後も3人で会った。彼女たちといるときは、ちゃんと3人いる。どこかの円が太かったり、近かったりしない。向き合った丸が3つある。この3人でいるときの自分は好きだと思える。
子どもの頃は3人組が怖かった。大人になるにつれて、その怖さは薄くなっていった。でもこの前感じた、疎外感。私はやっぱり3人組が苦手なのだろうか……。
疎外感の正体は、「私はここにいていいのかな」だった。いや、少し違う。
「私がいない方があの2人は楽しいんじゃないか」子どもの頃に感じたあの寂しさが、少しだけ顔を出した。
おうちでご飯を食べたり、お風呂にまで入っていたという、知らないところで積み重なっていた親密さに驚いた。あの家では、太くて大きな丸と、私だけの小さな丸があった。すでに完成している関係の中に入ると、居場所を探してしまう。
おうちにお邪魔をして、仲間外れにされたわけではない。むしろ歓迎してくれた。でもあの2人には、私の知らない時間があって、2人だけの思い出があって、2人だけの関係があった。人間関係って濃淡があるものだし、濃淡の違う人たちが集まってもその場はうまくやっていける。もう大人だから。あの場は楽しかった。居心地も悪くはなかった。でも……ずっと自分の席を探している感覚が残っていた。
大学時代に出会った3人組は、「私がいない方は楽しい」なんて感じたことがなかった。あの2人にも、私の知らない時間は確かにあった。それでも、「私はここにいてもいい」と自然に思えた。あの3人が集まると席が3つあった。
私が苦手なのは3人という人数ではなかった。居場所がわからないことだった。あの日の私は、ずっと自分の席を探していた。