
世界子供化仮説
数年前からよく思っていることがある。
これから人類はどんどん子供化していくのではないか、ということ。
もちろん、ここで言う「子供化」は、単に幼稚になるとか、みんながバカになるとか、そういう悪口ではないし、SF的なことでもないと思う。
もっと構造的な話。
何が子供で何が大人か。「定義」なんていう言葉だと大袈裟すぎるので、大体こんな感じだと思ってほしい。
昔、大人になるというのは、当たり前かつ重要な事だった。
働くこと。
生活を回すこと。
嫌なことを我慢すること。
自分の気分より、家族や共同体や仕事を優先すること。
等々、「生きるために必要な面倒ごとを引き受けること」が、大人になるということだった。
大人は立派だから大人だったというより、
大人にならないと生活が回らなかったから大人になっていた。
多分その方が近いと思う。
そして、文明はずっとその「面倒事」を減らしてきた。
寒さや暑さに耐えなくてもよくなった。
洗濯も料理も移動も、昔よりずっと楽になった。
病気や飢えや死の恐怖も、少なくとも昔よりは遠ざかった。
わからないことは、調べればすぐ出てくるようになった。
ひと昔前まで、人は生きるためにもっと不便に付き合わなければならなかったのに、科学技術がそこを一つずつ減らしていった。
これはもちろん、基本的にはいいことのはずだ。
わざわざ苦しむ必要はない。
個人の苦痛が減ったこと自体は、文明の成果だと思う。
そして、その反作用として起きたことがある。
それは、人が「現実の硬さや荒さ」に触れる機会も減っているということ。
昔は、現実が人を削って、無理やり大人にしていた。
やりたくないことをやらないと生きていけない。
自分勝手では人間関係が壊れる。
気分だけでは家も仕事も続かない。
だから、嫌でも自分を調整するしかなかった。
今でもそういう部分は多い。
ただ、昔よりは減ってきているか、質が変わってきている
自分に合わないものからは離れればいい。
退屈はスマホが埋めてくれる。
嫌な相手はミュートかブロックすればいい。
欲しいものはすぐ届く。
寂しさも暇も、昔よりはるかに即座に埋められる。
どんどん、世界から不快を除けていっている。
人は、不快に耐える筋力を昔ほど育てなくてよくなった。
それ自体は、良い面が多い。
昔は昔で、我慢や抑圧が当たり前や美徳とされすぎていた。
個人の苦しみが、共同体のためという名目で雑に踏みつぶされることも多かった。
たぶん、ここで自己(自我)は肥大化する。
というより、世界の摩擦が弱くなったぶん、自分の気分や欲望がそのまま前面に出やすくなる。
「自分はどうしたいか」「自分がどう感じるか」が、昔よりずっと大きな位置を占めるようになる。そして、それがある程度までは科学技術によって肥大しても問題なかったが、肥大し過ぎて他の人の自己にぶち当たるようになった。
SNS等での炎上も、ネットが普及したことと共に、自己が肥大化しつつあることとも多分無関係ではない。
恐らくは少子化も。
そして、もしこれが少子化の原因の一部ならば、
政府の対策では少子化を止める事は難しいだろう。
摩擦のない自己は基本的には延々と肥大化していく。
そしてその果てに、子供はよくケンカ(戦争)する。
それがどこまで行くのかは全く分からない。
だからといって「昔は良かった」なんていう気はさらさらない。というか多分「子供化」は悪い事だけではない。
嫌な事は無いに限る、とさえ思う。
ただ、文明や科学技術は人を自由にするが、その自由は同時に人を子供っぽくもする、という構造の話だ。
子供は、自分の世界の中心に自分がいる。
腹が減れば食べたいし、嫌なら泣くし、退屈なら何かしてほしい。
それは子供だから許されている。今は人によっては子供でも許さない人もいる。
そして子供は、基本的に「生活を回す側」ではない。
誰かが回してくれている世界の中で生きている。
いまの社会は、少しずつ、その「子供の世界」に近づいているように見える。
見えないところで巨大なシステムが生活を支え、面倒を片付け、人間は基本我慢なんてしたくないので、欲望により近い形で振る舞ったりできるようになった。
これは、良いか悪いかは関係なく、かなり子供の世界に似ている。
というか子供化は悪い事だけではない。とても純真・純粋な存在でもあるので、妙に聞き分けが良かったり、道徳的だったりなことを言う人も増えると思う。
そしてここでAIが来る。
AIはたぶん、この流れをかなり加速させる。
なぜならAIは、単に労働を助けるだけではないから。
考える。相談に乗る。調べる。まとめる。
特に代わりに考えてくれる。というのがデカい。
あれこれ迷っていた部分に、先回りして提案を出してくれる。
今まで人間が最も面倒くさいが切り離せないと思っていた「考えるという行為」をかなり肩代わりしてくれるようになった。
これは便利だ。とてもとても便利だ。
ただ、この便利さにどこまで身を委ねていいのか、と聞かれれば途端に口が重くなる。はっきりいって分からない。
なぜなら、それは「自分の生き方」の話になってくるから。
例えば「正解」や「効率」を求める生き方をしたいなら、絶対にAIに頼りまくった方がいい。
AIやITは人手不足を補助し、軍事や情報戦、金融にも手を広げている。
電気代はかかるけど、人間よりも高性能で、エラーが少ない(無いというわけじゃない)となれば、AIは使った方が「良くしていきやすい」
・地図アプリがあれば、道を覚えなくていい。
・検索があれば、記憶しなくていい。
・短尺の娯楽が溢れれば、長い退屈に耐えなくていい。
・AIに聞けば大多数が求めている「答え」を教えてくれて、考えなくていい。
もちろん、厄介な事が全部無くなるわけじゃないけど、少なくとも今より楽になったり、その厄介な事の形が変わったりするように思う。
科学技術やAIは、人を怠け者にするというより、力や能力が無くてもある程度は成立させてくれる世界を作るんだと思う。
問題は「人生に正解なんてない」ということだと思う。
「良い悪い」というのは、基本「今思われている社会としての正解」でしかない。
貴方の、私の、正解ではない。というか人生に正解など無い。
どちらかと言えば「人生の正解」なんてものがある社会の方が恐い社会だとさえ思う。
これからは「正解」というよりも「欲望」的なものがより剥き出しになるとは思う。その欲望はどんな形をして、どういう対立を作り、どういう流れになるんだろうか。
みんなが気分よく、自由に、やりたいことだけしていたい。
でも、水道も物流も医療も治安も行政も、誰かが地味に支えないと崩れる。
楽しいことだけを求める空気が強くなる一方で、社会や共同体を回す人・責任を取る人・インフラを維持する人等の退屈で重い責任は誰かが引き受けなければならないし、そうでなくても、ある人の自由とある人の自由がぶつかる事も増える。
例えば、大きな声で歌いたい人と静かに読書や就寝をしたい人の自由はぶつかりやすい。
このねじれが、これからより強くなる気がしている。
だから、世界子供化仮説というのは、
「これから人類は幼稚になる」という悪口ではない。
というか、それが良いのか悪いのかなんて多分誰にも分からない。
昔は「大人にさせられた」。
でもこれからは、「大人であることを自分で選ぶ」時代になる。
ファッションのように、人生の「スタイル」やその人の「キャラ」の一部として扱われる気がしている。
そしてそれを選び取る事は多分、今までよりずっと難しくなるだろう。もっと言えば、そんな事さえ考えなくていい位AIが進歩する可能性もある。それがユートピアなのかディストピアなのかは全く持って分からない。
放っておけば快適な子供でいられる。
世界はますます、優しく、便利で、すぐ満たしてくれる場所になる。
大きな保育室のように。
人類はこれから、どんどん子供化していく。
それはかなり自然な流れだと思う。
科学技術が苦痛を遠ざけ、AIが面倒を肩代わりし、ヒトはますます守られ、世界はますます自分中心に感じられるようになる。
電力的な壁はあれど、とても大きなものがなければ、この流れは必定だと思う。
その中で自分はどうするのがいいのか、どうしたいのか。
それはAIに聞いてもある程度の答えしかくれない。ただ、そのある程度な答えは統計から取られたとても優秀な答えだと思う。コンテキストをプロンプトに入れれば、より自分に沿った答えさえくれる。それに納得するのか、しないのか。