
塀の中を出て思うこと
閉鎖病棟を退院したのは一昨年の6月30日だった。丸1ヶ月塀の中に閉じ込められていたから、季節が移ろいでいるのに気づかなかった。外は灼熱で、コンクリートから照り返される日差しがジンジンと肌に染みた。「ああ私生きてるんだ、死のうとしたのに生きてるんだ、なんて馬鹿らしくて尊いんだろう」と思った。
2年経って私は何か変わったんだろうか。色んな人に「柴田さん、成長してますよ」と言われる。自分でも随分成長したと思う。認知の歪みが徐々に修正されているし、認知の歪みに気づけるようになった。閉鎖病棟で仲良くなったマイメンに「メタ認知って重要よ」と言われた。そう、私はメタ認知ができるようになっている。色んなことで散々悩んでも、自分を俯瞰で見たとき「あーもうこんなくだらないことで何時間も悩んでるよ、馬鹿だなあ」と思えるようになっている。
前回の入院は人生で3回目の閉鎖病棟だったけれど、1回目の入院のとき、私は退院して1年経ったときに大好きな映画の台詞をタトゥーとして体に刻んだ。「環境を変えても状況は変わらない」私の右腕にはそう刻まれている。入院生活で私が何より学んだことだった。塀の中に入れば、社会と隔絶されれば、私の憂鬱はましになると思っていた。でも実際社会に取り残される気がして、どんどん死にたさは加速して、何も変わらなかった。私は戒めとしてこのタトゥーをいれた。その後2回も入院するんだから、まあ全くとは言わないけれど人は何も学ばない、もしくは学んでも生活に落とし込んで活かすことができないんだ。
私は人間は前提として愚かだと思うけれど、1つずつ1つずつ学んでいることもある。2年間入院しなかったことは、私にとって大きなマイルストーンだ。もちろんこの2年も平坦な道のりではなくて、死にたくなることは何回もあった。でも何となく乗り越えて生きてこれた、それがすごいと思う。
双極性障害を抱えている人は時限爆弾を背中に背負いながら生きてると私は思う。自殺率は一般人口の約20〜30倍あり、自殺で亡くなる確率は生涯で約15〜20%らしい。なんか結構死んでしまうんだな、データを調べてみて改めて病気の恐ろしさを知った。私は時限爆弾と共に爆ぜてしまうのか、それとも複雑に絡み合ったコードを切って時限装置を解除できるのか、わからない。ただ1つ明確なのは、私は辛い時期を乗り越えて、今生きているということだ。
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