
社長が弊社を売るってさ
私と社長は仲がいい。サシで飲みに行くこと頻繁に、二次会もいつも二人で向かう。飲みの席では無礼講だろ、というのは本来、上の者が下の者に対して放つ言葉である。「無礼講でしょ〜いいじゃないすか〜」という私の無礼極まりないスタンスも、社長はその大きな躯体で受け止めてくれる。小柄な私は、もし部下に同じ言葉を言われたら頬を引っ叩く意気地もなく、ただ顔を真っ赤に染めるだろう。
その日も社長に呼ばれて飲み屋に向かった。内心はもちろん「やっほい今日もタダ酒だ」。
すました日本料理屋である。社長のお供は、普段行かないクオリティの店に行けるからありがたい。ビールで乾杯し、おしぼりで顔を拭く私を目の前に置いた社長は、「酔う前にマジメな話をしておくから」と言った。私の脳内はその段になっても、「タダ酒やっほい」が九分九厘を占めていた。
「〇〇社って知ってる? じつはそこの社長さんが、再来週からウチの社長になるから」
ちょっと何言ってるかわからない。そのとき店員が持ってきた突き出しが何だったか思い出せない。脳内の九分九厘を埋めていた無料のアルコールは瞬時に抜け出していった。
そこからは、〇〇社の詳細や次期社長の人柄、従業員の待遇は変わらないことなどの説明を受けた。他にもいろいろ話はあったのだろうが、覚えていない。私は飲みの席のことを何も覚えていないタイプの呑兵衛だが、このときの記憶のない理由は酒ではなく、ショックと驚きによるものだったと思う。
じつは私は、自分が次期社長の東前頭一枚目だと思い込んでいたのである。ここには書かぬが、自分なりの根拠はあった。部下にも次の社長は自分だと吹きまわっていたし、なんなら妻にも話していた。ワオ。オーマイガットトゥギャザー。
私のオーマイガットを察したのか、社長が今回のいきさつを話してくれた。内容は理解できるものであったが、もちろん納得はできない。周囲にうそぶいていた私のメンツが保てないというみみっちい気持ちもないわけではない。しかし、今こうして整理していると、本当に納得できない理由は、事前に私に社長就任の意向がないか聞いておいてほしかったという気持ちがあったからだと思い至った。くわえて、社長交代は再来週というではないか。伝えるタイミングが遅すぎやしないか。ワシ一応管理職ぞ。仲良かったやんけアンタ。
社長は言う。口の軽い私に言うと、絶対に周りに言ってしまうと。
閉口した。これは確かにその通りだ。先に記した通り、私は飲みの席のことを何も覚えていないタイプの呑兵衛である。事前に言われていれば、その日の夜にも口走っていたかもしれない。社長は私のことをよく知っている。
しかし、である。
私も言ってはいけないことは心得ているつもりだ。墓まで持っていかなければならないことがありすぎて、今から特注の棺桶を用意してもらおうかと思っているほどである。
という話を妻にしたら、あなたの口の軽さは指折りだから、社長が正しいと言った。私の口は、周りから見れば揮発していくアルコールより軽い。墓まで持っていけるものは、私が思っているよりかなり少ないのかもしれない。この分だと一番小さい棺桶でもスペースが余りかねない。もしスペースが余ったら、スピリタスで埋めておいてほしい。よく燃えるだろうし、いろんなことも忘れて去れる。