メインコンテンツへスキップ
見出し画像

子どもが1歳になる前、私は癌になった〜1.最初の違和感



最初の違和感は、子どもが1歳になる少し前だった。

お腹が痛かった。
腰も痛かった。

私はもともと、痛みに強い方。
多少の不調なら、そのまま家事も育児も続けてしまう。

でも、その時の痛みは違った。

気持ち悪くなるほど痛かった。

それでも私は、
「産後だからかな」
と軽く考えていた。

今思えば、不正出血もあった。

でも産後は、生理も不安定になる。
毎日寝不足で、自分の身体のことなんて後回しだった。

まさかその時、
子宮の中で7センチの癌が育っているなんて、思いもしなかった。


あまりの痛さと気持ち悪さに耐えられなくなって、近くのクリニックを受診した。
すぐに検査になった。

診察台を降りたあと、
先生と看護師さんの顔を見て思った。
「あ、何かおかしい」と。

先生は、
「できるだけ早く、大きい病院を受診してください。紹介状を書きますね」と。

詳しい説明は、その時はあまり覚えていない。

ただ、
部屋を出る時の看護師さんの顔だけは、今でも忘れられない。

深く頭を下げて、
私を見送ってくれた。

あの時、
私はまだ、自分が癌だとは思わなかった。
思いたくなかっただけかもしれない。



紹介状を持って、すぐに近くの大学病院を受診した。

いくつもの検査を受けて、
ようやく診察室に呼ばれた。

夫は仕事で地方にいた。
私は一人で診察室に入った。

先生は静かな声で、
「子宮頸がんです」
と言った。
私の様子を見かねた先生は、地方にいた夫に
その場で電話をかけるように言ってくれて
電話で伝えてくれた。

頭が真っ白、という言葉は、
こういう時に使うんだと思った。

どうやって診察室を出たのか、あまり覚えていない。

とりあえず母に連絡した。
母の声から心配や不安、色々感じて
ごめんねの思いで胸が苦しくなって電話を切った。

そこからは、毎週のように検査だった。

MRI、CT、PET-CT。

検査を受けるたびに、
少しずつ状況が悪い方向へはっきりしていった。

PET-CTではリンパ節転移も見つかり、
ステージⅢCだと説明された。

そして先生は、
「すぐに治療を始めたい」
と言った。

放射線治療と抗がん剤治療。

その代わり、
第二子は諦めてください、と。

絶望、というより、
人生が急に別のものになってしまった感じだった。

2. 治療と、失っていくもの

まずは数日の入院で、抗がん剤治療が始まった。

放射線治療に痛みはなかった。
抗がん剤も、心配していたような「髪が抜けるタイプ」の薬ではなかった。

再発する前までの最初の治療は、
若干の吐き気と食欲低下、
なんとなくだるい、
気持ちが落ち込む。

そのくらいだった。

思っていたよりは動けた。

育児は、夫や、
夫が仕事でいない時は実家の母や妹家族が支えてくれた。

でも、一番つらかったのは授乳だった。

造影剤を使うCT検査、
抗がん剤治療、
そして薬が身体から抜けるまで。

その間、子どもに母乳をあげられなくなった。

私にしかできない、
私と子どもだけの時間だった。

毎日搾乳して、
「治療が終わったらまた授乳したい」
その気持ちだけで続けていた。

でも、
治療から1ヶ月ほど経った頃。

久しぶりに授乳しようとした時、
子どもはもう私のおっぱいを嫌がった。

完全にミルクに慣れてしまっていた。

あんなに毎日飲んでいたのに。

私はずっと覚えていたのに、
子どもはもう忘れていた。

仕方ないことだと分かっていた。

でも、
すごく悲しかった。


友人には「報告することがある」と伝えた時、
何人かは第二子の報告だと思っていた。

その反応を見るたび、
言葉が詰まった。

癌だと伝えると、
みんな「絶対治るよ」と励ましてくれた。

家族も友人も、
私の癌が治ることを願ってくれていた。

婦人科系疾患に強いお寺へ行って、
お守りまで買ってきてくれた。


私自身も、
まだこの時は、
治療が終われば元の生活に戻れると思っていた。

 
 
子どもが1歳になる前、私は癌になりました。 治療、再発、後遺症、そして「生き延びた後」のこと。 母親として、ひとりの女性として、少しずつ言葉にしています。