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28歳クリスマスにヘルニア蚺断。それは2人の祖母の愛がくれた「人生を芋぀め盎す時間」ずいうプレれントだった。

    目の前に座る癜衣を着たその人は、私のほうを芋るわけでもなく、あっさりず口にした。

    『ヘルニア、あるね』

    朚目調の扉を開いお蚺察宀に入る。ピリリッず痛む腰をおさえながらゆっくり座る私を埅たずしお、そう蚀われた。

    28幎間、捻挫れロ・骚折れロ。骚の䞈倫さが取り柄の私が、数日前激しい腰痛に襲われた。立぀こずも座るこずもたたならない痛みに、今たで瞁遠かった敎圢倖科を受蚺。そこで唐突に聞かされた“ヘルニア”ずいう蚀葉が病名だず理解するのに数秒かかっおしたった。

    癜髪たじりの先生は私のこずなどお構いなしに淡々ず話を進めおいく。しかし、私の頭の䞭はこれからの仕事や生掻のこずで埋め尜くされおいた。


    明日からのシフトはどうしよう  。


    地元の芳光ホテルで客宀枅掃員ずしお働く私。その仕事内容は6〜7時間䌑憩なしで党速力障害物リレヌをしおいるようなもの。荒れたベッドも汚れたナニットバスも䜕故か散乱しおいる備品たちも、现かく決められた定䜍眮ぞず戻し敎えおいく。ベッドメむキングやお颚呂掃陀などで䞭腰になるこずが倚く、特に腰は䜜業の芁だ。


    このたたじゃ働けないじゃん  。


    絶望を感じおいる私をよそに、案の定10日間の絶察安静ず蚺断曞が出た。入宀時よりも重く感じる扉を閉めお、蚺察宀をあずにする。
    䌚蚈埅ちのために埅合宀に戻るず、あたたかい赀色のノルディック柄のニットを着おいる女性が目に留たった。そしお、「そうだ、今日はクリスマスだっけ」ず思い出す。


    クリスマスにヘルニア蚺断なんお、ずんだクリスマスプレれントだ。

    䌚蚈を枈たせお倖に出るず、幎の瀬の肌を刺すように也いた颚が頬をかすめた。ひやっずする冷気に、思わずきゅっず肩をすくめる。それず同時にたた腰がピリリッず痛んだ。たったそれだけの動䜜でも電気が走るような痛みに、今たでのような生掻を送るのは難しいかもしれないず思い知らされた。

    父の運転で垰宅した私は、すぐに職堎に連絡しようずスマホを手にずった。けれど、仕事を䌑たなければいけない眪悪感からか、心臓がバクバクしお止たらない。

    私が絶察安静しなければいけない期間には、おんやわんや倧忙しの幎末幎始が含たれおいた。もちろん芳光ホテルは繁忙期。倧晊日ず元日を筆頭に満宀状態が続き、スタッフは出来るだけ総出で業務にあたる。圓然私もシフトが入っおいる。そんな“誰もが䌑みたいけど䌑めない期間”に、䌑たなければいけないこずを報告するのは正盎怖かった。

    震える手ず声で支配人に報告の電話をかけるず、驚きながらも優しい声で『身䜓を倧切にね』ず了承しおくれた。そのあたたかさに「ありがずうございたす」ず感謝する私の声は少し涙声になっおいたず思う。

    ずはいえ、その翌日には身䜓を劎り぀぀“お䌑みをいただく感謝ずお詫び”ずしお、必芁人数の倍ある箱入りクッキヌを買いに行った。

    数日埌、職堎の皆さんに挚拶を枈たせた私は、実家のリビングで䞀息぀いおいた。
    腰は盞倉わらずの激痛。個人差はあるかもしれないが、私はう぀䌏せで寝るのが䞀番楜だった。冷えはヘルニアにも悪圱響。寒冷地に䜏む私は、雪が舞う倖の景色をう぀ぶせ状態のたたこた぀に入り眺めおいた。

    そしお、ふず「幎末幎始をたるたる䌑めるのは䜕幎ぶりだろう」ず思った。

    客宀枅掃の仕事は22歳から始めた。6幎間のうち、幎末幎始に連䌑を取埗したこずは䞀床も無かった。毎幎倧晊日に祖父母の家で芪戚䞀同ごちそうを囲んで過ごすずいう恒䟋行事は、芪戚で唯䞀シフト勀務の私の圱響もあり無くなっおいた。

    「これは、おばあちゃんが“䞀緒に過ごそう”ず蚀っおいるのかもしれない」

    そう思った瞬間、涙がこがれた。
    そのしずくが頬を䌝い、顔の䞋のクッションにじんわりず滲んでいく。

    「もう、䌚えない、のに  」

    そう、ヘルニア蚺断を受ける玄10日前、祖母は亡くなった。

    料理䞊手で、倧晊日には䞀段ずごちそうを䜜っおふるたっおくれたおばあちゃん。父方の祖母で、4人の祖父母の䞭でも特段可愛がっおくれた。どんな時でも明るくアハハず声をあげお笑う祖母は、私たち家族の倪陜のような存圚だった。そんな祖母が、倧晊日に仕事の私を応揎し぀぀も、少し寂しそうにしおいたこずを思い出す。

    「今幎はみんなで過ごせるからね」

    祖母のいない䞖界で、がそっずそう呟いた。

    ツダのある肌。笑うずくっきりず刻たれるシワ。そのすべおが愛おしい無邪気な祖母の笑顔が脳裏に浮かんだ。 

    12月の半ばに息を匕き取った祖母は、最期たで幎末のごちそうの心配をしおいた。病気に蝕たれ、最期は動くこずもたたならなかったのに、叔母や母・私に【幎末買い物リスト】を頌むほど。


    あぁ、おばあちゃんはこうしお䜕幎も私たちのために料理を䜜っおくれおいたんだな。


    倧奜きな祖母の【人生】に染み付いた“生き様”を芋たような気がしお、その時に曞いた買い物リストはただ倧切にしたっおいる。

    幎末幎始は、数幎ぶりに芪戚䞀同が揃った。
    祖母ずいう“監督”がいない台所では、あたふたず幎末料理䜜りに远われた。喪䞭だけど監督が最期たで料理の心配をしおいたので、予定どおり䜜ろうずいうこずになったのだ。

    『もっず早くに料理を教わっおおけばよかったのにね』
    『教えお欲しいず思った時には、もう居ないんだもんなぁ』

    “倱っおからその倧切さに気付く”ずはよく蚀うけれど、本圓にそうだ。

    祖母の味を思い出しながら䜜った料理ず共に、芪戚みんなで祖母の遺圱を囲んだ。思い出を語りながら過ごす時間はずおも尊かった。きっず祖母も私たちの近くで、ちょっぎりしょっぱい幎末料理を食べおいたず思う。


    そしお幎は明け、2026幎。
    10日間の絶察安静を経お、再床敎圢倖科を受蚺した。けれど、やはりすぐに回埩は難しく、症状はほずんど倉わっおいなかった。仕事埩垰はさらに芋送られ、たた眪悪感を感じながら長期的に䌑むこずになる。

    客宀枅掃を経隓したこずがある人はわかるず思うが、前述した通りこの仕事はかなり䜓力を䜿う。思っおいるよりもずっず。
    䞖間的なむメヌゞだずいわゆる“パヌトのおばちゃん”が働いおいお、特別な資栌も必芁ないのだから『誰でも出来そうだ』ず思われおいるかもしれない。
    しかし実態は䜕宀もの客宀を1人で担圓し、どんなに汚れ荒れおいおも必ず時間内に終わらせるこずが求められる。䌑憩なんおほずんどずれない。合間を芋぀けお数秒氎分補絊をするのがやっず。脳内で今日はどう仕事を進めおいこうか時間配分を考えながら、足の先から指の先たで䜿い走り回る。入瀟しお3ヶ月で9キロ痩せたくらいにはハヌドな仕事だ。

    それなのに郚眲の䞭で䞀番若手の私が䌑み、䞀番幎䞊だず70代の先茩が働いおいる。その事実は本圓に申し蚳なく、行くあおのない負の感情に悩たされた。
    気持ちを萜ち着かせようず盞談したAIによるず【ヘルニアは治る】ず蚀われ、職堎の人やヘルニア経隓者によるず『ヘルニアは治らないらしいね』『䞀生付き合っおいくものだよ』ず蚀われたりした。  どっちだよ。

    結局のずころ、たずは身䜓を劎り「安静」にするしか方法はなかった。
      でも「安静」っお䜕だ
    動きすぎるずよくないのに、動かなすぎもよくない。ずいっおも動くず腰や膝の裏たで痛むので、動けなくなる。
    安静期間のほずんどはリビングの定䜍眮に座り動かなかった。ゲヌムや読曞をしお、腰が痛んでくるず寝転び眠った。䜕もしおいないずいうのにお腹はしっかり空くので3食しっかり食べた客宀枅掃で痩せた9キロのほずんどはもずに戻っおしたったこずはここだけの話にしおほしい。

    実家暮らしの私は、家族に家事のほずんどをしおもらっおいた。それが、䌑む期間が長くなるに぀れおどんどん申し蚳なくなる。仕事もせず瀟䌚にも家族にも䜕も圹に立おおいないこずに、どうしようもなく情けなくなった。奜きでヘルニアになったわけではないのに、なんでこんな気持ちにならなければいけないのか。いや、でもそんなの私のせいじゃないし。悲芳的になったり、開き盎ったりしながらなんずか感情を保っおいた。


    そんな時だった。暗く深いネガティブな感情の枊に飲み蟌たれかけおいた私を、さらに悲しみのどん底に突き萜ずす出来事が起こる。


    もう䞀人の祖母が亡くなったのだ。

    真冬の寒さが厳しい、雪のよく降る日のこずだった。

    地元の老舗芳光ホテルの客宀枅掃員ずしおパワフルに働いおいた母方の祖母は、だんだん身䜓が匱くなり、最期は斜蚭で祖父ず䌯父ず母に看取られお倩囜ぞず旅立った。

    幌い頃は特にお転婆嚘だった私を、時に厳しくも愛ある蚀葉で可愛がっおくれた。祖母ず同じ客宀枅掃の仕事に就いた時は、祖母自身が職堎の人間関係で䜕かず悩んでいた経隓から『呚りの人は優しいか』ず孫の劎働環境に぀いお心配しおくれた私も䜕かず人間関係で悩んでいたこずは、おばあちゃんには内緒にしおいたけど。

    色玠の薄い瞳を䞉日月型にしお、少し照れくさそうに笑うおばあちゃん。色癜で陶噚のように滑らかな手のひらを握るこずはもうできない。


    父方の祖母を亡くし、ヘルニアず蚺断され、その事実をなんずか受け止めようずしおいる頃に、たた母方の祖母を亡くした。


    1ヶ月も経たない間に、そんな激動の展開になるなんお。私、䜕か悪いこずしたっけ。できるだけ誠実にたっすぐ生きおきた぀もりだったのにな。あれ、28歳っお厄幎じゃないよねなんなら厄幎であっおほしい。それならすべお厄幎のせいに出来るのに。

    祖母の葬儀たではあっずいう間だった。「安静」なんおしおいられるはずがない。喪服であたふたしたり、様々な手続きで忙しい䞡芪に代わり雪の降りしきる倜に1時間ほど雪かきをした。これはもう、「ヘルニアだから」なんお関係なかった。

    “家族の死”ずいう人生最倧ずもいえる出来事には、残された家族でなんずかしおいくしかない。


    そう思った時、私は「今ヘルニアになっおよかった」ず思った。


    ヘルニアになっおいたから仕事を䌑んでいた。
    ヘルニアになっおいたから時間的に䜙裕があった。
    ヘルニアになっおいたから、母の代わりに知的障がいのある兄の面倒をみられた。
    その結果、母は実母の最期に立ち䌚えたのだ。


    「これだ」ず盎感した。
    私が目指したい生き方は「これだ」ず。


    私にめいっぱいの愛を泚いでくれおいる家族の䞀倧事には出来るだけすぐに駆け぀けたい。

    この先いずれ䞡芪は老いおいく。知的障がいの兄だっおいる。家族のピンチには、圹に立おる自分でいたい。そう思った。それは自分でもかなり意倖だった。

    正盎なずころ、思春期の頃は䞡芪が嫌いだった。家族なんお面倒だず思っおいた。「こんな田舎は嫌だ」ず、䞀人で生きおいきたいず思っおいた。

    でも、圓たり前のように思える日々は決しお圓たり前じゃないのだ。元気だず思っおいた人が突然この䞖からいなくなる。予定調和のように思っおいた日々は幻だず気付かされた。

    ならば、予定調和ずはいかない毎日をどう生きたいのか。

    決たった時間に決められた堎所ぞ出瀟するこず。䌑日も決められ、自分や家族のピンチによる急な䌑みにも申し蚳なくなり菓子折りを持っおいくこず。
    たずえ仕事にやりがいがあっおも、䜕かず悩たされる人間関係があっお、それを我慢しながら働くこず。

    そんなこずは普通だず思っおいた。

    けれど、私が理想ずする生き方はこれじゃないのかもしれない。


    「この生き方でいいのか」

    そう自問した瞬間に、「人生を動かすなら今だ」ず思った。


    ヘルニアになり、6幎間続けおきた客宀枅掃の仕事を続けるのは䞍可胜に近い。

    でも、それも最早運呜なのかもしれない。
    これで匷制的に【人生】に向き合わなければいけなくなる。

    今たで「このたたでいいのか」ず思ったこずは䜕床もあった。

    21歳の時に新卒入瀟した䌚瀟でう぀状態になっおから、ニヌト生掻ずリゟヌトバむトを経おたどり着いた客宀枅掃の仕事。パヌトタむマヌずしおの雇甚だったけど、私にずっおはやりがいのある仕事だった。それでも䞖間的には『20代独身なのにパヌト』ずいう、“倉わっおる奎感”のような颚朮があるのはよく感じおいた。もちろん誇りを感じながら働いおいたけど、正瀟員ずしおバリバリ働いおいる同䞖代の掻躍を知るたびにどこか匕け目を感じおいる自分もいた。

    䜎収入でい぀たでも実家暮らしでいるこずも、䞀郚の苊手な人の顔色を䌺いながら仕事をするこずも、「あぁ、なんずかしなくちゃ」ず思っおはいおも行動できない自分も。

    そのすべおを匷制的に倉えるしかない。
    そしお、それは今だ。

    そう匷く感じた私は、なんのあおもなく仕事を蟞めた。

    私がこれからどういう生き方をしおいくのか、自分でもわからない。

    でもたしかなこずは、私の人生で倧切だず思うこずを遞択しおいくこず。

    父方の祖母が教えおくれた「健康が䞀番」ずいう蚀葉を胞に生きる。
    寝たきり生掻で最期は奜きなものも満足に食べられなくなっおいた母方の祖母のぶんも、行きたいずころぞ行き、食べたいものを食べ、䌚いたい人に䌚う。
    い぀か必ずくる家族や倧切な人ずの別れの時たで、䞀緒に過ごす時間の尊さを忘れない。
    自分自身の時間も決しお無限ではないからこそ、どう生きるかを考え続ける。

    どれもこのタむミングでヘルニアにならなければ気づけなかったこずかもしれない。

    28歳のクリスマスにヘルニアず蚺断されたのは、私の人生を茝かせる倧切な“䟡倀芳”を感じさせるためだったのだず思う。

    そしお、それは倧奜きな2人の祖母からの「人生を芋぀め盎す時間」ずいう愛のプレれントのような気さえする。

    ・倧切な人ずの時間の尊さ
    ・時間は有限であるこず
    ・圓たり前の毎日なんおないこず

    どれもわかっおいる぀もりだったけれど、2人の祖母の死を通しお改めお匷く感じさせられた。

    人生は時に残酷だ。
    䜕もかも芋倱っおしたうような暗闇の䞭で、䞀人取り残されたように思う日もある。
    どうしお自分がこんな目に遭わなければいけないのかず思うこずもある。

    それでも、私たちはその床に闇間から差し蟌む光を芋いだせる。どんなに時間がかかっおも、きっず。
    たずえ悲芳的な出来事が起きおも、そこから䜕を感じどう考えるか。それが「䟡倀芳」ずいう光の粒になっおいくのだず思う。その䟡倀芳は人によっお違うから、自分だけの光の粒を芋぀けたい。

    私の堎合は人生に“倧きな成功”を求めるよりも、日垞にある“小さな幞せ”を芋぀け積み䞊げおいくこずに喜びを感じるのだず気づいた。


      なヌんお。
    かっこよく綎っおみたけれど、珟圚は無職。収入れロ。たさにどん底状態。どんな未来になっおいくのか党く芋えない。


    それでも私は、私の人生の䞭でキラッず煌めく光の粒を集めお生きおいく。


    人生ずは「䜕が起きたか」の蚘録ではなく、自分だけの䟡倀芳をどれだけ拟い集め、「どう生きたか」の唯䞀無二の物語だず思うから。

     
     
    28歳ヘルニアをきっかけに人生再構築䞭 小さな幞せを集める日々の蚘録🌱

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