
『私の感性が正しくて清らかだと信じたかった。』│エッセイ│note創作大賞応募作│
この度、note創作大賞に挑戦してみました🪄
ぜひ気になるタイトルから読んで下さったらうれしいです🦢🌿
01│ どうか忘れないで
新卒で入社した会社を辞め、ひとりで蔵前のカフェにふらっと入った。コーヒーを片手に本を読もうか。そんな気分だった。スマホの地図を頼りにお店に到着すると、オーストリア人の陽気なオーナーにハイタッチを求められ、慣れない素振りで手を合わせた。なんだかこそばゆい、心がふわりと浮いた。
木の温もりを感じる店内は、精米店を改装して作られているのだと教えてくれた。外国人や、遠方から来る常連の方、ひとりで読書を嗜む人、思い思いの時間を此処で過ごす人がいて、オーナーや店員さんが人と人とを繊細な糸で繋いでゆく。私はその日、よしもとばななさんの本を読んでいたから、「ばななさん」と呼ばれ、ばななさんとして生きた。私も此処の中のひとりだと、そう思った。
オーナーの選曲したレコードは、ポップテイストの中に力強さを感じるギミックが効いたレコードが流れ、落ち着きの中にも色づけていくようだった。
ある外国人の方が、帰り際に言った。
「生きていると色々あるけれど、どうか忘れないで。あなたたちは素敵よ」
たしか、そんなようなことを言っていた。
彼女らは、観光に来ていたのだろうか。無事に母国に帰ったのだろうか。日本は楽しかっただろうか。
分からない、けれど。
その言葉、その時間、その空間が、いまでも脳裏に焼き付いている。
02│ 父とわたし
物心ついた時から父と会話をすることが減った。はじめは一過性の反抗期のせいだと思っていたけれど、二十歳を超えてもなんだかぎくしゃくしていた。とりわけ、父のことが嫌いなわけではないし、よく聞く「お父さんと洗濯別にして!」なんて思ったこともない。でもなぜか、父を見るといらいらしてしまう自分がいた。
父は母によく怒られている。「糖尿病なのにコーラなんて飲んで!」とか、「掃除機かけるまえに埃取ってって何度も言っているでしょう!」とか。父は慣れたように適当にはいはいと流している。
そんなんで最近は、とっさに嘘をついてごまかすのが上手になっていた。ポテチを仕事のカバンの中に忍び込ませて隠れて食べ、1日1本の決まりのアイスを2個平らげ、大胆に隠ぺいしていた。
だが、どうやら母によると、そんな父がわたしと瓜二つだと言うのだ。
顔もそっくり(らしい)だが、とっさに嘘をつく癖は、わたしにもあるという。思い返してみると、小学生の頃スイミングに行きたくなくて「行った」と嘘をついたり(水着を水道水で濡らして隠ぺいした)、大人になっても大学に行くと言ってカフェで時間をつぶした。もしかして母には見透かされていたのだろうか⋯。
高校生になると、とっさに嘘をついてしまう自分に嫌気がさし、そして同じように嘘を平気でつく父にコンプレックスを抱いていた。なにやら身近な人で自分と似ている人に嫌悪感を抱くことを同族嫌悪というらしい。この同族嫌悪を抱きやすい人は、自分のコンプレックスを受け入れられていない人に多いとか。
父の所作や行動が自分の短所を見ているようで、父親にまでコンプレックスを抱えていたんだと気づいた。でも、当の父はまったく気にしていないようで、そこの性格のちがいに助けられたようだ。最近は、自分のコンプレックスも受け入れられるようになったからか、似ている父を愛おしく思う瞬間が増えた。今日も二人して母におなじようなことで怒られて、なんだか可笑しかった。
03│ #7119
ついさっきまで死にたいって考えていたのに。
手に汗握りながら#7119にかけている。
㏂3:00
のどが渇いたので水を飲もうとしたところで視界が渦を巻くようにぐるぐると回りだす。あ、目眩だと気づいたときには体は情けなくぐにゃりと横に倒れ、吐き気がこみあげてきている。
こんな時まで、こんなことで救急車を呼んだら迷惑かも⋯とか、めまいは死ぬわけじゃないしなと落ち着かせる。次第に動悸がして、息もあがり手足も痺れ出した。
結局、相談だけならと藁をもすがる思いで#7119にかけたら、病院に運ばれ、慣れた手つきで点滴を打ってもらい、おかげさまですっかり回復した。
死にたい、そう思うのに、いざ死を感じると怖くなる。死にたいのに、死ぬ覚悟は持ち合わせていないことに気づく。
生きたいというわけではないけれど、死にたいわけでもないのかも、なんて思ったり。きっと、その状況が耐え難いほど辛くて、この世界に絶望する、落胆する。
お陰さまでめまいはケロッと治ってしまった。心の傷は、残したままに。
04│ 人間不信
最近、また人間不信が強くなってきた。
裏切られたり
嫌味を言われたり
噂話をされたり、流されたり
人間の汚いところを見たり
そういうのにいちいち過敏に反応してしまう。
裏切られたとき、「人間って案外そんなもんだよ」と片付けられてしまうのが理解できない。
私は、ピュアなんだね、と言われることが多い。
けれど、「図太くなきゃ生きていけないよ」と言われる始末。
「ピュア」が褒め言葉ではないと思っている。
正しく生きてきたつもりなのに、正しさだけじゃ頭が堅いと言われ。
人を傷つける行動はしていないのに、根も葉もない噂を立てられ悪者扱い。
信じていた人の言葉が嘘だったと分かったり。
みんなが言う「ピュア」はきっと、「世間知らず」なのだろう。
世間は、思ったより汚れているのだろうか。
善意の裏には、悪が隠れているのか。
人を信じすぎてはいけないのだろうか。
私が好きなあの人も、いつか裏切るんだろうか。
相談していたあの人も、そうなのだろうか。
大切な人たちまで疑ってしまう自分が憎い。
優しさを素直に受け取れなくなっている。
中にはきっと、本当の優しさもあるのに。
今更、図太くなんか、なれない。
05│ せっかくなら心を灯す言葉を
コンビニでアルバイトをしていたある日。いつものように、お客様から商品の入ったかごを受け取り、せっせと商品のバーコードをスキャンする。コンビニにくるお客様は、とにかく速くしてくれと言わんばかりの空気を纏ってくる。私の気にしすぎだろうが、きっと神対応なんて求めていない。私はレジ打ちも商品を袋詰めするのも速くはなかったが、4年も経つと、手慣れた手つきで淡々と仕事をした。
ある日もいつも通りテキパキと仕事をしていた。マイバッグを持ってきた主婦の方のレジを担当した時、「ありがとね」、と声を掛けられた。私は心当たりがなく、きょとん⋯としていると、「重い商品からレジ打ってくださって、とても助かるわぁ~」と微笑んだ。
私は、ペットボトルや牛乳が下の方が入れやすいよなとか、卵は割れやすいから最後の方がいいかなって自分の中での常識があった。幼い頃から、私の母がよくそうやってエコバッグに入れいていたのを覚えていたから。そんな、些細なところを見つけてもらえた時、褒めてもらえた時、言葉にして感謝された時、心がぽっと温まる音が聴こえた。
人って、褒めるより、指摘する声の方が多い気がして。見知らぬ人にわざわざ声をかける時って、相手の態度や行動に不信感を覚えたときに多いように感じる。もちろん、指摘が行動の改善につながることもあるし、お叱りを受ける必要があることもあるだろう。ただ、いいことをしたときにほど、見つけたときに、ひとこと言葉にしてもらえたら。見知らぬ誰かでもいい。きっとその言葉はその人の心の中でずっと灯りつづけると思う。
06│ 眠れない夜に
定期的に前職のことを思い出して死にたくなる。誰しも、油断した隙に急に嫌な思い出がフラッシュバックして、ぐわぁぁあってなる瞬間ってないだろうか。わたしは結構ある。
仕事でした失敗、馬鹿にされたこと、陰口、冷ややかな目。
自分が物凄く価値のない人間なんだって、傷がえぐられる。
新卒で入った会社。1年目は、未経験だから頑張ろうって意気込んでいたけど、だんだん会社の人間関係にしんどくなって、監視されているように感じて、見下されて、簡単なことさえ手が震えて、言葉がでなくて。人格否定されているようだった。
1年目にはできていたことも、2年目になると体が縮こまり、できなくなってゆく。自分が自分でなくなっていく恐怖。自信をなくし、自分自身さえも責めた。
あの時間、あの空間にいた私は苦しかった。
だからさ、もう自分を責め立てるのはもうやめよう。できなかったことも、失敗したことも、自分に価値がなかったからじゃない。頑張れなかったのも、怠け者だったわけじゃない。たった少ない人間関係と、少ない期間の出来事で、これまでの人生を否定するのはやめよう。
「私は、価値のない人間ではない。」
07│ 世の中は不条理だ
真面目に今まで生きてきたつもりだった。
誰かがルールを破っても、サボっても、いじめても。私はそうはならないと心に誓ってきた。道を外れないように、一歩ずつ踏みしめて歩いてきたはずなのに。
だけどいつからだろう。社会で孤独を感じるようになったのは。
「会社から必要とされていない気がする」
「足手纏いで、皆辞めてほしいと思っている。」と、目の前の友人にぽつりとつぶやくと、決まって「考えすぎだよ」とか、「ネガティブだね~」なんて簡単に否定されてしまう。
確かに、確実に自分にとってそう思う節がなければ、ここまで悩んでいないはずなんだよ、と心で呟く。
仕事ができるようになりたいのに、役に立ちたいのに、サボりたいわけではないのに、自分ばかりがうまくいかない。
ある時ふと思った。道を逸れないように歩いてきた私が、
真面目にレールに乗ってきたはずの私が、むしろレールからこぼれ落ちているのだと。
私の感性が正しくて清らかだと思いたかった。
人間に傷つけられる度、私は間違っていないのだと安心したかった。
「世界は不条理だ」「心がきれいな人にとって生きにくい世の中だ」。
そう書かれているエッセイや自己啓発本を読んでは、うなずいて信じたかった。
だけど私は、現実から、人から、世界から目を背けていた。
ちゃんと関わって、ぶつかってきた人、もがいてきた人に失礼だと思った。「この世は不条理だ」。
この言葉を言うには、まだ若かった。
08│ 優しさからみえるその人の人生
私が悪口を言わないようにしているには、言われたときの悲しみを知っているから。
誰かの失敗を快く受け止められるのは、馬鹿にされた悔しさを知っているから。
差別しないのは、仲間外れにされた孤独と苦しみを知っているから。
外見について悪く言わないのは、自分が言われたら傷つくから。怖いから。自信がないから。
最初から、優しかったわけではないと思う。傷つけられ、傷つけてしまった経験があるから、人の痛みを理解できるようになった。
だけど必ずしも、今でも誰も傷つけないわけではない。意図せず相手を傷つけてしまう事だってある。誰が何に嫌な思いをするかなんて分からない。
ただ、誰かの人生を変えてしまう可能性があること、それを決して忘れてはならない。
09│ ざぶん、と。
泣きたくなったら、
独りになりたかったら、
悩んだら、
寂しくなったら、
死にたくなったら、海に行く。
私が住んでいるところは海に面していない県なので、遠くまで電車を乗りついで行く。車も持っていないから時間がかかるのだけれど、普段は重い腰も海に行くためなら軽くなる。
海辺に着くと、まず波音をきく。潮のにおいに、これこれっと目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませるようにして耳に集中する。
ザブンと荒い波が音を立てて流れる。ザーッと波が引く音、頭の中の雑音を飲み込むようにして、再び大きな波がザブンとかき消す。その時間は頭が空っぽになるから好きだ。
一度、沖縄の宮古島に旅行で訪れたことがある。
波が穏やかなビーチがあった。地元の人たちだろうか、海にからだを浮かしながら天を向いている。
からだが浮いている!!わたしもやりたい!、見慣れない光景に心を躍らせ、思うがままに入水し、からだを預けるようにして私も天を見あげた。
浮く。からだが浮く。こころが浮く。
体に縛り付けられていた鉛がほどけるようにぷかんと浮いた。
その瞬間は、いまでも忘れられない。
だから私は、できれば海に来たなら入る派なのだけれど、大人になると大抵断られてしまう。べたべたするとか、砂で汚れるとか、濡れたくないとかあれこれ理由をつけて。
大人になると生きるのが上手になる。めんどくさいことは避けるようになる。
でも私は、このまま歳を重ねてもこの気持ちだけは変わらずいたいと思う。
ひとつでもいい。苦しくなった時、泣きたくなった時、虚しくなった時、自分にとって拠り所になる場所があるといい。
ここまで読んでくださりありがとうございました。
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