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どうせ掴めないのに

    ミーハーな曲が嫌いだ。
    コードも何も分からないくせに、ギターを適当に抑えて曲みたいな形になっている音のかたまり。音楽じゃなくて音のかたまり。なんの意味もないただの羅列。

    菅田将暉もそうで、基本的にいけ好かない。確かに格好いいけど、確かにまあ歌も悪くないけど多分、音楽で笑ったことはあっても、音楽で泣いたことはないだろう、と思う。

    彼の曲、『さよならエレジー』で一箇所だけ好きな部分があって、最近そのフレーズをよく思い出してしまう。
    「虹が出る どうせ掴めないのに」

    小さい頃から どうせ と のに が、途轍もなく嫌いだった。せっかくしてあげたのに。時間をかけてあげたのに。どうせ無理でしょ。どうせ無駄なのに。その言葉を聞くたびに、理由もわからないまま、自分が責められているような気がした。

    人は見返りを求める。いかなる自己犠牲も未来への投資であり、奉仕ではない。まあそうだよね。大人になったらそうだな、と合点がいくようになった。なんか何かに期待することがばかみたいに思えてくる。自分にも、人にも。みんなただ単に自分勝手なだけで、笑えてくる。

    どうせ掴めないものばかりが蔓延る世界になってしまった。大抵のアイデアはどうせ誰かの受け売りで、originalなものなんて多分なくて、あったとしてもそれは誰かも考えられるような些細なことで、別に何も特別でないと気づく。無意識のうちに自分の考えだと思い込んでいるだけで、本当は至極ありふれていると気づいた途端、別に捨てていいような気がするのに、捨てられないのは何故だろう。

    苦しくなるのは何故だろう。

    言えなかった想いを、誰にも届かない痛みを、閉じ込めたまま沈んでいく。1人静かに、暗い海に沈む。誰にも気づかれないまま閉じ込めたすべてを、自分の物だと思い込んで、でもそれは偽りだと本当はわかっている。わかっているけれども、認めたくなくて、想いや痛みの周りのあのなんとも言えない匂いとか、眼差しとか、そういうものがこびりついて離れないから、どうしたらいいのかわからない。

    だから、誰にも侵されないように、奪われないように。海の温度が下がってもいい。深く沈めば沈むほど、光はいっそう届かなくなるかもしれない。それでもいい。それでもいいから、大切にさせて。
    懐かしいほどの痛みを、ただそこに漂い続けているだけの寂しさを、ずっと忘れられないことを、赦して。

    たとえそれが、どうせ掴めなかったとしても。

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