
ドーナツの穴には天使がいる
神が細部に宿るなら、天使はきっと余白を通る。しらんけど。わたしが天使ならそうする。
ドーナツが好き。大体おいしいから。
なんといってもド真ん中に穴が空いてるところがいい。あれは不足じゃない、余白。
余白には引力がある。静かなお店、返信を急かされない関係、何も置いてない机、予定のない休日、間のある会話。みんな余白でみんないい。
人間関係ですら、全部を説明し始めると苦しい。“間”がない音楽はノイズになるし、文章は窒息する。
余白をデザインできる人というのは、なんともたおやかで美しい。社会生活で充填された空気圧をそっと和らげてくれる。
日々時間に追われていると、『埋まってる = 価値がある』というような(集団)幻覚に苛まれる。最適化とか生産性とか必死になって、不安と恐怖が駆動力。
余白がないと、自由に選べない。 それは少しずつわたしたちを疲弊させるし、感覚を麻痺させる。考える前に反応するのは楽なのだ、それに気づくまでは。
ほんとはずっと余白が欲しい。怠惰や逃避じゃない、処理容量の回復。
だからわたしは好んで頻繁にドーナツを食べるのかもしれない。経口摂取、余白を食べる。ベーグルも可。
しかも輪っかって終わりも始まりも曖昧で、攻撃性が低い。角がないからね。佇まいがのんびりしていて、「急げ!」って形をしてない。絶対にいるよ、天使。コーヒーの湯気の隙間と行ったり来たりしてるんじゃない。わたしが天使ならそうする。
