メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo byturbo1019

一番大事な演算は、「引き算」なのかもしれない

    こんにちは、最近仕事の暇な時間に中学数学を解いているぜろぐらむです。

    その中でふと、一番大事な演算は「引き算」なのかもしれないと思いました。

    何かを始める。
    何かを増やす。
    何者かになるために、予定も、知識も、人間関係も、選択肢も増やしていく。

    それは一見、前に進んでいるように見えます。

    でも、増やし続けた先で、自分の時間や体力や思考の余白がなくなってしまうなら、それは本当に前進なのだろうか。

    そんなことを考えています。

    足し算で人生を変えようとしていた


    今までの自分は、どちらかというと「足し算」で人生を変えようとしていた気がします。

    もっと学ぶ。
    もっと動く。
    もっと人と会う。
    もっと予定を入れる。
    もっとできることを増やす。
    もっと可能性を広げる。

    もちろん、それ自体が悪いわけではありません。

    むしろ人生を動かすためには、ある程度の足し算は必要です。
    何も始めなければ、何も変わりません。

    新しいことを始めたからこそ見える景色もあります。
    知らなかった人と出会ったからこそ、人生が動くこともあります。
    今までやってこなかったことに手を出したからこそ、自分の可能性に気づくこともあります。

    だから、足し算は大事です。

    ただ、足し算だけで人生を良くしようとすると、どこかで限界が来ます。

    予定を増やせば、自由な時間は減ります。
    人間関係を増やせば、気を遣う場面も増えます。
    選択肢を増やせば、迷いも増えます。
    やりたいことを増やせば、やれないことへの焦りも増えます。

    増やすことは、同時に何かを圧迫することでもあります。

    ここを見落とすと、人生はだんだん苦しくなっていくのかもしれません。



    増やすほど、自由が遠ざかることがある


    不思議なことに、自由になるために増やしたものが、逆に自分を不自由にすることがあります。

    収入源を増やしたい。
    スキルを増やしたい。
    人脈を増やしたい。
    経験を増やしたい。

    全部、前向きなことです。

    でも、それらが増えすぎると、いつの間にか自分の人生がタスクで埋まっていきます。

    本当は自由になりたかったはずなのに、気づいたら予定表に支配されている。
    本当は自分の人生を取り戻したかったはずなのに、気づいたら「やらなきゃいけないこと」ばかりになっている。

    これはなかなか皮肉です。

    自由を求めて走っていたはずが、気づいたら自分で自分に鎖を増やしていた。
    しかもその鎖は、他人から強制されたものではなく、自分で「大事そうだから」と選んだものだったりします。

    だからこそ、やっかいです。

    他人に押し付けられたものなら、文句も言いやすい。
    でも、自分で選んだ予定や目標や関係性は、なかなか手放しにくい。

    「これは自分で決めたことだから」
    「せっかくここまで来たから」
    「これも将来につながるかもしれないから」

    そうやって、どんどん抱え込んでしまう。

    でも、どれだけ前向きなものでも、自分のキャパを超えた瞬間に、それは重荷になります。

    スマホでアプリを開きすぎると、どれだけ高性能でも動作が重くなります。
    人間もたぶん同じです。

    どれだけ大事なものでも、同時に開きすぎたら処理落ちします。



    「全部大事」は、少し危ない


    最近思うのは、「全部大事」という状態は少し危ないということです。

    仕事も大事。
    人間関係も大事。
    将来のための勉強も大事。
    副業も大事。
    健康も大事。
    休息も大事。
    今しかできない経験も大事。

    たしかに、全部大事です。

    でも、全部大事だと思っていると、何も削れなくなります。

    そして何も削れないまま予定やタスクが積み重なると、最終的に削られるのは自分自身です。

    睡眠が削られる。
    体力が削られる。
    思考の余白が削られる。
    感情の余裕が削られる。
    自分と向き合う時間が削られる。

    本当は大事にしたかったはずの自分が、一番後回しになります。

    これはかなり本末転倒です。

    「全部大事」は、一見やさしい言葉です。
    でも裏を返すと、優先順位を決めることから逃げている状態でもあります。

    何かを選ぶということは、何かを選ばないということです。

    ここから目をそらすと、人生はどんどん散らかっていきます。



    引き算は、逃げではなく設計である


    引き算というと、どこかネガティブに聞こえるかもしれません。

    諦める。
    やめる。
    断る。
    距離を置く。
    減らす。
    捨てる。

    こう並べると、なんとなく後ろ向きな感じがします。

    でも本当は、引き算は逃げではなく設計だと思います。

    自分の人生に何を残すかを決めるために、何を手放すかを決める。
    本当に大事なものに力を使うために、それ以外に使っていた力を戻す。
    未来のために、今の余白を確保する。

    これはかなり前向きな行為です。

    何でもかんでも抱え込むことが強さではありません。
    むしろ、自分の限界を理解して、必要なものだけを残せる人のほうが強い気がします。

    全部背負って潰れるより、背負うものを選んで進むほうがいい。

    根性でどうにかする場面も人生にはあると思います。
    でも、ずっと根性だけで走るのは無理です。

    根性はガソリンというより、非常用バッテリーに近い。
    毎日それで走っていたら、そりゃ壊れます。

    だからこそ、引き算が必要なのだと思います。



    何を残すかより、何を手放すか


    「何をやりたいか」と考えることは多いです。

    でも、「何をやらないか」と考える機会は意外と少ない気がします。

    どんな仕事をしたいか。
    どんな人と関わりたいか。
    どんな人生にしたいか。

    こういう問いは前向きで、考えていて楽しいです。

    一方で、

    どんな働き方はしたくないか。
    どんな人間関係からは距離を置きたいか。
    どんな予定は入れないほうがいいか。
    どんな消耗はもう繰り返したくないか。

    こういう問いは、少し現実的で、少し痛いです。

    でも、実はこっちのほうが大事なのかもしれません。

    やりたいことを増やすだけでは、人生は形になりません。
    やらないことを決めて初めて、人生に輪郭が生まれるのだと思います。

    彫刻に近いのかもしれません。

    石に何かを足して像を作るのではなく、余分な部分を削って形を出していく。

    自分の人生も、それに近いのかもしれません。

    何かをどんどん足して理想の自分になるというより、余計なものを削った先に、本来の自分が見えてくる。

    そう考えると、引き算はかなり創造的な行為です。



    余白がないと、自分の声が聞こえない


    余白がない状態が続くと、自分が何を感じているのか分からなくなります。

    疲れているのか。
    飽きているのか。
    本当は嫌なのか。
    まだ頑張りたいのか。
    ただ休みたいだけなのか。

    そういう感覚が、全部ぼやけていきます。

    毎日が予定とタスクで埋まっていると、自分の本音を聞く時間がありません。

    そして本音を聞かないまま走り続けると、ある日いきなり限界が来ます。

    別に大事件が起きたわけではないのに、急に何もしたくなくなる。
    いつもなら流せることが、なぜかものすごく重く感じる。
    好きだったはずのことすら、少し面倒になる。

    そういうときは、気合いが足りないのではなく、単純に余白が足りないのだと思います。

    余白はサボりではありません。
    余白は、自分を正常に動かすためのスペースです。

    スマホにも空き容量が必要なように、人間にも空き容量が必要です。

    空き容量ゼロで動こうとするから、全部が重くなる。
    それだけの話なのかもしれません。



    引いた先に、本当に足したいものが見えてくる


    引き算の目的は、何もない人生にすることではありません。

    むしろ逆です。

    本当に足したいものを見つけるために、いったん引くのだと思います。

    不要な予定を減らす。
    過剰な責任感を減らす。
    惰性の付き合いを減らす。
    見栄で続けていることを減らす。
    自分を削るだけの習慣を減らす。

    そうやって余白ができたときに、ようやく見えてくるものがあります。

    本当は何に時間を使いたいのか。
    誰と一緒にいたいのか。
    どんな働き方をしたいのか。
    何を作りたいのか。
    どう生きたいのか。

    足し算ばかりしていると、これが見えなくなります。

    だから、人生を変えたいときほど、何かを増やす前に、何かを減らす必要があるのかもしれません。

    もっと頑張る。
    もっと詰め込む。
    もっと動く。

    それも時には必要です。

    でも、いつもそれだけでは続きません。

    何を足すかより、何を引くか。
    何を得るかより、何を手放すか。
    何になるかより、何ではあり続けないか。

    そういう問いが、これからの自分には必要なのだと思います。

    一番大事な演算は、引き算なのかもしれない。

    そう思ったのは、何かを諦めたいからではありません。

    むしろ、自分の人生に本当に必要なものを残したいからです。
    そして、そこにちゃんと力を使いたいからです。

    足し算で可能性を広げて、
    引き算で人生の輪郭を取り戻す。

    たぶん、その両方が必要なのだと思います。

    でも今の自分にとって、より大事なのは引き算なのかもしれません。

    増やすことに疲れたときは、減らすことを恐れなくていい。

    手放した先に、何も残らないわけではありません。

    むしろ、手放した先にこそ、
    本当に残したかったものが見えてくるのだと思います。

     
     
    仕事や人生の中で感じる、うまく言葉にできないようなしんどさや違和感を、自分なりに言葉にしています。自分の心を軽くする目的で始めましたが、読んでくれた人の心もちょっとだけ軽くできたらうれしいです。

    あなたへのおすすめ