
「こ」この話は早く大人になりたい!と願った小学生の頃の大切な思い出
いつの日かnoteに記そうと
心に大切に大切に
閉まっておいた扉をパンッと開けてみる。
『おねえさん』と呼ばれていた、わたしは
いつから『オバさん』になったのだろう
年齢か?
見た目か?
兄弟姉妹がいれば
その誰かに子供が生まれた時なのか?
この話は
私がまだ、おばさんにもお姉さんにも、なれなかった小学生の頃の【 体操着の話 】である。
わたしが通っていた小学校は
小学3年生まで、上半身は半袖の T シャツ
下半身は太ももの肌にピッタリついた三分丈
の少しだけ伸びのある白いショートパンツ
(短パン)だった。
そして胸と背中にはゼッケンをつける。
「ゼッケン」とは色のついた長四角の布である。
その布はクラスごとに色が分かれていた。
1組は赤
2組は黄
3組は青
4組は緑
5組、なんだけっな…
そのゼッケンは身体の胸の辺りと背中側へ
ミシンや手縫いで縫い付け
そのゼッケンの上から油性ペンで苗字を書く
そんな決まりがあった。
小学4年生にあがると下半身のショートパンツは、何故かブルマと呼ばれる紺色のブルマに変わった。
ここでのブルマとは
運動するときに下半身へ着用するショートパンツの一種、ジャージに似たような生地だった。
その形は逆三角で大腿部丸だし、父が良く履いていたグンゼのブリーフのような姿形に似ている。
大腿部丸出しの下半身の雰囲気はもう大人だ!

ブルマといえば
ドラゴンボールで「ドラゴンレーダー」を発明した機械の天才16歳のブルマが頭に浮かぶ。
当時、テレビで放送されていたドラゴンボールを観ながら兄と漫画本を開きテレビと同じシーンを見合わせながら喜んでいたことを思い出す。
わたしはブルマが嫌いだった。
もちろんドラゴンボールのブルマではなく
パンツの方のブルマである。
ブルマの下には、自前のパンツ(ショーツ)を
履く、ブルマも勿論、自前のブルマである。
ブルマはパンツより微妙に大きめなのだが
そのブルマから、ほんの少しだけ内側のパンツがはみ出てしまうのだった。
そのはみ出てる姿を「はみパン」と呼んでいた。
その、「はみパン」を女生徒同士で見つけると
「出てるよ」とこっそり知らせ合うようになった。
わたしは『はみパン』が気になって
体育の時はパンツのことばかり考えていた。
絶対に、はみパンしたくなかったのだ。
だからいつも体育の時間はパンツの後の縁を触り
はみパンをしていないか、なるべく誰にも気が付かぬように、さりげなく。
それでも体育の時間は好きだった。
鉄棒もマラソンも得意だった。
特にドッチボールは楽しかった記憶が新しい。
そんな、ある日の事だった。
体育の時間がやってきた。
はみパンは気になるが楽しい時間がやってくる。休み時間の間に男女みんなで教室で着替をする。
今思えば男女関係なし、お構いなしの時代。
廊下にでると教室側の壁には着替えを入れた巾着袋を引っ掛けるフックが生徒分付いていた。
着替えが終わるといつものように廊下へ出て
巾着袋をフックに引っ掛けた。
そして、廊下を歩き出した瞬間
廊下にいた仲のよい友達が言った
『HANAKUROさん、ブルマ?』
「えっ!」
わたしは下半身を見る。
見るとブルマを履いていない。
そして、履いていたのは、
【 赤い毛糸のパンツ 】だった。
それも少しだけ毛玉がつきた『ふわっ』としているパンツ。
朝、
家を出る時はき替えるのを忘れていたのだった。
頭がカッーと熱くなる。
急いで教室の前のドアから先生の机へ向かった
『せんせーい、ブルマ忘れました!』
そして
この後の記憶は、まったく覚えていない。
そして今更になって、
インターネットでブルマを調べてみたると、
ブルマではなく『ブルマー』だということが分かった。
この記事を書くまで、ずっとブルマかと思っていたのだ。
幼少期のドジで、かわゆい、わたしは時を経て
今ブルマを『ブルマー』だと、はじめて知ったのである。

いつもスキやフォロワーして下さる皆さまへ
この記事を読んでわたしのことを嫌いになってもパンツの事は嫌いにならないで〜🪙?

#ちょっと驚いた話
#600note祭り
#パンツ
#毛糸のパンツは暖かい
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#パンツの話をしたかった
#1人しりとり
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