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ぱいぱい、バイバイ【子どものアルバム】

    くいたろう


    NICU(新生児集中治療室)というものを、皆さんは知っていますか?

    生まれた直後から、母子分離を余儀なくされ、場合によっては数カ月間入院をすることになった新生児をケアする病棟のこと。
    私はそこで6年間、命をつなぐ子どもと、それを見守るお母さんを支える仕事をしてきた。


    だから、愛着形成や母乳育児の大切さについてくり返し学んできたし、指導もした。いざ自分が母親になった時、あれだけ自分で言っていたのだから…と半ば完全母乳になることに取り憑かれてたように思う。
    今までの経験と知識とわずかしかない根性を総動員し、3ヶ月かけて完母になったときは、これで顔向けができる。とホッとした。



    授乳の時のあの親密さ。今思えばすごく貴重な時間だった。
    でも、慣れというのは怖いもので、そのうち授乳時間は「他のことに意識を向けられる時間」になった。子どもの爪切りとか、テレビを観たりとか、ご飯を食べたりとか。
    今考えると勿体なかったな。


    なにより、母乳育児の大変さは導入だけではなく、終わり。つまり「卒乳」か「断乳」かも見極めが難しい。投資でいうところの出口戦略と同じだ。ということに、その時点ではまだ気がついていなかった。

    本来は子どもが必要としなくなるタイミングで終わりにする(卒乳)の方が望ましい。と言われている。

    1歳くらいになる時に、一度娘も授乳への興味が薄れて卒乳に適したタイミングがあった。
    ただ、ちょうど保育園に入る時期だったため、初めて人に預けることに私は不安だった。私も授乳もいっぺんになくして、娘は大丈夫だろうか。オッパイ=安心材料として、授乳を手放せなかった。


    これが断乳地獄の「はじまりの合図」となる。

    オッパイはいつの間にか娘の中で食事から、レクリエーションのフェーズに突入していた。
    ちょっと甘えたい時、ちよっと手持ち無沙汰な時、手軽に楽しめる嗜好品的なものに変わる。特に夜間の授乳は眠りが浅くなるたびに頻繁に行う羽目になってしまい、私はまたたく間に睡眠不足になった。


    あぁ。確実に出口戦略を誤ってしまった…と後悔しながら、どうやって辞めるかを今度は悩むハメになった。

    よく考えたら、始める時は仕事でたくさん見てきたけど、辞める時のことはあまり知らない。

    そしてもう、食事兼嗜好品になってきたオッパイを取りやめるのは、想像以上に過酷だった。泣き叫ぶ子どもに痛くて仕方ないオッパイ。
    根性のない私は、耐えられず数日で断乳を断念。

    中途半端な断乳は、気まぐれに別れ話をほのめかされ振り回される人と同じ。娘にオッパイへの執着心を植え付けるだけのおそろしい結果となってしまった。


    そうして仕事を再開して3ヶ月。私は睡眠不足と疲労が溜まり抵抗力が落ちたためか、肺炎になった。そして1週間入院を勧められる。なんてこった。


    入院中、今後の授乳をどうするか考えた。このまま1週間、間が空けば自然に必要なくなるんじゃないか。ちょうど入院先が出産した病院でもあったので、相談した。

    「娘さんが忘れていればいいと思うけど。もし、覚えていたらずっと我慢していたってことだもんね」

    そのひと言に、胸がチクリと痛んだ。

    面会に来る娘は、オッパイのオの字も感じさせない。退院して、義母が娘と一緒に迎えに来たときも、普通。

    もう忘れたのかもしれない。

    「じゃあ、ゆっくり休みなさいね」

    そう義母に言われて、娘とふたり自宅の玄関に入って、パタンと戸が閉まった。

    …帰ってきた。

    その途端、娘がうれしそうに

    「ぱいぱい」

    そう言って、授乳クッションを持ってきた。

    忘れていなかった。ずっとふたりになるまで我慢をしていただけだ。
    忘れていなかったことに、ほんの少しだけ落胆と。でも、小さい娘のいじらしさに感動し、やっとその我慢から解放させてあげられる申し訳なさや喜びも感じた。

    そしてこれはもう、娘の気が済むまでとことん付き合うしかないと「卒乳」の覚悟を決めた。


    卒乳までとことんつき合うと決めたけれど、夏になり、すぐにひとつの問題が発生した。

    娘の水分補給は主が母乳だったため、水やお茶をあまり飲んでくれないのだ。

    保育園から、暑くなったのでお茶をもっと飲めるようにしてほしいと言われ。摂る水分が足りず身体の中で熱がこもり、発熱によるお迎えの連絡が増えてしまった。


    よかれと思って授乳を続けていたが、この環境は娘の健康状態にとって良くないのではないか。今度こそは本気で、断乳をする必要があるのかもしれない。


    決意を新たに、インターネットで断乳の方法を調べる。

    オッパイに顔を書く?辛子を塗る!絆創膏で隠すなど独創的なアイデアがあふれていて、度肝を抜かれた。…そこまでやるんだ。

    絆創膏のみ採用し、今度こそ中途半端にならないように、慎重にプランを考えた。

    この頃には娘も1歳半になり、こちらの話もなんとなくわかる。わかるなら、なんとか説得して終わりにするしかない。


    それともうひとつ、

    授乳をする時に、わが家は授乳クッションと呼ばれるものを生まれた時から使用していた。

    それは背が伸び、授乳クッションから身体の大半がはみ出るようになっても必ず使われていた。娘にとっては、私と授乳クッションがセットになって授乳タイムだったのだろう。

    「クッション持ってきて」というと彼女はうれしそうにいつもの場所にクッションを取りに行く。そして肩にクッションを担ぎ歩く様は、大工の棟梁のように誇らしい顔をしていた。


    これがなくなれば諦めるのではないか。


    クッションごときで?と、馬鹿馬鹿しさも感じたが、私は藁をも掴む思いでその授乳クッションを娘に見つからないところに隠すことにした。

    もうこれ以上、いたずらに娘を振り回すわけにはいかないのだ。


    決行日を決め、数日前から授乳の終了の予告を娘にし、そして当日。
    娘が案の定、授乳を要求してきた。

    「もうぱいぱいは、バイバイだもんね。もういないよ」

    わたしの言葉に当然娘は納得しない。
    服の中に手を入れるが、絆創膏で隠しているため当然目当てのものは見つけられなかった。

    それならばと、娘はいつもの場所にいつもの授乳クッションを探しに行く。しかしいつもの場所にいない、いつものクッション。

    「ぱいぱい…」

    娘は泣きながら必死にクッションを探していた。

    「…もう、クッションもバイバイしちゃったんだよ。だからもうおしまいなんだよ」

    自分で隠しておきながら、言っていて私まで泣けてしまった。

    あの1歳の時に辞めていれば、こんなに悲しい思いはしなかったのかもしれない。
    大好きなものを取り上げてしまってごめんね。

    娘と抱き合って、いなくなったことにしたクッションとの別れにわんわん泣いた。

    娘は授乳クッションがないことで諦めがついたのか、それ以降授乳を要求してくることはなかった。授乳クッションがそんなに大きな存在だったとは…驚きだ。


    娘の苦い教訓を、4年後の息子には活かした。やはり同様に、1歳頃授乳に興味が薄れる時期が訪れたため、今がチャンスだ。と思った。

    保育園に子どもを預けることには、今度はもう不安はない。
    そして息子はあっさりと卒乳した。

    やっぱりこれでよかったんだ。


    当時1歳半だった娘はもう覚えていないだろう。改めて娘に聞いたことはない。
    今でも時々思いだす。得意げな顔で肩に授乳クッションを担ぎ、意気揚々と娘が歩いてくるその姿を。
    大好きだった。

    あの愛しいそしてもう戻らない時間は、間違いなく今は私だけの宝物となった。


    私がフォローしているクリエイターの
    パンダイブさんが「カンパイ」という、ステキなエッセイを書いていました。
    授乳に関する記録は、書きたいけど思いきれずにいたので、ちょうどいいから書きました。

    パンちゃんありがとう!

    2025.09.16追記

    相羽亜希実さんが、この記事の感想を書いてくださいました。
    とても個人的な思い出の記憶。
    公開するのが少しためらわれたけれど、こうやって感想を書いていただけると、書いてよかったと心から思います。
    どうもありがとうございます。

    「成長とは、これまでの習慣とのお別れでもあるのですね。」
    相羽さんの記事で、この文がとても印象に残りました。

    成長に寂しさを感じてしまうのは、小さなお別れをしているからなんだ。
    だったら、そのお別れを大切に抱きしめたいな。

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