
大人になるってどういうこと?|哲学対話書簡
おはぎさんとけいこさんの哲学対話書簡。
毎回とても楽しく参加しています。
今回のテーマは「大人になるってどういうこと」です。
大人なんだとは思う。
もうずいぶんと前から、年齢的には大人だもの。
でもこれが本当に大人なのかと聞かれると、
「たぶん」としか言いようがない。
そもそも大人がどういうものなのか、よくわからないからだ。
「大人になったら親に頼らずに、ひとりで自立して生活をしなさい」
と、小さい頃から言われて育った。
だから、ひとりで暮らすのが大人なんだろうと思っていた。
ひとり暮らしを始めるとき、荷物はすべて持って出るように言われた。
まるで「もうここに居場所はない」と言われたような気持ちになり、
ほんとうにひとりになるんだと、少し心細くなった。
引っ越し先の部屋は、収納が少ない。
だから、子どもの頃遊んでいたおもちゃはすべて処分した。
漫画本もどうしても持っていきたいものだけに減らして、子どもの頃の写真はとりあえず持って出たものの、まもなくアルバム2冊分に減らした。
今暮らすために必要なものを置く場所のほうが、必要だった。
ご飯を作るのも、買い物に行くのも、洗濯をするのも、自分。
お給料の使い道も、すべて自分次第。
誰にも相談したり、遠慮したり、気を遣ったりしなくても決めていい。
自分で自分の人生の舵をとっている気持ちに、ようやくなった。
思ったよりもひとりの生活は快適で、晴れた空の下大海原に漕ぎ出すような気持ちになる。でもときどき、
もしかしたら、一生ひとりぼっちかもしれない。
広い海にぽつんと取り残されたような不安の中を、漂う夜もあった。
そういうときは布団の暗闇に入り、星空を見上げるような気持ちでめそめそしながら、朝が来るのを待っていた。
自分の中にある昼と夜のご機嫌と暮らすのにも慣れた頃、自分の生活ぶりを見て、ふと思った。
……これって大人なの?子どもの頃のほうが、マシだったんじゃない?
当時の私は、必要なことをする時間をどこまで削れるかを探ることに、夢中だった。
朝は、朝食と化粧と身支度を削ればバスの15分前まで寝れるとか、
洗濯は、履くパンツがなくなったらとか、
カレーを作れば朝昼晩3日間食べられるとか。そんなことだ。
友だちからは、
部屋を見て「泥棒が入った?」と聞かれ、
服装を「パジャマみたい」と指摘され、
「代わりに貯金してあげようか?」とも言われた。
チャーハンとカレーライスくらいしか、料理のレパートリーもなかった。
大人って、もっと素敵なものだと思っていたんだけどな。
やりたいようにだけしていたら、ちゃんとした大人になれないんだ。
今のままじゃ自由を満喫している、ただの大きな子どもだ。
25歳になった頃からようやく、
自立して生活するための活動を開始した。
出したものはもとに戻して。
食事は偏らないようにバランスよく。
欲しいものは少しだけにして、まず必要なもの。
よく考えたら、全部親が昔から言っていたことだ。
親は私が自立した生活をするために必要なことを、ちゃんと教えてくれていたのだった。
ずいぶん後になって、母が病気になったとき
「ほんとうは、子どもが家を出たときとても寂しかった。でも『自立させないと』と思って我慢した」と言われた。
あのとき、大海原に取り残されたような気持ちになっていたのは、私だけじゃなかったのだ。
今では私も自分の子どもがいて、親の顔をして暮らしている。
出したものは、同じ場所に戻すと散らからないよ。
野菜も肉もバランスよく食べたほうが体にいいよ。
今失敗してもいいから、お金と上手につき合う方法を考えようね。
大人になれたのでしょうか。
それは今もわからない。
なんでも知ってるわけじゃないし、相変わらずレシピを見ないと作れる料理も少ない。
でもいつか子どもも大人になる。彼らが大海原に旅立つとき、私が楽しそうに舟をこぐ姿を思い出してもらえたら。
そこに、どんな私が映るんだろうな。