
私は母になる
雨の京都。
大きなキャリーケースを引いた外国人でごった返す京都駅から一変、夫とふたり、誰もいないバス停にいた。目の前にはファミレスのような餃子の王将がどっしりとしていて、その横にはマクドナルドのドライブスルーがある。京都は私にとって、祖父母が在りし日の舞鶴と、観光でやってきた神社仏閣だった。中心部にこんなひとけのないバス停があることが、どこか意外に映った。
妊娠25週、夫と一泊、出産前最後の旅行に来たところだった。普段は到底縁がないリッツカールトン京都に泊まる。色々あって「記念なら許せる」くらいの金額で宿泊できることになったものの、乗るバスを間違えて今に至る。正しいバスに乗り換えるため、このバス停で雨宿りをしていた。
「リッツカールトンにバスで行く人、多分いないよね。みんなタクシーでしょ」
「だってこっちは清水の舞台から飛び降りる気持ちで来てんだから」
こんな分不相応な真似をして足止めされることも、もうしばらくないのかもしれない。間違ったバスを選んでしまった夫は申し訳なさそうだが、私は笑みを抑えるのに必死になっていた。
バス停のガラスに雨がタッタと跳ねて、ブオンと通り過ぎていく車が雨粒を置いて行く。
しばらく霧の中のように、行き先がわからずにいたことがあった。同棲、プロポーズ、結婚という一大イベントを終えて、ぷっつりと戻ってきた日々が静かで退屈なせいかと思っていたが、新婚旅行の最中も胸の中にぶくぶく増幅した。月曜日がきて金曜日がきて、土日があってまた月曜日がくるこの日々の回転と一緒に回っているばかりで、ずっとメリーゴーランドから外を見ている。昨日と何が違っているっけ、と間違い探しする日々で、夕飯のレパートリーさえも似通ってくる。
楽しみといえば、給料日に貯金残高を見ること。そして美味しいものを食べてまた一瞬、ニヤつく。その一瞬の快楽のために働くなどどうしようもないと分かっていても、それにすがるほかなかった。どんよりとした得体のしれない不安を見ないようにしていたが、「5年後も同じだったら」そう思うと恐ろしかった。
30歳というのは、人生が案外だだっ広く自由だと知る年頃なのかもしれない。
日当たりの悪い1LDKと東京のオフィス街を往復していることでも日々は進んでいくし、一転放浪の旅に出ても、同じように平等である。
私はこの退屈を仕事のせいにして転職し、一時は忙しさで頭をいっぱいにすることで晴れ間に出た。
ただ、入社から半年も経つとたちまちあの霧に追いつかれてしまった。再び日常となった預金口座を愛でる生活からどう脱出するかばかり考えるようになっていた。
「なんかもう、自分の人生でやりたいことってそんなにないんだよね」
布団を整えながら夫が言う。同じ家にいて不安が伝染したのか、はたまたこの年頃特有の病なのか。彼と寝る前に、そんな話をするようになった。
「死にたいわけじゃないし、生きていたいし、ふたりでいても人生はそこそこ楽しいと思うけど」
仲良くいられる気はしても、今が頭打ちなんじゃないかと思う、とは言わないでおいた。
「だからってわけじゃないけど、子どもを持つっていうのはどうだろう」
それは「だからってわけ」である。
いつか子どもは欲しいね。そうだね。
結婚した頃に話した「いつか」は思ったよりもすぐそこにあって、もっと「今だ」と分かるものかと思っていた。手放しに子どもが欲しいと宣誓できないのは、私も彼もなんとなくこれでいいのか自信がない。
自分のために、命の有無を決断するのは罪のよう。それでも流れて行く時間に意味を与えるために、反論の余地はなかった。子どもを持つという側面において、私はもう決して若くなかった。
産科に通うことにした。今まで子どもを持つという意味では不完全な夜を過ごしてきていた。新婚生活の浮つきの傍で、努力ではどうにもならない問題と暮らしてきた。
何に後ろ髪を引かれているのかも分からぬまま、私は毎月数回、体内で成熟してはどこかに流れていく卵を白黒映画のようなエコーから眺めることになった。
月に一度の勝負の日は、スケジュールアプリに「kick off」と入れた。医者に「この日あたりにタイミングを取ってください」と言われた日である。おじいちゃんとはいえ男性医師に乙女の股をさらして、本来プライベートで隠された秘め事の日程まで決められるというのはなんだかおかしかった。
子どもの頃に読み漁った少女漫画なら、結婚の次のカットはだいたい子どもが生まれている。もっと簡単かと思っていた。
卵を見て、ホイッスルを吹き、がっかりしたら酒を飲み、また産科に行く。
その間に、大阪に2度、長瀞に2度、軽井沢に2度行った。ミシュラン掲載店の焼き鳥屋に行ってみた。レイトショーに行き、夜中に夫と歩いて帰った。憧れの選手を見に、初めてプロレスを見に行った。いつもはパスする集まりも、最後かもしれないから行った。
久しぶりに海外でも行きたい。この資格を取ってみたい。
次は10年後かも、20年後かもしれないから。自分は一体何をしているのだと分からなくなったり、今は身軽でなんでもできると唱えたり。検査をしたり、夫が採取したものを事務的に体に入れて、白い天井を眺めた。
毎朝きっかりつけていた基礎体温が、杜撰になってしょうがないと思っていた頃。検査薬が陽性になった。
エコーには、黒い丸が映り、おじいちゃん先生は「おめでとうございます」と言った。
海外旅行に行くのはやめた。ヨガに行ったらやんわり来ないようにと言われ、休会した。受けようと思っていた半年間のキャリア講座は一旦白紙に戻した。
幻のような命は月に一度の検診でふわふわと浮かんでいて、私もまた、どっちつかずにぷかぷか浮かんでいた。夫とふたりの日々は、もうすぐなくなる。もしくはもうなくなっている。
それが惜しくて、すでに資質がないと思った。匂いがキツくなり、冷蔵庫が開けられなくなって寝込んだ。いつのまにか春になった。
エコー写真が人間のようになりはじめ、夫とは未来の話をすることが増えた。いままでは一、二ヶ月先までしか描けなかったのに、半年先までこの朝と夜が繋がっているのだと信じられるようになった。
どこで産む、名前はどうする。産休にしたいこと、産んだらしたいこと。マンション内のベビーカーの置き場について。
疲れて帰ってきた貴方に、多分彼女は「パパくさい」とか言うよ。「ママ嫌い、パパがいい」とか言われたら泣いちゃうかも。私も昔、遊園地で「お父さんと乗る」って聞かなかったし。
そうやって、知らない間に愛して、傷つけて生きてきたんだね。愛しい君に傷つけられて、それでもいいや、君が生きていてくれるならって思うんだろうね。
ぼこんぼこん、と腹が震えている。手を当てて軽く叩いてみると、知ってか知らずかぽこん、と返ってくる。まだ顔も知らないけど、もう君のことが好きだよ。君が私を母に、彼を父にしてくれるみたいだ。
バスが来た。もうあと30分このままでも良いと思っても、時刻どおりにやってくる。
あと100日あまりで彼女は生まれてきて、夫とふたり、目を白黒させながら必死で親になるんだろう。
行ったり来たりしながら、押し流されながら。間違ったようにも、正しかったようにも思いながら。
そしてまたこのバス停のような場所に辿り着くんだ。
転職した頃、一人で知覧に行ったことを思い出した。あの日も雨で、バス停で2時間後のバスをただ待っていた。破れた時刻表に、タクシーもいない。バスが来なかったら姿をくらませてしまおうと思った矢先、ライトを付けて現れたバスに乗って、ここまでやってきたのだ。
雨がまた、激しく窓を打った。乗り込んだバスは混み合って空気が澱んでいる。
みんなどこにいくんだろう。