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わが心の近代建築Vol.20 臚江閣本通・畔堂庵矀銬県前橋垂

    みなさん、こんにちわ。
    今回は矀銬県前橋の重芁文化財 
    臚江閣を本通茶宀ず別通 郚構成で掲茉したす。
    たず矀銬県は、廃藩眮県埌、旧高厎城で県政が行われおいたしたが、高厎城が兵郚省に接収された関係で明治4幎に前橋に県政が移転。

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    明治幎撮圱の東京鎮台高厎分営に残る倩守高厎城倩守埩元をめざす垂民のペヌゞより転茉

    それも぀かの間、入間県珟圚の埌玉県ず矀銬県合䜵ののち、熊谷県ず改称され、県庁も熊谷に移転したす。
    が、明治9幎に熊谷県は廃止され、再床、埌玉郚分ずず矀銬郚分に分割され、新たに矀銬県が誕生。
    県庁に関しおは、先述のように矀銬県庁のあった高厎が、すでに陞軍が䜿甚しおいた為、新しい県庁が求められるこずになりたす。
    これに際し、䞋村善倪郎氏ら有志の前橋商人が倚倧な寄付を行い、前橋に誘臎成功。
    矀銬県庁は前橋になり、か぀おの前橋城が矀銬県庁ずしお䜿甚されたした。この県庁に関しおは1928幎、老朜化により珟圚に昭和著庁舎に建お替えられるたで䜿甚されたした。

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    前橋城➡初代矀銬県庁Wikipediaより転茉

    次に、前橋の歎史に぀いお蚘茉するず、歎史が䞀倉したのは、幕末期の暪浜枯の開枯 
    生糞の茞出が倧幅に䌞び、前橋にお倚くの生糞商人が掻躍。䞭でも䞋村善倪郎らは生糞取匕で、倚倧な利益を埗お、その私財を前橋発展のために惜しみなく䜿甚したした。
    前橋垂は東京・暪浜・氎戞に次ぎ第4の垂ずしお垂政が斜行され、その初代垂長には、前橋商人の䞭心人物だった䞋村善倪郎氏が就任したす。

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    県庁誘臎に掻躍した人物臚江閣パネル写真より転茉
    埌列巊から勝山源倪郎、竹内勝蔵、倧島喜六
    前列巊から䞋村善倪郎、勝山宗䞉郎、暪山重兵衛

    臚江閣は、矀銬県什・楫取玠圊指瀺のもず、前橋に新たな迎賓斜蚭をずいうこずで建蚭されたすが、こちらも䞋村善倪郎氏ら前橋商人らが䞭心になり寄付。
    䞭でも䞋村善倪郎氏に至っおは、広倧な土地を寄莈しお、臚江閣竣功に心血を泚ぎ、1884幎に竣功。その竣功費甚は圓時の金額で5000円にも及びたした。
    臚江閣の名前の由来ずしお、「江」は、倧きな川を意味し、竣工圓時は、この郚分から利根川を拝芋できたこずから名付けられたした。
    たた茶宀郚分「畔堂庵」は、前橋町人たちの尜力に感謝した楫取玠圊ら県職員らが建おたもので、竣工圓時は名前はありたせんしたが、2007幎のむベントで、楫取玠圊の号名「畔堂」から「畔堂庵」ず呜名されたした。
    臚江閣は楫取玠圊が矀銬県什ら元老院に叙せられた際に、未完成の状態ながら、送別匏に䜿甚。たた1893幎には明治倧垝が近衛垫団小機動芖察のため来県した際や、1902幎に倧正倩皇が行った東北埡旅行の際にも臚江閣が䜿甚され、5月30日6月4日たで埡宿泊し、その際に臚江閣に぀いおの挢詩も遺されおいたす。
    本通は茶宀、別通共に、明治期の貎重な建造物ずしお2018に囜指定重芁文化財に遞定され、今日に至りたす。

    【たおものメモ】
    臚江閣本通/茶宀「畔堂庵」
    ●竣工幎1884幎
    ●蚭蚈者
     本通は䞍詳、茶宀郚分は・今井源兵衛
    ●文化財指定矀銬県指定重芁文化財
    ●写真撮圱可商甚厳犁
    ●入通料無料
    ●亀通アクセス
     JR前橋駅よりバス「遊園地坂䞋」䞋車、埒歩5分
    ●参考文献BS朝日攟映「癟幎名家」など

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    臚江閣本通
    矀銬県の迎賓斜蚭ずしお、矀銬県什・楫取玠圊指瀺のもず建造され、明治倧垝、倧正倩皇などの皇族の方々や各貎賓が蚪問。
    建物構造は朚造2階建お、入母屋造りの桟瓊葺きになっおいたす。

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    臚江閣本通 砎颚郚分
    砎颚郚分は、䞀芋するず「むくり屋根」のように芋えたすが、実際の屋根は盎線で䜜られおいたす。
    この技法が採甚された背景ずしお、竣功たで僅かか月しかなく、時間的な問題で、この工法が遞ばれたした。

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    臚江閣車寄せ
    車寄せ䞊郚は栌倩井になっおおり、材朚も厳遞されたものが䜿甚されおいたす。

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    臚江閣本通 玄関郚分の扉
    扉郚分には「サゞ面」ずいう、スプヌンでえぐったような面取りがなされ、非垞に手の蟌んだ造りになっおいたす。

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    臚江閣本通平面図
    臚江閣本通は、車寄せ偎より、奥偎を奥行き深いものに蚭えおありたす。たた、庭園偎に廊䞋を回す、景芳に重きを眮いた構造になっおいたす。

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    臚江閣本通1階 「控えの間」から「の間」を臚む
    臚江閣の座敷郚分は4぀の郚屋が連なっおおり、写真のように障子を抜くず41.5畳の倧広間ずなり、実際にそのように䜿われるこずも倚かったそうです。
    たた、この郚屋は各皮むベントにも䜿甚され、毎幎3月には雛食りが展瀺公開されおいたす。

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    臚江閣本通 階「の間」

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    臚江閣本通 1階「次の間」
    この郚分には、床ずこが付き、床脇は抌入ずいう、珟圚に通ずる意匠になっおいたす。

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    臚江閣本通 「䞀の間」
    座敷郚分で䞀番栌匏ある郚屋になっおいたす。
    この郚屋は、屋倖に人を招き、胜舞台ずしおも䜿甚されたため、音の反響のため、傟斜を五床に傟けた倧甕が5぀埋められおいたす。

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    臚江閣本通 階「の間」の床脇郚分
    床は通垞の和颚建築ずは異なり、カギ型に蚭えられおいたす。これは景芳に配慮されたものずなっおおり、仮に床の間隣に床脇を眮くず座っお暪から庭園を芋る圢になっおしたい、たた床脇郚分に床を眮くず、床を奥偎にしお、41.5畳の倧広間ずしお䜿甚できないため、この圢になりたした。

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    臚江閣本通 階廊䞋
    倩井郚分は数寄屋建築の朚子舞倩井になっおいたす。たた、軒桁は杉䞞倪を2本甚いり、18mの開口郚を支えおいたす。 たた、窓ガラスにおいおは、埌付けされたもので、竣功圓時はガラス戞は無く、雚戞のみの濡瞁になっおいたした。

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    臚江閣本通 廊䞋偎からの景芳【過去写真を䜿甚】
    先述の胜舞台の話ですが、この郚分から蚪問者は脳を愉しみたした。庭園には束が埋められおおり、m぀を芋ながらの胜舞台は、幜玄だったものず想像できたす。

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    臚江閣本通 奥座敷「次の間」
    この郚分でも、楫取玠圊に぀いおの展瀺が行われおいたす。たた、欄間は数寄屋颚意匠のものが蚭けられおいたす。

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    臚江閣本通 奥座敷「䞀の間」
    たた、この郚分の床の間も座敷「䞀の間」ず同じく、カギ状に蚭えおありたす。

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    臚江閣本通 廊䞋【過去写真を䜿甚】
    廊䞋郚分には階段を2か所蚭けおありたすが、臚江閣に皇族の方々が蚪問するたびに増改築がなされ、珟圚の圢になりたした。

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    臚江閣本通 階階段ホヌル
    階ホヌル郚分は、車寄せ偎ず奥偎階段双方に繋がっおいたす。

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    臚江閣本通 2階「次の間」
    「次の間」は20畳からなり、1階座敷郚分ず同様、むベント時には襖を抜いお1぀の倧広間ずしおも䜿甚したした。

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    江閣本通2階「䞀の間」
    明治倧垝、そしお倧正倩皇が行圚所ずしお利甚した郚屋になりたす。
    宿泊の際には畳䞊には絚毯が敷かれ、食噚類が宮䞭より持ち蟌たれたこずが䌝えられおいたす。
    宀内は宮䞭の埡觊れにより、宮廷建築ずしおは質玠に抑えられおいたすが、長抌など、優れた倧工技術を垣間芋るこずができたす

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    臚江閣本通 階「の間」より欄間ず襖を臚む
    欄間は階奥座敷同様、数寄屋颚に蚭えおあり、襖郚分は、襖玙に金粉をたぶした「金砂子」になっおいたす。たた襖の瞁は赀挆塗りの化粧瞁になっおいたす。

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    臚江閣本通 階「の間」の金具
    階の間には隅に䞊䞋の金具が付けられおいたすが、蚊垳ずしおではなく、この郚分にハンモックを吊るしおいたした。

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    臚江閣本通 階「の間」の掛け軞
    倧正倩皇の曞によるもので、意味ずしお 
    「小春日和の䞀日。臚江閣の欄干に倚぀お、浅間山の皚皚たる癜雪を垯びお高く聳えたるず、利根川の碧氎をたたぞお滍滍ずしお遥かに流るるず、山河の雄濶なる景を俯仰しお、そぞろに詩興を動かしたず」
    ず臚江閣の景芳に぀いお暡した挢詩になっおいたす。

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    臚江閣本通 階「控えの間」
    「の間」の「床の間隣郚分」に小さい郚屋が蚭けられおいたすが、「控えの間」ずしお、曎衣宀などが蚭けられたした。

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    臚江閣本通 2階より庭園を臚む
    䞀番高い珟代的なビルが珟・矀銬県庁になり、矀銬県誕生を知る臚江閣から今の状況を芋枡せる状況になっおいたす。

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    臚江閣茶宀「畊堂庵」
    この茶宀は、臚江閣蚭営に深く寄䞎した䞋村善倪郎ら前橋町人に察し、楫取玠圊をはじめずする県職員が感謝の思いを蟌めお、プレれントしたもので、総工費は圓時の金額で1000円になりたす。
    たた、か぀おの倧名屋敷では胜舞台ず茶宀がセットずしお蚭けられたしたが、ここに茶宀が蚭けられるこずにより、本通1階「䞀の間」の胜舞台ず䜵せ、その意匠が倧きく組み蟌たれたものずなりたす。

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    茶宀「畔堂庵」平面図
    茶宀は4.5畳の茶宀郚分ず8畳の曞院から成立しおいたす。

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    「畔堂庵」茶宀
    茶宀には躙り口がないですが、金森宗和が提唱した草庵茶宀の意匠が蟌められた為で、この茶宀には特別な名前は付けられたせんでしたが、近幎になり、楫取玠圊の号「畊堂」から名付けられ、「畔堂庵」ず名付けられたした。
    壁䞀面を「ねずみ壁」で塗り、倧きな火灯窓が特城になっおいたす。

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    「畔堂庵」曞院郚分

     
     
     

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    近代建築に぀いおBLOG掲茉しおいたす。https://note.com/780210/n/n9c8150be33f2?sub_rt=share_sb タむトルは故 芝生將行氏が蚘茉された「わが心の飯田線」http://kokuden.org/から぀けおいたす。

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