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わが心の近代建築Vol. 旧䞀条恵芳山荘京郜府京郜垂→神奈川県鎌倉垂

    みなさん、こんにちわ
    前回は、旧華頂宮邞に぀いお蚘茉したしたが、今回は、旧華頂宮邞ず同じく鎌倉の報囜寺界隈にある邞宅ずしお、旧䞀条恵芳山荘に぀いお蚘茉したす。

    旧䞀条恵芳山荘は、今から幎前 
    埌陜成倩皇の第九皇子であった䞀条恵芳によっお、京郜 西賀茂に建おられた山荘で、歎史的には1646幎正保幎に茶䌚が行われた蚘録がありたす。
    倖芳こそ䜕の倉哲もない田舎家颚の山荘になりたすが、恵芳自身が蚭蚈した山荘で随所に雅な蚭えが斜されおいたすが、長幎攟眮されお忘れ去られたものを1959幎に鎌倉に移築され、鎌倉の高䜎差を掻かした土地に、芋事に映えおいたす。

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    旧䞀条恵芳山荘 邞園写真
    【旧䞀条恵芳山荘 HP写真より転茉】

    ≪たおものメモ≫
    旧䞀条恵芳山荘
    ●竣工幎17侖简侭頃
    ●蚭蚈者䞀条恵芳自ら関わる
    ●移築担圓者
    ●文化財指定囜指定重芁文化財
    ●入通料
     ・入通料¥
     ・建物ガむド¥
    ●写真撮圱可フラッシュ厳犁
    ●参考文献
     ・BS朝日攟映「癟幎名家」
     ・䞀条恵芳、堀口捚巳に関しおはWikipediaを参照 
    など
    ●亀通アクセス
     JR暪須賀線鎌倉駅より「浄明寺」停留所 埒歩分
     →京急線 金沢八景からもバスあり
    ●留意点
     旧䞀条恵芳山荘の邞宅内芋孊は、HPより事前予玄の必芁あり

    ≪斜䞻 䞀条恵芳に぀いお≫
    䞀条昭良恵芳【160572】は江戞前期の公卿。
    埡陜成倩皇の第皇子ずしお生たれ、関癜 䞀条内基の逊子ずなり、䞀条家を継ぎ䞀条家14代目圓䞻に぀きたす。
    これにより、䞀条家は近衛家・鷹叞家ずならび、皇別摂家に。
    䞀条昭良はのち、摂政、関癜を歎任し、1652幎に出家し、恵芳ず名を改めたす。

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    䞀条昭良(東犏寺塔頭芩陀院蔵【Wikipediaより転茉】

    ≪移築担圓者 堀口捚巳≫
    蚭蚈担圓を行ったのは堀口捚巳18951984で、若き日は東京垝囜倧孊同期の山田守らずずもに分離掟建築䌚を䞻催し、江戞東京たおもの園に保存されおいる旧小出邞の蚭蚈などを担圓。

    圓初はモダニズム建築に傟倒するも、のち、日本の数寄屋建築に矎を芋出し、日本の䌝統建築ずモダニズム建築の統合を図るほか、䌝統建築保存にも尜力。旧䞀条恵芳山荘以倖にも、囜宝 劂庵移築なども担圓したす。

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    犬山垂に移築された囜宝 劂庵【Wikipediaより転茉】

    たた、自身が教授を務めた明治倧孊では、工孊郚の䞭に建築孊科を蚭眮するなど掻躍し、1984幎に䞖を去りたす。

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    堀口捚巳明治倧孊HPより転茉

    なお、この邞宅に門も、堀口捚巳氏が、江戞初期の邞宅の状況を想像しお蚭蚈したものずなりたす。

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    邞宅の正門郚分

    ≪邞宅倖芳に぀いお≫
    正面郚分からのぞむず、䞀芋するず田舎家颚の䜇たいでありながら、茅葺屋根の䞋に瓊屋根が䞊ぶ独特な䜇たいになり、呚囲の自然に溶け蟌む姿ずなりたす。
    たた、こちらの屋根に関しおは、貎族䜏宅では珍しいい茅葺屋根になっおいたすが、その䞋にはこけら葺屋根、曎にその䞋には、板匵りの化粧屋根が重なる重構造ずなっおいたす。

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    正面郚分を臚む

    南庇6畳の間からの景芳は、蹲぀くばい、飛び石なども京郜 西賀茂から移築したものになり、金森宗和奜みのものに仕立お䞊げられおいたす。
    斜䞻の䞀条恵芳ず金森宗和の関係は、恵芳が宗和に茶を切望した際、茶の湯を立おるため、柄杓をもった宗和が䜕かを考えこむように、次の間に䞋がり、再び戻っお茶の湯の甚意を始めたすが、その際に宗和が手に持っおいた柄杓は分ほど短くなっおいた、などずいう話がありたす。

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    北庇畳間から庭園を臚む

    ≪平面図に぀いお≫
    宀内の配眮は、䌝統的な田舎家颚の造りずはうっお倉わり、䞭倮郚分の郚屋は、呚囲を囲む瞁座敷が䞭倮郚分の宀内を囲む、平安時代に完成された貎族邞宅の建築様匏である「寝殿造」の流れをくむもので、各郚屋を仕切る壁は殆どなく、壁は殆どなく、邞内は非垞に開攟的な造りずなっおいたす。

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    平面図【ネットより転茉】

    ≪宀内郚分に぀いお≫
    Ⅰ土間郚分
    入口の土間郚分を臚むず、数寄屋颚の蚭えずなり、沓脱郚分は竹を䜿甚。
    土間郚分に関したは、京郜 西賀茂から移築する際、堀口捚巳氏により、この邞宅が建おられた17䞖玀の時代を掚枬しお䜜られおいたす。なお、圓時は、こちらが通垞の玄関ずしお䜿甚されたした。

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    土間ず玄関郚分

    宀内回廊郚分に関しお
    Ⅰ南庇䞭の間

    玄関を䞊がり、南庇䞭の間を臚むず、そこには䞀気に雅な䞖界芳が広がりたす。
    䞋地窓は倧きくずられ、奥に芋える杉戞絵ずのラむンをそろえ暪偎ぞの広がりを匷調しおいたす。たた、倩井を芋るず、竿瞁には竹を䜿甚し、軒桁には絞り䞞倪を䜿うなど、野趣に富んだ趣になっおいたす。
    たた、杉戞絵ず画面右偎の䞋地窓の配列を芋るず、舞台の䞊䞋にあわせお蚭えおおり、䞀条恵芳の矎意識に觊れるこずができたす。

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    南庇䞭の間

    たた、こちらの杉戞絵は、建物よりも叀いものず掚枬され、のちの人圢定璃々に繋がる「人圢廻し」が描かれおいたす。
    5䜓の人圢が1列に䞊んで、それを操る人間は舞台䞋にいる䞍思議な状況を描いたものです。

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    南庇䞭の間の杉戞絵

    なお、この杉戞絵にはドラマがあり、これは䞀般的にはあたり知られおいたせんが、人圢浄瑠璃䜜家の近束門巊衛門16531725は、もずもずは䞀条恵芳の譊護圹を務めた䟍の身分。
    若き日、䞀条江芳を通じお様々な文化に觊れるこずにより、のちに人圢浄瑠璃䜜家ぞず転身。
    圓然、若き日の近束門巊衛門もこの杉戞絵を芋お、のちに氏の創䜜掻動に倧きな圱響を䞎えたず蚀われおいたす。

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    近束門巊衛門【Wikipediaより転茉】

    Ⅱ東4畳半の間
    こちらの郚屋は、邞宅の䞭での「おもおなしの間」ずされおいお、特城的なのは二重棚ず、匕き出しの裏の炉にありたすが、炉は3カ所蚭けられおおり、炉であ田食べられた空気が煙道を通り、䞊の棚を通じお倩井たで回り、3重構造の屋根を通じお建物党䜓を枩める 
    珟代でいう所の、セントラルヒヌティングの圹割を果たし、炉の䞊の棚には、食事が眮かれ、枩める仕組みにもなっおいたす。

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    東4畳半の間

    Ⅲ北庇䞭の間
    北庇䞭の間郚分、氎屋になり、こちらの杉戞絵は、䞀芋するず牛に芋えたすが、右偎に埡膳が芋え、お銙が焚いおあり、着物に銙り付けをしおいる堎面を描いおいたす。

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    北庇䞭の間の杉戞絵

    ≪䞭心郚分に぀いお≫
    Ⅰ東の小間
    こちらの郚屋に関しおは、各郚屋に繋がる郚分になり、障子や襖など、各郚屋に䜿う建具により、宀内の栌を分けおいたす。

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    東の小間

    Ⅱ2畳間の座敷郚分
    ここからの郚屋は、その堎所により栌が次々に䞊がっおいきたすが、たず最初に郚屋は、2畳間になり倩井郚分は網代倩井になりたす。

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    東の小間隣の2畳間

    こちらの郚屋で泚目したいのが、2階棚郚分。
    戞棚の小襖には打雲玙うちぐもがみずいうものを䜿甚。
    䞊郚に青い雲、䞋郚に赀い雲を描き、晎れの日は、青い雲を䞊郚に、雚の日は赀い雲を䞊に向けるようにしお䜿甚。
    そのため、どちらの面を向いおもよいように、匕手は䞭心郚分に付けられおいたす。

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    金森宗和奜みの棚

    たた、こちらの襖郚分は新しいものになっおいたすが、恵芳が䜿甚しおいたものが京郜に残っおおり、江戞時代の唐玙を珟代によみがえらせたもので、雲母で䜜られた菊菱の文様が芋る角床によっお、芋え方が倉わっおくるしくみになっおいたす。

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    襖郚分の菊菱の暡様

    ≪䞭の間郚分≫
    䞭の間郚分は、曎に質が高くなり、倩井郚分は網代倩井になり、庭偎郚分の竿瞁のみが湟曲しおいたすが、庭園偎に目線を掻かせるような仕組みになっおいたす。
    そしお、襖郚分の䞋郚分には「カゎメ」が組たれおおり、党䜓的に曲線ず盎線を䜿甚した郚屋ずなっおいたす。

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    䞭の間

    たた、仲の間郚分の畳の瞁は「倧王高麗瞁」ずいわれる、か぀おは宮廷建築のみしか䜿甚が赊されなかった瞁を䜿甚しおいたす。

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    倧王高麗瞁の畳の瞁

    たた、この宀内の襖の匕手に関しおは、芋おのずおり、平仮名の「の」の字が描かれおいたすが、これに関しおは、次の宀内に繋がりたす

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    䞭の間  襖郚分「の」字の匕手

    ≪鎖の間≫
    こちらの郚屋は、䞀条恵芳山荘で䞀番栌匏の高い郚屋になり、茶宀でありながら、小間のある茶宀ずは趣向が違い、畳を4枚䞊べたシンプルなものずし、竿瞁はアカマツ材を䜿甚。
    床の間の前の竿瞁は、2又になっおおり、自然ず、目線を床の間に生かせるような工倫がされおいたす。

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    鎖の間郚分

    たた、こちらの襖の匕手に関しおは、筆をそのたた描いたような「月」の感じが描かれおいたすが、䞭の間郚分の匕手ず合わすず「月の」ずなりたすが 

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    平安期の和歌
    「昔我が祈りし
    桂のかひもなし
    月の林の召に入らねば」
            藀原埌行
    ずいものがありたすが、「月の林」 
    これは、高貎なかたがいらっしゃる、ずいう意味になり、これをひっかけおいたす。
    これに関しお、倖芳郚分から南庇6畳間を臚むず、邞宅の府島の柱は、それぞれ違ったものを䜿甚しおおり、たさに、「月の林」に邞宅が䞀䜓化したような印象を䞎えたす。

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    庭園郚分から山荘 南庇6畳間を臚む

    ≪線集埌蚘≫
    旧䞀条恵芳山荘は、昭和期のスキルで、江戞初期の建物を珟代によみがえらせたものですが、この邞宅の移築保存に関わった建築家は、堀口捚巳 
    先述したしたが、のちに日本歊道通の蚭蚈を担う山田守らずずもに新進気鋭の建築家集団を率いた階手でもあり、のちに日本の珟代建築に回垰するのを芋お、非垞に感慚深いず感じた次第です。

     
     
     

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    近代建築に぀いおBLOG掲茉しおいたす。https://note.com/780210/n/n9c8150be33f2?sub_rt=share_sb タむトルは故 芝生將行氏が蚘茉された「わが心の飯田線」http://kokuden.org/から぀けおいたす。

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