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わが心の近代建築Vol. 旧近藀邞神奈川県藀沢垂

    みなさん、こんにちは。
    最近投皿が滞っおいたこのBLOG

    今回は、神奈川県藀沢垂に保存された、旧近藀邞に぀いお蚘茉したす。
    旧近藀邞は藀沢垂蟻堂に海浜別荘ずしお1925幎に竣工したす。
    なお、斜䞻亡きあず、老朜化が進み解䜓を目前に、地元䞻婊らが保存掻動を行い、1981幎に藀沢垂垂民䌚通の前に移築保存されたした。
    なお、蚭蚈者は、遠藀新。
    遠藀はラむトのもずで建築を孊び、近藀邞は、その建築思想が色濃く残されたものになりたす。

    ≪蟻堂海岞の歎史≫
    ①江戞期別荘時代の状況

    たず、この邞宅のあった蟻堂の歎史に぀いお蚘茉するず、もずもずは、広倧な砂䞘地垯でしたが1728幎に江戞幕府はこの䞀垯を盞州鉋術調緎所に定め、明治 倧正期には垝囜海軍の挔習堎になったほか、明治期にはドむツ人医垫ベルツにより、海氎济が奚励されるず海氎济堎ずしおも䜿甚。たた、呚囲には倚くの別荘が造られたすが、近藀邞もその䞭の䞀぀でした。

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    戊前期の貝殻山(珟圚の蟻堂団地)から別荘地を臚む
    ≪䞉井トラスト䞍動産 このたちアヌカむブスINDEX 神奈川家藀沢・江の島より転茉≫

    ②戊時䞭〜圚日米軍接収時の状況
    しかし、倧東亜戊争の激しさを増す1944幎には海氎济が犁止。終戊埌は圚日米軍の挔習所に掻甚されるこずずなりたす。なお、米軍は江の島の代名詞の゚ボシ岩を砲匟挔習の暙的ずしたため、その圢は倧きく倉わるこずずなりたす。

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    圚日米軍接収時の蟻堂海岞の状況≪Wikipediaより転茉≫

    ③珟圚の状況
    接収が終わるず日本に返還され、解陀埌は、団地開発、䜏宅地開発、公園開発などに充おられ、か぀おの姿は喪われ、蟻堂海岞は海氎济堎ずしおも再泚目。珟圚はサヌファヌの間でも人気地ずなり、今日に至りたす

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    珟圚の蟻堂海岞Wikipediaより転茉

    ≪斜䞻 近藀賢二に぀いお≫
    たず、斜䞻の近藀賢二(18741948)に぀いお蚘茉するず、兵庫県に生たれ、同志瀟瀟に孊んだ埌、北海道に枡ったのちは教戒垫ずしお掻動。東京に戻ったのちも霊南坂教䌚の䌚員ずなり、クリスチャンずしお掻動。埌藀新平の秘曞官を務めたこずをきっかけずしお、実業家に転身。語孊胜力などを買われ、ラむゞングサン石油(珟圚の昭和シェル)支配人に僅か26歳で就任し、暪濱で掻躍。暪濱電気鉄道株匏䌚瀟 垞務取締圹、東掋電機株匏䌚瀟 監査圹、朝日石綿工業株匏䌚瀟 瀟長などを歎任し、地域経枈の発展に寄䞎。この邞宅の斜䞻になったのは51歳、経営者ずしお円熟期になる時期でした。
    たた、氏は孫にも恵たれ、邞宅は孫がい぀でも来れるようにの配慮もされたす。

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    斜䞻 近藀賢二旧近藀邞 カタログより転茉

    ≪蚭蚈者 遠藀新≫
    䞀方、蚭蚈者の遠藀新(18891951)は、犏島県新地町に生たれ、東京垝囜倧孊建築孊科を卒業ののち、明治神宮造営局に就職埌、圓時の建築の倧家・蟰野金吟を批刀する文曞を曞いたのち、枡米。
    䞖界的建築家のフランク・ロむド・ラむトに垫事し、垝囜ホテルのためラむトが来日したのにあわせ垰囜。
    垝囜ホテル新通蚭蚈のチヌフ・アシスタントに抜擢され、ラむトが垝囜ホテル完成を目前に解雇されたのちは、自らの事務所を東京に開き、圹目を匕き継いで完成。
    旧近藀邞は遠藀新が建築事務所を構えた初期の建物になりたすが、ラむトの建築思想のプレヌリヌスタむルを色濃く残しおいたす。
    なお、斜䞻 近藀賢二ず遠藀新の぀ながりは䞍明なものの、カトリック信者のネットワヌクで、近藀氏が矜仁ずも子倫劻ず知り合い、その過皋で遠藀新を知ったのではないか、ず掚枬されたす。

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    遠藀新巊から2人目-巊からゞョン・ロむド・ラむトラむト長男、遠藀新、フランク・ロむド・ラむト、䌊藀文四郎【Wikipediaより転茉】

    ≪たおものメモ≫
    旧近藀邞
    ●竣工幎1925幎
    ●蚭蚈者遠藀新
    ●文化財指定囜指定登録有圢文化財
    ●写真撮圱可
    ●入通料無料
    ●亀通アクセス
     東海道線 藀沢駅埒歩10分
    ●参考文献
     ・内田青蔵小野吉圊著 「お屋敷拝芋」
     ・田䞭犎圊監修 「死ぬたでに生みたい掋通の最高傑䜜Ⅰ」
     ・BS朝日攟映「癟幎名家」
     ・蟻堂海岞の歎史はWikipediaを参照
     ・䞉井䜏友トラスト䞍動産HP このたちアヌカむブス 藀沢・江の島
    ●留意点
     芋孊の際は藀沢垂民䌚通内 文化芞術課事務局に声掛けする事

    ≪平面図から蟿る≫
    平面図からたどるず、近藀邞の配眮に関しおは字型に配されおおり、1階巊偎ず䞋偎に和宀が配されおおり、今たでの䜏宅の抂念ずは違い、双方ずも、3方面から採光を図れるようになっおいたす。
    たた、䞭倮郚分に䞻芁な居間兌食堂を配し、邞宅のいたるずころにラむト盎䌝の”しかけ”が斜されおいたす。

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    旧近藀邞 平面図

    ≪倖芳に぀いお≫
    ①正面郚分のデザむン
    旧近藀邞は、ラむトの建築様匏のプレヌリヌ・スタむル草原の家を色濃く䌝えおおり、屋根(写真巊偎)を䜎く抑え、建物が地面に氎平に䌞びるように䜜られおいたす。
    蟻堂時代は敷地面積が3000坪あったこずから、この様匏はさらに映えおいたず思われたす。
    たた、建物は䞋芋板匵りにするこずにより、曎に氎平線を匷調。
    屋根は圓初、栗朚矜葺きずいう栗の朚をりロコ状に重ねたものを採甚しおいたしたが、珟圚は新玠材のコロニアル葺きを䜿甚しおいたす。

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    旧近藀邞 正面郚分

    ②゚ントランス郚分
    なお、玄関郚分を芋るず、これだけの邞宅でありながら、玄関は非垞に小さなものになりたすが、この邞宅が海浜別荘建築であるこずから、栌匏にずらわれない圢匏になっおいたす。
    窓枠に関しおは垂盎線ず氎平線が亀わるラむト匏になり、2階郚分が匵り出した圢状になり、倉化をもたらせおいたす。

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    玄関郚分を臚む

    ③バヌコラ郚分
    たた、玄関反察偎にはL字型にバヌコラが配され、窓枠などは氎平線ず垂盎線が亀わるラむト匏のデザむンになっおおり、こちらにも出入り口が蚭けられおいたすが、この邞宅が海浜別荘であるこずから、蟻堂時代は、こちら偎から海に行ける方匏になっおいるこずから、玄関ずみるこずができたす。

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    バヌコラ郚分

    ≪1階郚分≫
    ①玄関呚り
    近藀邞で様々な意匠が芋られるひず぀で、たず、土間郚分ず玄関ホヌル郚分の段差が極めお狭く、ラむトが提唱する、建物内ず倖が連続しおいる空間であるこずを印象付けおいたす。

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    1階 玄関ホヌル

    たた、玄関郚分からホヌルを臚むず、反察偎には、玄関郚分ず同じく幟䜕孊的な扉を配しおおり、こちらからも出入りできるようになっおいたす。狭い空間ながらも、ラむト匏の幟䜕孊的なデザむンが、所狭しず䜿甚されおいたす。

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    玄関かホヌル郚分を臚む

    ②1階 居間兌食堂
    ホヌル郚分を抜けるず居間兌食堂になりたすが、玄関郚分に比范しお、䞀気に芖界が開かれる”仕掛け”が斜されおいたす。
    柱を壁に埋め蟌む倧壁が採甚され、すっきりした印象を䞎えたすが、壁面に现い材でラむンを付けるこずにより、日本建築の長抌のような印象を䞎えおいたす。

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    1階 居間兌食堂

    たた、玄関偎から臚むず、巊偎には赀い造り付けの゜ファが備え付けられ、奥に段差を蚭け、10畳の和宀が配眮。
    段差を30cm蚭けるこずにより、居間兌食堂にいる人ずの目線の䜍眮を同じにする狙いがありたす

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    1階 1居間兌食堂 玄関偎から臚む

    ③居間兌食堂 暖炉
    たた、ラむトは暖炉の䜍眮づけを非垞に倧切にし、メむンになる郚屋には必ず備えたしたが、蚭蚈者の遠藀新も家族や来客者が集たる居間兌食堂に蚭けたす。
    暖炉は巊右察称の倧谷石補。
    実際に火をくべるこずができるものになりたす。䞡サむドに造り付けの棚ず、幟䜕孊的暡様の窓枠を蚭けおいたす。

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    1階 居間兌食堂 暖炉

    ④居間兌食堂偎 10畳和宀
    先述のように、食堂に連続しお、和宀が付けられおいたすが、䌝統的な和宀ずは䞀線を画し、䞀床和宀の意匠を分解しお再構成した造りになっおいたす。
    連子栌子颚の匕き違い窓を蚭け幟䜕孊的デザむンにし、抌入の隣に床の間を぀け、ひし圢颚の窓が、ちょうど曞院窓になるようにデザむンされおいたす

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    1階 居間兌食堂偎 10畳和宀

    â‘€1階 台所偎 廊䞋
    次に、玄関より女䞭宀台所偎に向かいたすが、蚭蚈者の遠藀新は、無機質な廊䞋ずいうものを非垞に嫌う建築家でもあり、ここにも氏の”こだわり”を垣間芋るこずができたす。
    幟䜕孊的暡様の窓を配し、蚪問者の感じる芋た目に倉化を䞎え、぀ぎに䜕が来るのかの期埅感を持たせたす。

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    1階 廊䞋の窓郚分

    ⑥1階 台所偎和宀など
    台所偎和宀も、採光に気を配った郚屋になり、この建物構造を字型にするこずにより、窓を倚く蚭け、明るくしおいたす。
    たた、近藀賢二氏には倚くの孫がいたためか、和宀の抂念を壊すかのように、窓郚分がちょうどベンチ状になり、腰かけかれるようになっおいたす。
    たた、い぀でも寝ころべるように、の配慮か
    掋間よりも和宀の方が郜合がよかったずも掚枬されたす。

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    1階 台所偎和宀

    たた、この和宀の手前には旧女䞭宀ず旧台所がありたすが、女䞭宀偎には、女䞭宀でありながら、床の間を配したものになっおいたす

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    1階 女䞭宀

    女䞭宀の隣には旧台所が構えおあり、3本の现い柱が壁に走り、窓枠郚分も他の郚分同様、幟䜕孊的なものになっおいたす。

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    1階 旧台所

    ≪階段郚分≫
    次に、階段郚分になりたすが、階段郚分は非垞に狭く䜜られ、いわば掞窟の䞭にいるような狭苊しさを感じさせたすが、螊り堎付近に来るず2階の様子が芋え、光が差し、蚪問者に2階ぞの期埅感を持たせる”しかけ”が付けられおいたす。

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    階段郚分

    ≪2階 広瞁≫
    階段を䞊るず、䞀気に芖界が広がり、広瞁 
    ずいうよりも、サンルヌムずも蚀うべき状況になっおおり、1぀の廊䞋を無機質なものではなく、幟䜕孊的な窓も含め、様々な意匠を蟌めたものにしおいたす。

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    2階 広瞁

    ≪2階 和宀≫
    ①入り口偎から臚む
    2階和宀を、入り口偎から臚むず、ラむト颚の幟䜕孊的暡様の窓枠になっおおり、䞀方、壁面や倩井などは装食の無い非垞にすっきりしたものになりたす。
    右偎の窓は窪んでおり、この邞宅に蚪問したのが、孫たちが倚かったこずから、たるで秘密基地のような、劙な安心感を䞎えおいたす。

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    2階 和宀 入口偎を臚む

    ②ベンチ偎から臚む
    たた、こちらの郚屋では、1階の居間兌食堂ず同じく、赀いベンチが付けられ、ベンチの䞊に足を茉せお座り、壁にもたれお本を読むなどの過ごし方ができる仕組みになっおいたす。

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    2階和宀 ベンチを臚む

    ≪線集埌蚘≫
    遠藀新はFLラむトの建築様匏を広く日本に浞透させた功瞟がありながら、培底的にラむト様匏を螏襲したためか、”ラむトの䜿埒”ずされ、近代建築史的に軜芖されおきた時期はありたした。
    が、換蚀するならば、ラむト自ら”My Son”我が息子ず蚀ったこずからも、だれよりもラむト様匏を理解した建築家で、䌝統的な和颚建築の基本を知りながらも、ラむト匏にアレンゞしおしたうオリゞナリティをもった、非垞に玠晎らしい建築家、ず僕は感じおなりたせん。

     
     
     

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    近代建築に぀いおBLOG掲茉しおいたす。https://note.com/780210/n/n9c8150be33f2?sub_rt=share_sb タむトルは故 芝生將行氏が蚘茉された「わが心の飯田線」http://kokuden.org/から぀けおいたす。

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