メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

わが心の近代建築Vol.22 青梅宿 接雲邞旧接雲國利別邞東京郜青梅垂

    3104

    こんにちわ。
    今回は、曞こうず思いながら蚘茉できなかった、青梅宿・接雲邞に぀いお蚘茉したす。
    この邞宅は、戊前・戊埌期に掻躍した政治家で仏像コレクタヌでもあった接雲囜利氏の別邞建築にあたり、数倚くの政財界人をもおなした迎賓斜蚭ずしおも知られおいたす。
    青梅の歎史を蚘茉するず、1606幎に江戞城築城のため、青梅・成朚村から石灰を運んだこずが始たりずされ、埳川家康が江戞幕府を開いたずきに青梅陣屋が眮かれたこずに始たり、青梅街道は「成朚街道」ず呌ばれおいたした。
    成朚地区の石灰が成朚街道を通らず、川越を経由するようになるず、この道は珟圚の「青梅街道」ず呌ばれるようになり、青梅ず氷川珟・奥倚摩や甲府盆地ぞの埀来が盛んになるに぀れ、甲州ぞの近道ずしおこの道を䜿う人も増え「甲州裏街道」ずも呌ばれるようになりたした。
    たた、青梅は青梅街道・5番目の宿堎町ずしお、江戞䞭期には埡岳山ぞの参拝者や旅人、商人や職人が倚く行き亀い、僅か1.5㎞の間に10件ほどの旅籠が圢成されたした。

    画像
    埡嶜菅笠道䞭蚘《青梅宿の図》【青梅資料通より転茉】

    たた、この叀くから織物産業も盛んで、絹ずも綿を織り亀ぜた「青梅瞞」の生産地ずしおも知られおいたす。
    今回扱う青梅宿・接雲邞は、戊前・戊埌に掻躍した青梅出身の代議士・接雲囜利氏が1934幎に建おた別邞建築で、氏は代議士ずしおのみでなく、仏像や幕末関係の史料、ひな人圢ずいった叀矎術コレクタヌずしおも高名で、氏のもずには埀時の倚くの著名人が来蚪。
    自身が造った臚川庭園に招いたのち、この邞宅でもおなし、矎術品を披露したずいわれおいたす。

    画像
    仏像コレクションず斜䞻・接雲囜利氏青梅宿・接雲邞さたより拝借

    斜䞻接雲囜利19931972
    安田、叀河の銀行金、䞋野銀行盞談圹、䞋野新聞瀟顧問などを歎任したのち、1928幎に衆議院議員に遞出。
    その間、拓務政務次官、政友䌚幹事、翌賛政治䌚垞任総務などを歎任。戊埌は、芁職を歎任したこずから公職远攟されたものの1953幎に自由党から衆議院議員に返り咲き。
    接雲邊俊氏は政治家ずしおのみではなく、仏像などの叀矎術コレクタヌずしおも高名な人物で、没埌、それらを青梅垂に寄莈。珟圚、その䞀郚が青梅宿接雲邞で公開䞭。

    【たおものメモ】
    青梅宿 接雲邞
    ●竣功1931幎、1934幎
    ●文化財指定囜指定登録有圢文化財
    ●蚭蚈者京郜より宮倧工を招聘し、青梅の職人によっお䜜られた●写真撮圱基本的に写真撮圱䞍可。詳现は係員の方に芁盞談
    ●亀通アクセスJR青梅線 青梅駅より埒歩分
    ●開通日各皮むベント時のみ開通
    ●参考文献
     ・BS朝日攟映 「癟幎名家」
     ・青梅宿 接雲邞内の展瀺パネル
     ・青梅街道などの歎史においおは、Wikipediaw参照

    画像

    青梅宿・接雲邞
    1934幎に接雲囜利氏の迎賓斜蚭ずしお竣工。
    建物は右偎郚分を絊仕する堎所に、巊偎郚分をゲストルヌムずしお利甚。京郜より宮倧工を招聘し、その指導の䞋、青梅の倧工・畳職人・石工が建築に圓たりたす。

    画像

    偎面郚分から臚む
    たるで城郭を思わせる造りになっおいたす。この邞宅は接雲國利が1931幎から1934幎にかけ建造した邞宅で、瓊葺入母屋造、抌瞁䞋芋板匵、䞀郚挆喰塗になっおいたす。
    たた、玔和颚建築でありながら、瞁偎ずの仕切りにガラス戞を甚いるなど近代的な芁玠を持ち、たた欄間や倩井など随所に職人の超絶技法を垣間芋るこずができたす。

    画像

    数寄屋門
    数寄屋門は、柱郚分を角柱ではなく、自然朚を甚い、壁には鉄粉を含たせた「錆壁」ずいう蚭え。幎月が経぀に぀れ鉄分が錆び、耐色の色合いを出したす。

    画像

    数寄屋門の額瞁
    数寄屋門の瞁額瞁額を支える1察の狛犬も、肉球など、现かい装食が芋えたす。たた、先述の写真郚分においお、錆壁の状況が額瞁の双方から芋るこずができたす。

    画像

    玄関口
    邞宅前、階段を登りきるず、2匹の狛犬が、来蚪者を迎えたす。

    画像

    玄関前の石畳
    石畳には、鳳凰、獅子、竜が描かれおいたす。

    画像

    平面図
    接雲邞は北偎ず南偎に分かれ、南偎を䞻に迎賓の堎ずしお利甚されたした。

    画像

    玄関
    たず、倩井は垂束状の網代、䞞倪の倩井が数寄屋の意匠を䞎えおいたすが、堎を匕き締めるために、長抌が回されおいたす。
    たた、火灯窓が付けられ、玄関先の暖簟には、接雲家の「察い聎」が描かれおいたす。
    たた、接雲家に出入りする職人は、この柄の半纏を機手䜜業に向かいたした。

    画像

    玄関扉
    玄関扉は火灯窓颚になっおおり、釘隠しが蚭けられおいたす。

    画像

    玄関扉の釘隠し
    釘隠し郚分の「察い蝶」を拡倧した写真。こんな小さな郚分にも、これだけ现かい装食を描くこずができるこずから、この邞宅に携わる倧工さんの技量をがいかに高いかを䌺い知るこずができたす。

    画像

    階 玄関の間
    玄関を䞊がるず、玄関の間郚分には坪庭が䜜られ、この郚屋の窓から光が差し蟌み、来蚪者を出迎えたす。

    画像

    階 茶宀前の前宀
    倩井郚分は舟底で、茶宀ず玄関の間を切り離す効果がありたす。倩井に䞊んでいる现い竹のようなものは、トクサになっおいたす。

    画像

    1階茶宀
    前宀ずは打っお倉わり、明るく開攟的なむメヌゞを䞎え、䞻に玄関前の埅合ずしお利甚されたした。
    茶宀の柱郚分には面皮柱が甚いられ、長抌は磚き䞞倪が甚いられおいたす。
    床の間郚分は盎角に亀わり角竹の床柱ず萜ずし掛けが甚いられた袋床になっおいたす。

    画像

    1階茶宀 䞊段の間
    この郚分は、䞊段の間になっおおり、仏像コレクタヌだった接雲囜利らしく、仏像を安眮するために造られた堎所になっおいたす。

    画像
    画像

    1階茶宀倩井
    倩井板は屋久杉ず蚀われ、長い板を4枚、泚意ず䞭倮に䞊べおいたす。たた、小さいパヌツは竹现工でできおおり、これにより倩井板を支えおいたす。

    画像

    階茶宀倩井郚分の拡倧
    竹の留め具には、手に割いたような现かい装食が付けられおいたす。

    画像

    1階倧広間
    茶宀を前宀ずし、こちらを応接間に䜿甚。
    珟圚は展瀺宀に掻甚されおいたすが、もずもずは怅子ずテヌブルが眮かれ、正面の掛け軞が食っおある堎所は、窓になっおいたした。
    倩井郚分は栌倩井で、鏡板に杉の笹朚笹の朚が折り合ったように芋える朚目を甚いおいたす。
    床郚分は寄せ朚现工で、柱は磚き䞞倪が甚いられ、窓ガラスは、矎術品を護るため、もずもずから和玙が貌られた圢状になっおいたす。
    なお、壁は京郜聚楜第跡地付近の土による聚楜壁になっおいたす。

    画像

    青梅宿・接雲邞 1階倧広間の栌狭間
    ・仏像コレクタヌの接雲囜利のためにし぀らえられた窓で、仏像を安眮する須匥壇になっおいたす。
    床柱は絞り䞞倪ずタガダサンで曞院の地袋倩板には欅材に挆で仕䞊げおいたす。

    画像

    2階倧広間「次の間」
    5畳からなる次の間ですが、目を奪うのは茪郭を瞁取るように瞊暪にはしる黒挆塗りの现い盎線。柱や長抌、倩井郚分の材朚にたで面を取り、そのすべおに黒挆が塗っおありたす。

    画像

    2階倧広間
    接雲邞の郚屋で最も栌匏高い郚屋で宎垭に䜿甚されたした。
    壁は1階応接間ず同じく、京郜聚楜第跡地の土による聚楜壁になり、倩井は2重栌倩井で栌瞁面、柱面、長抌の面は呂色ろいろ塗りされおおり、手の蟌んだ造りになりたす。
    床柱は、通垞はヒノキの角材などが甚いられるずころ、倪杉の絞り䞞倪が甚いられ、堅苊しさを和らげおいたす。

    画像

    2階倧広間の蟻壁
    ・倧広間には蟻壁が採甚され、倩井が浮いた感じを䞎え広々した錯芚を䞎えおいたす。
    ・長抌は、内法長抌【うちのりなげし】、蟻壁長抌、倩井長抌の3぀付けられお居たす。

    画像

    2階倧広間、床柱の枕捌き
    床柱には、䞀芋するず長抌が床柱に差し蟌たれた印象を䞎えたすが、床柱を枕捌きにしお、のちに先端郚分を぀けたものになりたす。

    画像

    階倧広間から、山々を臚む
    接雲邞w階倧広間からは、奥倚摩の山々を眺めるこずができ、この景芳も、迎賓通ずしおの売りの䞀぀でした。

    画像

    2階倧広間廊䞋
    廊䞋の窓枠も優れた装食が描かれおいたす。
    たた、奥偎の窓には和玙が貌られおおり、小pレは竣工圓時からのもので、
    接雲邞にある矎術品を玫倖線から護る目的で付けられたした。

    画像

    階廊䞋から屋根瓊を臚む
    屋根瓊郚分にも、接雲氏の家王「察い蝶」が描かれおいたす。

    画像

    1階煀竹の間次の間
    階段を降り、煀竹の間に向かいたすが、次の間郚分の照明は創建圓時のものになり鉄補です。たた、欄間郚分は源氏銙図があしらわれおいたす。

    画像

    階煀竹の間
    煀竹の間は、ゲストルヌム、䞻に寝宀ずしお甚いられた郚屋で、倩井郚分には煀竹を敷きならべ、柱は面皮柱を䜿甚、仕䞊げは、斧ペキによるハツリ仕䞊げずなっおいたす。床柱は柚子の倉朚、萜ずし掛けは山怒、床框はモミゞが甚いられおいたす。なお、倩井の煀竹は、奥倚摩の叀民家より。梁は隣町の瑞穂町に昭和初期たであった酒蔵より譲り受けたものです。たた、欄間郚分は源氏銙図をあしらったものになり、障子郚分は通気性を考え無双窓が取り付けられおいたす。

    画像

    1階「煀竹の間」廊䞋
    写真ではわかりたせんが、窓のレヌル郚分は金属ではなく、竹のレヌルが甚いられおいたす。

    画像

    1階「煀竹の間」の廊䞋窓の装食
    窓には接雲家の家王のもずになった蝶が描かれ、窓枠には、薄く削った竹が貌られおいたす。

     
     
     

    3104

     
     
    近代建築に぀いおBLOG掲茉しおいたす。https://note.com/780210/n/n9c8150be33f2?sub_rt=share_sb タむトルは故 芝生將行氏が蚘茉された「わが心の飯田線」http://kokuden.org/から぀けおいたす。

    あなたぞのおすすめ