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わが心の近代建築Vol.117 遠山蚘念通埌玉県比䌁郡川島町

    みなさん、こんにちわ。
    今回は、4月初頭に蚪問するも、メンタル䞍調などで蚘茉できずじたいだった堎所から、今回は埌玉県比䌁郡川島町に保存された遠山蚘念通に぀いお蚘茉したす。

    【川島町に぀いお】
    遠山蚘念通がある川島町に぀いお蚘茉するず、埌玉県䞭郚に䜍眮し、四方を河川に囲たれた茪䞭わじゅうになっおいたす。
    ・北偎垂野川を境に東束山垂・比䌁郡吉芋町
    ・東偎荒川を境に北本垂・桶川垂・䞊尟垂
    ・南偎入間川を境に川越垂
    ・西偎越蟺川を境に坂戞垂
    に隣接しおいたす。
    荒川や荒川敬河川の流域であるこずから、町内は荒川䜎地ずなり立地を掻かしお蟲業が盛んにおこなわれ、隣接自治他の和が埡絵駅や若葉駅などを最寄りずする竣工䜏宅団地や工堎も開発されおいたす。

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    川島町の䜍眮に぀いお
    【Wikipediaを参照】

    【斜䞻 遠山元䞀氏に぀いお】
    
    遠山元䞀《ずおやた げんいち》18901972は日興蚌刞の創業者で初代瀟長を務めた人物になりたす。
    珟圚の川島町の豪蟲の家に生たれるものの、父 矩䞉の攟蕩で生家が没萜したため、高等小孊校卒業埌、15歳で䞊京し、遠瞁の氎野廉倪郎みずの れんたろうの曞生をしながら、南䜐久間町の私塟に通い、東京日本橋兜町の株や半田商店に䞁皚奉公を5幎ほど勀めたのち、1918幎に独立し、川島屋商店を蚭立。
    1920幎に株匏䌚瀟化をし、満州事倉以来の奜況により事業を発展させ、1936幎には母芪のため川島町に、この豪邞を建お生家を再興させるに至りたす。1938幎には川島屋證刞を創業させ、1944幎に川島屋商店を吞収合䜵し、旧日興蚌刞ずの合䜵により瀟長に就任。1952幎に日興蚌刞䌚長に収たり、1964幎に退くたで戊埌日本の蚌刞業界の近代化に尜力させたす。
    1968幎には川島町の邞宅を法人化し、遠山蚘念通敷地内に矎術通を建お、長幎にわたる貎重な蒐集矎術品を収蔵したす。

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    斜䞻 遠山元䞀
    『東䞊沿線物語』より転茉

    【蚭蚈者 宀岡惣䞃】
    宀岡惣䞃18851951は、珟 埌玉県狭山垂に生たれ、1909幎に東京垝囜倧孊工孊郚建築孊科に入孊ののち和掋の建築孊を孊に卒業。
    1913幎より叞法省に入省し、1914幎に䞊野公園で行われた倧正博芧䌚の事務嘱蚗ずなり、のちに内閣の高等官に任呜され、建築技垫に就任。
    その埌、東京電燈䌚瀟に入瀟しお建築技垫ずしお蚭蚈に携わった埌、珟 垂䟝田区倖神田に宀岡工務所を構え、1945幎たで各地の建物蚭蚈を行う傍ら、晩幎期は埌玉県立川越工業孊校にお、䞀般構造ず蚭蚈補図の栌子を勀め、1951に逝去したす。
    代衚的な䜜品ずしお、遠山蚘念通以倖にVol.74で扱った登録有圢文化財の石川組補糞西掋通がありたす。

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    蚭蚈者 宀岡惣䞃
    『狭山垂文化団䜓連合䌚「狭山の文化人を知ろう」プロゞェクト』より転茉

    【平面図を臚む】
    遠山蚘念通は、1936幎に生家の再興ず母の安䜏の䜏たいずしお建おられ、邞宅は茅葺屋根の東棟、2階建おの䞭棟、数寄屋造りの西棟が雁行型に䞊び、1933幎から竣工たで2幎7カ月もの期間がかけられ、日本党囜から銘材をかき集め、総監督を匟の遠山芳雄、倧工棟梁には東京・阿䜐谷の䞭村枅次郎が担圓し、盎接工事に関係した者だけでも延べ3侇5千人を動員したした。
    母亡きあずは、日興蚌刞の迎賓通ずしお䜿甚され、1970幎に遠山元䞀が所有する矎術品ずずもに䞀般公開されたす。
    2000幎には、珟代では再珟するこずのできない建造物ずしお、たた、近隣の景芳に寄䞎する建物ずしお、登録文化財に遞定され、2018幎には囜指定重芁文化財に遞定されたした。

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    遠山蚘念通 平面図
    遠山蚘念通HPより転茉

    【たおものメモ】
    遠山蚘念通
    ●竣工幎1936幎
    ●蚭蚈者宀岡惣䞃
    ●文化財指定囜指定重芁文化財
    ●入通料¥840
    ●写真撮圱可
    ●留意点通垞䞭棟2階は非公開。特別展瀺で䞀般公開
    ●亀通アクセス
    JR高厎線で桶川駅䞋車、東歊バス川越行きで牛ケ谷戞うしがやず䞋車、埒歩15分

    【長屋門】
    近䞖の倧名屋敷や代官屋敷の長屋門を参考にしお䜜られ、総ケダキ造りにしおいたす。その䞀方で、厳しさを軜枛させるため、屋根募配を䜎くし、出栌子窓を蚭けるなどの工倫がされおいたす。門扉は府䞭から取り寄せた欅の珠杢で、正匏な退华などがあった際に開かれたす。

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    長屋門 党景

    【東棟郚分】
    ❏茅葺屋根郚分
    千鳥砎颚の茅葺屋根になっおいたす。か぀お豪蟲であった生家に再興を象城しおいたす。
    茅は箱根の仙石原のものを䜿甚し、倪さを揃えおから葺いおおり、厚さ3尺の屋根を䞎次郎組みずいう䌝統的架構で支え3぀の劻からなる独特な姿をしおいたす。・

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    東棟倖芳

    ❏衚玄関郚分の車寄せ郚分
    倩井郚分は欅珠杢けやきたたもくの栌倩井ずし、沓脱石く぀にぎいしも京郜の鞍銬山くらたやたから産出される鞍銬石を䜿甚しおいたす。これらは貚車ず河舟を甚いお運ばれたものずなりたす。

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    玄関車寄せ郚分を臚む

    段差を付けお板を匵る玄関は、「匏台構え」ず呌ばれる貎人を迎える歊家屋敷的な䜜りになり、舞良戞を備えおいたす。敷石は桜花厗岩さくらかこうがんを䜿甚した、䌝統的な造りになっおいる䞀方、照明は竣工圓時に流行したアヌルデコになっおいるなど、新旧合わさった造りになりたす。

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    匏台玄関偎を臚む

    ❏玄関の間
    車寄せから最初の郚屋を玄関のずし、貎賓客が芋えた際は、ここで応察したす。玄関の間から巊右に2぀の応接宀を擁し、東偎を䟛埅甚の郚屋ずし、巊偎を応接甚の郚屋ずしおいたす。

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    玄関の間

    ❏廊䞋郚分
    背埌の廊䞋は畳敷ずし、東棟→䞭棟→西棟ず蛇行しながら結ばれ党長は100mにも及び、角を曲がるたびに䜿甚する材を倉え、蚪問者の目を飜きさせない工倫が凝らされおいたす。たた、右偎のフックは垜子掛けになり、右偎の襖には菊があしらわれおいたす。

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    廊䞋郚分を臚む

    ❏内玄関郚分
    衚玄関が䞻人や賓客甚のものに察し、内玄関は、家族や䜿甚人はこちらの内玄関を䜿いたした。
    亀甲暡様の土間は、巊官職人が小砂利ずセメント、顔料を混ぜお塗り固めお磚いた人造石研ぎ出し通称 人研ぎじんずぎの技法が甚いられ、土間吹抜け郚分から、登り梁や束が組たれた小屋裏がのぞけたす。

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    内玄関の人研ぎ石郚分を臚む

    たた、小さいながらも沓脱石く぀にぎいしが蚭けられおおり、この郚分から居間に䞊がる圢になりたす。
    写真右偎の柱が倧黒柱ずなり、ケダキ補ずなりたすが、東棟は総ケダキ造りずなっおいたす。

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    土間から居間を臚む

    ❏居間
    囲炉裏のある居間は、叀くは家族が団らんする空間で、関東の田舎家ではこのような瞁無しの坊䞻畳が甚いられたした。
    珟圚の畳は耇雑な圢をしおいたすが、これは遠山蚘念通のある川島町出身の珟代圫刻家である長柀英俊1940-2018の矎術䜜品で、「浮島/Isole galleggianti」(2009)ずいうタむトルが付いおいたす。これは、川島町が4r぀の荒川敬河川の氟濫でただ倧郚分が残された様を描いおいたす。

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    居間郚分

    遠山元䞀の母 遠山矎以みいは、数寄屋颚の西棟より、東棟を奜み、来客時にはここに招いお茶などを提䟛したした。
    が、倩井郚分は叀民家らしく吹き抜けだったものの1幎目にしお「寒い」ずいうこずで、塞がれたした。
    倩井は䞭倮郚分をケダキ材の網代、䞉方向をケダキずペシ、北偎䞀面のみを平倩井ずしたした。

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    倩井郚分の意匠

    ❏仏間
    居間奥の郚屋で、写真巊偎に仏壇が備えられ、倩井郚分は網代になりたす。
    写真右偎の襖絵には鶎の絵が描かれ、壁材も居間郚分を同じく皲荷土本磚きずなりたす。

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    仏間郚分

    【東棟から䞭棟たでのアプロヌチ】
    東棟から䞭棟ぞの枡り廊䞋の倩井郚分の倩井は、1枚物の鏡板を䜿甚し、右郚分の地袋は、垂束状に朚材の柄を遞び、その䞊郚の障子郚分は、繊现な組子があしらわれるなど、非垞に现やかな造りになっおいたす。

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    東棟〜䞭棟の廊䞋郚分

    ❏脱衣宀
    倩井郚分は、網代倩井になっおいたす。照明も竣工圓時からのもので、和颚モダンを具珟化した堎所にもなりたす。たた、流し郚分には銅板が䜿甚されおいるほか、蛇口がカ所蚭けられおいたすが、竣工圓時からボむラヌが備えおあり、圓時からお湯を䜿甚するこずができたした。

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    脱衣堎

    ❏济宀
    倩井郚分は、垂朚が攟射状に走る唐傘からかさ倩井にし、䞭倮郚分に葉通気口が蚭けられおいたす。
    唐笠倩井の手法は通気性の䟿がよいからで、近代の济宀にしばしば芋られたす。ここで泚目したいのがシャワヌで、この邞宅では竣工圓初から、ボむラヌ絊湯で蛇口からお湯が出せるようになっおいたした。

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    济宀郚分

    ❏化粧宀
    济宀脇の化粧郚屋は、数寄屋造りずなっおいたす。
    光沢のある档あお材を䜿った面皮柱、名栗材を桜の枝で止めた衣王懞けなど、様々な材の䜿甚が芋どころです。
    肌色の磚き壁、曞院窓前の垂れ壁を食る雲圢の曲線などに、優れた巊官仕事が芋られたす。

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    化粧宀 党景

    化粧宀の階段のスペヌスには、出っずスペヌスを掻甚し、棚が蚭けられおいたす。こちらの匕き出しはシャッタヌ状になりなす。
    たた、棚䞊郚には階段に䜵せ、収玍スペヌスが蚭けられるなど、限られた堎所を最倧限に利甚する蚭蚈者の意匠が蟌められおいたす。

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    シャッタヌ状の棚郚分

    【䞭棟郚分】
    ❏倖芳から

    東棟が、力匷い歊家ず豪蟲建築であったのに察し、䞭棟は䞊方を凞に反られたむくり砎颚を正面に芋せる入母屋屋根の2階建お建造物ずなりたす。
    階郚分の高欄が華やかな印象を䞎える、近代和颚建築の醍醐味を衚した建造物になりたす。
    たた、こちらの沓脱石く぀ぬぎいし郚分も、京郜鞍銬山から運ばれた鞍銬石くらたいしを䜿甚しおいたす。

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    䞭棟を庭園偎から臚む

    【階郚分】
    ❏化粧宀
    壁は淡い玅色の磚き壁ずなり、倩井郚分は垂朚になっおいたす。
    流し脇ず袖壁䞊郚にたたがる芋切りに䜿甚した曲朚の名栗がアクセントずなっおいたす。たた写真右偎の掋匏トむレ郚分には、か぀お和匏䟿所があった名残が残されおいたす掋匏トむレも日本に登堎した圓時のものを䜿甚しおいたす

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    厠郚分

    ❏次の間
    次の間の欄間郚分は折もので䜿甚する「筬おさ」の圢に䌌た筬欄間ずしおいたす。たた、壁郚分の玫色の郚分に関しおは、倧客間ず同様、柘抎石ざくろいしガヌネットを砕いたものを壁に塗り蟌み䜿甚しおいたすが、近代和颚建築では、今たでなかったような倩然石を砕いお䜿甚するこずが増えおいきたす。なお、襖ふすた郚分には束の葉が描かれおいたす。

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    次の間 党景

    ❏倧広間
    畳の曞院造りの宀内で、正匏な来賓があった際に招き入れる、遠山邞で䞀番栌が高い宀内になりたす。
    床柱は京郜北山で採れた北山杉の倩然の絞り䞞倪で遺䌝子倉化で1000本に本の割合でしか発芋されない倧倉貎重な朚材になりたす。たた倩井郚分はスギの柟目材を䜿甚しおいたすが、およそ尺ずいう倧倉幅の広い材になりたすが、これを甚意するためには尺〜尺ほどの倧倉倧きい材朚を䜿甚する必芁があり、極めお貎重なものずなりたす。

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    倧広間党景

    倧広間の付け曞院の曞院欄間は桐材を䜿甚しおいたす。
    花菱䞃宝繋ぎを段重ねにし、間隔をあけお遠山家の家王「䞞に二匹䞡」が描かれおいたす。
    非垞に现やかな现工が斜されおおり、特に段目の花は〇で宙に浮いおいるかのような透かし圫りになりたす。

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    曞院欄間郚分

    ❏瞁偎郚分
    瞁偎の垂朚たるきを受ける軒桁のきげたは、奈良県吉野産の垂朚材を䜿甚し、玄の長さを継ぎ目なしにずっおいたす。
    窓ガラスにおいおは、倧広間からの景芳が重芖され、倧広間に座った際に桟が邪魔をしないように、倧きなものを䜿甚しおいたす。

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    瞁偎郚分

    【䞭棟 階郚分】※通垞非公開郚分
    ❏ホヌル郚分

    どの宀内にも行けるようになっおいたす。倩井郚分もスフれた材朚が䜿甚されおおり、床材も厳遞された柟目材を䜿甚した、非垞に手の蟌んだ堎所ずなりたす。なお、照明なども竣工圓時のものがそのたた䜿甚されおいる、アヌルデコの時代を感じさせるものになりたす。・

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    ホヌル党景

    ❏厠郚分
    階にも厠を備えおいたすが、竣工時から掋匏トむレになりたす。倩井郚分は栌倩井になり、特筆したいのがタむル郚分で、目地が芋えないように敷き詰められおおり、ここからも遠山邞に関わった巊官職人の方のスキルの高さず非垞に手の蟌んだ造りであるこずが窺い知るこずができたす。

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    厠

    ❏数寄屋曞院
    畳の宀内になり、床柱には桐材の四方柟ずし、萜ずし掛けにも桐の柟目を䜿甚し、床框ずこがたちにはヒノキ材を挆塗りにし、倩井郚分は春日杉を䜿甚した銘朚ぞろいの宀内ずしたす。
    壁は皲荷聚楜壁いなりじゅらくぞきずし、最高玚品の聚楜土のなかでも京郜の䌏芋深草で産出される、特に色の濃い䞊質な黄土を甚いおいたす。
    襖ふすたは菊を描くこずで床柱ず足しおで菊桐の意匠を組み合わせおいたす。

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    畳数寄屋曞院 党景

    この宀内で特に目を芋匵るのが䞞窓の曞院欄間郚分で、曞院欄間は遠山に千鳥を透し圫りにしおいたす。
    床脇の2぀の明かり障子は、竹兜巟たけずきんず呌ばれる特殊なものになりたす。
    竹材を薄く削ぎ、これを2぀割にしたものを合せお節の付いた桟を䜜り、組子にしおいたす。
    これは、愛知県犬山垂の博物通明治村に保存されおいる坐持荘ざぎょそう西園寺公望邞にも芋られる、倧倉手の蟌んだもので、遠山邞建築に関わった倧工さんの高いスキルを垣間芋るこずができたす。

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    曞院欄間郚分

    ❏応接間
    応接間郚分は、内装をアヌルデコ様匏ずしながら、床の間を蚭けるずいう、独創的な空間になりたす。
    倩井郚分には、春日杉の尺幅の杢目板を䜿甚し、床柱を桑の杢目材にし、萜ずし掛け郚分をアカマツ材、床框ずこがたちず床板ずこいたをケダキ材の珠杢ずいった最高玚品を䜿甚しおいたす。

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    応接間 党景

    高窓ずガラス窓䞊郚には唐草暡様を透し圫りし、その間にはオパヌルガラスを嵌めおいたす。床は寄朚匵りずし、その意匠に合せた特泚の絚毯が敷かれおいたす。

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    窓のステンドグラス郚分

    応接間の3枚の扉はすべお桐材で、特にベッドルヌムずの間の扉は、幅玄1.5ずいう巚倧な桐材を甚いた特別なものになりたす。
    正面に斜された浮き圫り圫刻は、嵌めこみではなく䞀枚材から掘り出されたもので、倧工の腕の冎えを芋せ぀けおいたす。
    象牙ぞうげず錈甲べっこうの象嵌ぞうがんが、アクセントになっおいたす。

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    応接間に据えられた棚は、東京を代衚する指物垫さしものし、前田南斉の倧䜜になりたす。材には江戞指物で最高䜍の埡蔵島みくらじた産の島桑が莅沢に甚いられおいたす。青海波や䞃宝文を透かし圫りずし、脚郚にはパルメット文様を取り入れ、「圫嵌」は朚内省叀きうち しょうこが担圓。金具の圫金现工も傑出しおおり、昭和戊前期の東京工芞の粋を集めた傑䜜です。

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    応接間の棚

    ❏寝宀
    寝宀郚分も床は寄朚匵りずなり、倩井には春日杉が䜿甚されおいたす。こちらの壁には「遠山霞ずおやたかすみ」のクロス匵りずしおいたす。
    寝宀の家具は、応接間同様、高島屋装食郚が担圓したした。珟存する近代和颚建築の倚くはGHQに接収されお家具類を取り換えられおいたすが、遠山邞には圓初の家具が良奜な状態で保存されおいたす。

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    寝宀 党景

    窓枠郚分は応接間同様に唐草暡様を透かし圫りにし、オパヌルガラスを貌ったものになりたす。なお、床材は応接間同様に寄朚匵りずしおいるものの、それずはデザむンを倉曎しおいる点もい倧きな特城になりたす。

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    寝宀の窓枠

    【䞭棟〜西棟の枡り廊䞋郚分】
    䞭棟から西棟ぞ続く枡り廊䞋は、䞭倮郚分に畳を敷き、北偎の柱は曞院造りの角柱、南偎は数奇屋造りの面皮柱ずし、様匏の倉化を暗瀺しおいたす。
    写真右偎のガラス匕戞の腰郚分は、波型の隙間を䜜り、同圢の連子を付けた無双窓むそうたどで、ここを開け締めができ、宀内の通気性を調敎できるようにしおいたす。

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    枡り廊䞋郚分

    【西棟郚分】
    ❏倖芳

    庭に沿っお、぀の座敷が雁行型に配眮しおいたす。
    どの郚屋も東南面を倧きく開口し、屋根ず軒にも倉化を぀けおいたす。
    屋根郚分は西京瓊葺き、庇郚分は銅板ずし、壁郚分はホタル壁ずした数寄屋的意匠の倖芳ずなり、もずもず、母 遠山矎以みい の居宀ずしお䜜られたものの、実際は東棟を気に入り、こちらはあたり䜿甚されたせんでした。

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    西棟 倖芳

    ❏土蔵郚分
    癜挆喰に理にされた壁面に、鉄扉が蚭けられおいたす。
    土蔵には遠山家で䜿甚した家財道具などを保管しおおり、扉には遠山家の家王「䞞に二匹䞡」が付けられおいたす。
    沓脱石く぀ぬぎいし郚分は、人造研ぎ出し石人研ぎ石が配されおいたす。

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    土蔵扉郚分

    ❏8.5畳数寄屋行
    西棟には3぀の和宀が備えられおいたすが、それぞれ「真しん・行ぎょう・草そう」ずわかれおいたすが、この郚屋は䞭でも「行」の郚屋に該圓したす
    床の間の萜ずし掛けには錆竹さびだけ、床框ずこがたちには档あお䞞倪を䜿甚しおいたす。倩井郚分はスギ材の間に目透かしに網代を挟む、超絶技法を盛り蟌んでいたす。

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    8.5畳和宀

    8.5畳和宀郚分の附属郚分ずしお氎屋を備えおいたすが、材こそは分からないものの、萜ずし掛け、竿瞁に面皮付の自然朚を䜿い、床柱には節が付いた倉僕を䜿甚するなど数寄屋的な意匠になりたす。

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    氎屋郚分

    ❏7畳和宀草
    西棟の3぀の和宀の䞭で「草そう」にあたる郚屋で、3぀の宀内で最も厩した宀内になりたす。
    倩井材には春日杉の杢目板を䜿甚し、床柱はアカマツの面皮柱、萜掛にアカマツ材、床板には黒束を䜿甚しおいたす。

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    西棟 7畳数寄屋 「草」

    この郚屋の最倧の特城は壁郚分になり、「倩王寺おんのうじ」ずいう土壁を䜿甚しおいたす。元々は癜色の壁でしたが、経幎により珟圚の色に代わり、建築材の「貫ぬき」材が入っおいる郚分のみ、倉色のスピヌドが遅れ、珟圚の柄になり「墚差倩王寺すみさしおんのうじ」ず呌ばれおいたす。

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    墚差し倩王寺

    この宀内は、半土間を方に蚭け、茶䌚があった際、庭園から盎接、ここから入り草履をここで脱いで参加する仕組みになりたす。
    土間の瓊板は、磚せんず呌ばれる黒い艶消し瓊を甚いおいたす。照明はアヌルデコ調になり、この郚屋専甚に蚭えたものになりたす。

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    半土間郚分

    ❏数寄屋畳数寄屋「真」
    西棟で最も栌匏の高い宀内になり、母 遠山矎䌌ずおやた みいが居宀ずしお䜿甚した郚屋になり、曞き物や寝宀に䜿甚したした。
    床柱には北山杉の倩然絞り䞞倪、萜ずし掛けには桐の柟目材、床框ずこがたちはアカマツ材を黒挆に理にしおいたす。

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    12畳数寄屋 「真」

    付曞院郚分を芋るず、床の間を畳敷にし深くしおいたす。倩井郚分を網代倩井にし、狆朜りちんくぐりは朚瓜火灯圢もっこうかずうがたにしお倧きく開口し、開攟感のある空間ずし、付曞院を束杢目棚板にしおいたす。

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    付曞院郚分

    欄間郚分は桐材を䜿甚し、桐花透かし圫りずし、襖郚分は菊が描かれ、菊桐の意匠ずしおいたす。菊桐は、日本においお最も品栌が高いずされる倧王様になり、぀が合わさるこずで、最高玚の意匠になっおいたす。

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    欄間郚分

    倩井郚分は、「極䞊の薩摩杉」が䜿甚され、非垞に緻密な杢目を芋せおいたす。倧阪の銘朚商「倧政」から岩厎財閥が手の出ない䞭、遠山芳雄が非垞な高額で萜札した逞話が残っおいたす。
    たた、照明郚分はボンボリ状になり、母 遠山矎䌌みいに合わせた女性らしいデザむンになりたす。

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    倩井板郚分

    ❏仏間
    仏壇は、。東京を代衚する指物垫 前田南斉たえだ なんさいの工房が担圓。桐の幕板の火灯口に、鳳颚ず宝盞華を浮圫りにした板戞を玍めおいたす。壁においおは、畳数寄屋「草」で甚いられた墚匕き倩王寺すみひきおんのうじが䜿甚され、建材の「貫ぬき」郚分が癜くなるデザむンになりたす。

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    仏間から仏壇を臚む

    ❏厠郚分
    鮮やかな玅色の壁が印象的ですが、ベンガラを混ぜた土を甚いた磚き壁で、玅差倧接磚べにさしおお぀みがきになりたす。
    ここで泚目したいのが、壁には䞀切の鉟跡ほこあずを残さない仕事で、この邞宅に関わった巊官職人の方々の超絶技法を垣間芋るこずができたす。たた、材に関しおも、䟿座廻りの床は、楠くすのき材の䞀枚匵りずいう倧倉貎重なものが䜿甚されおいたす。

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    厠郚分

    ❏玄関
    タタキ郚分は粒を揃えた那智黒玉石なちくろたたいしが䞊びたす。
    䜜成方法は、タタキの衚面が也かないうちに、氎掗いしお小石を浮かび䞊がらせる「掗い出し」の技法を甚いおいたす。
    沓脱石く぀ぬぎいしは扇圢鞍銬石を䜿甚しおいたす。

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    玄関郚分

    【庭園郚分】
    庭園の広さは、長屋門からの車廻しを含め、およそ3000㎡で、春は梅・サクラ・ツツゞ・サツキ。倏は花菖蒲ず蓮花、秋を玅葉が楜しめたす。
    䞻屋の前には回遊匏の日本庭園が造られ、四季折々の颚情を愉しむこずができたす。
    束を䞭心にし、秋に矎しい高揚を愉しめるようにモミゞを怍え、か぀おの生家が「梅屋敷」ず呌ばれおいたこずから、癜梅も倚く、芁所に十䞉重塔や石灯篭が付けられおいたす。

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    䞭棟2階から庭園郚分を臚む

    【線集埌蚘】
    遠山蚘念通は、名前こそ知っおいたものの、今回初めお蚪問し、その建物の凄みをずくず堪胜したした。たた、今たで様々な邞宅を芋おきたしたが、囜内第第䞀玚品の材朚ず職人をふんだんに䜿甚しおおり、随所に芋どころ倚い邞宅になっおいたす。
    今回、蚘茉したものの、ただ勉匷䞍足でその玠晎らしさを䌝えきれおおらず、改めお勉匷し盎す必芁があるず感じさせる邞宅でした。
    たた、母芪孝行のために邞宅を建おた䟋ずしお静岡県静岡県駿東郡小山町にある豊門䌚通もありたすが、改めお、遠山元䞀氏の母に察する愛を感じさせられたした。

     
     
     

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    近代建築に぀いおBLOG掲茉しおいたす。https://note.com/780210/n/n9c8150be33f2?sub_rt=share_sb タむトルは故 芝生將行氏が蚘茉された「わが心の飯田線」http://kokuden.org/から぀けおいたす。

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