Voicy炎上から考えた、自分の意見を持つということの難しさ
インターネットが当たり前にある時代。
目の前で何か事象が起きた時、何かニュースを見た時についついやってしまいがちなこと。
有識者やインフルエンサーが言っていた意見に乗っかって
『その通りだと思います!』
『◯◯さんもそう言っていました!』
『ひろゆきさんの言う通り!』
(ひろゆきさんパンチライン多すぎ)
という意見表明。
長年使っている音声サービスVoicyの今回の炎上についても、同じような表明がたくさんあった。
XもVoicyのコメントもブログ記事(note)でも。
『◯◯さんの言う通りにした方が良いんじゃないですか?』
みたいなワード。
昔は同じように思ってしまっていた自分がいた。
むっちゃわかる。
なんでこんな事になってるんだ!
何か言いたい。物申したい。言ったったぜ!!
ってなりたい。
だってあの知識人が言っている!
あの有名人が言っている!!
あんなすごい人がこう言っているんだから、間違いない!
他の件でも色んなニュースを引用して
『頭おかしいだろ!』
『引退しろ!!』
『◯✕□✕✕?!』(もう書くことすら出来ない罵詈雑言)
ベルトコンベアのように流れていく。
まるで自動化された工場のように、生成AIにプロンプトを打ち込んだように生産されていく。
でも果たしてそれは自分の意見なんだろうか。
ちなみに私はそれを『意見のせどり』だと思っている。
人気の商品をネット上で仕入れて
自分の店頭(タイムライン、ブログ記事)に並べる。
もし仮にそれがバズったり、インプレッションが稼げても、結局仕入れ方は上手くなるけど
自分の創作(自らの意見)の腕は上がらない。自分の意見が確立/成熟されないままになる。