
東日本大震災からの復興とは何か
少しずつ進んでいます。
準備宿泊があちこちで始まっています。
滅多に行かないんですが、浜通り方面には新しい道路や駅が揃ってきました。
それでも帰還困難区域はどうしても後回しになっていましたが、原発立地自治体である富岡町と双葉町もいよいよ始まります。
人が通過するだけではなく長期的に滞在する段階にやっと来ました。
ところで話が変わりますが今年わたしはさくらさんを看取りました。
長いポエムとか「ありがとう」とか書きませんでした。
他の愛猫家のみなさんは本当に落ち込んで更新が止まるし、感謝と弔いの文章をアップしていたりします。
そんな方々からすれば、わたしの態度は非常に素っ気ないし、しかも「死にました(´(x)`)」ですからね。亡くなったとか、虹の橋とかそういう書き方すらしませんでした。
わたしはさくらさんが要介護になってしまった時に
「これは宿題ではないか?」
と思ったのです。
最初は人間以上に心配しました。
しかしこれが『愛猫家の陥る罠』なんではないか?と疑ってかかりました。
「ペット、特に犬と猫は家族」
とみなさん言います。わたしもそう思います。
子供のように育ててきました。しかし自分よりも後から産まれて先に死ぬんです。
最初はもう覚悟も決まらないしアタフタしてしまいました。
それでものたうち回ってみて次の回答を出しました。
『自分のお子さんを若くして亡くなってしまった方の絶望』
『自分の親の長期介護や闘病で人生が崩壊した人の絶望』
これを同時に味わっているのだと。
そうすると、猫だから必要以上に悲しむ・悲しまないはそもそも違っていて『命に取り残される命』
としてわたしはひたすらぶっ飛ばされればいい。
そして23年付き添ったわけですからこれで
「全然かまってやってない!」
と言ってくる人はおらんと思います。
たぶん通常の飼い方してても時間としては倍以上になる。
そうすると人間でね、最愛の子供の死、なかなか死なない高齢者の死。
この二つから同時に解き放たれた人が号泣したり、感傷的なポエムを書き綴るはずがないんです。
『日常が恋しい』から
わたしも今は非常に日常が恋しくて一生懸命さくらさんの痕跡を消しています。
『死』はゴールではないのです。
もちろん古今東西の高名な偉人や哲学者がひたすら考え続けていることで様々な考えがあるのは承知です。
それでも決めつけると
『肉体が生命維持を止めた瞬間』から『死を見届けた人間の生』が再スタートし、『次なる死』へ向かう。
だからわたしはさくらさんの死を忘れないスタートラインに立ったわけです。
宗教が死後の事柄、『天国地獄』や『あの世』などの話を一生懸命するのはそれこそ死から逃れたい、死を受け入れたい、死を解明したい渇望が人類共通の悩みだったからです。
よく考えたら死体は怖い。よく考えなくても怖い。
恐怖しますよね。綺麗な死体もぞっとしないし、血まみれの死体や苦悶の表情で息絶えた躯は気絶してもおかしくない。
そして不衛生。
蛆が湧くし、伝染病の元になります。死体が腐った時の悪臭は鼻の奥にずっと残って身体が硬直してしまいます。
市井に死体が転がっているのは野蛮で未発達な古代・中世、それでも埋葬や火葬をして葬儀を挙げることは一応やるのです。
死への恐れが出るのは『文化的』な証拠なのでしょうね。
さてさてお話を戻しましょう。
復興とはなんでしょうか?
東日本大震災は死者数が1万5899人(令和3年3月時点)です。
死因は90%以上が『溺死』です。津波に飲まれて亡くなったのでしょう。
身元不明は53名、行方不明者は2523人いらっしゃいます。
ちょっと不謹慎なお話をしましょうか。
「なんで死体ごときを遺族の元に戻すんかね?」
って。
「自然に還したらいいじゃん?」とか、
「葬儀不要で遺体は生ごみで捨てたら合理的」なんて言っちゃう意識高いんだか低いんだか訳わからない人が言いそうな理屈。
たしかに『死をゴール』ととらえると突拍子もなくないんです。
海戦で沈没した戦艦や空母と共に沈んだ人はサルベージする費用もありますが、
『そこの海に眠る』
という受け取り方をして決着をつけることは古今東西どこの民族もします。
ではなぜ先進国であればだいたいの地域では『それでも必死な遺体の回収』をするのでしょうか?
『弔う』ためです。
墓で眠らせるのは死者の安らぎではなく、死者に会いに行く生者のためです。
遺族の元へ還し、きちんと葬儀を行う。
誰だったかわからなかった遺体が『生前の名前』で呼ばれるようになる。
少しでも多く遺留品を見つけ1人でも多く手がかりを探す。
生きている人間のために死者を死者たりえる、それが生者が生者たるゆえんとなる。
『死の恐怖』『死の悲しみ』を区切ることによっていったん解決させる。
そこから残された遺族は生きねばなりません。
いつまでも死体と寝て暮らすわけにも、ご飯を食べず線香を燃やし続けるわけにも行きません。
被災者を日常へ戻すために死者は『死に続ける』のです。
ちょうどウクライナ侵攻がありました。
こんな場所に使われる言葉でしょうね『死に続ける』とは。
「多くの市民が今も死に続けている!」
空爆から逃れるために地下へ避難しているキエフ市民の写真をいくつも見ましたが、みなさんペットやベッド、ゲーム機まで持ち込んでこんな時だからこその『火事場で出るジョーク』で死への強いストレスと戦っていらっしゃいます。
でもそういうことではなく、
生き残った者が死者を忘れることなく、慰霊を時々行って記録と記憶に残していくことを『死に続ける』とわたしは呼びます。
『死に続ける死者』をきちんと『死に続けさせる』ことで『生き続ける生者』は自分の死まで『生き続ける』ことができます。
死者を伝える記憶と記録が消えた時に『死者』は死にます。
生きている者も死にます。
遺体の捜索に尽力している人は『復興』をしているのです。
インフラ復旧を、インフラ新設だけを見ている人は『復興』にかすっているだけ。
そのどちらも揃ってやっと『復興のスタートライン』でしょう。
そろそろ結論といきましょうか。
現在、帰還した地域を車で通過してみると、人口は減っているのがわかります。
家は無人、もしくは取り壊し。
住んでいる人も高齢者や役場職員など。
そこに戻ってめでたしでしょうか?
新しい公民館建ててやったじゃないか、新しい介護施設作ってやったじゃないか・・・・
ちょっと足りない。いやいやめちゃくちゃ足りない。
高齢者と公務員がぽつぽつと戻っても、避難先で仕事を見つけそのまま住み着いた若い人と子供がすっぽ抜けた地域はコミュニティとして崩壊していませんか?
もし高齢者だけで成り立っていたとしたら、それは限界集落です。
つまりまた一から『ご近所付き合い』を作り上げなければいくら豪華な道路と建築物を揃えてあげてもどうにもなりません。
みなさんは震災後に
「被災して避難している自治体の人間が賠償金でパチンコに行っている!」
なんていう新聞記事や週刊誌を読みませんでしたか?
あの時、東電から賠償金が1人10~12万。
仕事を失った人は問答無用で失業手当が22万。
年金もらっている人はもちろんそのまま受給。
さらに税金は免除され、支払いは光熱費のみ・・・・
両親に子供にじいちゃんばあちゃん揃ってる世帯なら100万も夢じゃありません。
しかも家が倒壊・半壊してしまった人には新しく建てる時に、補助や借入の優遇もありました。
不釣り合いな家電製品、仮設住宅並ぶレクサスと来ればマスコミのかっこうの餌です。
実際美味しい思いをした人はいますが、賠償金が打ち切られた時に次の人生の方向性を決めていなかった人はそれまでです。
みなさん、それぞれ新天地か故郷で新たな日々を始めました。
でも一度築き上げた地域の空気感を取り戻すのは並大抵のことではありません。
そこに
「はい!道路新しくしといたから」
といきなり見覚えのない風景を故郷と紹介されてしまうわけです。
額の大小はあれど、若い人が戻ることに対しての支援金は今だって続けていてもよかったんじゃないか?と思います。
綺麗で何もかも人工的になった景色を見せられても
「新しい俺達の町」とか「懐かしいふるさと」なんてなるわけがありません。
つまり、一方で一生懸命に死者を死に続けさせている人がいて、
死者の痕跡も生者の香りもクリーンに消し去ってしまった潔癖な人もいて。
しかも悪意はない。利権とかはあるでしょうがそもそも
「帰還する住民を困らせてやろう・・・・( ´,_ゝ`)クックック」
ってやってる人はいないはずです。
みなさんはちゃんと『生き続けて』いらっしゃいますか?
あの震災からしっかりと亡くなった方たちを『死なせ続けて』いらっしゃいますか?
死者となった人の生前の姿言動に関する記憶を保ち、全員とはいかなくても全世代がバランスよく存在するコミュニティが再構築された時に、
道路がボコボコでも、不便でも、草ボーボーでも
それは復興なんだとわたしは思います。
11年。
まだ身体は家に戻れた、新しい家に落ち着いたけどまったく取り残された孤独な人がたくさんいます。
福島県は県の保健師さんなどをフル活用して自殺予防の相談窓口を開設し、かなりきめ細やかな対応をして少しでも命を救おうとしています。
生きているわけでも死んでいるわけでもない人達が転がっている傍目で、高規格なバイパスをハイスピードで車が通り抜ける。
復興は道半ば、とか嘘だ。
そして次に大きな地震に襲われた時に福島県ははたして自治体の体を為しているのでしょうか?
長々と書いてきました。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
犠牲になられた方へ哀悼の意を捧げます。
残されたご家族の方の奮闘と努力に深く首を垂れさせていただきます。
どうか次にまた来る巨大地震や津波被害に遭われませんように、生き残れますようにお祈り申し上げます。