
赤い本、編む。
いま、丁度過ぎゆこうとしているこの夏に、私は1冊の本を編みました。
本を『編む』という表現が一般書籍に該当してよい表現であるのかどうかはよくわからないのですけれど、作家の三浦しをんさんのお書きになった作品に『舟を編む』という素敵な小説があって、あの作品は言葉にとことん真摯で人にはどこまでも不器用な辞書編集者の物語ですが。
ともかく言葉の大海原を漕ぎだすための舟に模した辞書を、長い年月をかけてたったひとつ作り上げる行為のことを『編む』と表現するのはなんて素敵なことでしょうと、いつか自分も何か言葉を紡いで編んで一冊を作り上げる日が来るとしたらこの言葉を使うのだと目論んでいたものが今日、叶いました。
ことのおこりは2021年の光のどけき春の日に
「あなたの書いたものをまとめて1冊の本にしませんか」
という内容のメールをいただいたことでした。あの時は現在4歳のそして当時3歳の娘の2ヶ月にわたる長い術後入院のすぐ後で、私は病院から持ち帰った巨大なトランクやLLbeanのでかいトートバッグに相当適当に詰め込んだ膨大な量の荷物を前に「これを今から全部片付けるのか…」とぼうぜんとしている所でした。それだからいただいたそのメールには
「えーっと、今丁度子どもを退院させてきて、それで家が大変なことになってまして、また後程お返事させていただきますので、お待ちいだだけますか?」
なんて適当かつ失礼にも程があるお返事をしてあったものを、言葉通り本当に辛抱強く待ってくださっていたKADOKAWAの編集者の方が
「そうですね、病気のお子さんもあることですしどうぞ、あなたのタイミングで結構ですから、書きましょう、そして本を出しましょう」
と言ってくださったのでした。それを私ときたらなんでも言葉通りに取る人間なもので
「そうですか、それではお言葉に甘えまして」
なんて悠長に構えていたら、お話をいただいてから上梓まで1年もかかってしまったというこのていたらく。書籍だなんてホンマやろうかと、何かに騙されているのではと半信半疑な気持ちがあったのも正直なところではあるのですけれど、妙なところで呑気というのか世の中をよく解っていないというか、のんびりと構えすぎていまして、この点につきましては改めましてこの場を借りてお詫びいたします。いえもう本当にすみません。
ただこの編集者女史というのが豪気というか、大変に有能にして恐ろしい人で、いつまでもだらだらと好き勝手に言葉を綴り続けるばかりの私に
「さあ目次を作りますよ!つきましてはご相談を」
と言ってnoteに保管されている原稿と書下ろしの原稿とで書籍に収録する原稿をエクセルにきれいにまとめ、書籍に掲載する原稿のあらかたを決めてしまうと、ではこの日までに収録分の原稿をリライトしてください、それから装丁はこちらのデザイナーさん、イラストを担当していただく方はこちらでしてと、ものすごい勢いで色々な方を連れて来て提案して、それの承認と確認を著者である私に取り、それで全てをぴしっと美しく整然と決定してしまったのでした。
「さあ、あとは言葉をさらりと整えていただくだけですよ」
そう宣言されたのが、丁度今年の夏のすこし前のこと。私は子ども達3人が家にころころと転がる夏休みの、リビングにあるダイニングテーブルの半分を占領して200ページ超の原稿をさらりどころかかなり真剣に、しかも何度も何度もしつこく書き直すこととなりまして、その時私は思ったものでした
「くそ…誰だよこんな適当な文章書いたの」
自分だよ。
ところで、編集者という職業の人々は、私がかつてこれまでお仕事をさせていただいた方はすべて女性の、しかも私と同じように子どものある方ばかりだったのですけれど、皆さんどうしてあんなに元気と威勢がいいのだろう、もしかするとみんな毎朝鏡の前で
「あたしは!今日も!元気!」
など自己暗示的なことをやって、気合を注入しかつ景気をつけているのかもしれない。真剣にそう思うほど皆元気でそして根気があってメールの返信が嘘のように早い人々なのですよ。多分みんなもの凄く自分の仕事が好きなのだと思う。書くことと書く人と、そうやって編み上がるものへの尽きない敬意とそれを作り上げている自分への高い矜持に溢れている人々。
それだから私が「『リライト…Re Write』書き直すことやろか」などと、書籍編纂については同人誌どころか、小学校の卒業文集係程度の知識しかない、PDFのコメントの返信の方法すらよく分かってない、本気のズブの素人であるのにもかかわらず
「いいと思います、ただ、ここをもう少しこうされては」
「表紙はこっちの赤ともうひとつこの赤があります、どちらがいいですか」
「フォントはどれがお好みですか?私のおすすめはこちらです!」
「帯文の文言に気になるところはあります?」
これはあなたが、一言一句あなたの言葉で書いたあなたの本なのですから。
そんな風にして最初から最後までド素人の新人の私を『著者』として遇してくださって、思えば私はこれまでWeb連載のようなものを持たせてもらっているくせに己が身の上を
「ただの主婦です」
そう名乗ることで言葉を綴る者の、即ち物書きの責任から逃げている弱腰な、かつほんのり狡猾なところがあったのですけれど、本を出すということはそれではいけないのだよと、うまく行こうがコケようがオマエ如きがと人様から嗤われようが、言葉を生業にするということは
『わたくしこそが著者でございます』
と人前で胸を張ることなのですよとこの夏、編集者女史の伴走でともに1冊を編むことに教えられ、そしてかなりプラティカルに鍛えられたように思います。
ということなので、5校の締め切りに至るまでひたすら助詞だの形容詞だの句読点だの細かい言葉尻を「いやなんかおかしいんですよ、なんか変なの、ちょっと待って」と最後の最後まで未練がましく直し続けたいちいちしつこい私を許してください。
ともかくも、感染症の嵐が吹き荒れて、特に基礎疾患のある子どものいる我が家にはまるでここが囹圄かと言いたくなる程に外への自由のなかったこの夏、私は真剣に苦しみつつしかしどこか楽しく分厚いゲラの余白の海にずっと溺れていたのでした。その間は
「いいかげん自分の書いたものなんか見たくもないぜんぜんつまらないしくだらないし、こんなもの一体誰が読んでくれるのか、本気でもう嫌だ」
そう思う時と
「まあ筆致と技術の拙さは致し方なくもそれでも私は私の書いたものが好きだな、だってずっと一生懸命書いてきたじゃないの」
と思う時と、それから「紙でご覧になりたいでしょうから」と送ってきてくださった縦書きになっている自分の言葉に面映ゆい気持ちのした時と、見本として印刷されたカバーイラストの鮮やかな赤とその中にあるイラストの優しい色と線に嬉しく驚いた時と、いろいろな瞬間がありまして、そうなると炊事洗濯なにもかもが立て込んで、夕方は毎日戦争でした。すまないこどもたちよ。
そうやって本を編むという事についてはひとつもわかっていない癖に、今はただひたすら言葉を綴り続けることだけしかできない、これが私に今できる唯一のことなのだからと、言葉というつかみどころも無ければ途方もないものを相手に仕事をすると勝手に決めてしまった私は、いろいろな方の力を借りて、というより小学生のように手取り足取り助けられ、鮮やかに赤い表紙のこの一冊を編みました。
装丁デザイナーの方、イラストレーターの方、校正の方、印刷の方、あちこちの書店やサイトに本を売ってくださる営業の方、今日店頭に本を置いて並べてくださっている書店の方、そしてものすごく根気と愛のある編集女史、皆さんがそれぞれに関わって作ってくださった私の、最初の舟です。
一度お手に取っていただけますと著者である私も、そして著者名の横に、目には見えない透明な文字となってその名を連ねている沢山の人たちも、とても嬉しく思います。